交流会の記録
2009年5月12日
革命家養成塾・黒色クートベにて


 

前半から続く)

京都 こういう話ってのはよくテレビで見ることができるじゃないですか。

外山 テレビで? なかなか見られないと思うよ(笑)。

京都 「朝まで生テレビ」とか。

小野 昔の朝ナマとかならね。

藤村 昔のは面白かった。

京都 そういう場で自分も発言してみたかったんですよ。

小野 テレビに出たかったの?

京都 そういうわけではなくて、自分の意見というものがどういう反応を受けるのかを見てみたかった。

外山 しかし現実の運動のシーンに身を置いていればそんなことはいくらでもありますよ。

小野 そうそう。現実の運動というのが大事なんであって、今してたような話も抽象論でしかないし。

外山 なんでここでこういう議論が成り立つかというと、それぞれ運動をしてきたからであって。まあ藤村君は具体的な運動にはほとんど関わってないけど、藤村君なりに右派の思想圏内でいろいろ考えてきた蓄積があって。

小野 そうだね。日本の核武装論が非現実的であるって話も、そういう蓄積の上でしてるんだろうし。しかしそう思うんだったら、日本が一日も早く核武装できるように頑張れと(笑)。それが大事なんであって、こんなところで核武装する方がいいのか悪いのかと云うよりも、街頭に立って云えと。政治家に会いに行って要求するとか、なんかやればいいと思うんだよ。それにつきる。

外山 今ぼくが京都君に云おうとしたのは、つまりそれぞれの現場を持ってれば、そんな議論をする機会はいくらでもあるってことですよ。逆に、何もしていないのに意見だけ云わせてくれってのは、運動してる側からすれば単に「おこがましい」ってことですよ。

小野 意見とか議論とかどうでもいいんだよね、はっきり云って。

京都 すいません。

小野 そこで謝っちゃダメなんだよ。

外山 いや、今の時点ではもう京都君は自分から運動の現場に飛び込んできてるようなものなんだから、別にどんどん云いたいことを云えばいいんだけど、そういう場にいない段階でさっきみたいなことを云うのはちょっと違うだろうってだけですよ。

小野 まあここでダベってること自体は運動でもなんでもないけどね。

藤村 ただ運動の情熱というか、何がなんでもおれは絶対にこれを、というような感じの情熱がないと持続しないでしょう。

外山 それがどういう情熱なのかはよく分からないけれども。

京都 話を戻してしまいますけど、さっきの核の問題で、外山先生は核があった方がいいと思うんですか?

外山 ない方がいいんだけど、なくすことはもはやおそらく無理だと思う。

小野 衰弱してるからね、外山さんは(笑)。

外山 いや……やっぱ無理だろう(笑)。

藤村 無理だろう。衰弱してるわけじゃないよ(笑)。

外山 見っけちゃったもんは、ねえ。

小野 いや、核エネルギーというものと核兵器は別でしょう。「すべての武器を楽器に」とか云うつもりはないけれども(笑)。

外山 つまりある技術をどう使うかというのは人間の政治的な判断であって、と。

小野 そうそう。

外山 だからぼくは「発電には使うな」と云ってる(笑)。

藤村 外山君のその立場は非常に論理的だよね。

外山 核というものを見つけた。どうして見つけたかというと、軍事的な開発の途上で見つけた。それを維持するために、つまり軍事的な技術を平時においても維持するために、発電なんかに流用すんな、と。

小野 それを云いだせばインターネットだってそうじゃん。技術というのはもっと奥が深いもので、歴史的に軍事的な事情で開発された技術だからそれは本質的に軍事的なものだとは云えないよ。ナイフだって槍だってそうだよ。

藤村 核の研究によって核兵器を無化する技術も開発されるかもしれないんだから、原発を止めろというのはナンセンスである、ということになるよね。っておれは何か揚げ足とりばっかしてるけど(笑)。

小野 原発についてはおれは不勉強だから。だけど原発絶対反対と思ったことはないね。

藤村 そうか。失礼しました。

外山 左翼だから当然、反原発だろうと。

藤村 偏見でした(笑)。すいませんでした。

小野 ぼくらが生きてる時代はもう原発ありきで、それで日本の電力はもってるってことが常識になってるでしょ。それを自分の住んでるところにあるのはイヤだとか云っててもしょうがないかもしれないよね。そういった技術が生まれてきたこととか、それがどういうふうに分配されてるのかとか、それこそ本当は軍事的に利用したいという思惑なんかもあるのかもしれない、そういうことも含めて、テクノロジーなんてのは人間の知恵で分配、再分配できるわけで、それ自体がいい悪いではない、軍事・非軍事ではないと思う。インターネットもそうでしょ。

外山 しかし核技術的なものに関しては、まあ発電に使うのはいけないんだけど……。

京都 どうしてですか?

外山 危険を偏在化させるから。

藤村 今の外山君の話は、つまり核そのものは必要悪だということでしょ。

外山 そうだね。もう見つけちゃったものだからね。それを軍事的に使うか、使っちゃいけないんだけど発電に使うか、あとはもう、「正宗で大根を切る」ってことわざがあるんだけど、そんな感じで医療に使うか……つまりそもそもほとんど使い道がないんですよ(笑)。

小野 自分たちの生活の中にあるエネルギー的なものの潜在的なリスクをどれだけ意識してるかといえば、原発以上に怪しいものはいくらでもあるかもしれない。

京都 ぼくも同意見です。どうして核というものの平和利用まで否定するのか分からない。

小野 「核の平和利用」なんてなんでいちいち云わなければいけないのかって話だよ。北朝鮮だって「核の平和利用」って云ってる。そんなことをなぜいちいち云わなければいけないのかって状況があるわけでしょ。「核の平和利用はいいんだ」とかいちいち云ってるようじゃダメだよ。核は核でしょ。平和利用もクソもない。

京都 でも核兵器と原発は違うでしょ

外山 いや、歴史的な過程を見れば分かる。もともと核兵器として開発されたものだし、その開発なり技術の維持にはものっすごいお金がかかる。

小野 国策としてしかやりようがない、と。

外山 税金を大量に投入してやってたわけだ。戦時中だったらそれはしょうがない、税金をいくら投入しようが文句は云わせない。しかし戦争が終わっちゃうと、税金を投入して核技術を維持することができなくなる。じゃあどうするかってことで、原子力船を考えたり原子力発電を考えたり、とにかく何か他のことに使えないか、と。他のことに使えるんであれば、民間に転用して、つまり民間に研究を続けさせて、軍事的に流用できることがあれば逆に政府がそれを拾い上げればいい。それでいろいろ法律を作って、例えばどんな大事故を起こしても九州電力は最大100億円までしか損害賠償しなくていいとか、そうすれば銀行も安心して電力会社にカネを貸すし、とにかくそういうお膳立てを全部やった上で民間に転用してきたんだよ。

小野 なるほど。勉強になるね。

外山 だから政府の目的としては兵器開発がメイン。

京都 それは本当なんですか?

外山 歴史過程を見れば分かること。

京都 純然たる電力開発ではない、と。

外山 戦争が終わっちゃった、戦後になったんで、民間に転用する方法をいろいろ考えたんだけど、例えば原子力船は結局ダメだったでしょ。最後まで残ったのが発電なんですよ。しかしあちこちに原発を建ててたら、そんなもの、通常兵器で攻撃されたって核攻撃を受けたような結果にもなる。それはマズいっしょ(笑)。

藤村 つまり核はない方がいいというのは外山君にとっても原則で、しかし軍事に使うのは別の文脈があるから、核武装の可能性については留保しておこう、と。

外山 いや、どこの国であろうと核開発というのは本音の部分では核兵器開発であって、アメリカや中国や北朝鮮の核兵器にどう対抗するかってことは考えなきゃならないわけだけど、発電に利用するってのはやめた方がいい。

藤村 そこでぼくはまたイヤなことを云ってみたくなるんだけど、じゃあ北朝鮮の核開発は支持すべきじゃないのかな。

小野 なぜ?

