一〇代崇神天皇の時、皇室はついに〈倭国=日本国〉の主人となった。皇室=大和朝廷の考え方は一風変わっていた。前代の王朝の非を鳴らして自らの正当性を主張するのではなく、自分の氏以外の〈倭王=日本国王〉など、これまでに存在しはしなかった、という考え方を展開し始めた。即ち、一方では前代の王家邪馬台国の情報を後に伝えることを禁止し、また一方では、倭王ではなかった九代開化天皇までの事績を廃棄し、これらの伝承も許さなかった。(略)
皇室・朝廷にとって大事なことは、〈倭国=日本国〉は、これまで唯一皇室が統治してきたし、今後も唯一皇室が統治し続ける、という考え方を疑問の余地のないものとして普及徹底させる、ということであった。即ち“万世一系の天皇観”であるが、これが確かでさえあれば、個々の天皇が君子であろうが暴君であろうが、長い歴史の中ではどう伝えられても良いこと、と考えられた。従って、この万世一系の天皇観の下、記紀は天皇が実際に暴君であった場合、少しも隠すことなく、あからさまに描いている。
(略)書紀の編著者たちは、皇室にとり不都合な話であっても少しも隠そうとしていない(外交関係はそうでもないが)。「史料のいう所を素直にとり入れようとし」ており、この態度は「できるだけ広く史料をとり」、「諸説の共存(多くの一書の採用)を認める」ところにまで至っている。書紀がこのような客観的な態度をとれたのは、逆説的な話だが、なんと“万世一系の天皇観”=皇国史観のおかげなのである。