その3から続く
外山恒一 活動年譜 その4
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2007年
都知事選でプチ・ブレイク後
4月 熊本市議選に出馬。統一地方選の前半も後半も戦った候補は他にいないだろう。当然落選するも3回目の選挙にして初めて供託金30万円を取り戻す。
5月
ネイキッドロフトで「第二回 政府転覆共同謀議 これが革命家の選挙戦だ」。ゲストは素人の乱の松本哉、司会に法政大学統一OB会の中川文人氏。
北海道大学恵迪寮で講演
6月 素人の乱・松本哉氏とともにTBSラジオの深夜番組「Life」に出演(この放送回が後にギャラクシー賞・ラジオ部門の大賞を受賞)。
1年以上前の原付でのショボい交通違反事件でいきなり逮捕され、月半ばまで丸々1ヶ月の獄中生活。獄中からスタッフ経由でブログを更新しつづける。
7月 交通違反事件の裁判が始まる。
晋遊舎が創刊した月刊誌『スレッド』に「ネット右翼矯正収容所」連載開始(ただし同誌は3ヶ月で休刊)。
8月 ネイキッドロフトで「第三回 政府転覆共同謀議 外山恒一、(また)不当逮捕!?」。ゲストは交通ジャーナリストの今井亮一氏と、鈴木邦男氏。司会は例によって中川文人氏。
9月 交通違反裁判の合間を縫って自動車運転免許を取得
10月 交通違反裁判の一審判決。検察官の求刑「罰金1万5千円」に対し、判決はなんとその8倍の「罰金12万円」。以前の「マイ・マジェスティ闘争」同様、裁判官を徹底的にオチョクって激怒させた結果である。当然控訴。
8年前の福岡県知事選における「投票率ダウンキャンペーン」の映像を編集し、新作動画として発表。
交通違反裁判での厳しい判決をうけて、“真摯な反省”を表明する新作動画「償い」発表。
11月 雑誌『スタジオボイス』に「革命のエチュード」連載開始(09年2月まで)。
ネイキッドロフトで「第四回 政府転覆共同謀議 革命運動史の空白を埋める」。ゲストは中川文人、山本夜羽音、ペペ長谷川の各氏。
12月 雑誌『ズバ王』に「自慰MEN'08」連載開始(翌年夏まで)。
大阪まで出向き、千坂恭二氏に初めて会う
京都大学熊野寮で講演
2008年
1月 阿佐ヶ谷ロフトでの早見慶子氏のイベントに出演。ゲストは他に鈴木邦男氏、中川文人氏。
2月 阿佐ヶ谷ロフトでの 神津陽氏のイベントに参加。ゲストは他にスガ秀実氏、ペペ長谷川氏、早大の活動家・ 花咲政之輔氏。
福岡市南区に新拠点となる一軒家を借りる。
熊本で“ニート・デモ”に参加。
3月 交通違反裁判の控訴審判決。「原判決を取り消し、罰金3万円とし、この事件で1ヶ月も拘束されてたんだからその罰金もすでに全額支払って余りあるとみなし事実上おとがめなし」という実質勝利だが、それでも形式上はそもそもの求刑の「2倍」となっているわけで、そんなムチャクチャな判決は許してはおけないということで上告。
4月 鹿児島市議選に立候補。540票を獲得し、熊本市議選に引き続いて供託金を取り戻して「安定した泡沫候補」と称される。
熊本で“KYメーデー”に参加。
5月 フリーターユニオン福岡の“五月病祭”に参加。
6月 9冊目の著作『青いムーブメント』刊行。
阿佐ヶ谷ロフトで「第五回政府転覆共同謀議 プレカリアート右派!?」。ゲストは“丸山真男をひっぱたきたい”赤木智弘氏と元「秋の嵐」で先輩ファシストでもある佐藤悟志氏、司会はいつものように中川文人氏。
7月 交通違反裁判の上告棄却、晴れて「前科三犯」となる。
洞爺湖サミット反対行動に参加。世界中から左翼の反グローバリズム活動家が結集する中、「エコ反対」のプラカード1枚で存在感を誇示。
維新政党・新風の“20代の会”が福岡で開催した討論会にゲスト参加。
9月 革命家養成塾・黒色クートベ、第一期スタート(翌年2月まで)。
アメリカ大統領選に(勝手に)立候補。
11月 都知事選以来、東京出張拠点として維持していた高円寺のアパートを引き払う。
12月 音声だけの“動画”としてYOU TUBEにアップするという形式での「ネットラジオもどき」の実験開始。翌年2月まで毎週発表。
2009年