外山 ぼくも一方ではそう思ってるよ。つまりアメリカなんかの核独占を……。

小野 たしかにアメリカは核を持ってるくせにって文脈ならそうですよ。アメリカには文句云わせたくないですよ、おれだって。しかし金正日が持とうがブッシュが持とうがオバマが持とうが……。

藤村 だったら今後はプラカードに「右翼保守派は北朝鮮の核兵器保持を支持せよ」って書いたら?

小野 そんなの自分でやってよ(笑)。

外山 まあ反米の意味でならそういう立場もありえますね。

藤村 おれはナショナリストとして、いやほんとはナショナリストじゃないけど……。

外山 あれ? ナショナリストじゃなくなってきたの?

藤村 おれは天皇主義者だから。

外山 あ、天皇主義者とナショナリストは違うのか。

小野 つまりネイションがどうあろうと……。

藤村 うん。

外山 日本がどうなろうと陛下さえ……(笑)。

藤村 それが正しい右翼のあり方だとおれは……。

外山 そうだったのか(笑)。まあそうかもしれない。

藤村 それはともかくおれには北朝鮮の核開発はよくないという根拠がある。

小野 どういう根拠?

藤村 まず日本が核武装しないことには……。

外山 つまり日本がやってない段階で北朝鮮に先にやられるのはマズい、と。

藤村 そうそう。

外山 じゃあ日本がやってれば……。

藤村 北朝鮮もどうぞお好きに、ということになる。

小野 なんと不合理な。

藤村 まあ拉致問題のこともあるけど。

外山 しかしアメリカの好き勝手にさせないためには必要でしょう。

小野 日本が核武装することが?

外山 べつに日本だけじゃなく、すでに持ってる国以外は持っちゃいけないことにされてきた、そういう国々が。

小野 いわゆる現実というものに対して想像力が衰弱してるからそういうことになるんだよ。

藤村 逆じゃないか。むしろ左翼の方が……。

小野 左翼もたしかに衰弱してますよ。

外山 核兵器はなけりゃない方がいいのはたしかなんだけど、それにこだわるあまり、しかし核兵器がなければアメリカの横暴を止められないじゃないかという状況があるのに、持たない持たないと云い続けるのは、却って想像力が不自由なんじゃないか。

小野 そんなことを云い出したら、おれらみたいな貧乏人が何云ったって佐藤優にはかなわないんだから、任せときゃいいんだよ、佐藤優みたいな奴らに。

外山 あるいは別の云い方をすれば、日本国家が核兵器を持とうが持つまいが、革命は可能なんですよ。革命ってのは内戦であるから、核兵器は使えないんです。自分の国内に核兵器は落とせない。

小野 それはどういう意味の革命なの? クーデターみたいなものを想定して云ってるんじゃないの?

外山 どんな形態であれ国家権力vs革命勢力の戦いになった時に、国家権力の側は核兵器を持っていてもそれは使えない。

小野 国家権力に対抗するってのは一国単位の話だからね。

藤村 今は革命よりクーデターの方が実現可能でしょう。

外山 だからファシストに転向したってことでもあるんですけど(笑)。

藤村 革命は無理だよ。

外山 これまでの左翼の革命運動ってのは常に最後は武装の問題でつまづいてるんだよ。軍事クーデターっていう可能性を、左翼革命である以上は想定できないんだよね。

小野 シビリアン・コントロールを骨抜きにするという目的で9条を擁護するってブログにも書いてたね。

外山 うん。最近ついに9条を含めての護憲派に転向した(笑)。

藤村 実際、日本の護憲運動ってのは保守本流の裏部隊みたいなもんだったわけでしょ。

小野 どういうこと?

藤村 憲法改正して大きな軍隊を持つよりは、憲法改正せずに軽武装で経済発展に力を尽くそうっていう日本の保守本流の政治を補完するような形で日本の護憲運動というものはあった。今後もそういう方向でいくのか。もっともその意味でももう護憲運動は用済みになってるけど。

外山 今こそ護憲ですよ、護憲(笑)。

藤村 そうそう。護憲が役に立つとすれば、憲法の規定外にある自衛隊が自由にフリーハンドで動ける、と。

外山 軍事クーデターは今の憲法の方が可能だよね(笑)。

藤村 可能だよ。

小野 それはどういうことなの?

外山 事前に法制化できないからだよ。

藤村 そうそう。

小野 事実上の軍隊であるものが、軍隊として統制されないってことね。でもそれはどっちでも同じじゃないの?

外山 いや、できれば……放っておいてほしいな(笑)。

藤村 クーデターをやるとしたら、今の憲法の方がすごくいい(笑)。

外山 だから本当は左翼の方が、軍隊をちゃんとシビリアン・コントロールのもとに置くために、憲法を改正して法制化しましょうと云うべきなんだよ。徴兵制だってそうですよ。これももう書いたけど、徴兵制にしないと軍隊の中に左翼勢力は入っていかないんだから。

小野 うん?

外山 左翼的な価値観を持った人間は志願しないからね。そうすると軍隊が左翼の革命運動の高揚に呼応して起つ、ということが考えられないわけですよ。

小野 そういう革命観しかないってところがやっぱり……。

外山 それは逆だよ。中央突破の革命論が挫折したがために、そうじゃないものの方が革命的なんだというような、なんか云いわけ的なものが、全共闘敗北以来の左翼に流通してるんですよ。

小野 まあ千坂恭二さんの云ってるのもそういうことなのかもね。

外山 個々の、一人一人の身の回りの人間関係を粘り強く変えていくことによって、その先にしか革命はないんだというような、まあそう云われりゃそういう気もしてくるけれども、しかしそれは結局、中央闘争で敗北したことの……。

小野 歴史を短いスパンで見すぎだと思うよ。全共闘が敗北したなんて、どういうスパンで云えるのか。

外山 もちろん一方でスガさんが云うような意味では勝利してると思うけれども。

小野 スガさん的な勝利論、今の政権が事実上、左翼的な価値観を反映してる、みたいなああいう議論にはまったく興味ないけどね。

外山 ぼくは実際スガさんの云うとおりだと思うよ。

藤村 うん。

小野 そりゃ外山さんもそういう認識だってのは分かってるけど。

外山 全共闘は勝利してる。まあ薄く勝利してる。

小野 そんなのクソくらえでしょう。

外山 それはしかし、冷戦体制下で事実上、政府自民党は右だったんだけど、薄い右でしかなかったんで、右翼勢力から見れば全然ダメだ、政府は左だって云ってたのと逆のことでしかない。

小野 千坂恭二の云うような、それこそ現実的に見ればアメリカ的資本主義か、スターリニズムの共産主義か、ファシズムしか存在しなかったし、可能性もないみたいな話は、ぼくなんかからすれば、そうではないことこそを思想として学んできたわけで、なんでああなるのかな。現実的であるというのは、現実にひれ伏すということとは違うでしょう。

藤村 だったら、あんまり云いたくないことだけど、ビジョンを見せてくれ。例えば柄谷行人なんかはやっぱりビジョンを見せてるわけでしょ。

小野 そうだね。

藤村 あれは面白いと思う。あれは全国民が協同組合に加盟しなくても成り立つビジョンだよね。一部の、それこそ東浩紀的に云えば象徴界の崩壊した現代社会に適応した一部の趣味的な人間が……。

小野 柄谷的に動物化してる奴らが集まって(笑)。

藤村 柄谷動物の集まりで協同組合をやれば、あれはあれでうまく行きそうな気がせんでもないから、あれは一つのビジョンだなと思う。

小野 しかしよく分からんけど、歴史の見方が違うなあ。

京都 ぼく、畑違いだからちょっと質問したいんですけど。

小野 畑ってどこだよ。

外山 どちらの畑にいらっしゃるんですか?(笑)

京都 まあ理系畑というか。

小野 理系なんだ。

京都 歴史的スパンの違いって今おっしゃってたじゃないですか。

小野 歴史的スパンというか、すごく限定された選択肢の中で語ってるようにおれには聞こえる。

京都 ぼくには分からないのは、歴史ってのは同じことを繰り返してるのか、それともあくまで同じように繰り返してるように見えることがあるだけで、実際には別次元に移行するのか。

外山 すごく単純に結論だけを云っちゃうと、歴史というのはいろいろ試行錯誤しながらも進歩してるんだっていうのが左翼なんですよ。

小野 いや、そんなスターリン的な歴史観に立ってる左翼なんか……まあいるとは思うけどさ(笑)。

外山 いっぱいいるよ。というか基本的に左翼ってそういうものだよ。やっぱり全人類的な、普遍的な正義を求めてるじゃん。

小野 求めてないよ。

外山 だって国境のない世界とか、そんなの全人類的な普遍的な理想じゃん。

小野 それは二者択一すぎる。

藤村 欺瞞的な平和よりも核戦争で全滅した方がいいなんてのは、明らかに普遍的な正義の志向から出てくる云い方だよ。

小野 それはそういう土俵に乗ればそうなるだけであって。

藤村 人間やっぱり生きることが第一で、生きるためなら多少核みたいなものがあってもいいじゃないかというのがぼくら右翼側の……。

小野 でもその選択肢って何なの?

