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東浩紀・大澤真幸『自由を考える 9・11以降の現代思想』(NHKブックス)

大澤 つまりこうです。ここに、世界最大規模の個人情報のデータベースがある。なぜあるか問いただしてみると、その存在を正当化するにたる理由らしきものは、ほとんど見出せない。「住民票が取りやすいだろ」とか言われるわけで、それはそうですが、あまりに些細で、これほどのデータベースが存在している理由としては、無に等しい(笑)。そこで、その過剰性を説明すべく、批判側としては、表現の自由とか、今はない将来の懸念とかをもち出すことになるわけです。これは、掟の門を前にして、こんなふうに考えるのと同じことです。どうしても、門のなかに入れてもらえない。これほど入れてもらえないということは、よほど大事なものが門の向こうに隠されているに違いない、と考えたくなる。でも、そう考えたら、掟の門と、ほんとうの恐ろしさは、かえって消えてしまう。門の向こう側は、ほんとうに何もないのです。これは、ウィンドウズの横行がマイクロソフトの陰謀だ、みたいな話と同じなんですよね。つまり、ウィンドウズの支配に、説明不能な脅威を覚える。その脅威を、何とか、古典的な設定、古典的な権力や支配のフォーマットのなかで理解しようとする。どこかに悪いやつがいて世界支配でもねらってくれているとわかりやすくなるわけです。そこで、ビル・ゲイツの陰謀だということになると安心するわけです。しかし、こういう陰謀的な理解は、不安を喚起しているようでいて、ほんとうは、真の脅威を馴致して、不安を解消しているわけです。権力の実際の作動はすでに新しいのに、それに対する批判的な理解は、これを、古典的な権力のほうに問題を回収して解決しようとする。でも、それは起きていることに対して古典的に対処しているだけなので、ほんとうの意味での対抗策にはなっていない。

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2005年10月10日 17:36に投稿されたエントリーのページです。

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