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京極夏彦『鉄鼠の檻』(講談社文庫)

 「つまり芸術なんてものは何でもええ訳ですわい。綺麗だと思えば埖(ごみ)でも綺麗だし、素晴らしいと思えば屎尿(しにょう)でも素晴らしい。絶対美だの、絶対芸術だのなんてものはないのですな。主観の問題でしかない。だからと云って誰にも理解されんものを作りよる人は、矢張り芸術家とは呼ばれますまいな。それは当然だ。しかし、ひとり二人しか褒めんようなうちは、こりゃまだ芸術とは呼ばれん。じゃあ大勢が良いと思うもんが芸術なのかちゅうと、そりゃそれでいいが、他人に好まれるものばかりを多く作る者が芸術家と云われりゃこりゃ少しばかり変ですわなあ――」
 今川の返答を待たずに老師は続けた。
 「芸術と云うのは、こりゃ社会だの、常識だの、そう云う背景があって、それと如何に折り合いをつけるかと云う問題でしてな。社会対個人みたいな図式がないと芸術にはなり難いようですわい。こりゃいずれにしろ愚僧達には無関係でな。禅匠は美しく造ろうと思ってなどおらん。芸術やろうとも思っていない。禅匠の造るものは説明でも象徴でもない、勿論理屈は要らん。絶対的な主観ですな。世界をぽんと鷲掴みにしてどんと出すだけでな。他人がそれを美しいと感じることがあったとしても、造った禅匠には無関係だ。世間様がそれを芸術と呼ぼうが美術と呼ぼうが知ったことじゃあないのですわい」
 「ははあ――」
 今川はだらしなく口許を緩ませて、丸い目を見開いている。まるで自我崩壊したような表情であるが多分今、彼は猛烈に考えている。
 「喝!」
 「は」
 老師が一喝した。今川は――まるで夢から覚めたように戻って来た。
 「考えることはありませんぞ。解ろうとしてもいかん。あんたもう解っている。言葉にしようとすると、逃げて行きますぞ」

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2005年10月10日 17:37に投稿されたエントリーのページです。

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