藤村 いや、フツーの選択肢でしょう。

小野 現実にひれ伏してるだけでしょ。

外山 現実の中で考えなきゃダメじゃん。

小野 現実にどう介入するかってのが運動でしょ。

外山 もちろん理想的な方向は何となく頭の片隅には置きつつだね。

京都 しかし外山さんたちがおっしゃるように、歴史が進歩しないなら、運動を起こすことには意味ないじゃないですか。

外山 いや、フランス革命以来、理想的な方向に進もうとしてる。ずっと歴史は繰り返してきたんだけれども、フランス革命以来、どうも人工的な正義を……。

京都 その人工的っていうのは……。

外山 人間が頭の中でこしらえた理想。そういうものに向かって世界を再構成していこうという方向に、この二百年ちょっと、動いてきてると思います。そしてそのことをぼくはマズいと考えてる。世界が何か一つの価値で覆われてしまうような、まあ今で云えばグローバリズムという形で進んでるわけですね。

小野 しかし議論をする時に、ニセの二項対立に足元をすくわれちゃいけない。外山さんもそう云いつつ、人工的なものはよくなくて自然なものがいいとは云わないわけだよ。そんな二項対立なんかどこにもない。ぼくたちが議論する時に、どうもニセの二項対立があるんだよ。人間はもっと複雑だから、とか云うと凡庸だけど、人間は複雑ですよ。複雑な中でも、現実に生きている自分がおり、それに抗う自分がおり、という中でモノを云ったり行動したりするわけで……なんかさっきから30分ぐらい黙ってるね。

群馬 いや(笑)、でも現実には目の前に、右か左かみたいな道があるじゃないですか。

小野 ない。

藤村 昔はあった(笑)。

外山 つまり与えられた状況があるってことでしょう。

群馬 はい。

外山 気がついたら自分がその中に投げ込まれてしまっている状況がある。

小野 しかしそんなものは別に右とか左とかじゃない。そこは想像力の問題だね。何か具体的にやりゃあいいんですよ。

京都 やりゃいいのか(笑)。

小野 でも少なくとも自分一人でできることなんか、何もないんだから。こんなふうに飲んでダベるなんてことはいくらでも自由にできるわけだよ。それこそネットのバカでも云うような言論の自由をおれらは享受してるだけであって、そこから一歩越えたところに……。

京都 運動があるわけですか。

小野 運動っていうか、現実があるんだよ。

外山 まあここでこうやって議論していることも、現実に運動をやる段階になって何か影響するかもしれないし。

小野 するかもしれないし、しないかもしれない。

外山 有益であるかもしれないしムダになるかもしれないけど、まあこういう場を作ることによって、運動の状況をこれまでと違う方向にぼくは変えようとしてるんだよ。

小野 そうね。

京都 状況を変えようということは、つまり現状は悪いってことですか。

小野 現状は当然悪いよ。

京都 さっきと云ってること違うじゃないですか(笑)。

小野 それは君が、現状は悪くなってるかって訊くから。だから何を基準にって訊き返したんだよ。そんなもん、現状は悪いに決まってるじゃん。現状がいいんだったら……。

外山 運動しないよね(笑)。

小野 うん。

外山 より悪くなりつつあるか、マシになりつつあるかはともかく、少なくとも現状はおれにとっては悪い、と。

小野 悪いよね。いや、そうでもなかったりもするんだけどね、しばしば。今いいところに住んでてね。海が近くて。犬を連れて海に行ったりするとすごく気持ちいいとか、そんなレベルで。

京都 それはすごく共感できます。

小野 共感できる?

京都 ええ。

小野 君はアナキストだからね。

京都 でもそれでいいじゃないですか。

小野 そんなのよくないよ。

京都 どっちなんですか(笑)。……ぼく、主張がないんですよ。

小野 あるよ。

外山 けっこう喋ってんじゃん。

小野 入塾した群馬君をさしおいて(笑)。

群馬 すいません、喋らなくて。

京都 喋ってるけれども、ぼくは何か主張してるわけじゃないし。

小野 主張してるよ、充分。

京都 主張してますか。

外山 それは自分を基準に考えてるからだよ。

小野 自意識過剰なんだよ。

外山 相対的な関係の中ではいろいろ云ってるじゃん。

京都 相対的に全然云ってないような気がするんですけど。

小野 まあ云ってないよね。つまりこんなところで何を云ったって、云ってることにならないんだよ、そんなものは。

外山 たしかにそういう云い方はできる(笑)。

小野 つまり不特定多数の人間に向かって何か云ったり行動したりしてみて、現実の手触りが分かってからの話だよ。

外山 何となくいろいろ思ってるところはあるでしょ、社会なり世間なりに対して。それを実際に不特定多数に向けて口に出した時にどういう反応が返ってくるか。

小野 国家とか云うじゃん。おれなんかもそういう抽象的な領域に自分の思考が引きずられることはあるけど、でも運動やってたら警察とか出てきて、あれは国家だもん、具体的な。しかも外山さんは何回もパクられてて、おれはまだパクられてないけど、少なくともそういう緊張感はあるし、そういうところでしか測れないものってのがあって、そりゃいくらでも、デモなんかやったって世の中は変わらないみたいなことは云えるけど、実際にやってみてそこで何が起きるのかを見てみろと思うよ。パクられるパクられないの話はともかく、単純にプラカードでも持って人前に出る、あるいはマイクを持って演説してみろと。やってみてくだらんと思うならもっと面白いことやってみればいいけれども、そういう現実の手触りの中でしか測れんよ。そうじゃないところではいくらでも何とでも云えるし、あるいはそういう現実と切れた状態でぼくらとこんなところでこんな話をするんだったら、もっと面白いものはテレビの中にでもインターネットの中にでもあるし。

京都 いや、こっちの方が面白いです。

群馬 しかし実際のところ、おれ自身は何がしたいとかそういうのがまったくない状態なんですよ。生きてることで何か答えが出てくるかといえば、今だにない。

外山 それは意志の問題でしかないから。だって生まれてきたのは、たまたまお父さんとお母さんがエッチなことをしたからそうなっただけの話で、そこに意味なんかあるわけないですよ。

群馬 そうですね。

外山 でも、意味なしでは生きていけないという人間の本性みたいなものがある。

群馬 そうです。

外山 意味なんてものは最初からフィクション。

群馬 しかしそのフィクションを、フィクションだと自覚した上で構築するっていうのは……。

外山 それが意志の問題です。

京都 ぼくがいつも、あんた何がしたいん? って訊いてるやん。

藤村 でもそんなこと訊かれても、したいことがなければ答えようがないよ。

京都 ぼくは、主張したいことはないんですが、主張したいことを見つけたいとは思ってるんです。

小野 主張したいことを見つけたい? それは主張したいことがないんでしょ。

京都 はい。

小野 だったら主張しなきゃいい。

外山 そういうことです。しかしそういうことを云うという時点で、何か主張したいと思ってるんです。つまり何か主張したいという気持ちが、形を見いだせないままで、ナマのままうごめいてる。

小野 それを「主張したい」とか云うと、なんか自分探しみたいになって気持ち悪いから、もっと具体的な問題とかで……。

外山 いや、自分探しでもいいんですよ。

小野 よくないよ。

外山 だってそもそも意味なんかないからね。たまたま生まれてきて、たまたままだ生きてるだけじゃないですか。そこに意味なんかないんですよ。

小野 いやいや、そんなことはないよ。

外山 いやいやいや、意味はない。

小野 そんなことない。

外山 意味はないんだけど、意味がなきゃ生きるのは辛いという話で。

小野 そんな話なの?

