交流会の記録
2009年5月12日
革命家養成塾・黒色クートベにて

 参加者
  外山(我々団・臨時総統)
  小野(フリーターユニオン福岡)
  藤村(在野の右翼思想家)
  今井(我々団・団員 フリーターユニオン福岡・組合員)
  群馬(黒色クートベ・塾生 ※6月9日退塾)
  京都(黒色クートベ・見学者)


 

小野 (2人の“新塾生”に)どっちかが京都の人なんだって?

京都 はい、私が。

小野 学生なんですか?

京都 いや、無職です。

小野 大学は行ったんですか?

京都 名古屋大学です。

小野 あ、京都じゃないんだ。

京都 ええ。もともと出身は横浜だし、流れ流れて、ココ(福岡)まで流れ着いた感じすね。

外山 西へ西へと。

京都 そのうち天竺へ(笑)。

外山 昼間チラッと話したように、この小野君は福岡のフリーター労組の中心人物で……。

小野 今、話題の(笑)。

京都 さっき藤村さんにも同じ質問をしたんですけど、やっぱり今の日本は悪くなってると思いますか?

小野 (間髪いれず)いつと比べて?

外山 おお、その切り返しが左翼っぽいね(笑)。右翼の藤村君は愚直に答えてたもんね、さっき。

小野 今、徐々に悪くなってるかってこと?

京都 いや、自分が生まれてから今までの流れの中で、実感として今はどうですか、という……。

小野 実感として悪くなってるとはあんまり思わないね。

外山 気づいた時にはそもそも悪い状況だったってこと?

小野 いや、もともとスラム街みたいなところで生まれ育ってるからね。大学にいた時も、ぼくはいわゆる「就職氷河期」世代だけども、就職活動とかあまり興味なかったから、「探しても就職がない」とかも思わなかったし……まあ人生こんなもんだと思ってるよ(笑)。だから実感としてはまったくないね、今がいいとか悪いとか。

京都 ぼくが今の世の中が悪くなってるなあと思うのは、子供たちを見ていてなんですよ、塾講師を長くやってて。

小野 今の子供を見て、なんか危機感を持ってるの?

京都 子供たちって基本的にキラキラしてるんですよ。

小野 それは普遍的に?

京都 ええ。

小野 黒柳徹子みたいなこと云ってるなあ(笑)。

外山 キラキラしてるってのはつまり、生命力があるって云いたいんでしょ?

京都 いや、そうじゃなくて……。

小野 「目が輝いてる」?

京都 そう、目が輝いてる。でもそれが、中学、高校と上がるにつれて減っていくというか、減り方が激しいんです。

小野 ん? 昔はそういうキラキラしている子供が15、6歳になってもキラキラしてたけど、今は10歳ぐらいでそうじゃなくなる、みたいな実感があるの?

京都 いや、そういうわけじゃないんですけど……。

外山 つまり小野君は、そもそもいつの時代だってそうなんじゃないかと云いたいわけだね。いつだって高校生ぐらいになるとだんだん、自分の将来も見えてきたりするし。

小野 戦後すぐの子供なんかそもそも栄養失調で目の輝きなんかなかったと思うよ(笑)。

京都 だけど、発展途上国の子供たちは飢えてても目はキラキラしてるとかってよく聞くじゃないですか。

小野 よく聞くけれども……。

外山 それは怪しいよ。

小野 怪しいねえ。

外山 先進国の住人としての“やましさ”を向こうの子供たちに投影して云ってるだけで。

小野 そういう話ってのはもうあまりにも……何億回くり返されたか分からないぐらいの「共同体が失われた」論でしかなくて。ちょっと歴史を学べば、都市なんてのはもう江戸時代からできてて、その過程で「最近は伝統的な共同体が失われてきた」なんて危機感はくりかえし表明されてるわけで。「昔は何々だったのに今は……」みたいな。

外山 有名な話もあるじゃん。古代の粘土板に「最近の若者は」って書いてあったとか(笑)。

京都 じゃあ、小野さんは別に今の時代がとくに悪くなってるってことはない、と。

小野 意味あいによるよね。個人商店とかやってる人が、「20年前と比べて今は」ってことはそれこそ実感としていくらでも云えると思うし、タクシー運転手が「バブル期と比べて今は」とか、そういうレベルではいくらでもあると思うんだけど、そういう意味ではぼくなんか全然、人生経験が少ないしね。ずっと学生やってて、ほんの何年か前にその学生って身分がなくなった。それまでずーっと学生だもん。小中高、大学、大学院と行って、それこそタクシーの運ちゃんが「このままだとおれの家計が維持できないぞ」とか、そんな危機感は持ったことないし、分かんないよ。どうだろうね、やっぱ悪くなってんじゃないの、なんか(笑)。

外山 じゃあ仮に「悪くなってる」としたら、どういうところがってことになるの?

小野 いや、やっぱり単純に経済的に。立ち行かないんでしょ?

外山 立ち行かないらしいぞ、と(笑)。

小野 らしいよ(笑)。誰もが定説のように云ってるからさ、これ以上よくなりようがないって。

藤村 さっきの話だけど、諏訪哲二って人が『オレ様化する子どもたち』って本を書いてるから、それなんか読むと面白いかもよ。

外山 まあ諏訪哲二の本は、この塾のカリキュラムでいずれ読んでもらうことになりますけど。

藤村 あるいはベストセラーになった内田樹の『下流志向』って本は、そういう問題意識を持ってるんなら面白いかも。

京都 覚えときます。

小野 でも内田樹ってなんか怪しいよねえ。

外山 好印象はあるけどなあ(後註.この当時、外山は「内田樹」と「内山節」をなぜか混同しており、まったく異質な両者へのイメージを頭の中で勝手に混ぜている)。

小野 へえ、そう? どういう意味で?

外山 うーん、なんか、「バランスがいい」感じかな。

小野 ようするに保守的ってこと?

外山 いや、リベラルなんだけど、極端に走らずというか。

藤村 まあ左翼ではない。

外山 今ふうのバカな保守系の言論に乗ることもなく。

小野 ヒネクレてエラそうになった左翼みたいな感じがするけどねえ、なんか。そもそもレヴィナス研究者なんでしょ?

藤村 左翼じゃないでしょう。

小野 いや、今の立場はそうじゃないみたいだけど、もともと京大ノンセクトかなんかの活動家でしょ。高橋源一郎なんかの“同僚”というか、運動上の。

藤村 そう云われてみると世代的にも同じぐらいかも。

小野 世代的にとかじゃなくて、実際に一緒にやってたみたいよ。最近読んだ本に載ってたよ。くっだらない本なんだけどさ。“この著名人はこうだった”みたいなことがズラーッと書いてあった。

藤村 関係ないけど、あなたの集会で買った『ロスジェネ』を読みましたよ。

小野 ん? あ、『ロスジェネ』ね。どうだった?

藤村 面白かったけど、『フリーターズ・フリー』の方がもっと良かった。

小野 『フリーターズ・フリー』は濃厚ですからね。『ロスジェネ』はどうなのかなあ。ぼくは杉田俊介と大澤信亮の2人にしか興味がないので。そもそも『ロスジェネ』って雑誌がどういう雑誌なのかってこともいまいち……。ぼくは大澤って人を信頼してて、まあ大澤さんの書くものしかほとんど読まないんだけども。

藤村 あの「ニート、フリーター……」何だっけ?

小野 ああ、生田武志ね。

藤村 あの論文はすげえ勉強になる。

小野 そうそう。

藤村 あれを読めば今のフリーター問題というか、ニート問題なんかが全部分かるようになってる。あれはすごく便利な、いい論文だなあと。

小野 釜ヶ崎で野宿者の運動をずっとやってる人。シモーヌ・ヴェイユとかがすごく好きで、『〈野宿者襲撃〉論』って本を書いてる。あれもすごくいい本。

藤村 あの人の本なら読んでみたいと思う。いろんな問題を全部整理してるから、これはすごく役に立つなあと。

小野 いい意味ですごく図式的なんだよ。『〈野宿者襲撃〉論』は外山さんは読んでないの?

外山 一応読んだよ。

小野 あんまり興味ない感じ?

外山 いや、“89年”論とか……。

小野 ああ、そうか。

外山 いろいろ重なるところはあるなあと思いながら、まあパラパラと読んだだけだけども。

小野 ぼくはあの本、すごく好きだけどね。山岡強一っているじゃん、『山谷 やられたらやりかえせ』の。あの人と結局、同じところにたどり着くんだよね。釜ヶ崎で暴動があると、たいてい中学生とかのヤンキーが野宿のおっちゃんにまぎれて警察に石を投げるって現象が必ず起きる、と。その分析なんだけどね。それが要するにホームレスを襲撃したりするのと同じ引力がそこに働いている、的なね。野宿者の運動をやってきた2人が図らずもそういう同じ視点に行き着くのがすごく面白い。……ところでもう1人の君はどういう人なんですか?

