まず呼びかけを。
このサイトをチェックしている諸君。
今月20日から27日まで、鹿児島に来ないか?
宿泊は雑魚寝でいいなら心配無用。
たいへん刺激的な日々を経験することができるだろう。
志願者はメールで連絡を。
本題の前にもうひとつ。
昨日、まあアレというかソレというかの関係でいろいろネットで検索していたら、ちょっと驚いた。
自民党の鹿児島県議に、どうも加治木高校時代の同級生がいる。
当時とくに仲がいいでもなく悪いでもなく、だからとくにいい印象も悪い印象もないが、名前と顔から、たぶん間違いない。
へーっ! という以上の感想もないのだが……。
今回はちょっと思うところあって、短歌の話の続きはまたまた次回ということにして、「私の偉大な足跡」について自慢しておく。
現時点での私は、ほぼ知名度ナシに等しいマイナーな存在に甘んじているが、歴史に残る業績が大量にある。
まず音楽に関する業績。
・80年代末から現在に至る、九州のストリート・ミュージシャンの系譜において、私はその創始者である
これはプラスの業績かマイナスの業績かは微妙だが、日本の音楽シーンにおいて、80年代末に、当時の反原発や反管理教育の運動と連動する形で全国的にほぼ同時発生した「ストリート・ミュージシャン」(という名称は当時まだ一般的でなかったが)の文化運動の一翼を私も担ったことは間違いない。
・92年に作詞・作曲した「13番目の男」
これははっきり言って名曲である。愛読している『ゴルゴ13』の主題歌を勝手に作る、というコンセプトだが、いずれ発掘され、日本ロック史に名をとどめる一曲となるだろう。
以上2つは、まあそれほど突出しているわけでもない「フツーの業績」である。
私の名がロック史に(いずれ)燦然と輝くのは、以下2つの業績においてである。
・93年8月の「ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争」
・05年7月に発表した論文「アナーキー・イン・ザ・U.K.の秘密」
前衛芸術に関する業績。
・97年発表の相田みつをパロディ作品「ぺりかんだもの」
これはフツーに作品としてすごい。現代美術史に残る傑作だ。
・99年4月の「投票率ダウン・キャンペーン」
これもすごい。パフォーマンス作品としてはやはり歴史に残る。
・2001年の「マイ・マジェスティ」闘争
芸術で投獄(しかも実刑)というのは、少なくとも日本国憲法下では私以外にいないはずだ。
この3つの業績だけで私はすでに、寺山修司、赤瀬川原平と並ぶ(いや超える)、日本前衛芸術界の巨人である。
さらに今月やる例のアレも、私の前衛芸術ジャンルにおける4つ目の巨大な業績となる。
その他、92年の「女募集ビラ」など、フツーの「前衛芸術家」どもが一生に一度やれるかどうかの傑作は、私にはまさに「その他の業績」のレベルでいくつも存在する。
文学における業績。
私の過去の著作はどれもすべて名作であることは云うまでもない。
『ぼくの高校退学宣言』は青春文学の傑作だし、『さよなら、ブルーハーツ』は日記文学の傑作だ。前者はともかく、後者は少なくとも現代文学史には(細字で)書き込まれてもよい出来だ。
しかしなんといっても私の文学史における最大の業績はこれだ。
・2002年~04年にかけての獄中連作短歌「百回休み」
これは現代文学などという狭いジャンルにとどまらない、日本文学史に残る傑作だ。
革命運動における業績。
・80年代末~91年の反管理教育運動
これは私一人の業績ではない。多くの同志たちと共になしとげたことで、業績を独り占めするつもりはない。しかし特に「全国高校生会議」や「(後期)DPクラブ」という、私もその中心で働いた二つの運動は、全共闘世代の「ポスト全共闘」的な試みがほぼすべて戦後民主主義に先祖がえりして腐敗した状況下で、本来の全共闘路線を復活させた稀有な例として革命運動史に名を残す(ことになる)。その過程でそれなりに重要な役割を果たしたことは、やはり私の左翼時代の最大の業績だろう。
・1999年~2004年の「マイ・マジェスティ事件」
これは「日本国憲法下最大の思想弾圧事件」として将来の歴史教科書にすでに太字で記されることが決まったも同然の業績である。
・2004年「我々団」の創設
21世紀型ファシズム運動の創始者として、すでに私は世界史にも名を残すことが確実となっている。私が生きているうちに政権樹立に成功すれば太字だし、私の後継者がそれを成し遂げた場合には細字だろう。
ざっとそんなわけであるから、歴史研究者は怠けてないでちゃんとフォローするように。
末尾連載 連作獄中短歌「百回休み」8
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