外山 そんな話でしょう、その、かなりのことは(笑)。

小野 そうかねえ。いやいやいや……(笑)。

藤村 自分探しはよくないって云い方そのものが、あんまり好きじゃないなあ。自分探しでいいじゃないか。

外山 ぼくはまあ、笠井潔的な言説に影響されてるけど、つまり私個人というものは世界にとって何の意味もないわけですよ。しかし私個人にとっては私個人というのはものすごく重要な存在である。そのことを現象学的に、自分にとっては自分が第一であるのに世界にとっては自分は何ほどでもないという必然的な構造があって、そこからさまざまな観念というものが発生してくるんだという話なんだけど、つまりそれは不可避なことなんですよ。

小野 それは必然じゃなくて、歴史的に生まれてきたんだよ。

外山 おれは何のために生まれてきたんだ、おれは何をすべきなんだ、そんなことは世の中にとって何の意味もないんです。

京都 そのとおりだと思いますけど……。

外山 だけど、おれが何らかでなければ、おれにとってつらいわけです。

京都 そのとおりですね。

外山 だからいろんな、おれはこのために生まれてきたんだということを発見したり見逃したりするだろうけど、全部錯覚なんです。何の意味もないんです、客観的には。

小野 だから意味というものが生じるとすれば、現在の社会的な……物質的な力を持っているのが資本主義だったり国家だったりして、それらとの関係で意味は生じるよ。

外山 何らかの状況の中でね。

小野 その中でおれらは生きてるから。そういったものをすべて何か非歴史的な……。

外山 しかしその何らかの状況ってのも……。ただ単に、気がついたら自分が置かれている状況にどういう意味づけをするか、例えばこれは資本主義社会であるというふうにとらえるか……。

藤村 それも意味づけの一種でしかなくて、それだけじゃないでしょ。

小野 でもそれがすべてですよ。

外山 その時点ですでに一つの物語を選んでるわけです。

小野 それは物語じゃない。唯物論的なものだよ。

藤村 またそんな……(笑)。

小野 違う。物質的に、土地を持ってたりカネを持ってたりすることで生きていける人間と……。

外山 それは土地やカネに注目してるからそういう解釈になるんであって。

小野 でも現実に、それこそ実存的な意味も含めて人間の生き死にってものを考えれば……。

外山 それは何に注目するかによって社会分析も変わってきますよ。

小野 注目するかどうかに関わらず、死ぬかどうかってのがあるんだよ。

外山 べつに死んだっていいじゃないか。

小野 資本主義社会の中で、労働力を売らなきゃ死んでしまうっていう、そこを哲学化すべきなんであって……。

外山 「すべき」じゃないんだよ。してもいいけど。

藤村 その物語と……。

小野 物語じゃない。労働力を売らなければ生きていけないっていうのは、これは物語ではないよ。

藤村 物語だよ。

外山 労働力を売らなきゃ生きていけないんだけども、「労働力を売らなきゃ生きていけない」って言葉にした時にすでに物語になってるんだよ。

小野 そういう要素は入るかもしれないけれども……。

外山 どういう行動によって自分が生きているかってところに着目するから……。

小野 それは相対化しきれない。物語論で相対化しきれないよ。だって生死に関わるんだから。労働力を実際に……。

外山 例えばそこらへんの猫は、食うものがなくて死んだからといって……。

小野 そりゃ労働力を売るとか売らないとかいう文脈にないから、猫は(笑)。

外山 でも他の猫と闘争した上で食糧を奪わないと生きていけないかもしれないじゃん。

小野 それは資本家との関係でも何でもないから(笑)。

外山 つまり身の回りに起きてる現象をどうやって説明するかって話なんだよ。

藤村 例えば国に対する回路を持っていないがために国民としての共生感が得られないっていう物語と……。

小野 共生感が得られなくても死なないもん。でも労働力を売って……。

藤村 労働力を売ったって死なないもん。

小野 労働力を売って、賃金を得て、メシ食っていかなければ死ぬもん、労働者は。そういう生死の現実的な条件に関わってくる。

藤村 国家に関わらないと死ぬ人だっているかもしれないじゃん。

小野 どういうふうに?

藤村 精神的に。

小野 精神的に……。

外山 国家を内面化できなければってことかな?

藤村 要はそのテの物語というのは、たしかに労働力を売らなければ生きていけないってのはあるかもしれないけど、物語は他にもいろいろ立てうるわけでしょ。今パッといい例が思い浮かばないけれども。

小野 物語はいろいろ立てうるけれども……。

外山 小野君の云うそれは、一つのうまい物語ではあるんだよ。

藤村 そうそう。だからそれと別の物語を提出しようと思ったんだけど、うまく思い浮かばないんで、ヘタな例を出しちゃった(笑)。

小野 たしかに人間は精神的な条件によっても死んだりすることはあるけれども。

外山 人はパンのみにて生きるにあらず(笑)。

小野 そうなんだけど、でもそれはパンによって生きているからこそ云える言葉なんだよ。

藤村 あ、いい例があった。神の恩寵が感じられないがゆえに、それこそ充実感が得られないために……。

小野 それはパンによって生きている上でのプチブル的な意識でしょう。

藤村 だったら小野君が云ってるのも単に労働者的な意識でしょう。

小野 労働者的な意識ってことは唯物論的な意識だから。

外山 それはまた……(笑)。

藤村 しかし神の恩寵によって……。

小野 いやいや、物語論によって相対化できるレベルとそうでないレベルを区別しようよ。つまり実際にメシを食うためには自分の労働力を売らなければ生きていけないっていう経済構造があることと、その中でそういう条件をどう意味づけすることによって生きるかってことと……。

外山 じゃあ逆に云うと、国家というものが存在して、国家が一人一人の面倒を見る責任を負っていて、その責任のゆえに諸外国諸民族の侵入を阻止しながら囲いを作って、その中で社会を運営していくというしくみを国家が強力に推し進めているから生きていけてた人々が、その垣根が壊れたために諸民族が流入して仕事を奪われて、みたいなこともありうるわけじゃん。ということは、国家がないから自分が死ぬんだという物語も成り立つよね。

藤村 あ、うまいですねえ(笑)。

小野 唯物論的にはまったくそれは違う。

外山 その唯物論が一つの選択じゃないか(笑)。

小野 唯物論は選択じゃない。

藤村 そうやって正義感で人をたぶらかす(笑)。

小野 正義感じゃないよ。

外山 左翼というのはこのように科学と称する……(笑)、そういう真理みたいなものに基づいてるんだよ。

藤村 おれはバカにして云ってるわけじゃないよ。ただあなたの論理構造がそうなってると云ってるんであって。

小野 唯物論は物語じゃないよ。そんなことまで云い始めたら……。

外山 自覚のない物語じゃないか(笑)。

小野 そんなことはない。

外山 科学と称する……。

小野 科学かどうかはともかく。そんなこと云い始めたら、そこまで相対主義を徹底しちゃったら……。

外山 つまり理屈なんてのはどうとでもつけられるんですよ。

小野 いや、それは自分の経済基盤をむしろ相対化してなさすぎる。唯物論とは何かってことをもっと真剣に考えるべきだよ。物語論では解決できないレベルがあるでしょう。

外山 唯物論も一つのうまい物語でしかない。

小野 それは生きられてる人間の話なんだよ。

京都 そのとおりだとぼくも思います。

小野 ん? どっちに賛成なの?

京都 小野さんに。

藤村 だったら今、選択できるよね。唯物論的な方向に問題意識を突き詰めていけばいい。ぼくは天皇主義者なんで、全然それでもオッケーです。今はアホな左翼以外とは敵対するつもりがないんで。

京都 外山先生は国家を前提としてるみたいですが、その国家というのも結局は人間が作ってるものではないんですか?