群馬 いま無職です。

小野 プラプラしてるんだ。

群馬 ええ。

外山 でも無職になったのはまだ今年のことでしょ?

群馬 そうです。

小野 どこの出身ですか?

群馬 群馬です。

小野 いつまで群馬にいたんですか?

群馬 高校までです。大学は名古屋でこいつと一緒です。

小野 あ、同級生なんですか。

群馬 そうです。

小野 じゃあココへは一緒に遊びに来たような感じですか。

群馬 いや、私が先日の日曜の交流会に参加して、そのまま塾生になろうかという話になって、でもおれ1人だと途中で逃げるような気がして、まあ“監視役”として呼んだ、と。

小野 ほー、いい感じじゃないですか。でも失うものは別にないんでしょ、2人とも。若干ある?

外山 京都君も3日ぐらい前に仕事をなくしたところらしい。

小野 このまま入塾して失うものって何かあるの?

京都 家かな。

小野 家って、今借りてるアパートか何か?

京都 はい。

小野 それは……。

外山 自分のものじゃないじゃん(笑)。

小野 そうだよ(笑)。

京都 あとはネット環境かな。

小野 ネット環境はココにもあるでしょ。

外山 一応。

小野 ネットがなければ片時も生きていけないってタイプならちょっと厳しいかもしれないけど。でもネットなんて、なけりゃないで別に、ねえ。

京都 でもネットってものすごく安価な娯楽だと思うんですよ。

藤村 おれも最近ようやくYouTubeの使い方が分かって、ずっと入会しなきゃ見られないもんだと思い込んでて(笑)。でも見始めたらもう何時間もずっと見ちゃって、やっぱいかんなあと。

小野 最初はハマるよね。

京都 ぼくはインターネットやるようになって全然テレビ見なくなりました。

小野 いや、でもインターネットを“安価な娯楽”だっていうのは……権力の陰謀だと思うよ(笑)。っていうのは、要するに何でも無料なわけじゃん。それでいてビジネスとも連動してるしさ。何というか、やっぱり権力の陰謀だよ。

京都 消費を抑えることはできるじゃないですか。みんなが考え方を変えればいいんですよ。

小野 どういうこと?

京都 もっとみんなミニマムに生きればいいんですよ。

小野 ミニマムねえ……。

京都 これは群馬君の意見なんですけど、別に移動する必要がないじゃないですか。

小野 移動しないと、よくないんじゃない?

京都 どうしてですか?

小野 なんかこう……人間だから。

外山 いや、さっき(録音を始める前に)藤村君が云ってた、多くの人が“消費者”になってしまってるって話は、べつにモノをたくさん買うとか買わないとかって話じゃないからね。例えば仮に月5万円で暮らしているとしても、消費者でしかない人は消費者でしかない。むしろネットを前にして完結してる、なんてのはもう、典型的な“消費者”ですよ。

藤村 うん、たとえカネを使ってなくても。

小野 ようするに消費者であるってことは……。

外山 受け身であるってことですよ。

小野 そう。そこに労働の過程があることを意識しないってのがまさに消費者であるってことであって、例えば初期のパソコンなんて、プログラミングを一から自分でやらなきゃ使い物にならなかったんであって、今は全部絵じゃん。アイコンをクリックすることですべてができてしまう。それが消費なんだよ。もはや動画が見られないようなパソコンはクソ、みたいな、ようするにテレビの代替物でしょ。

藤村 YouTubeなんか見なきゃよかった(笑)。

小野 ぼくなんかもう古いパソコンで、YouTubeとか見てもコマ飛びするし、だから見ないな。見なきゃ見ないで別に、なんとかなるよ。テレビとかも。

外山 地デジに移行されようが(笑)。

小野 新聞も読まないし、テレビも見ないし。でも別に生きていけてるよ。

京都 だからもうそういう生き方でいいじゃないですか。

小野 それはでも、ぼくの場合は代わりにインターネットがあればってことじゃないから、京都君が云ってるのとはちょっと違うと思うけどね。テレビは見なくても、運動をやらなければ生きていけないですよ。ねえ、外山さん(笑)。

外山 まあ、そういうことでしょう。ぼくも新聞はとってるけど、見てのとおりずっと読まずに山積みしちゃうし。

小野 新聞って読まないよね。結局つまんないでしょ。

外山 本の広告が載ってて、新刊の情報が得られるから購読してるだけだし。テレビも見ないしね。今だにあの“酔っぱらい会見”の映像も見てない(笑)。

小野 ああ、中川の?

外山 うん。それどころか、そもそもまだ動くオバマを見てない(笑)。

小野 それはすごいな(笑)。ココはテレビ映らないの?

外山 いや、普通に見られるよ。実はすでに地デジにも対応してる(笑)。ただ見てないだけ。

小野 動くオバマを見ないでいる方がかなり難しいと思うけど。

藤村 ニュースだけは録画して見てるなあ。世の中に遅れたらいかん、と。

外山 テレビも新聞も無視して、それでもなんとなくやっていけてるような気がするのは、やっぱり“運動”的なシーンに関わっているからであって。

小野 だけどヤフーのニュース記事とかは見てるなあ。それもまたあんまりよくないんだけどね。

藤村 新聞はカネ払ってとってるから意地でも、斜め読みでもいいから読み通すことにしてる。

小野 貧乏人だなあ。

藤村 3300円のモトをとらなきゃって。だけど斜め読みだから全然頭に入ってなかったりするけど。どういうことが起きてるかぐらいしか分からなくて、いかんなあと。

外山 本の広告を目当てに購読してると云いながら、笠井潔の新刊が出てることに2ヶ月ぐらい気づかなかったんだけど。まあ、コレがその本なんだけど(と『例外社会』を渡す)。

小野 うわ、すごいね。分厚い。でも売れそうだなあ、パッと見た感じ。

外山 10年ぶりぐらいに本格的な社会評論を書いたみたい。

小野 面白い?

外山 まあ今のところ。まだ4分の1ぐらいしか読んでないけど。

小野 おれは笠井潔は全然読んでないからなあ。

外山 90年代半ばぐらいに突然「国家民営化論」とか云い出して、ネオリベよりもっと右、みたいな。まあラジカルな自由主義というか。

小野 アナルコ・キャピタリズムとか……。

外山 うん。まあ面白いは面白いんだけど、ちょっとトンチンカンな方向に行ってるなあとは思ってて、でも『例外社会』ではまたすっかり立場を変えてきてるみたいで。

小野 パッ見た感じだけど、面白そうじゃん。

外山 “内戦”論だよ。

小野 タイトルもなんか、文系院生の気を惹きそうな……。

外山 冷戦時代というか、まあ第一次大戦から冷戦時代までというのは、国家が社会を吸収していた、と。ところが冷戦崩壊以降というのは、社会の方が国家を吸収してというか、社会そのものが戦争を担うような形になってるっていう、まあそういう話みたい。

小野 それ自体はよくあると云えばよくある話なんだけどね。……ところでこないだ東京に行って、全般労組の奴らの部屋とか泊まるともうすごくて、汚ったないんだよね、とにかく。いかに自分がプチブルであるかと恥じ入りますよ(笑)。

外山 しかしなんで……地方に来れば同じ家賃でものすごく豊かな生活ができるじゃん。なんでそんなに東京にいたがるのかが分からないんだよ。

小野 うーん……いやでも実際キビしいじゃん、地方は。

外山 もともと東京の人なら分かるけれども……。

小野 ヒット曲研究会の本(外山編『ヒット曲を聴いてみた』98年・駒草出版)を読んで思ったけど……。

外山 あ、ああいうことは確かに福岡ではやれない。

小野 矢部さんとか外山さんみたいに大学とか行ってない人も、不思議と大学文化を共有してるよね。ああいう語りはもう大学文化としか云いようがなくて……。

外山 そんなことはないよ。

京都 大学文化というのは具体的にはどのような……。

外山 少なくともぼくのは運動家文化でしかない。小野君の云うのはつまり、こういう飲みの席の雑談の中で、例えばマルクスの用語をチラッと引用したり、あるいはそうだな、マルクスが元ネタになってるようなギャグを云ったり、そういうのが通用するようなノリのことでしょう。

小野 そうそう。ヒット曲研の本で云うと、例えば共産党をバカにすることが共通了解になってたり。そういうのは大学に行かないとありえないから。高校の時点でそういうことが共通了解になるのはもう相当なことで。

藤村 やっぱり運動家文化でしょう。というのは、自分は大学に行ったけど、そんなの共有されてなかったから。

小野 まあそうかもしれない。しかし矢部さんなんかが典型だけれども、下層ルンペン・プロレタリアートにとってはこういう曲こそが素晴らしいんだ、みたいなそういう何というかネジレた自意識のありようが……。

藤村 あれはそういう文化を共有していない人にとっては腹立つ以外の何ものでもないふるまいだろうね(笑)。

小野 その音楽をパッと聴いた感じではダサいことを分かってて、その上であえて擁護する。それはイヤらしいよね、誰か他のメンバーも指摘してたけど。

外山 鹿島君とかがね。「インテリの悪いアレだ」とか云って。

小野 この本全体が基本的にそういう本ではあるんだよね。それを面白いと感じてしまう自分がイヤなんだけど(笑)。

外山 「Yellow Yellow Happy」のところは読んだ?