2月 当サイトを全面的にリニューアル
福岡市南区の革命家養成塾・塾舎で毎週日曜(のち毎週火曜)夜に「定期交流会」を開始(9月まで)。主に福岡在住の左右の活動家、元活動家、前衛芸術家などが参加し、“我々団交流圏”が形成され始める。
4月 前年末に鹿児島県出水市の山奥に集団移住してきた「劇団どくんご」の稽古場を初めて訪ね、つい最近までそこらじゅうにツクシが繁茂していたという話を聞いて、そういえば子供の頃に大好物だったことを思い出し、すでにシーズンは過ぎていたが、ツクシ熱に火がついてしまって、阿蘇など標高の高い地域に遠征して採りまくる。
熊本で「ならずものメーデー」に参加。
5月 福岡で左派のフリーター労組が主催する「五月病祭り」に「愛国派労組」のプラカードを掲げて参加。
「劇団どくんご」全国ツアーの九州部分を(この年もまた)ハシゴ開始。
6月 法政大学入学相談闘争
7月 外山に二度も不当判決を云い渡したことへの天罰として痴漢で捕まった元裁判官・一木泰造を被告とする判決公判をイヤガラセで傍聴。
フリーターユニオン福岡と在特会福岡支部との街頭での衝突(寸前)を、どちらに肩入れするわけにもいかず公安の位置で傍観。
8月 革命家養成塾で、10日間かけてスガ秀実の大著『革命的な、あまりに革命的な』を熟読する「夏期講習」開催。正規塾生の他に東京の学生ら3名参加。
衆院選に合わせ「選挙反対キャンペーン」。
革命家養成塾舎にスガ秀実氏を招き交流会。
9月 兵庫県の宝塚造形芸術大学・学園祭でのトークイベントに参加。ゲストは他にスガ秀実氏、過激思想家の千坂恭二氏、『ロスジェネ』誌編集委員の増山麗奈氏。
10月-11月 「劇団どくんご」全国ツアーの九州部分をひたすら追いかける。
12月 福岡のアングラ芸術系ネットワーク「大耳」界隈のイベントに「トークライブ」形式で出演。
2010年
2月 90年前後に法政大学ノンセクトを率いて同大に巣食う中核派との抗争を勝利に導いた中川文人氏にその体験を根掘り葉掘り聞いた長篇インタビューが、『ポスト学生運動史 法大黒ヘル編』として単行本化。もちろん単著ではないが10冊目の著作。
中川文人氏を招き、熊本と福岡で交流イベント開催。
東京のジュンク堂新宿店で『ポスト学生運動史』の出版記念イベント。ゲストに鈴木邦男氏。
阿佐ヶ谷ロフトで『ポスト学生運動史』の出版記念イベント。ゲストにスガ秀実氏。
「素人の乱」の松本哉が企画した高円寺での「警察出てこいデモ」なる無意味デモに参加。
友好関係にある維新政党新風福岡支部のためにプロモーション動画を制作。
ペペ長谷川氏を招き、熊本と福岡で交流イベント開催。
「劇団どくんご」全国ツアーの九州部分を例によって追いかける。
阿佐ヶ谷ロフトで反体制右翼マガジン『デルクイ』創刊予告イベント。
twitter開始
革命家養成塾舎に鈴木邦男氏を招き交流会。
千坂恭二氏を招き、熊本と福岡で交流イベント開催。福岡でのイベントは8月15日、「今こそ若者たちに語り継ぎたいあの戦争」と題して、「あの戦争」つまり1968年の世界革命戦争について語り倒してもらう内容。
革命家養成塾舎に佐藤悟志氏を招き交流会。
イメージアップを狙い、ストリート・ミュージシャンとしてケナゲにレパートリー増大の“営業努力”をする姿に迫るプチ感動の連作動画「働く総統」を発表。
またまた「劇団どくんご」全国ツアー九州編に密着。
東京・一橋大学の学園祭企画で元国会議員の杉村太蔵氏と公開対談イベント。
2011年
2月 福岡の右派系青年らによる「ニコニコ生放送」企画に出演、数千人が視聴。
外山が企画・編集した反体制右翼マガジン『デルクイ』創刊号刊行。
3月 フリーター労組で知り合った友人と共に福岡市早良区西新に「BARラジカル」をオープン。以後ほぼ毎晩バーテンとして自ら接客。
東京都知事選・政見放送の第1回放映の時間帯に合わせて「外山恒一の政見放送・2011年版」をYouTubeに公開。
4月 翌5月にかけてまたまた「劇団どくんご」全国ツアー九州編を追い回す。が、「外山恒一常駐」をウリにしているBAR運営との兼ね合いで、タテ&バラシはあまり手伝えず。