外山 さっきから云ってるのは、状況を説明する理屈はいくらでもつけられるという話で、さっきの国家云々は思いつきで云っただけで、例えば国家というものがありそれに生かされているというような物語を作ろうと思えば作れるし、短時間で説明するのも難しいから他にありうる物語をいちいちバーッと展開してないだけで、つまり「労働者と資本家が……」という以外の緻密な物語を、作ろうと思えば他にも作れますよ。だからぼくは別に国家というものがあり、それによって生かされてるんだということを云いたいんじゃなくて、そもそも本当は何の意味もないんだと云ってるんですよ。国家によって生かされているんだというまあ右翼的な物語を作る人がおり、労働者と資本家の対立がという左翼的な物語を作る人がおり、しかしそんなものは物語として等価であって、本当は何の意味もないんだと云ってる。

小野 いやいや、それはねえ……。

藤村 ちょっと待って。だからその上で、一人一人の人間が、どっちの物語が選択肢として適切であると思われるか……。

外山 決断せよ、と。

小野 いやいやいや……。

藤村 今こんなふうに「いやいやいや」とか云ってるでしょ。これだけ情熱を持てるぐらい唯物史観というのは魅力がある思想だ(笑)。であれば唯物史観を選択する人がいることも別におかしくはない。

小野 いやいや、魅力の問題ではなくて……。

藤村 ほら、魅力すら自覚できないぐらい魅き込まれている(笑)。唯物史観というのはそれだけ魅力がある。

京都 唯物史観というのがよく分からないんですけど。

外山 まあ入塾すればそれも勉強してもらうことにはなるんだけど、要するに経済構造から物事を説明していくような。

藤村 人間がものを作る時の生産諸関係というか、それが国の体制とか法律とかのあり方を決定するっていう。

小野 簡単に云ったらそういうことだけど。

藤村 であれば今、まあ今すぐ決める必要はないんだけど、そっちが説得力があると思うんであれば、そっちに進めばいいんじゃないかと。ただし一つだけ云うと、それもまたフィクションであるということを念頭に置きつつ……。

小野 ぼくが云いたいのは、それもまたフィクションだというような云い方の歴史性なんだよ。彼らはぼくのことを、唯物論的な立場を選択していること自体を自覚できていないと云うんだけれども、ぼくから云わせれば、「そういうのも一つの物語だ」というふうに云える立場にあるということを自覚できてないんだよ。

外山 いやいやいや……。

藤村 自覚してるよ(笑)。

小野 すべては無意味だと云える立場というものを自覚できてない。

外山 でも、そっちの方がむしろ根源的な認識じゃん。ぼくは国家が必要なんだという立場に現実的な選択として与してるだけの話で、その国家が必要であるというのも一つの物語でしかないと思ってるよ。

小野 そういう物語論じゃなくて、人間の相対的な認識には還元できないようなものがあるわけですよ。

外山 それはどこに着目して分析するかによって違ってくる。

小野 そんなことを云い出したら、世界そのものが無意味で存在しない、なんてことも成り立つんだよ。

外山 成り立つじゃん(笑)。

藤村 うん。成り立つ。

小野 それは成り立たないの。

藤村 仏教はそういう立場だよね。

今井 そんな立場です。

外山 (今井を指して)ここにブッディストがいます。

小野 仏教ってそんなことなの?

外山 そんなことですよ(笑)。

今井 物理宇宙は存在せず、我々の認識それ自体が妄想と錯覚の産物にすぎません。

小野 そんなことを云うことに何の意味があるの?

外山 何の意味もないから、現実には現実の選択をして今井君もフリーター労組で活動してるじゃん。

小野 ん? どういうこと?

外山 そんな仏教的な認識を云い出したって……ヒマでしょうがないわけですよ(笑)。

小野 ヒマだからかよ(笑)。

外山 まあ少なくとも仏教的な認識だけでは自分が生きている実感みたいなものは得られませんわな。

京都 生きている実感?

外山 充実感というか……。そんなニヒリスティックな、もちろんぼくにもそういうニヒリスティックな感覚はありますよ、何にも意味なんかないんだ、と。だけどそんなニヒリスティックな価値観だけで動いていてはねえ。何のために生まれてきたのか、なんてことには本当は意味がないにも関わらず、そういうものは必要なんですよ。

小野 いや、たしかに根源的な意味なんてものはないよ。しかし意味を構築していく時に唯物論的な根拠まで一切ないなんてことは嘘ですよ。

外山 唯物論的なものが自分の生きがいを見いだすための源泉にはなりうると思いますよ。

小野 源泉ねえ。

外山 それは決して真実ではないけれども、強力な物語として、自分はそっちに賭けるというような。

小野 結局、物語だと云うわけでしょ。どっちに賭けるのも一緒、という程度の物語でしかないと。

藤村 一緒です。

外山 相対的なものでしかない。

小野 それはやっぱり違うな。

外山 なぜそんなに科学的な認識にこだわる(笑)。

小野 いや、科学的だとかなんとかじゃなく、メシ食わなきゃ死ぬということさえ認めないんなら議論が成り立たないよ。

外山 そりゃメシ食わなかったら死ぬよ。

藤村 死ぬ。

小野 死ぬよ。それが唯物論だよ。

藤村 え? なんで?

外山 メシを食わなかったら死ぬという事実と、社会との関係の中で「社会がこのようになっているから自分はメシを食えないのだ」という認識をもたらす何らかの説明体系とは別なんですよ。

小野 その説明体系ってのにも限界があって、土地を持っている人間と持ってない人間の差異とか、相対化できないものもあるでしょう。

藤村 だって昔のドイツでナチスを支持した人たちみたいに、ユダヤ人が好き勝手をしてるから自分たちがメシを食えないんだという物語もありうるでしょう。

小野 人間の認識というものをどこまで相対化できるのかって話でさ、ユダヤ人がいるから自分は生きていけないなんてことが本当に……。

藤村 もちろんそれは粗雑な物語ではある。

小野 うん。

藤村 でも物語であるという点では同じ。

小野 いや、ぼくが唯物論と云ってるのは、物語に回収できないレベルというものが最低限あるだろうということ。

外山 例えば今云ったような、物質的にモノを食わなければ生きていけないだろうというのはまったくそのとおりですよ。これは別に物語でもなんでもない。

小野 しかもそこに現代の資本主義があり……。

外山 だけど、なぜ自分が今、食うに困っているのか。食わなければ生きていけないっていうレベルまでは別に物語ではない。

小野 そこが大事なんだよ。

外山 うん。食わなきゃ生きていけないです。それは物語ではないです。

小野 食わなきゃ生きていけないのはみんな同じだ。

外山 そこは別に物語じゃないんですよ。

小野 うん。物語じゃないよね。

外山 で、どうして自分は今、食うに困るような状況にあるのか、という問題意識でもって社会を分析するやり方というのは一つじゃないんですよ。

小野 うん。それは一つじゃないだろうね。

外山 そのうちの一つを選択しているにすぎないんですよ、唯物論的な世界観というのも。

小野 それはでも、まさに食わなければいけないという……。まず食わなければ死ぬっていう状況はみんな同じだよね。

外山 そこは物語ではない。

小野 で、自分は明日働かなければ死ぬという人間と、明日働かなくても死なない人間はいるんだよ。ここまでも相対化できない事実でしょ。

外山 だからそれは……。

小野 その差異は相対化できないでしょ。

外山 だからそういう人はいるよ。明日食うに困らない人もいれば、明日食うに困るおれがいる。だけどそのことを価値づけて、つまりそれを単なる現実として受け入れるか、許せない状況だというふうに見なすか……。

小野 うん。分かる分かる。だからそれはまさに歴史的な認識を持つか、非歴史的なある種のニヒリズムに陥るかの境界線ですよ。そのことの歴史性を一切捨象してすべてを物語だと考えるならそれはもうニヒリズムですよ。

外山 うん。だからぼくの基本的な認識は仏教的な認識だから、ニヒリズムであるってことは最初から云ってる(笑)。

小野 仏教的な認識ってのがよく分からないんだけど、仏教的な認識ってのは非歴史的な認識のことなの?