小野 そこまで読んだところ。

外山 最初はみんな不評なのに途中からガラッと……。

小野 このヤバさは重要だ、とか云い始める(笑)。

外山 あれはオカしいよね。

藤村 あれは面白かったけど、でも好きであの曲聴いてる人はほんとに腹立つだろうなあ(笑)。「お前らは悲惨だ」って云ってるんだから。

外山 指導部として(笑)。しかしこの本がよかったのは、鹿島拾市と酒井隆史というそれぞれ違ったタイプのバランスのいい批評家がいて、そこに矢部史郎がとんでもない論点を提起してかき回して、だけどなんかそれに付き合わされてしまって、いつのまにか当初は想像もしていなかった方向に議論が進むという。

小野 途中まで読んだかぎりでは、矢部さんと鹿島さんというのが相当喋ってるよね。

外山 メインは矢部・山の手と鹿島、酒井、それにプラス丸川哲史といった感じでしょ。あとの人は時折チラッチラッと絡む程度で。

小野 そんな感じだよね。

外山 川本真琴の歌を聴いて矢部史郎がいきなり、「これは妊娠の歌ですよ」とか云い出して(笑)。

小野 あれは面白いね。人工衛星の話とか(笑)。しかし矢部さんにはああいう軽快さはもうないような気も。若い頃、もう10年前の本だもんね。矢部さんて今どうなんだろう。位置取りをしかねてるのかなあ。

外山 そんな気はする。

小野 フリーター全般労組とかの……。

外山 主流からちょっと外れてる感じ。

小野 うん。

藤村 ネットラジオで外山君が云ってたので気になったんだけど、彼は党を作りたかったんでしょ。それでまずは山の手緑と2人で党を作ったってことだったけど、なんで党を作らなければと思ったんだろう。それは単に運動家としてのカッコつけなのか、それともやっぱり“前衛党”みたいなものを何らかの形で目指してのことなのか。

外山 前衛党を目指したんだと思うよ。なんで突然そういう発想になったのかは分からないけど。

小野 運動としては避けられないですよ。ぼくでさえそういうことを考えることはあるし、結局なんか“市民”的な……誰でもこの運動に入ってきていいんですよ、みたいな建前があるじゃん。でもほんとはそうじゃないわけでしょ、現実は。その矛盾にどう折り合いをつけるかという時にやっぱり……“党”と一言云いたくなる(笑)。

藤村 いや、すでに何人かの集まりが成立しているところでそういう話になるならそれは分かるんだけど、彼らは“2人”でしょ。

小野 ある意味それで充分じゃないかな、複数であるってことで。1人でやってれば悲惨だけど。例えば全共闘は、1人1人が党であること、とかそういうことを云ってたらしいけど、それじゃ逆にダメなんだよ。あくまで複数の人間の間で、なんというかなあ……“市民”的な流れに行ってしまいがちになるのをどう止めるか、っていう。

外山 自分に歯止めをかけるってところもあると思うよ。自分個人ではなく党としての発言だ、っていうふうな縛りを作ることによって。

藤村 けっこう矢部史郎には好意的だよね、外山君は(笑)。

外山 まあ……好意的だよなあ(笑)。松本哉なんかよりはよっぽど自分に近いと思ってるしね、今でも。

藤村 つまり彼は倫理の問題として党を目指したって解釈でしょ。

外山 うん。

小野 倫理だよね、ある種の。運動やる上での倫理ってのを考えた時に、党なしで、大きな意味、広い意味での党なしにはそうそうやっていけないんじゃないかって思う時はある。運動をやってる時点でなにがしか、党の要素はすでに入ってるわけだし、それをただ単に言葉の上で党じゃないって云ってみたところで何にもならない。

外山 実際、無自覚な“党”が多いから困る。

小野 それはまあ、そうだ。外山さんが云ってる、左翼に対する違和感なんてのはほぼそこに集中されるわけで、市民運動的な、ベ平連的なものがそのまま……しかもスガさんも云ってるように、ベ平連なんかにはまだ“電車を爆破してやろう”みたいなところがあったかもしれない。あってもそんなに驚くに値しないぐらいの時代性があったのに、それが“市民”的な、微温的な方向に流れていったあげくに今があって……。

外山 それもそうだけど、例えば今はもうそうじゃないようだけど、10年ぐらい前の時点では血債論的な反差別論を共有してたわけじゃん。共有してるくせに、自分たちは無党派だと云う。そこへ共有してない人が個別具体的な、例えば原発問題なんかの集会に「ぼくも原発はいかんと思うんです」ってやって来ても、何かの拍子に他の全員を敵に回して血債論的な糾弾を受けるハメになったりするじゃん。

小野 はいはい。

外山 とりあえず反原発の一点で集まっている自由な個人の市民団体です、とか表面上は云ってるくせに、実際には他の問題意識もいっぱい共有されてる。

小野 それはあるね。

外山 つまりそれはもう“党”じゃん、単に自覚のない。

小野 そうだね。ところでさっき云いかけた、最近読んだくだらない本のことなんだけど……これ録音してんの?

外山 うん。

小野 あ、そう。うーん……(笑)。まあいいや。全共闘や新左翼運動と最近の「生きさせろ」的な運動とを比較して論じてる本なんだけど……つまり全共闘が自己否定論に行き着いたってことをどう考えるかみたい議論を展開してるんだけど、それがそのまんま、するーっと雨宮処凛の“自分探しの旅”みたいな話につながって(笑)。どういうつもりで書いてんのか、策略的にそうしてるのか、読んでて全然分からなくてね。外山さんが今云ったような論点、華青闘以降の左翼のあり方というか、そこを書いてはいるんだけども、なんか全然ダメなんだよ。自己否定の話がそのまま自分探しの話につながってて。

外山 自己否定をして、それで自分探しの旅に出た自分を今は肯定しています、みたいな(笑)。

小野 そうそう、ほんとそんな感じなのよ(笑)。

藤村 それは一体どういうロジックなの?

小野 つまり昔の“自己否定”も、もっと以前に“共産主義の理想”みたいなので燃えてたのも、結局全部何らかの意味で自分を探していたんだみたいなことで書かれてる。なんか信じられないような展開。著者はぼくより若くて、知識も相当ある人みたいなんだけど、もっとも悪い意味でマスコミ的な本だった。

藤村 それはまだ右翼やってた頃の雨宮処凛と全共闘を結びつけてるの?

小野 うん。もちろん今の雨宮処凛とさらに結びつけてるよ。

藤村 そこは確かになんかインチキくさいね。

小野 あまり興味をそそるようなタイトルでもないし、普通なら読まないんだけど、いろいろワケあって読むことになった。

藤村 全共闘の“自己否定”と、雨宮処凛が“自分探し”で民族の意志同盟に入ったってことの内在的な関係が書かれていれば説得力があるよ。だとすればそれは右翼からすると左翼批判のいいネタにも使える(笑)。

小野 どういうこと?

藤村 つまり共産主義運動というのもしょせんは“自分探し”にすぎなかった、と。でもそんな粗雑な批判をさすがに右翼の側もやらないけど。

小野 だって右翼って“自分探し”じゃん。

藤村 うん、その要素は否定しません(笑)。でもそれ云うんなら左翼だって“自分探し”でしょう。

小野 おまえもだ、と(笑)。

藤村 でもそれはそれで別に恥ずかしいことではないと、おれはあえて云いたいけど。

外山 “自分探し”をするならなぜ右に行かないのかと思うけど(笑)。

藤村 話を戻すと、全共闘の“自己否定”と雨宮処凛が民族の意志同盟に入る“自分探し”がくっついてなければロジカルとは云えないでしょ。

外山 そういう人のダメなところは、ようするに雨宮処凛がもし今も右翼にとどまっていればそんな本は書かないってことだよ。

藤村 そうそう、そこなんだよ。今は左になってるからこそ、読む側もなんとなく納得させられてしまうだろうし。まあ読んでないのに云うのもあれだけど。

外山 土屋豊みたいに、まだバカな右翼であった雨宮処凛に興味を持ってじっくり付き合うって話なら信頼できるけれども、しょせんはその人は雨宮処凛が左翼に転向したから近づいただけの人でしょ。

小野 分かんないけど、まあそうだろうね。

藤村 ちなみに新塾生の2人は、外山君が左翼をやめた理由みたいなのは本人から聞いたりしてるの?