5月 注目・期待の活動家を絶賛するための「外山恒一賞」を創設し、排害社代表の金友隆幸氏に第1回授与通告。
BARラジカルに同世代の左右の論客を1人ずつゲストに招いての「第1回 博多梁山泊」開催。
6月 福岡での反原発デモに「反原発右派」として参加。数名の我々団公然党員およびシンパにより「核の平和利用反対」「国賊東電に天誅を」「節電しません勝つまでは」「原発推進派に破防法を」などのプラカードが掲げられ、左派主体のデモなので圧倒的少数派であるにもかかわらず圧倒的存在感を示す。
07年の都知事選を回想した『政府転覆 上巻 余は如何にして東京都知事候補となりし乎』をウェブ出版。サブタイトルのとおり、都知事選立候補を決意するまでの経緯を詳述。『デルクイ』は勘定に入れず11冊目の著作。
スガ秀実氏が企画した“80年代の反核&反原発運動史を検証する”東京での座談会に参加。出席者は他に批評家の黒古一夫氏と菅孝行氏。2012年3月10日発行の近畿大学国際人文科学研究所編『述 5 反原発問題』(論創社・刊)に掲載。
BARラジカルに宮沢直人氏を招いて交流イベント。
7月 原発推進派への皮肉をこめた替え歌メドレー『原発推進組曲』をYouTubeで公開。
東京でおこなわれた「右から考える脱原発」の集会&デモに我々団員を派遣。
9月 福岡での反原発デモ参加の際に掲げていた我々団旗(黒地に赤い日の丸=アナキズムとナショナリズムの統合というファシズムの理念を表現)がデモ隊を罵倒するために沿道にいた在特会や、在特会がネットに上げた報告写真を見たネトウヨどもの非難の的に。
20歳の時に『ユートピアの冒険』と『テロルの現象学』を読んで(それを機にマルクス主義者を辞めて)以来、一方的に絶大な影響を受け続けてきた革命思想家で探偵小説作家の笠井潔氏と初めて会い、新宿の飲み屋で6時間ほど話し込む。
10月 この年から「劇団どくんご福岡公演」の現地スタッフ代表を務めることになり、自ら役所交渉に赴いて「演劇公演なんかに公共の公園は貸せない」などとデタラメを云う役人たちと徹底対峙し、最終的に天神須崎公園の使用許可を勝ち取る。
革命家養成塾を優秀な成績で卒業し、我々団の同志となった2名が芸術弾圧を掲げる芸術批評誌(正確には「芸術誌系弾圧機構」)『メイン・ストリーム』を創刊。
11月 「劇団どくんご」福岡公演を皮切りに全国ツアー終盤の“九州編”4ヶ所公演に同行。この年は春の往路九州編4ヶ所に加え、群馬と高知の公演にも駆けつけ、計10ヶ所17公演に立ち会った。
首都圏のノンセクト学生活動家たち(通称“黒ヘル全学連”)によるネイキッド・ロフトでのイベント「東日本学生運動復興構想会議」に司会者として参加。
2012年
1月 BARラジカルにて良元優作ライブを開催。良元優作は一部の音楽通の間で評価の高い大阪のフォーク&ブルースの弾き語りミュージシャンで、外山の古いストリート・ミュージシャン仲間。
『サイゾー』の特集「ニッポンの革命家」の一企画として元航空幕僚長・田母神敏雄氏と対談。案の定まったく話はかみ合わず。
統一戦線義勇軍の針谷大輔氏が主催した東京・ロフトプラスワンでの“反原発右派”のイベント「男たちの国防論 脱原発運動の新たな局面を考える」に出演。
福岡での反原発twitterデモに一切のパフォーマンスなしで地味に参加。
この月いっぱいで前年3月のオープン以来丸10ヶ月間の原則毎晩カウンターで接客するBARラジカルの「外山恒一常駐」体制終了。以後、同店は本来のオーナーが継続。
2月 読んだ雑誌記事から周囲と共有したいと感じたものを選びスクラップして著作権無視で小冊子にまとめて周囲に配る『外山恒一のスクラップ&スクラップ』を毎月刊行開始……の予定だったがまもなく印刷場所が確保できなくなり4月刊の第3号までで頓挫。
“外山恒一不在”のBARラジカルが一層カンコドリーとなることを懸念し、毎月最終日のみ“1日店長”として復活することに。しかし経営は意外と(“外山恒一常駐”時代よりも!)軌道に乗ってきたようなので約半年後の9月でそれも終了。
熊本で知人が主催した山本太郎講演会を当日会場スタッフとして手伝う。打ち上げで山本氏とも数時間交流。