外山 だって歴史に規定されているようでは真実の名に値しませんから(笑)。

小野 その歴史っていうのもさあ……。

外山 だから、そこを「いい」って云ってしまったっていいんですよ。おれは明日食うに困って死ぬかもしれない。一方で食うに困らない奴がいる。そういう現実がある。それを受け入れて死んだっていいわけですよ。

京都 うん。そのとおりだ。

外山 それを、「これは許せないことだ」と云うところから物語ってのが始まる。

小野 まあそれはそうだな。

外山 で、そういう物語というのを、ぼくはそれはそれで別にいいと思いますよ。

小野 いいと思うが、何?

外山 いいと思うけれども……。

藤村 それは物語にすぎないんだと。

外山 うん。そしてそれについては別の説明体系もありうるんだということ。

小野 あるかもしれないね。

外山 さっき云ったのは思いつきだから粗雑だけども、このおれが明日死ぬかもしれなくて、あいつは生きている、この状況は許せないと思った時に、国家がちゃんとやってないからこういう状況になるんだという物語を、もうちょっと緻密に描こうと思ったらできるはずですよ。

小野 うん。

外山 つまり価値判断を入れた途端に、どんな説明体系だって……「どんな」じゃないかもしれないけど、少なくともいくつかの説明体系はありうるんです。その一つを選んでいるにすぎないのに、それを何か科学的な(笑)真実であるかに云うのが左翼なんだよ。

藤村 で、それが権力を握ると、科学的な真実に反するのかと云って弾圧を始めるのが左翼。

外山 まあそれは飛躍しすぎかもしれないけれども、現実にはそうなることが多いですね。

小野 うーん……。

外山 どうでもいいっちゃあ、どうでもいいんだよ。だけど、おれは今のこの状況に反抗するぞってところから意志とか決意とかの問題が出てくるのであって。

京都 そのとおりだ。

外山 とまあそういうことですね。

小野 ふむ。

外山 そこでどういう物語を選ぶかっていうのは本当に決断とか意志の問題でしかない。

藤村 ただまあ物語といっても、ほんとに緻密な非常に現実を映し出してる物語もあれば雑な物語もあるし……。

小野 まあそうかもねえ。

藤村 唯物史観というのはそういう意味では非常に……。

外山 よくできている。

藤村 できてる。

小野 そういう意味でぼくは唯物論者であり民主主義者である、と。

外山 で、それは小野君が唯物論や民主主義に説得されているだけであって、それはもちろん説得力のある物語なんだからそれでいいんだよ。だけどそれは別に「真実」ではないってことだよ。一つのフィクションでしかない。

藤村 それが重要なのは、そこを押さえとかないと、さっき云ったように、左翼がいざ権力を握った時が恐ろしいわけよ。おれはたぶん殺されるよ。

外山 真実のもとに弾圧される(笑)。

小野 そういう時に人を殺すような左翼なんてのは、根源認識がズレているから殺すんだよ。

藤村 というふうに云う人間が殺すんだよ(笑)。

小野 おれは殺さない。

外山 そこが甘いよ、やっぱり。自分が真実だと思ってるから殺すんだよ。

小野 真実っていうか……。

外山 それがどのくらい深いレベルで、細かいところまで視野に入れた上で真実だと思っても、そう思えば思うほどそういう権力になるんですよ。

藤村 それが薄い形でおこなわれているのが今のPCとか……。薄い形だからあんまり違和感はないかもしれないけど。

小野 それはどうなのかなあ……大ざっぱすぎるなあ。

藤村 唯物史観を物語とかフィクションとか云うから反発するわけで、要は数ある学説のうちの一つと云えばいいだけの話。学説は全部フィクションなので。だから多々ある学説の一つであると。

外山 それこそ理系の人たちだったらゲーデル的な問題、ある一つの体系の正しさはその体系の中では説明できないっていう問題とも……。

京都 わかります。でもわからないのは、そういうものがすべてフィクションで、意味がないものだと云うなら、なぜいろいろ主張したいことが出てくるんですか?

藤村 それは決断でしょう。

京都 決断……。

藤村 いろいろある物語の中でどれを選ぶか、そこで意志や決断の問題になる。

外山 自分の感覚なり何なりにしっくりくる物語を。でも感覚なんてものには何の客観性もないからね。

京都 そこにおいて主観的に物語というものを……。

外山 選び取るということ。

京都 うらやましい。

藤村 別にうらやましくはないでしょう。

外山 成り行きだし。

京都 成り行きなんですか。

外山 もちろんそりゃいろいろ考えるさ。ぼくも唯物史観を云ってた時期もあるし、そういう中で、何か違う何か違うと考えながらやってきた。

京都 ぼくはその「何か違う、何か違う」が28年間続いてるんです。

外山 ぼくだって最終的にファシズムに転向したのは33歳ですからね。

藤村 ここは塾長として、何で左翼を離れたかっていう話を……。

小野 外山さんは左翼を離れたんじゃないんだよ。

藤村 うん。それはもちろんそう。おれは別に外山君を右翼だと思ってないから。

外山 がぜん左翼疑惑が(笑)。

小野 自分がめぐりあった状況の中では常に一貫してるから……昔の吉田茂みたいなもんだね(笑)。

外山 自分にとって一番説得力のある体系についてるだけの話で、それが真実であるとは思ってないし。

京都 それは「選んだ」ということなんですか。

外山 両方あるなあ。選んだという気持ちもあるし、少なくとも今の自分の目の前に提示されている中ではファシズムに一番説得力を感じたということでもあるし。それ以上にものすごく革命的なアナキズム理論が誰か、例えば小野君から提出されて(笑)、それに転向する可能性は今後もありますよ。

京都 政見放送で、「私には建設的な提案はない」とはっきりおっしゃってたでしょう。今もないんですか?

外山 ファシズム社会という意味では建設的な提案がありますよ。

藤村 つまり今の体制の枠内でよりよい社会に変革するという提案はないけれども、と。

外山 いや、よりより社会という意味ではファシズム社会がいいんだけども、絶対的にすばらしい社会のイメージはないですね。

藤村 そういうことなの? 今の体制を、都知事になってよりよい社会に変えていく、という意味では何も建設的な提案はないという意味じゃないの?

外山 あ、もちろん政見放送ではそうだよ。今の政治システムの中で、合法的に、選挙制度にのっとった上で変えていくというビジョンはない、という意味ではまったくそのとおりです。

京都 おぼろげなビジョンはあるんですか?

外山 革命とかクーデターとか、そういう非合法的な手段による理想社会というのはありうるけれども、この選挙制度そのものを利用して、今の政治システムの中で「よりよい社会」を提示するようなビジョンはない。

京都 もしも外山さんが圧倒的な武力を持ったとして、やりたいことってのはあるんですか?

外山 それはもちろんファシスト党独裁政府でしょう(笑)。

京都 そうではなくて、その結果、どういう社会を望んでいるのかっていう。

外山 ものすごく根源的なレベルで云えば、「おれが弾圧されない社会」です。

京都 面白い。

外山 さらにもうちょっと広げれば、ぼくが「こいつは仲間だ」と思ってる奴らが弾圧されない社会です。

京都 ファシズム社会になったら、小野さんを弾圧しますか?

外山 今のところは……ちょっと微妙だ(笑)。小野君はたぶん、「審判の日」が近づくにつれてファシズムに近づいてくると思うんで、たぶんそういうことにはならないでしょう。

京都 「審判の日」とはどういう意味ですか?

外山 ファシズム革命の勝利の日ですよ(笑)。

藤村 マジメに云うと、つまりそれは状況次第ってことでしょ。

外山 そう。現時点でどうかは分からないですよ。

京都 じゃあもし藤村先生が圧倒的な武力を手にしたとして……。

藤村 あ、おれはファシストじゃないもん。

京都 じゃなくても、もし手に入れたとしたらそれを使いますか?

藤村 そりゃ使うでしょう。

小野 手に入れるってどういうこと?

外山 つまり小野君が全権を握ったとしたらってこと。

小野 それを使うってどういう意味?

外山 小野君が独裁者になった場合ですよ。

藤村 一応云っておくと、おれはファシストじゃないから、おれが全権を握ったらどうするかというと……。

京都 靖国神社問題なんかはどう思われますか?