外山 直接話してはいないけど、サイトには書いてるからなあ。読んでるかどうかは知らないけど。

小野 そんで2人は右翼なの、左翼なの?

藤村 またそんな……(笑)。

京都 どちらかというとアナキストです。

藤村 ということは右翼である、と(笑)。

外山 福田和也的なアナキズム解釈ね(笑)。

群馬 ぼくはどっちだろう。自分でもよく分からないけど……。

小野 そこをあえて云うならば。

群馬 あえて云うなら、右なんだと思います。

外山 群馬君はずっと実存主義系の哲学、キルケゴールとか読んでたらしいよ。

群馬 大学3年ぐらいからもう、社会なんか関係ないって。どっちにしろおれはいつか死ぬんだから、どんな社会になろうが関係ないって考えるようになりました。

外山 で、“いかに生くべきか”でキルケゴール、ニーチェと。

藤村 ニーチェはともかく、キルケゴールは読んだことないから分からないなあ。なんか、関係の関係の関係の関係の……。

群馬 「関係が関係するところの関係」

一同 おー(笑)。

群馬 20回ぐらいは読んでるもんで。

小野 それは何の本?

群馬 『死に至る病』の最初の方です。

藤村 つまりあんまり政治的な方向で……例えば「天皇陛下万歳!」みたいな方向で燃えたりするんじゃなくて?

小野 例えが悪い(笑)。

藤村 うん、悪いよね(笑)。

群馬 そういう実際の運動みたいなものには触れなかったですね。

小野 名古屋大学って何かあるの?

外山 ぼくが反管理教育運動やってた頃だからもう20年前の話になっちゃうけど、名古屋大学の何学部だったかの自治会に呼ばれたことがある。

小野 ノンセクト系だったの?

外山 いや、当時は知識なかったけど、後から思えばどっかの小さい党派だったね。名古屋大は革マルもいたみたいだけど、そこはたぶん革マルではなかった。もっと最近で云えば、98、9年あたりには「名古屋大学の貧乏くささを守る会」もたしかあったはず。まあ数人なんだろうけど。いやしかしだめ連もそうだったけど、そういう東京の面白い動きに地方で呼応したのっては実際にはあんまり、ねえ。フリーター労組なんかは別だよ。問題がはっきりしてるから。でもだめ連とか松本君の貧乏くささを守る会とかってのは、独特のニュアンスまではなかなか地方には伝わらないんだよ。ディテールが大事な運動だから、結局名前だけは同じなんだけど、全然つまんないってパターンがほとんどだったよね。

小野 文化的な厚みがないと。そういうのは文化的なある種の厚みの中で位置取りをすることで成り立ってるものだから。サブカルだからさ。外山さんのもサブカルだから(笑)。

外山 まあね。だからだめ連福岡だけは非常に高いレベルでやってましたけどね。

小野 高かったのか?

外山 高かった(笑)。だめ連広島とかヒドいレベルだったしなあ。

小野 そうなんだ。でも確かに広島は……なんかこないだの東京の全般労組の界隈にもナントカって人が広島から来てて、民主党の党員だっていうんだよな。なんでそんな人がっていう。いくらなんでもそれはないだろう。まあいつか粛清されるだろうけど(笑)。

藤村 民主党員は粛清されるんだ。

小野 分かんないけど……ねえ(笑)。

外山 まあ発想の方向性としてはズレまくってるわけだからね。

小野 森田健作が逮捕されるまで私は頑張ります、みたいなよく分かんない演説しててさ。

外山 やっぱりバランス感覚が重要です(笑)。そういうヘンな強張りのある人が時々いるからね。

小野 バランス感覚っていうか……。

外山 何かの拍子にこれは重大な問題だって思っちゃったことで、まっすぐそっちばっかり目が行っちゃって。その人の場合だと、「森田健作はケシカラン」と何かがきっかけで思っちゃったんだろうし。

小野 でもそれはそれで持続力があればそれでもいいと思うよ。

外山 右にだっているじゃん。例えば「同和利権の問題が許せない」とか思っちゃって、そればっかりで全体の中でのバランスがとれない感じの人とか。

小野 うーん……それを「バランス」と云っちゃうと何かあれだけど。

外山 いや、それはそれで重大な問題だとはぼくも思うから、同和利権の問題に取り組む人がいること自体はいいんだけど……。

小野 つまりその人が持ってる理論体系みたいなものがその外に向かってまったく開かれていないというのは確かにキビシいよね。みんながどうにかしてその人を処理するしかないわけじゃん、その人自身はもう自己処理が終わってるんだから(笑)。周りが困るんだよね。……ところで2人はどうして外山さんのところに来たの?

群馬 ほとんどヤケッパチというか……。

小野 死のうかな、ぐらいの(笑)。

群馬 それもなくはないですけど。

小野 いま何歳なの?

群馬 28です。

小野 死ぬにはちょうどいい頃だね(笑)。

外山 まだ絵になるトシですね。

小野 そうだね。30過ぎたらもう絵にならないねえ。

外山 「生きさせろ」とか云うしかないね(笑)。

小野 大学を出たのはいくつの時?

群馬 24でしたね。

小野 その後4年間ぐらいプラプラしてた感じですか?

群馬 いや……。

小野 名古屋大を出て群馬に帰ったの?

群馬 ええ。群馬に戻って塾講師をしてやめて、また塾講師をしてやめて、千葉でプログラマーの仕事をしてやめて、郵便配達とか営業の仕事なんかも何ヶ月かですけど、やって……。

小野 キビしい人生ですね。

群馬 面接だけは得意なんですよ。

小野 普通はそこが難しいんだよ。

群馬 私は面接は大丈夫なんですが、入ってから、「おれはここに必要ない人間だ」と思って逃げ出しちゃうんです。

小野 自意識過剰なんだ。

群馬 ですね。

小野 まあキルケゴールとか読んじゃうぐらいだからねえ。

群馬 自分は他人様に迷惑をかけているに違いないと思ってしまって……。

小野 キルケゴールとかニーチェを読んでてもそんなことで悩むんだ。

京都 逆に読んでるから悩むんじゃないですか?

小野 他人に迷惑をかけている、なんてことを?

群馬 それは関係ないですね。

小野 関係ないよね。

外山 ニーチェなんかたぶん周りに迷惑かけまくりだからね(笑)。おれが迷惑かけて何が悪い、ぐらいな。

群馬 それをうらやましいと思って読んじゃうのかもしれませんけどね。でもキルケゴールの場合は、逆に引きこもりなんで。

小野 キルケゴールは文字どおり引きこもりなの? それとも哲学的に引きこもり的って意味?

群馬 文字どおり引きこもって、部屋でずーっと著作活動してたような人です。

小野 それで外山さんのところにつながるのはどういう経緯?

群馬 都知事選の頃からずっと面白いとは思いながら見てて、みんななんかMADとか作って遊んでるだけだったけど、でもちゃんと中身を読めば、正論というか……。

小野 外山さんの云ってることがね。

群馬 ええ。ホームページも見て、いいなあと思って。でも瞬発力がないというか、行っても「何しに来た」とか云われると困るなあというのがずっとあって、今までズレこんだという感じです。

小野 で、今回はもう外山さんに会おうと思って来たわけですか。

群馬 夜行バスで。

京都 それまでウチに泊まってて。

小野 京都の。

京都 ええ。そしたら電話かかってきて、「来てくれ」と。酔った勢いで云ってるなあと、明日になったら自己嫌悪で死にそうになってるんだろうなあと思って、じゃあ助けてやらなきゃなあと(笑)。

小野 いい友達だねえ。でも、最初に外山さんの政見放送を見てハッとするわけじゃん。そういう人が当時いっぱいいたと思うんだけど、どういう文脈で理解してるんだろう。

藤村 それはおれも知りたい。だっておれは外山君からエキセントリックなイメージを1回も受けたことがないけど、それは最初に会ったのが竹田青嗣の講演会だったし(笑)、それはおれの方が特殊で、普通はやっぱりああいう政見放送とかで初めて外山君を知るわけでしょ。

外山 藤村君とは平場で、しかも多少インテリっぽい平場で出会ってるからねえ。

藤村 うん。だからそうじゃない普通の場合はどうなんだろうって。

群馬 ただ笑って見てる人が多かったじゃないですか。だけど結構これはマジメに云ってるじゃないかと。だからといって一緒に動こうというほどのエネルギーはないけれども、支援者というか賛同者レベルの心情にはなりました。

小野 それは外山さんの言論の内容に?

