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知識人が雲上から降りてきた(笑)

 『中央公論』7月号に浅羽通明氏が「右翼と左翼を問い直す30冊」というまあ要するに例によって啓蒙的な文章を寄せていて、実はこの中で私に対するかなり長い言及がある。「コミュニタリアン外山恒一の到達点---ポストモダンがねじれる時」と小見出しにまでなっている。
 浅羽氏はかつて今は亡き『宝島30』誌で私をこっぴどく批判したことがあり(もっとも短い書評で先にかみついたのは私の方だったが)、これを反批判した私(と当時の同志・鹿島拾市)の文章は今でもwww.warewaredanで読める。
 さらに2000年ごろだったか、『野望としての教養』という本では、だめ連を中心とする90年代後半の若い左翼シーンにざっと触れている箇所があって、結論として、将来的にそのシーンの指導者として頭角をあらわしてくるのは外山であろう、みたいに結ばれており、私はそれを読んで、何を云っとるんだこのオッサンはと呆れた覚えがある。なにせ当時の私は例の”マイ・マジェスティ闘争”の真っ最中で、だめ連周辺も含め左翼はすべて私に対して敵対的であったし、そもそもそれ以前に私がだめ連福岡を主導していた時点においても、私のそれは首都圏の”本家”の人々はもちろん全国各地の”支部”の人々から総じて異端視されていたのだから。客観的には、2000年当時の私は、若い左翼シーンにおいて最終的に失脚しつつあると見るのが常識的な判断といえた。
 が、どうも浅羽氏の”予言”はここに来て的中してなくもないような……。なかなかあなどれない人だ。
さて今回は、「『政府転覆』『まだ反抗期』を惹句として、外山恒一が都知事選で得た一万五〇〇〇票は、路上ミュージシャンならではのパフォーマンスを見せた政見放送の映像が、ネットを騒がせたゆえと見られている。そうかもしれない。だが、忘れてはならないのは、外山がポスターなどで発表した政治思想ではないか」と、嬉しいことに活字メディアでは多分初めて、私の思想の中身について以下論じている。
 全体的にはなんか相変わらず小バカにされてるような気がしないでもないが、この目くばりというかバランス感覚は、さすが大人だなあ。

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2007年07月03日 00:03に投稿されたエントリーのページです。

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