藤村 首相はどうでもいいから、天皇陛下の御親拝を実現させたいね。首相はどうでもいい。あんなの、ウゼエ(笑)。

京都 どうでもいいんですか。

藤村 もうちょっとマジメに云うと、春季恒例祭と秋期恒例祭に首相が参拝するっていうのが本来の靖国神社参拝の形であって、8月15日には三木首相が最初に参拝したんですよ。しかもそこで奴は「これは私的参拝です」とか、ふざけたことをヌカしやがって、実はそれまでは靖国神社問題っていうのは全然……とまでは云えないけれども、たいした問題じゃなかった。それが問題化されたのは、まず三木首相の参拝で、8月15日ってことで火をつけて、しかも「公的・私的」ってことを云ったことがさらに火をつけて、それで中国がそれに反応してっていう。それまでは靖国神社参拝はフツーにおこなわれてたし、これは勉強不足でよく分からないけれども、たぶん左翼もさほど問題にしてなかった。

外山 その時に気がついた、と。

藤村 騒ぎになって気がついた。だから、三木が悪い。それからその問題をこじらせた中曽根が悪い。つまり8月15日はおれはどうでもいいし、もっと云えば首相の参拝もどうでもいい。陛下が御親拝なされること、それは陛下に御親拝していただきたいってことではなくて、陛下が御親拝なされるような環境を我々臣民の側で作り上げるということが、まあ一つの課題である、と。

小野 それはなぜ?

藤村 英霊をなぐさめるため。英霊は天皇陛下のために亡くなっていった、という建前で亡くなっていってるわけだから、やっぱりそれは陛下が英霊をおなぐさめなさるのが一番。

京都 ぼくはそこは納得できます。

小野 納得できるの?

京都 できます。

外山 ぼくは天皇制をプラグマチックにとらえてるからね。実際、天皇制をいいとは思ってますよ。だけど信仰はしてないから。別になきゃなくてもいい、ぐらいの立場ですから。あった方がいいけどなきゃなくてもいいぐらいの。だから藤村君とか、まあ右翼的な人たちが、天皇を信仰する気持ちはちょっと分かんないところはある。

小野 ぼくもそんなのはどうでもいいね。弔うなんてことを……自分の身近な死者を弔うということをそんな天皇とかいうレベル、国家レベルで糾合するということ自体が下劣だね。

外山 いや、でも一方で思うのは、そんなふうに文句を云うのは生きてる人たちなんだよ。死んだ人たちは、死んだら靖国に祀るという約束のもとに戦争に行ってるわけだ。それを国家が「なかったこと」にするのは、革命が起きないかぎりやっちゃいけないと思うよ。

小野 そういう意味での革命は起きたわけだ、8・15で。

藤村 あれは革命じゃないでしょう。

外山 だからそれが、スガさんなんかがよく批判してる……。

藤村 8月革命論なんて、宮沢俊義の一学説にすぎないわけでしょ。

小野 靖国で会おうということで特攻隊に行った人間はいるかもしれない。そういうことに国家が責任を負わなければいけないという、そういう文脈では革命が起きたとしか云いようがないでしょう。

外山 変わってないじゃないか、政権担当者は。

京都 ぼくは小野さんの意見には反対なんですけど……。

小野 じゃあ訊くけど、君は靖国に参拝するの?

京都 行ったことはあります。

小野 何のため、誰のために?

京都 英霊ですかね。

小野 英霊って誰だよ。

京都 死んだ人たち。

小野 だからそれは誰なの?

京都 誰って……。

小野 ぼくから云わせれば、その人がどういう状況で死んだのか、例えばフィリピンのレイテとかに行って飢え死にしたっていう人間と、天皇のために死ぬと行って特攻隊に行った人間とを、国家レベルではまったく混同してて、自分が愛する人が……「愛する人」とか云いたくないけど、まあ愛する人がだよ、国家のために自分は死ぬということをどういうふうにとらえて、どういう状況で死んだのかっていう個別の死があるんだよ。死っていうのは個的なものでしかなくて、それを靖国神社は糾合してて、そういう個々の死についてまったく知らない人間が靖国神社に参拝する時の、その英霊ってのは誰なんだよってことだよ。おまえにとって、英霊は誰なんだよ。

外山 結局そこにアイデンティファイするかどうかって問題でしかないんだよ。

小野 うん。だからそれが下劣なんだよ。政治がそれを利用している状況があり、自分がそれに利用されていることにも気づかないで、自分の卑小な、自信のなさとか不安を国家が代弁してくれるから他人の死を利用するわけだよ。実際には一人一人がどういう状況で死んだかを知りもしないで、誰のために、何のために参拝するんだってことですよ。

外山 もしかしたら天皇を呪って死んだ人もいるかもしれない。

藤村 うん。

小野 天皇のために死んだ人もいるだろう。本気で、靖国で会おうと思って死んだ人間、友人のために死んだ人間、いろいろいるよ。ただ同時に、疑問を持って飢え死にした人間も、天皇を恨んで死んだ人間もいる。

外山 だけど、ぼくが云ってるのは、国家がそういうふうに約束した以上はそれを守れよってことなんだよ。もしかしたら個別には天皇を呪いながら死んだ人もいるかもしれないけど……。

小野 だから国家がそうしろという議論はあってもいいけど、それに対するおれたち一人一人の距離のとり方っていうのもあって……。

外山 距離のとり方は選択の問題なんだよ。

藤村 おれは、みんなが靖国に参るべきだとは一切思ってなくて、参る人間だけが参ればいい。

小野 うん。だから今問いたいのは京都君の、靖国に行くことに賛成だというから、それは何でだってことだよ。君は誰のために、何が祀られてるからそこに行って弔いたいんだ、と。弔いっていう行為の問題だよ、人が死んだってことに対する。それを政治が利用していることに対する敏感さがないのは、はっきり云えば下劣なんだよ。そんなものはもう何というか……チンカスだよ。

藤村 そうかなあ。

外山 いや、政治が利用するからこそ、そのフィクションは永らえるんだよ。

小野 弔いなんてのは、国家がやることじゃない。

外山 それは国家なんてものは必要ないんだという前提であればそうなんだけど。だから結局、前提の違いなんだよ。国家というものを持続させるためには、弔いが必要なんだよ。

小野 そりゃ国家の側から見ればそうだろう。国家はそういうことによって成り立ってるんだから。

藤村 まず国家が存続する以上は、国家を守るために死ぬ人も当然生まれてくるでしょう。個々の意思はともかく、その国家のために死んだ人を国家が祀るということ自体は、おかしなことでもなんでもないでしょ。

小野 ぼくらが議論すべきは、自分はどうなのかってことだよ。

藤村 だからおれは小野君が靖国に行かないことについて非難する気はカケラもないって。逆に参るなと云いたいぐらいで(笑)。

小野 もちろんそこを混同するなってことは云いたいよ。

外山 ぼくらが云ってるのは、政府は参拝すべきだって云ってる。小野君が参拝しないのは全然オッケーなんだよ。

小野 政府は参拝しろ、と。

外山 うん。参拝しない個人個人がいることは全然かまわない。

小野 靖国ってそういうものだから、もちろんそういう意味ではそうだ。

外山 で、政府に参拝するなってのは違うだろ、と云ってる。

小野 ぼくは政府は参拝する必要ないと思ってるし……。

外山 参拝する必要があるんだよ。国家とか政府とかいったものの存在を前提にすれば。

小野 前提にすればね。

藤村 だから国家を前提にしてない人間が、行く必要はないと云うのは論理的には分かる。

小野 国家を前提にしている人間が、その前提で自分の親族を弔いたいんであればそうすればいい。それだけにしかすぎない。しかし首相が参拝したりすることは……。

外山 親族じゃなくてもいいんだよ、そこは。そこがもうズレてるんだよ。日本というナショナリティにアイデンティファイしている奴は参拝すればいいんだよ、親族であろうがなかろうが。