群馬 それもありますけど、一つにはファシズム政権ができてその社会の中の小市民という立場は非常にラクそうだなあとも……(笑)。だったらファシズムでぜひ革命をやってくださいと、ちょっと思いました。

京都 彼からさんざん聞かされて、「すごい人がいるんだ」って。演説とか歌とかの動画を見せられて。

藤村 無職青年社のテーマとか(笑)。

京都 とくに「多数決で決めれば多数派が勝つに決まってるじゃないか」っていうのが、うまく云えないんですけどグッときて。自分も東京都民だったら一票入れるのになあと。

小野 でもアナキストなんでしょ? 一票なんか入れてどうすんの。

京都 まあ無意味な一票として(笑)。

外山 話がちょっとズレちゃうけど、矢部史郎が都知事選で外山恒一に一票を投じたのかどうかはすごく気になりますよ。

小野 投じるわけないじゃん(笑)。

外山 いや、『愛と暴力の現代思想』だかに書いてるんだよ。選挙なんかに何の意味もないんだって。だけど自分は選挙には行くと。それは共産党に投票するためだと。共産党に入れたってそれは死票になるんだけど、でも共産党の得票が多ければ多いほど現政権・現体制に対する悪意の表現として成立するから共産党に入れるんだ、と。共産党を支持してるわけではないんだと。まあそういうことを書いてて、だったらあの都知事選では外山恒一って選択しかないよね(笑)。

小野 そんなこと書いてるんだ。

外山 うん。

小野 でもその論理って普通の政治学とかの議論にもあるような、投票行動のいろんなパターンの一つとして、その党を支持しているわけではないけれども不満の受け皿として機能することがある、みたいな話でしかないレベルであって。おれがビックリしたのは、酒井隆史さんまでそんなこと云ってる。選挙に行くっつうんだよ。で、共産党に入れる、と。おれもまあ共産党に入れたことはあるけど……。

藤村 おれも(笑)。

小野 そうなのか(笑)。だけどもはやもちろん行かないし、何だろうなあ……。でもビックリしたよ、酒井さんまで行ってるってのは。

外山 ぼくもおかしいと思うよ、共産党に悪意の一票を、みたいな論理は。外山恒一ぐらい特殊な候補がいるならともかく(笑)。

小野 しかも酒井さん、日教組系の組合に入ってるって云うんだもん、大学の。なんでそんなもん入るんですかって訊いたら、「だってみんな入ってるんだもん」って(笑)。

外山 おい、と(笑)。

小野 ビックリしたよ。もちろん半ば自嘲的に云ってるんだろうけど。

藤村 投票ってのはやっぱり自分の一票が生きるように投票しないとダメでしょ。

外山 生きないじゃん(笑)。

藤村 いや、だからおれが新風に入れるのは、あそこはいつも供託金ラインぎりぎりでしょ。だからおれの一票で供託金ラインを超えるかもって可能性が一番高いでしょ。するとその何百万ってカネをまた日常の政治活動にも使えるわけでしょ。だから新風に入れる。おれはいつもこのことを自慢げに喋るんだけど、これこそが一票の有意義な使い方(笑)。

小野 それはまた逆転の発想というか……。

藤村 だからおれの票は死票にしかならんが、それで充分だ。

小野 「この一票でもしかすると供託金が……」っていう投票行動(笑)。それは政治学の教科書にはなかなか載ってない。

藤村 明日は塾講師で選挙制度について教えなきゃいけないからそのことを云おうと思ってる。

小野 ところで在特会って何なの?

藤村 ん?

小野 在日特権を許さないとかって云ってる……。藤村さんなんかはどう見てるの? だって結局、新風なんかとつながってるんでしょ。

藤村 つながってるね。

小野 在特会の代表って新風の奴でしょ。何あれ。

藤村 いや、別にあれはあれでいいんじゃないかなあ。在日特権を……。

小野 じゃああのカルデロン一家に対するあれも? カルデロンのり子はフィリピンに帰れ、みたいなデモ。

外山 在日特権を何とかしろという主張にはぼくも賛同するところもあるけど、あのデモはたしかにいかがなものかと思う。

藤村 あの問題は、まあ原理原則を考えれば、外山君が書いてたとおりだよ。

小野 というと?

藤村 つまりあの両親を帰国させるのはしょうがない。でもあの子までそうするのはいかんでしょう。だから外山君が書いてたあれが原理原則ですよ。

小野 しかし在特会はその子供も帰国させろと云ってデモをやってるわけだよ。

藤村 だからそれはおかしいよ。在特会の側がおかしい。

小野 まあそれで弱ってもいるみたいだけどね、いろいろ批判されて。

外山 あれは右翼の間でも賛否両論あるみたいだからね。

藤村 運動論の問題でもあって、世間にヒューマニズムっぽく受け取ってもらうためには、むしろあの子を支援する運動をやればいいんであって。親がいなくなって寂しいだろうから、私たちが面倒を見ますよ、みたいな。

小野 日本社会で一緒に生きていきましょうと(笑)。

藤村 そうそう。囲い込むような、励ますようなね。

外山 頑張って正しい日本人になれよ、と(笑)。

藤村 そうそう、それそれ(笑)。そういう運動をすべきであって、「帰れ」はマズいでしょう。

小野 ようするにあいつらはさ、動画なんかでネット中継したりとか、そういうことがやりたかったんでしょ。……話は変わるけど、新風とかって、なんか対馬に行って韓国人観光客を罵倒したりしてるんでしょ?

外山 いや、それにはやっぱり背景があって、つまり「対馬は韓国の領土だ」って言説が韓国で流行ったりしてて。

藤村 そうそう。

外山 で、それを真に受けたバカな韓国人なんかが対馬に、「ここは我々の領土だ」みたいな意味で来たりしてるって現象があるわけよ。それに対する右翼側の怒りはぼくにも分かるよ。

藤村 たしかに日本が朝鮮半島を植民地にしていろいろやったってのは間違いないけれども、そんなことを反省したら……敵の思うツボなんだよ(笑)。

小野 「敵」って韓国?

藤村 そう。

小野 韓国が敵なの? なんで韓国が敵なの?

藤村 外国は全部敵でしょう、アメリカだってどこだって。

外山 つまり「国益」という視点で考えればね。

藤村 そうそう、「国益」的に考えたら。

小野 それはそうなのか? 国益を考えたら全部敵視しなきゃいけないの?

藤村 いや、半分敵であり半分味方でありということで、韓国であろうとどこだろうと。

外山 つまりプラグマチックに考えた方がいいってことでしょ。

藤村 うん。

小野 だとしてもそんな、対馬に来る韓国人を……。

外山 だって実際それで竹島なんかは事実上占拠されちゃってるわけじゃん。

小野 だけどそれで何が問題なの?

藤村 あれはもう李承晩政権の時に占拠されちゃって、実効支配という点ではもう韓国に行っちゃってるんで、こっちが何か云ったとしてもそれは……もう「とったモン勝ち」なんだよ。

外山 まあ少なくとも世間一般の普通の人々にとっては、どこがどこの領土であろうと、日々の暮らしがよければそれでいいんであって、それはそれでいいんですよ、いま小野君が云ったみたいな感覚でいても。しかし政府というものは、所有のあいまいな島なり土地なりがあれば、「そこはおれの土地だ」ってふうに強硬に云い続けてないと、必ず他国に取られてしまう。例えば竹島もそうだし、歴史的に見て日本の領土であると考えるのが常識的な判断であるような場所でも、日本側がちゃんと主張せずに放っておくと、いつのまにか向こうの領土になってしまう。だから単に市井の人として生きて生活してるぶんには、そんなことどうでもいいっちゃあどうでもいいんだけども……。

小野 でもそこに綱引きがあるわけで。近代国家が成立する以前の状況から云えば、対馬なんてゴチャゴチャなわけじゃん、行き来がいろいろあって。

外山 それでも基本的には対馬は日本でしょう。

小野 そこで云う「日本」ってのが……。

外山 言語分布的に。

小野 沖縄だってそうで、近代国家が成立する過程で「処分」していくことによって「日本」にされる。

外山 境界線があいまいだったのをハッキリさせるのが近代ですから。

小野 政治的な事実によってね。その時に、外山さんが以前から、今でも云ってるとおり、右翼と左翼のある種の不毛な対立が、国家の存在を前提とすれば生じるんだよ。だから結局なんで、竹島がどっちに属すのかとか、それは例えば資源の問題なんかが関わってこようがどうしようが、それがどっちかの所属であるとしなければ解決しないような構造自体を乗り越えようとするのが、例えばアナキスト的な立場であるかもしれない。

外山 それはまったくそのとおりなんだよ。

小野 で、千坂恭二の書いてるものとか読んでも、面白いこと書いてるなあと思うところもあるんだけど、近代国家が成立するという以降の話になると、結局国家が前提になってて、そこが惜しまれるというか、何でそうなっちゃうんだろう。

