メイン

ストリート・ミュージシャン容認要求闘争 アーカイブ

2005年12月13日

ストリート・ミュージシャンvs警察

 思うところあって、今後このブログ、週1ペースで毎回400字詰原稿用紙10枚相当の文章をアップしていくのを基本にする。

          ※          ※          ※

 選挙も落ちたし、ライター収入は相変わらずゼロ状態だし、まだしばらくはストリート・ミュージシャンで生計を立てていく他ない。
 が、ここに来て困った事態が生じている。
 警察の取り締まりがやたら厳しくなっているのである。
 そもそもストリート・ミュージシャンの多く(たぶんほとんど全員)は、繁華街の路上で「営業」するのにいちいち道路使用許可など申請していない。ストリート・ミュージシャンだけではない。占いやアクセサリー売りなど他の路上「業者」もたいていそうである。
 だから、道路無許可使用つまり道交法違反だと云われればまったくそのとおりなのだが、法律に対するどんな些細な違反も許さないとなれば社会は成り立たない。10㎞程度のスピード違反などいちいち摘発しない。道路無許可使用についても、厳密に適用すれば、道路にはみ出している店の看板もみな撤去させなければならなくなる。
 法律の運用を厳格にするか寛容にするかは、要は当局の裁量の問題で、些細な違法行為はむしろ許容されるのが普通だ。私はもちろん、繁華街の路上で歌うくらい、許容すべき些細な違法行為にすぎないと考えている。
 何も閑静な住宅街でやらせろと云っているわけではない。現在の私の「職場」は、鹿児島市天文館・文化通りという、県下随一の歓楽街である。福岡で云えば中洲、東京で云えば新宿歌舞伎町のような一角なのである。もちろん中洲や歌舞伎町に比べれば規模は小さいが、それでも50万都市の中心部なのだから、そもそも夜中まで各種の「騒音」(酔客が騒ぐ声、風俗店の呼び込み、居酒屋やゲームセンターが街路へ向けて大音量で流している有線放送の音楽、などなど)で満ちている。
 私はマイクとエレアコをアンプにつないで演奏しているが、音量はかなり絞ってあり、正面に立てばともかく(正面はスナックなどが入った雑居ビルの壁である)、横方向にはせいぜい10m程度しか音は届かない。