3月 福岡での左派系の反原発デモに数名の“反原発右派”の1人として参加。
2009年頃に製作しようとして中途で放り出した“プロモーション・ビデオ”を未完成作品のままYouTubeで公開。
福岡での反原発twitterデモにまたまた一切のパフォーマンスなしで地味に参加。
4月 大好物すぎて毎年つい採りすぎてしまうツクシを、いっそ意識的に乱獲して売りさばき我々団の巨大な資金源としようと目論んで大失敗。せめて文学に昇華してお茶をにごす。
福岡の反原発twitterデモの中心メンバーらによる九州電力本社前での抗議行動に参加。
ロンドンの(現地ではそこそこ有名らしい)ファシストらしき活動家の依頼に応えて、同氏の編集・刊行になる三島由紀夫論集に、三島など一冊も読んだことないくせに三島論をデッチ上げて寄稿。
翌月にかけて例によって「劇団どくんご」全国ツアー序盤の九州編4ヶ所公演に完全密着。
主に初対面の人向けの自己紹介グッズとして、政見放送、YouTube向けに自作した諸動画、トークライブ動画などを収録したDVDを編集し、周囲にバラまきはじめる。
5月 やがて名誉ある第2回外山恒一賞を、熊本市で活動する「劇団第七インターチェンジ」主宰の亀井純太郎氏に授与通告。
2月の山本太郎講演会の打ち上げ交流会で知り合った右翼青年の仲介で、元々はその青年が所有していたというワゴン車タイプの街宣車を、熊本の右翼団体から格安で譲ってもらい、「日教組を撃滅しましょう」などと書かれていたイカニモ右翼なそれを早速「反原発右派」街宣車に改変する。
6月 全国13ヶ所(鳥取・岡山・大阪・京都・群馬・富山・新潟・仙台・札幌・松本・水戸・静岡・名古屋)で「外山恒一を囲んで飲む会」を開催してまわる“全国ツアー”を翌7月にかけて敢行。入手したばかりの街宣車での一人旅。
新潟大生の主催でトークライブ。
全国ツアーの合間に富山に数日滞在し、『青いムーブメント』でも言及した、80年代末ごろに当地で発行されていたらしい謎の社会派ミニコミ『へそ』の関係者の消息を追う調査活動。
首相官邸前での反原発行動の参加者が万単位になり始めたタイミングで、たまたま「劇団どくんご東京公演」を全ステ観るために東京滞在中だったので、抗議行動の時間に合わせて官邸周辺をピストルズとブルーハーツを大音量で流しながら街宣車ドライブし、人民にとても喜ばれる。
7月 法政大学構内でトークライブ。
北海道大学アナキズム研究会の主宰でトークライブ。
山梨県にある笠井潔氏の山荘に招かれ夜を徹して語り明かす。
8月 全国ツアーの次は全九州ツアーを、全国ツアーとは違いきちんと会場を設定した上で敢行しようと思い立ち、まず会場探し、続いて事前情宣のために、本番と設定した10月半ばまで、九州各地のサブカル的・アングラ的な飲み屋や喫茶店を、九州じゅうを何周もしながら訪ね歩く。
9月 大分県別府市で開催されたパンク系のライブ・イベントに成り行きで飛び入り出演。
10月 動画中継「我々団TV」をまずは試験的に月1回、第一月曜の夜にニコニコ生中継で開始。
「外山恒一トークライブin九州8都市」敢行。
11月 前年に引き続き現地スタッフ代表を務めた福岡公演を皮切りに、「劇団どくんご」全国ツアー終盤の“九州編”6ヶ所公演に密着。春の往路九州編4ヶ所の他、自身の全国ツアーの合間の京都・群馬・東京、さらにダメオシで広島の公演も観て、計14ヶ所27公演は各地のファンの中でも群を抜いて最多であることはもちろん、自身としても2001年に同劇団を追っかけ始めて以来の最多記録。
東京都知事選の告示日に合わせ「外山恒一の政見放送 のようなもの2012年版」をYouTubeに発表。
12月 ネット上で過去に一言でもどんな些細なことであれ外山に言及したことがある、つまり少なくとも外山の存在を知ってはいるはずの者のメールアドレスを徹底的なエゴサーチによって収集、メルマガを一方的に送りつける強引な情宣活動を開始。
衆院選にて原発推進派候補の選挙カーを街宣車で追い回す、一種の落選運動「原発推進派懲罰遠征」を敢行。
以後は「我々団」の年譜へ続く