外山 それはそうじゃない社会ではないからですよ。

小野 それは分かってるんだけど、そこにどう運動として……。

外山 介入するかって問題であるという立場は分かるよ。

藤村 運動として介入するのは簡単だよ。日本の領土だと云って向こうの主張を突っぱねること。向こうも同じようにするだろうし、そこで妥協も生まれる。

小野 その共犯関係を超えたところから介入するのが……。少なくとも国民国家というものが人間が生きるということにとって当然の前提なのではなくて、むしろそれがいろんなものを疎外してるんだって立場、まあぼくはそういう立場をとるから、そこからの運動論として考えれば当然そういうことになるわけよ。日本のものだ、韓国のものだ、というどっちの立場をとろうがそれは共犯関係、国家を前提とする共犯関係であって、ぼくらの運動論というのは、そういうことをなぜ超えられないのか、というところからしか出発しない。

外山 しかし例えば日本には、竹島は日本の領土であると頑固に主張する人々がいる。そして同時に、そんなことはどうでもいいじゃないかという人が、小野君のようにいる。しかし韓国ではどうなのか、という問題がある。日本は敗戦国であるから、強硬に国益を主張する人と、過去のさまざまな経緯を反省したりして国益という発想に否定的な人とがいる。それは敗戦で反省する機会を持ったからだよ。だけど韓国はそうではない。竹島なんかどうでもいいじゃないかってことはおそらく大声では……。

小野 云えないでしょう。

外山 そういう不均衡があって。

小野 それはある。

外山 つまり現実的には……世界は同じ速度で進歩していないからね。

小野 もちろん。その不均衡も問題だけど、日本には竹島は日本の領土だという人間と、そんなことはどうでもいいという人間の2種類がいるというのは絶対に違う。竹島に実際に利害関係を持っている人間とそうでない人間がいる。

外山 いや、ナショナリスティックな立場から云ってる人は、実際に何らかの利害関係を持ってるから云ってるわけではないでしょう。

小野 だからこそ醜悪なんだよ。

外山 だからこそ崇高なんだよ。

藤村 醜悪か崇高かはどっちでもいいけど。

小野 だって例えば9・11が起きた時にアフガンを攻撃すべきだと云ったのは、むしろニューヨークから遠いテキサスとか、ブッシュだってテキサスの奴でしょ、そういうところの奴が一番云うんだよ。実際にニューヨークで……。

外山 テキサス差別(笑)。

小野 いやいや。遠いところにいる奴がナショナリズムを煽るという話で。むしろ対話するためにアフガニスタンに行こう、という決断をニューヨークの9・11の遺族会、実際にニューヨークで暮らしている人たちがしてるわけ。もちろんニューヨークにも強硬な、キリスト教原理主義者みたいな人たちはいるよ。でも少なくともそういう時に、一番遠い奴が国益とか云う構造はあると思うね。竹島だって、おまえの生活にどういう関係があるんだと。おまえは魚を採ったことがあるんか、石油を掘ったことがあるんかというような奴が……。まあ石油とかって話になってくるとまた大きな話にもなるのかもしれないけど、なんというか、北方領土にしてもそうだけど、それが自分の生活にとってどういう関係があるのかってことを思いっきり抽象化せずには考えられないような人間こそが、一番なんか領土がどうこうって話にこだわっているような気がする。

藤村 今の話を聞くとやっぱり外山君の「崇高」の側につきたくなってきた(笑)。

小野 何が崇高なの?

藤村 だって何ら利害関係のないところにあえてこだわるってことなんだから。

小野 だったら地球的に考えることが真に崇高だってことになっていいはずだよ。

藤村 それはそのとおり。全然それは否定しない。

京都 国境そのものがあることによって、誰が得してるんですかという話になりますよね。

小野 そうだね。

京都 国境があることによる損得ってのは、ぼくたちには何の関係もないことじゃないですか。

外山 いや、それは……。

藤村 それは違うよ。

外山 国境があることによって、今の日本の生活水準は守られてます。世界平均されちゃったら、ぼくらの生活はもっと悲惨なことになりますよ。

小野 事実としてそれはそうだと思う。日本国籍のパスポートを持っていることで、世界じゅうでいろんな特権的なふるまいができたりするってことは事実だよ。しかしそういうことによって利益を得るのは誰なのかという問題は、一方では具体的に誰がという問題であると同時に、そういうことで利益を得ているということを喜ぶようなメンタリティとそうではないメンタリティとの闘いでもあるんだよ。例えばぼくだってどこかいわゆる“治安の悪い”とされるような地域で何かあった時に日本大使館のお世話になって、自分が日本のパスポートを持っているということに非常に感謝しなければならないような状況がもしかしたら生まれるかもしれないけれども、しかしそうではない状況の方が本来は望ましいと思うかどうかってことだよね。そりゃ現実としてはそうだよ。日本人であることとか日本と外国との間に国境があることとか、いろんな現実の条件があることが今の自分たちの生活やいろんなものを生み出してるんだから、それがないかのようにふるまうってのは偽善だよね。でも運動論ってのは、そういうことをどう超えてゆくかっていう、自分が日本人であるためにいろんなことが保障されてるってことに欺瞞を感じるとしたらそれをどう超えていくかってことだから。

外山 ぼくだって理想論としては左翼の方が正しいとそもそも思ってるしね。それこそ、国境のない世界とか、民族とか国籍みたいなものにこだわらない社会とか。そりゃそっちの方がいいですよ。だけど現実に現段階ではそうではないし……。

小野 だからそれは運動論として衰弱してるんであって。

外山 いや、さっきも云ったようにやっぱり敗戦国だということなんですよ。敗戦国だから反省できてるんですよ。過剰に国家的なものを強調するような発想というのが、時にヒドい結果をもたらすということを反省させられてるわけです。だけど現時点で例えば中国や韓国や北朝鮮というのはそういう経験をしていないわけで、だから仮にここで日本が本当に左派が理想とするような非武装的な選択をしたら、それはもちろんアメリカの隙をうかがいつつだろうけど、やっぱり来る、侵攻しようとすると思いますよ。

小野 それは朝鮮半島のそういう勢力が?

外山 どこでもいいけど、中国でも韓国でも、周辺諸国が。

小野 そうかもしれないね。

外山 だから結局、軍備は必要になるし……。

小野 しかしそれは日本を単体で考えすぎであって、そんな事態は国際的な関係の中でしかありえないよ。

外山 でもアメリカはもう中東でも失敗しかけてるし、今後はもうかつてのモンロー主義みたいに、外国のことには口出ししないって方向にいく可能性だってあるじゃん。

小野 いやあ、アメリカが今さらそんなこと云える立場にあるとは思えないけど。

外山 そうかもしれないけど、どうなるか分からないという話ですよ。さらに一方で、そもそも世界政府的なものに対する反発もあるんだけど、反発もありつつそっちの方がまあ理想と云えば理想だよなとも思うけど、現実にそういう段階ではない段階でそんな理想主義的な選択をしちゃうと……まああり得ないとは思うけど仮に日本は非武装でいくとしてしまったら、単に占領されてしまうだけで。

小野 話自体はなんとなく分かるんだけども……。

外山 結局我々がヒドい目に遭う、という結果になるじゃん。

小野 いやいや、しかし議論をやる時に、日本は非武装でいくのか武装するのかという選択肢ではぼくは考えないよ。

外山 でも主張してるじゃん。小野君の立場からすればやっぱり自衛隊を廃止せよって結論になるでしょう。

小野 うん。それはそうなるだろうね。瞬間的にはというか。しかし実際には「運動」なんだから。運動っていうのは、例えば軍隊がない状態が正しいんだという結論を云うことではなくて、いま事実上の軍隊を持っている日本を、そういうものを否定する状態に向けてどう移行させるのかってことだから、そのプロセスの中に左翼の側も、例えば韓国で徴兵忌避をしたりしてる人なんかを呼んで交流したりとか……。日本と韓国の違いというのは決定的で、近代国家を形成するという流れの中で日本はまがりなりにもそれを実現したわけだけれども、その段階ですでに日本は朝鮮半島を植民地化したんだよ。その上で戦後がきた。朝鮮半島から見れば解放がきたと思ったら、今度は民族が分断されて、という状況は日本とは比較にならない。その中で冷戦どころか熱戦、あるいは熱戦寸前という状況を抱えながら、ぼくらと同じ世代、徴兵制で軍隊に何年間か行かなきゃいけないということを経験している人たちが、留学生として日本に来てたりするんだよ。そしてぼくらと交流してるわけだよ。そういう関係性と政府の判断との力関係の中で運動をやってるんであって、結果として国が軍隊を持つか持たないかというようなシミュレーションだけで議論してるわけじゃないんだよ。だから運動論として云うのか、シミュレーションとして例えばどういう国家のあり方が正しいのかという議論とでは全然違うんで、運動論というのは、シミュレーションとしてはとんでもない、世界政府みたいな抽象的で平和ボケみたいなことを云うこともあるかもしれないけど、それだけ云ってても運動にはならない。運動としては、実際に徴兵で引っ張られていくかもしれない韓国の人と例えば付き合っていくことであって、だから国家の取るべき選択肢はどうであるかみたいな話はつまんないよ。

