そうそう書くこともないし、しばらくは短歌バナシでもやるか。
あんまり書くつもりなかった獄中生活ネタになっちゃうけど。
もちろんもともと私にはそのような「趣味」はなかった。
獄中では自費で雑誌を講読できるのだが、私はとりあえず『週刊SPA!』を毎週入れていた。とにかく外の情報に飢えるので、ふだんは読まないところも含めて、ほぼ隅々まで熟読していた。
そんなある日、たぶん書評欄だと思うが、最近、若い世代の間で短歌がブームのようになっているという話を読んだ。
紹介されていたのは、佐藤真由美『プライベート』と川上史津子『恋する肉体』という、二人の20代女流歌人の歌集で、実際の作品も文中いくつか引用されていた。私はそれらをノートに書き写している。
「マスカラがくずれぬように泣いている 女を二十五年もやれば」
「大好きな「よしぎゅう」だけど ここに来た男と恋はしない主義なの」
「今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて」
「この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね」
「百錠は飲み過ぎだった 痛いのを我慢できないあなたにしても」
「屋上で自殺防止のベルが鳴る校舎で四年間我慢した」
いずれも佐藤真由美の歌である。正直、川上史津子の歌にはあまり感心しなかった(「“この男性はどんな抱き方するのだろ?”それが初めでそれが全てで」などが紹介されていた)。
メモによれば、私がこの紹介記事を読んだのは02年9月下旬、つまり逮捕から4ヶ月目頃のことである。
面白くて、そのたった数首の短歌をその後しばらく何度も何度も読み返した。
なにしろ短歌は短い。同じ歌をくりかえし読んでいれば、いやでも自然に覚えてしまう。懲役の単純作業の最中、気がつくと頭の中で暗誦してたりする。しまいには頭の中が次第に七五調になってきて、考え事をしているとそのエッセンスまで七五調のフレーズに化ける。
さらに、獄中では『人』などというタイトルからしてつまらないこと確実な、いかにもお役所仕事で作られた受刑者用の新聞みたいなものが月に一回回覧される。そこに短歌のコーナーがあって、全国の受刑者たちが獄中生活などを題材に投稿した作品が毎号10首くらい掲載されている。
こんなのだ。
「面会の父は目を閉づ 膝に置く息子の指の足らざるを見て」
「二人もの命奪ひしこの吾に病ひを医者に言ふ資格なし」
「この中で誰が早く出るやろとそれぞれ言うが皆は無期囚」
「鬼いれば仏もいるがこの獄に今の吾には鬼が必要」
「感情を抑え堪えて破顔する獄で覚えた獄の生き方」
「妻の文 独房の灯に透かし見る 書かれぬ心読み取らんとして」
「父の背を見し子は育つはずなれど何故ゆえ我は道を外れし」
つまらん、と思った。
いやそれはシャバの人が興味本位で覗き見るぶんには面白いのかもしれないが、ほぼ無実の罪で投獄されている私にしてみれば、こんな「反省の強要」ばかり読まされては気が滅入る一方である。
ただし一つだけ「これはすごい」と唸らされた名歌があって、ちゃんとメモったはずなのだが今見当たらない。うろ覚えだが、たしかこんな歌だ。
「この指にて人を殺めしを語らずに逮捕前夜は妻を抱きぬ」
もうちょっと細部は推敲されてたと思う。
ともかくこうしたごくごく稀な例外もあるが、99%は「いかにも」な獄中歌のオンパレードに辟易して、いっそ自分で作ってやろうという気になってきた。
もうすこし別の動機もある。
私は、せっかくの貴重な体験をちゃんと形にしておこうと、それまで何度も「獄中期」めいた文章を書きかけたのだが、いつも中途半端なところで挫折していた。どうやらもはやワープロの便利な機能に頼らずには、文章の書けない思考スタイルになってしまっていることを思い知ったのだ。
短歌なら、やれるかもしれないと思った。
獄中にある間にしか書けないことはたくさんある。それをリアルタイムで書き残しておきたい。どうやら文章は無理っぽい。しかし「五・七・五・七・七」という型・条件にムリヤリ自分を押し込むことで、何か書けるかもしれない。
そんなこんなで、始めた。
最初の歌は、11月上旬の作となっている。佐藤真由美の歌に感心してから1ヶ月あまり経っている。
「恋愛運・金運ともに絶好調 シャバに暮らしていればの話」
うーん、つまらない。作った時には、面白いものができたと一瞬錯覚したが、いかにも素人くさい。じっさい素人なんだが。
しかし、一首できてみると、後はもう堰を切ったように次から次へとでき始める。
その日のうちにさらに5首詠んでいて、それらはそこそこ出来がいい(後日「末尾連載」にて発表)。
私は、それらが短歌としてどうなのかはよく分からなかったが、とりあえずエンタテインメントとして成立しているかどうかの判断くらいはつく。しかも歴戦の革命家としてたくさんのビラを制作してきた身である。ビラはやはり見出し、スローガンが命だ。あ、と思わせるような短いフレーズをひねり出すことに関しては、私は専門家なのだ。
以後、調子づいてぽこぽこと大量生産に入ったのだが、どうも気になることがある。
とりあえず私は、佐藤真由美の数首の短歌にインスパイアされて、作歌活動に入ったのである。それ以外の短歌は、それこそ教科書で昔読んでなんとなく覚えてしまっている「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」とか「花の色は……」くらいしか知らない。あとは、短歌に分類されるのかどうかよく分からない、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」(例の藤原道長の天狗エピソード)とか、たぶん短歌じゃないのだろう「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」とか……。
短歌の世界をまったく知らず、たまたま知った一人の若手歌人のわずか数首を参考にしているだけなのだ。万が一、全体的に佐藤真由美の作風とかぶっていたら恥ずかしい。
そう思って、弁護士経由でシャバの知人に頼んで、件の歌集『プライベート』を差し入れてもらった。
ああやっぱりぜんぜん似てないや、と安心したのもつかのま、今度は、どうやら佐藤真由美の「師匠」はかの桝野浩一だと知って、そっちに似てるともっと恥ずかしいという心配に駆られる。
佐藤は異性だし、性別が違えば感性も違ってくるからもともとそんなに深刻に心配はしていなかったが、桝野は同性である。しかも彼は私と同じく、かつて『SPA!』の「中森文化新聞」で強力にプッシュされて、(私とは違って)そのままメジャーになった人である。これは似てると本当に恥ずかしい。
慌てて桝野浩一の歌集も入手した。(次回へ続く)
末尾連載 連作獄中短歌「百回休み」6
※脱衣所にひしめき合えば入れ墨の侠(おとこ)の中に左翼が一人