小野 ただそうではない人間の存在も認めるのであれば、やっぱりそれを税金を使ってやるのはおかしい。

外山 いや、税金を使うべきでしょう、政府のことなんだから。

藤村 どういう人間であっても、本人の意思はともかく、守られてるってことであれば税金を使ったって別に問題はないでしょう。

小野 私的にやればいいじゃん、そういう価値観を共有してる人たちが私的にやれば。

外山 私的じゃないから意味があるわけでしょ。

小野 私的じゃないから靖国神社に意味がある、ということは少なくとも8・15で革命されているはず。

外山 革命なんか起きてないんだって。

小野 いや、日本の戦前の体制が8・15で完全に革命されたとまではおれも思ってない。ただし靖国の意味づけとかについては、そこに断絶が起きてないというのはおかしい。

外山 それは半分分かる。つまり第二次大戦後の諸外国との間で「そういうことをやっちゃいけません」という歯止めがかけられているのは分かる。

小野 日本もそれを選んだわけだよ。

外山 屈服したわけだ。

藤村 サンフランシスコ平和条約を結んだってのはそういうことだ。

外山 だからある意味、これは負けた奴らの負け惜しみですよ。でもじゃあ、第二次大戦の連合国側が正義で枢軸国側が悪だったということを認めるのかというと……。

小野 それとは関係ない。

藤村 日本はサンフランシスコ平和条約を結んで、負けましたということを認めた。その点で、今までの体制とは変わっているということは云えるかもしれない。云えると認めましょう。しかし、靖国神社参拝は、その後もずーっとおこなわれていた。それについて外国は何の文句も云わなかった。三木首相が「これは私的参拝です」と云って、マスコミがわーっと騒いだ。中国だって、あ、これはネタになるなと思った。そこで問題になった。そういう文脈を考えれば、政体が変わったから、日本に革命が起こったから、だから靖国神社参拝がダメになったんだってことは云えないはずでしょ。

小野 そういう文脈で云うとそうかもしれない。

藤村 だから体制が変わったことを理由に靖国神社参拝はおかしいという理屈は成り立たない。

小野 しかし本来的には、8・15以降は、私的な信条において靖国に行くという選択肢と、それを拒否する選択肢が共存するということだよ。

外山 うーん……だから、だったらイラク側につけよって話ですよ。

小野 誰が?

外山 反戦側が。

京都 面白い。

藤村 さすが考えることが違う。今のはおれもビックリした(笑)。

小野 うん?

外山 反対してるわけじゃん。アメリカがイラクにいろんなことを押しつけることに。日本もそれをやられたわけですよ。たしかに日本もいろいろヒドいことをやってますよ。だからぼくは日本が絶対的に正しいとは云わないけれども、それは相対的な正義の問題でしかないんであって、連合国側と枢軸国側のどっちが正しかったかってことは。でも、日本の戦前と戦後の体制っていうのは、基本的には変わらないわけだ、トップのトップが処刑されただけで、政府をやってる連中は同じなんだから。

小野 それはそうだ。

外山 だから当然、戦後にアメリカが押しつけてくることに対して、内心では違うぞと思いながら従ってるわけだ。それに対して徐々に徐々に、靖国の問題なんかも含めて、日本がやってきたことを完全に間違っていたとは云わせないぞという奴らが抵抗するのは当たり前ですよ。で、ぼくはそっち側につく。日本が全部正しかったとは思わないけれども、アメリカが正しいとは絶対に思わないし。だけどイラクの問題に関してはアメリカはイラクから出ていけと云っている人たちが、なんで日本とアメリカの問題になったら完全にアメリカの側に立っちゃうのか。

小野 それは……アメリカに反抗する側に完全に共感するわけじゃないけれどもって外山さんも云ってるわけで、そこにはやっぱりグラデーションがあるよ。おれがさっき云ったのもそういうことで、自分自身がどういう社会的位置にいて、誰のために……問題を靖国に絞ると、弔いという一つ一つの行為を誰のためにやってるのかってことで、それを国家権力が政治的に利用している、私的な感情を国家レベルで糾合しようとしていることに無自覚に……。

外山 だからもちろん、反対に右翼の側からそういうふうに云うこともありうるよね。つまり靖国参拝を政治的に利用するなという……。

小野 それはもちろんアリでしょう。

外山 さっき藤村君も云っていたように、本当は例大祭に出ればいいのであって、8・15に参拝することによって政治化させるなと。自民党側も政治化することを意識した上でやってるわけで、そういうことはやめろ、と。淡々とただ行け、という主張もありうる。

藤村 もう淡々とは行けないけど。

外山 たしかに今、じゃあ8月15日はやめましょうと云ったら屈服したことになっちゃうからね。

藤村 というか、もう無理でしょう。例大祭でも参拝反対って云い出すでしょう。要は国際政治とはそういうもので、相手の弱みを見つけたらつけこんでいく。中国は歴史をちゃんと国益として使ってるわけで……。

外山 正義で云ってるわけじゃないよね。

藤村 被害体験を全部、国益として云ってるわけで、おれはそれを批判しない。

小野 国益論者だからね。

藤村 うん。

小野 おれは国益論者じゃないから……。

藤村 国益論に立たないんだったら中国のあの反日的な動きを批判すべきだよ。

外山 そう、そういうことだよ。

藤村 韓国の反日運動も批判すべきだよ。

外山 国益でやってるんだから。

小野 詳しくは知らないけれども、国益でやってる反日運動だったらおれは単純に与しないですよ。

外山 与しないイコール黙ることではないはずなんだよ。

小野 黙るってことじゃないかもしれないね。

藤村 与しないって云うのはいいんだけど、それが実際の国家どうしの関係の中ではどういうふうに働くか。

小野 そうだね。そう云われると弱いかもしれない。なぜなら中国の中にそういう国益には回収されない形で靖国を批判する声をぼくは知らないから。あるかもしれないし、あるだろうと思うけれども、知らないから。

藤村 あるだろうけど、そういうのは弾圧されるだろう。

小野 だからこれに対しては真っ向から反論できない。

外山 そんなこと云ったって、中国がどんな体制にあるかってことはおおよそイメージつくわけでしょう。

小野 だから中国とか北朝鮮に対しておれは批判的ですよ。当然、左翼だから支持してるなんてことはまったくないですよ。

外山 そりゃそうだろうけど、でも「云わずにおく」じゃん、左翼は選択として。

小野 うん、そういうところはあるだろうね。

外山 例えば、これは別に小野君が関わってたわけじゃないから小野君を責めてもしょうがないんだけど、在日朝鮮人による北朝鮮民主化運動というのが起きた時に、左翼はものすごくそれを攻撃したわけだよ。そういうメカニズムがあるんであって、そこから脱却する方策を何か立ててるんだったら別にいいけど、それはとりあえず見ないことにして、ただ他の左翼と同じようなことを云ってるんであれば、それは仲間だと思われてもしょうがないじゃん。

小野 そういう左翼もいるだろうけど……細かく見ていけばいろいろあるよ、そりゃあ。おれは外山さんの云ってることは分かるよ。

外山 河合塾の青木裕司とモメた時だってさ、あれは金日成が死んだ直後ですよ、ぼくらのビラの末尾に「金日成の逃亡を許すな」っていう……(笑)。

小野 逃亡を許すな?

外山 責任とれっていうね。そしたら左派市民運動の連中が文句云ってくるわけよ、「おまえは日本人だろう」って、おまえだって日本人のくせにさ(笑)。朝鮮半島が分断されている背景には日本の侵略というものがあったんだと。その侵略民族の一員としてのおまえが、どう北朝鮮の体制を批判できるというのか、的なね。で、それはそれで論理としては分かるんだけども、だけどそいつらは「日韓ネット」とか云って、韓国の軍事政権を批判する運動をそれまでさんざんやってきてるわけだよ。おい、って思うじゃん(笑)。冷戦体制の中で東側についてるだけじゃないかと。そういうメンタリティは今の左派の中にもあると思うよ。

小野 あるだろうね。うん。あってもおれは驚かない。

外山 今の北朝鮮に対する右派的な論調に対する左派の反発の中には、バランスのとれたものもあれば、北朝鮮を批判することはアメリカを利することになる的な、バカな冷戦ボケみたいなのもあると思いますよ。

小野 もちろんそうだけれども……(と議論は延々続く)。

 


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