外山 そういう交流はあるだろうし、それは重要なことだとぼくも思うけど……。

小野 国家の選択として軍隊を持つべきか否かなんてことをいくら話したって、そりゃぼくだって議論の局面によっては「持つべきではない」とか云ったりもするけど……。

外山 国家の存在を前提にすれば、そりゃ持つべきに決まってますよ。

小野 うーん……そうかもね。ただそういう議論にはあんまり意味がないと思うんだよ。例えばこないだの、ブログ上での議論もそうだけど……。

外山 ああ、成り行き上バラしちゃうけど、ぼくのブログで「左翼の××君との論争」ってやってた「××君」ってのはつまり小野君なのね(笑)。

小野 国籍とか入国管理がどうあるべきかなんて話も、今の国家を前提としてどうするのが「フツー」なのかということと、運動論としてそこにどう介入していくのかというのは違う次元で。公的な現実みたいなものに回収されない現実ってのもいろいろあるわけでしょ。そこをどうとらえて、その建前と現実とのギャップをどう埋めていくのかを考える時に運動論というのが出てくるんであって、だから国家であるからにはどういう選択が正しいのかって話とは違ってくる。

京都 理想を云い出せば、軍隊も国境もいりませんよね。でも現実問題として、日本には自衛隊というものがあり、他の国にも軍隊がある。永世中立国のスイスであっても軍隊を持ってる。そういうことをどう考えるんですか?

小野 そりゃスイスにだっていろんな人間がいて、いろんな現実があるんであって、そのどこを見るのかってことだよ。

外山 スイスにだって例えば永世中立国であることを「おかしい」って云ってる人間だっているはずだ。

小野 うん。「おかしい」って人間もいりゃ、「永世中立」に誇りを持ってるナショナリストのスイス人もいりゃ、いろんな人間がいるよ。その間に運動がある。

京都 いろんな人間がいますけど、少なくとも例えばこの場では一致団結してるんですか?

小野 ん? 一致団結してなければどうなの?

京都 いや、とりあえず一致団結してるのかどうかを訊いてるんですけど。

小野 どういうこと?

外山 誰と誰が?

京都 外山さん、小野さん、藤村さんの3人が。

外山 それは……してないでしょ(笑)。

藤村 してないしてない。

外山 少なくとも現時点ではね。小野君が将来的にファシズムに転向する可能性は充分にあるとは思ってるけれども(笑)。

藤村 しかし運動論ってことで云えば、アメリカの暴走を止めるために日本は核武装すべしってのも当然、選択肢としては考えられるでしょ?

小野 いや、運動論の一つとしては、そりゃ何だって運動論なんだから、考えられはするけれども、つまんない選択肢だからぼくはそれを選ばない。

藤村 運動論、運動論って云うから。だって運動論の優劣は、その運動の効果がどれくらいかってところで測られるはずでしょう。

小野 「効果」って云い方は微妙だなあ。例えばアメリカの暴走って現実がある、と。たしかにあるよね。で、それをどう止めるべきかっていう時に、実際にそれを止める効果があるのは何かとなると……何だろうね。

藤村 運動論と理想論みたいな話になってるけど、運動論と理想論というのは時としてものすごく乖離することがあって、例えば世界中から核がなくなるのが理想である、国境もなくなるのが理想である、じゃあそのために今、運動論としてどうするか、それは核武装であるって主張も当然成り立つ。

小野 しかし日本は今、まあ微妙かもしれないけど、本来的には核武装できないよね、制度的に。

外山 いや、できるでしょ。憲法は機能してないから。

藤村 でも核拡散防止条約があるからね。

外山 あ、条約的にはできないか。

藤村 まず脱退しなきゃならない。各国からの制裁を受ける覚悟で。

小野 現実を変えていくのが運動ですよ。ただそれは、例えばAという国が核を持って暴走しているのを防ぐためにBという国も核武装するなんてのは、まったく同じ土俵に乗ることであって、それもたしかに運動ではあるけれども……。日本がいわゆる正規軍を持ち、他国に対しても……。

京都 侵略?

小野 まあ侵略行為も含めて、戦争行為をフリーハンドでできるような状態にしたいという人たちがいるわけじゃん。それは今、制度的にできない状態にあるから、それをできるようにしようというのはたしかに一つの運動ではある。国際社会が戦争そのものを制度化してきたわけだよね。今はちょっとそれがアメリカのやってきたことで怪しくなってきてるけど、少なくとも戦争をする時には宣戦布告してどうこうとか、戦争自体も制度化されてて……。

外山 いやそんなことより、最終的な理想のイメージがぼくらと小野君とでズレてるのかもしれない。

藤村 小野君は理想論と運動論を分けて考えるようなことを云いつつ、混ぜて話してない? いま現実として国家というものがあって、国家と国家の力のぶつかり合いという状態があることは認めるけれども、その状態を切り裂くために運動論として理想的なイメージを提出しなければならないんだ、みたいな。

小野 日本も核武装すべきだという思想を持ってる連中がいて、物理的にも動員力を持ってて、一方にそうではない側があって、ぼくの運動ってのは後者だから。核武装するとか云っても……。

藤村 今の日本の核武装論が脆弱であることはぼくも百も承知です。ほんとに核武装しようと思ったら食糧自給もしなきゃいけないし、いろんな輸入禁止措置を食らっても何とかエネルギーも自給できるようにしなきゃいけない。そういうことも考えずに核武装しろって云ってるような議論にまったくリアリティはないってのはそのとおりなんだけど……。

小野 ぼくはまだそこまで云ってないけど(笑)、その核武装が難しいってのはアジアとの関係でってこと?

藤村 いや、まずNPT体制から日本が離脱する必要がある。

外山 そうすると当然、国際的な懲罰がある、と。

藤村 うん。今の日本の核武装論者たちがそういうところまで覚悟して云ってるとはとうてい思えなくて、そういう意味では現状の核武装論が非常に脆弱であると、これはまあ小野君が云ってるわけじゃないけど、よく突っ込まれるところなんです。何が云いたかったかというと、運動論と理想論とが正反対になってしまうことはあり得るんだということなんだけど。

小野 憲法9条があって、細かい議論はおいといて、そのために軍隊が持てない。で、軍隊を持つのが正しいと考える人がいれば、軍隊を持てないという現実があって、軍隊を持つという理想がある、ここを埋めていくのが運動だ。

藤村 さっきと云ってることが違うじゃないか(笑)。さっきは、日本は現実に軍隊を持ってると云ってた。

小野 今のは例えとして云ってるだけで、現状認識としては日本には軍隊がありますよ。

藤村 そうか。で、その軍隊をもっと強くすべきだと主張する人たちは、憲法を改正することによってそれを合法化していこうというか……。

小野 それもそれで一つの運動ですよ。いややっぱり……最終的な理想のイメージが違うから話がスレ違うのかなあ。

外山 それは大きいと思う。例えば国境のない世界みたいな理想は一方でぼくにもありますよ。ジョン・レノン的なというか、あるいは老荘的な、素朴な理想ね。しかし一方でそれは世界が単一の価値で覆われてしまうということでもあって……。

小野 そんなことはない。

外山 もっと理想を云えば、地球上いたるところに個別にいろんな社会があり、人の移動も自由におこなわれて……ってことになるけど、その一段手前ではやっぱり結局「世界政府」じゃん。

小野 そうかねえ。

外山 いつも云ってることだけど、論理的にはPC的な、民主主義のルールみたいなものが正しいことになっちゃうんだから、それが世界全体に行き渡ってるような状態。

小野 例えば国境なんてものはなけりゃない方がいいじゃんと思ったとする。しかしそれを実現するためには世界政府みたいなものしかないのか。それは飛躍じゃないか。どうすれば国境のない世界が可能かってことを「設計」するような、いわば官僚的な発想にはぼくは立てない。おれなんかは、既存のルールを破壊できればそれでいいんであって、どんな政府がそれを実現するかなんてことは分からんよ、おれには。責任持てないし。

藤村 話をまた戻すけど、例えば幸徳秋水の反戦論があるよね、日露戦争の時の。幸徳秋水は戦争をすべきではないという一つの理想を掲げた。現実の政治、つまり政府の中にも主戦論と慎重論とがあって、谷干城なんかは慎重論でロシアと戦争なんかやるべきじゃないと考えてて、実は幸徳秋水と谷干城との間には交流もあったらしくて、それが伊藤博文的な慎重論に結びついて一つの大きな勢力になる。

外山 その政府内の慎重論というのは、単に負けるからって意味だよね。

藤村 そう。

外山 幸徳秋水のいわば理想論的な反戦論とは違って、単にロシアと戦争やっても負けるに決まってるから反対、と。

藤村 うん。つまり運動家ってのは、自分の意見が自分とは違う立場の人たちに採用されることを承知の上で、例えば日露戦争を起こさないために政府内のまったく文脈の違う慎重論者と結ぶ。運動論と理想というのは、具体的な政治状況の中でいかなる立場をとりうるか、いかなる有効性を持ちうるかで測られると思う。だから国境のない世界というのが理想だとして、まあおれはそれを理想としない立場だけれども、仮にそれを理想だとして、反戦を唱えることにはどれほどの有効性があるのか。例えば世界連邦的な平和を望むがゆえに核武装を唱えるという立場もありうるんだよ。どっちが最終的な理想に対して有効なのかってことで測られるべきだと思う。

外山 理想がどっちなのかってこともあるよ。つまり核兵器のない世界を理想とするか、核兵器があるかないかはともかく核戦争は起きない世界を理想とするか。

藤村 いや、核兵器のない世界を理想とするがゆえに核兵器を持つという立場がありうるという話。

外山 まずは、という選択肢としてね。

藤村 うん。で、どっちが有効なのか。運動家としては、有効な側につくべきでしょう。

小野 ぼくはつかないね。

藤村 そこだよ。なんで小野君がそう云うのかってところをもうちょっと展開してほしい。

小野 例えばある国とある国とが核兵器を持ってて、その抑止効果で平和が訪れるとするじゃん。そんなものに比べたら、どっかの核が使われて地球が滅びる方がいいね。

京都 どうしてですか?

小野 分からん(笑)。まあ欺瞞だからだね。

外山 欺瞞的な平和よりも真実の滅亡を、と(笑)。

小野 核兵器を作るためには相当な労働力と知識と財力とか必要で、さらにそれを維持・管理するためにも。そんなことのために人間が膨大なエネルギーを注いだ結果としてもたらされるような平和なんてものは、なくてもいいね。

群馬 反戦運動に注いだエネルギーと核開発するエネルギーと、どっちが良い悪いってのはないんじゃないですか?

小野 核開発するのも運動って云えば運動だけど……。

外山 そこまで云っちゃうんなら別にもう核武装でいいじゃん(笑)。

小野 世の中に存在するエネルギーとか人々の知恵というものをどう組織化するかってことで、それを場合によっては世界全体だって撲滅できるような武器を作るために注ぐこと自体がナンセンスだ。しかもそのナンセンスとナンセンスが均衡して平和が実現するなんてことはおれにとってはどうでもいい。

外山 欺瞞的な平和よりも……と。

小野 地球が滅びた方がいいかもしらんね。

藤村 それは何ら自分の利益にもならないのに竹島は日本の領土だと云っている憂国の志士たちと同じ心情じゃないの?

小野 どういうこと?

藤村 おれは別に小野君をバカにして云ってるわけじゃなくて……。

外山 ホメて云ってる(笑)。

藤村 うん(笑)、崇高な理念だ。

外山 こないだ石原慎太郎が云ってた、「いっそ北朝鮮が日本に打ち込んでくれないかなあ」ってのとあまり変わらない気も……。

小野 そうかも(笑)。

藤村 本当の右翼運動家はそう思ってるよ。

外山 たとえ国土が焦土と化そうとも、と(笑)。

小野 おれは「国土」とは思わないけれども、まあ近いのかもしれないね。分かんねえわ。しかしこういう議論はまあ面白いかもしれないけど……。

外山 ぼくら官僚じゃないんだし、と? 政策決定できる立場にあるわけでもないのにこんな議論しても……。

小野 それもあるし……。

藤村 官僚じゃないけど運動家なんだし。

外山 そこは発想の違いがあると思うよ。ぼくは政権を取ると決めたアナキストだから、政権を取った場合にどうするかということを当然考えなきゃいけない。

小野 それはアナキストじゃないよ。

外山 だから今はもうアナキストじゃなくてファシストなんだよ。

小野 アナキストがこじれて、政権を取ろうと思ったらファシストになる、と。

外山 そうそう。

京都 なるほど。疑問が解消されました。

小野 解消されるな(笑)。

外山 まあぼくのファシズム解釈ってそういうことだからね。アナキストが「もうガマンならん。このままじゃやられっぱなしだ。むしろ政権の側に回る」というのがファシスト。

京都 外山先生からすれば、世界から核兵器がなくなって平和になるのと、核の均衡で平和が実現されるのとは等価であるってことですか?

外山 うーん……別に平和を求めてないからなあ(笑)。

藤村 しかし核戦争はない方がいいでしょう。

外山 なけりゃないにこしたことはないけど。

藤村 核戦争がなければ「核撤廃で平和」も「核均衡で平和」も同じだけど、ただ「核均衡で平和」ってのは核戦争がある可能性を潜在的に残すから、核のない平和の方がいい。しかし核のない平和というのは、通常兵器での戦争がより起きやすくなるんで、核があった方が戦争は少なくなる。

外山 ぼくはむしろ、核兵器がイヤなのは戦争ができなくなるからなんだよ。核兵器があるがゆえに戦争ができなくなってしまった。

藤村 おれは穏健な人間なんで、戦争はない方がいい。だから核兵器があった方がいい(笑)。

外山 50年に1回ぐらいは戦争があった方がいいでしょう。

藤村 うん、たしかにそうかもしれない。

京都 経済効果としてですか?

外山 いや、気概の問題として(笑)。

藤村 戦争じゃなくても、革命でもいいんだけどね。

小野 こういうのがまさに、言論の自由に惑溺してるってやつだな。

京都 ワクデキ?

小野 惑って溺れてるんだよ(笑)。戦争が起きた方がいいとか云うけど、戦争なんかとっくに起きてるわけでしょ。

外山 起きてますよ。いや、今ぼくが期待してるのはそういうことですよ。内戦には核兵器は使えないんだから。つまり戦争は可能だということです。

京都 戦争がある社会の方が健全だということですか?

外山 というよりも戦争は今もう起きてるって認識にぼくは立ってるから。内戦が起きてる。

京都 現実問題として、と。

外山 それもあるし、それとは別次元の問題としても、時々そういう、シモジモの者まで含めてね(笑)、どういう生き方をすべきなんだろうかってことを命がけで考えなければならないような状況が時々訪れる、一生に1、2回は訪れる方がいいと思う。

京都 50年に1回ぐらい(笑)。どうしてそれがいいことなんですか?

外山 みんなもっとマジメに生きるようになるから。明日には死ぬかもしれないって状況に、一生に1、2回は置かれることによって、その社会に生きてる人の覚悟なり美意識なりってものが変わってくると思う。

京都 ぼくは何度か死にかけたことがあって、いじめで線路に突き落とされたこともあるし……。

外山 逆に何でそういう、同級生を線路に突き落とすなんてことができるかといえば、生き死にってことをマジメに考えたことがないからですよ。むしろ戦争のような、自分が明日には死ぬかもしれない、生きるってどういうことだとか考えなきゃいけない社会であれば、そうそうメチャクチャないじめも起きませんよ。

小野 そんな人間は戦争も起こしませんよ。戦争なんてのは、自分はまったく傷つかない位置にいる人間が起こすんだから。ブッシュが戦争に行って死ぬ危険があるか、あるいはブッシュの息子が。そんなものないんだから。

外山 フセインは死んだじゃないか。

小野 フセインはね。

藤村 フセイン、偉い。

京都 ぼくは逆に、自分の命というものを希薄に感じるようになってしまったんですよ。

藤村 それはいじめとかに遭ってから?

京都 それもあるし、それ以外にも病気で死にかけてるし。

外山 そういう時にはむしろ「生きたい」って思わないの?

京都 ぼくは結構死にかけてるんですけど……。

外山 死にかけたことがないからなあ。殺されてもおかしくない状況にはよくいたような気はするけれども(笑)。

藤村 そうだね(笑)。

京都 投獄された体験とかはどうなんですか?

外山 投獄体験はぼくにとっては死んだ体験ですよ。

京都 社会的な死、ということですか?

外山 生きてるってことは社会と関係があるってことだからね。それを強制的に閉ざされるってことですから。

藤村 外山君の90年代の、左翼を名乗りながら左翼と闘い続けるっていうのは、涙が出てくるぐらい辛い体験だっただろうなという気はするけど。それはおれが左翼じゃないから、勝手に左翼の世界というものを想像して……。

外山 きっと恐ろしい世界に違いない、と(笑)。

藤村 だから小野君のことは尊敬してる。だってここに来てるから。立場的にきわどい行為でしょう。

  後半へつづく