 私が初めてこの文化通りで「営業」を始めたのは、10年前の95年春のことである。
 当時、隣の一角であるアーケード街にはすでに多くのストリート・ミュージシャンが出ていたが、文化通りにはまだ一人もいなかった。私が福岡で、若者の飲み屋街である天神・親不孝通りから、大人の飲み屋街、というよりも風俗街であり、ヤクザも大勢いるに違いない中洲へと「職場」を移すことに躊躇したように、鹿児島のストリート・ミュージシャンたちも、おそらくアーケードから文化通りへ進出することには躊躇があったのだ。
 実際に福岡の中洲でやってみると、拍子抜けするくらい何事もなく、私は鹿児島に来ると迷わず文化通りで「営業」を開始した。
 南国だからか平日でも酔客がやたらと多く、福岡でやるよりもずっと儲けが大きいので、その後も頻繁に鹿児島に「出稼ぎ」した。
 文化通りでやっても平気だ、ということが判明すると、それまでアーケードでやっていた地元の同業者たちも次々と後に続いた。
 2年くらい経った頃か、文化通りもすでにストリート・ミュージシャンでいっぱいになり、場所の確保にも苦労し始めた時期に、突然、通りのあちこちに「ギター演奏禁止」の掲示が出た。
 当時の私が主にやっていたのはこの歓楽街のメインの十字路にある寿司屋の壁の前だが、そこにも貼られた。が、寿司屋の店主が私の活動を不快がってるふうもなく、むしろ私に対して好意的だった。掲示は個々の店が主体的にやっているのではなく、警察などの主導でやらされている疑いが濃厚だった。
 それでも掲示が目立ち始めた当初は、警察はほとんど何も云ってこなかった。私は相変わらず同じ、つまり「演奏禁止」の掲示の真ん前で「営業」を続けていたのだが。警察の介入が皆無だったわけではない。数ケ月に一度くらい中止させられることもあった。
 当時まだ私はアンプを使ってなかったが、実は私たち今ふうの(?)ストリート・ミュージシャンが進出する前から、文化通りの路上で演奏している「先輩」が一人だけいた。60代くらいの、昔ふうの(田端義男みたいな)演歌師である。ほぼ毎日出没し、当時すでにアンプを使っており、その音量は現在の私のものより格段に大きかった。それでも警察は彼の活動をもう何年も黙認していたのだ。
 私のアンプ導入は2000年初頭で、もちろん当時の私の活動拠点は福岡だったが、時折アンプ持参で鹿児島への「出稼ぎ」を続けていた。そして、とくに問題はなかった。
 例の投獄以前、最後に鹿児島に「出稼ぎ」に来たのは、たしか2002年の春先だと思うが、その時点ですでに「おや」と違和感を持ったような気がする。通りかかった警官が、単に事務的に「警告」を発するにとどまらず、実際に演奏を中止して片付けを始めるまで立ち去ってくれないのだ。それでも従順な態度でいれば片付けの途中で警官はいなくなり、10分後には同じ場所で「営業」を再開できた。
 そして最近。
 鹿児島でのストリート・ミュージシャン活動の本格的な再開は、今年2005年8月頃からだが、状況は一段と厳しくなっていた。
 もうメインの十字路ではやれない。数名の制服警官が毎晩のようにやってきて警告を発し、私が片付け終わってもまだいる。彼らは十字路の四隅に15分ほど立ち続ける。取締り対象のメインはストリート・ミュージシャンではなく風俗店(ぼったくりバー)の客引きらしい。他の歓楽街と同様、鹿児島の文化通りにもそのテの客引きは大量にいる。
 警官が現れると客引きの姿は消える。彼らにはそのための見張りがいるから、警官が十字路に着く頃には客引きは一人もいない。警官がいなくなると、またゾロゾロ出てくる。
 客引きは小さなチラシの束を持っているだけだから、警官がくればすぐどこかへ避難することができ、警官がいなくなればすぐ「仕事」を再開することができるが、大量の機材を片付けるのにも、組み立て直すのにも時間がかかる私はそういうわけにいかない。
 警官が15分「辻立ち」を続けると、私は30分近く商売アガッタリである。
 仕方がないので場所を変えた。メインの通りから少し路地を入ったところである。
 しばらくはそこで「営業」できた。警察が来ないわけではない。が、制服警官が複数でパトロール中に発見した以上、注意しないわけにもいかない、といった様子だった。一応、片付けるフリをすると、3年前のように途中で警官はいなくなる。同じ警官が一晩のうちに2度通りかかっても、お互い苦笑いでやり過ごせた。ただし私は念のため、一晩のうちに2度目の警告を受けた時点で店じまいすることにしていた。それでも予定より早く撤収するハメになるのは週1程度だった。
 10月頃から警察の態度は極端に硬化した。
 曜日と時間帯はまちまちだが、警官たちは週に3回は現れて、メインの十字路で「辻立ち」をやる。夏のうちは10分15分のことだったが、最近はもう30分とか1時間とか続ける。その行き帰りに私の「職場」を通りかかると必ず警告し、もはや途中で立ち去ってはくれない。全部片付けて、むしろ私の方がその場を立ち去るまで、警官は立ち去らない。
 それでも私は同じ場所に舞い戻り「営業」を再開するが、30分近くがムダになる。
 そして11月上旬。
 ついに交番へ連行。一応原則的に「任意か強制か」を尋ねたら、「任意だ」というので「じゃあ行きません」と応じると、「じゃあ逮捕する」。任意でもなんでもない。
 逮捕されて問題提起することも考えたが、選挙の直前で、万が一拘束が長引くと困ると思い、「任意」で同行した。
 交番で、「始末書」にサインしろと迫られた。「何月何日何時頃、私が道路を不正に使用していたことは間違いありません。注意を受けて納得したので、今後はもうしません」みたいな書式が始めから用意されている。
 これに応じると万事休すなので、粘った。「陳述書」を自分で書こうと提案した。「何月何日何時頃、私がどこそこで路上演奏行為をおこなっていたことは間違いありません。しかし私はこれを正当な表現活動だと認識しています」といった内容だ。警官たちは渋ったが、1時間ほど押し問答して納得させた。
 当然、私はその後も(選挙直前と本番の2週間くらいを除いて)現在に至るまでほぼ毎日、路上での「営業」を続けている。
 しかしいよいよ厳しさは極限化している。
 先日また交番に連行されそうになった。たまたま通りかかった知人が、「一市民」としてその場で延々猛抗議したので、「とりあえず今夜はやめる」ことで放免となった。
 もはやいつ逮捕に踏み切られてもおかしくない状況だ。

 先週から「職場」に署名用紙を置いている。ストリート・ミュージシャンの活動を容認せよと所轄の警察署に要求する内容だ。当初は強硬な警察への牽制の意味が大きく、立ち止まる客に積極的に署名を求めることはしなかったが、やはりそれではどうも効かない。
 本格的に運動化するしかない。
 私はもう15年以上、これで食っているのである。生活がかかっている。「生活を守る闘い」なんてフツーの市民運動みたいで性に合わないのだが、背に腹は代えられない。
 それにこの問題は、路上での管理や警察活動の拡大に反撃するという、最近の私のメインテーマとも直接にリンクする。
 鹿児島の警察にストリート・ミュージシャンを容認させる、という単純明快なこの運動に協力を表明する人もすでに何人か現れた。
 今後の推移にぜひ注目を!

   末尾連載 連作獄中短歌「百回休み」15
 官本の共産主義の悪口にスターリニストの検閲の跡

2005年12月20日

署名運動開始

 前回に引き続き、路上での警察との攻防について書く。
 私にとって「街頭ライブ」つまりストリート・ミュージシャンの活動は、少なくともこの10年、完全に「仕事」と化しており、三六五日、二四時間を革命のために使いたい私としては、ただ食っていくための、まったく不本意な時間の浪費だった。
 が、警察が弾圧姿勢を強めてくれたおかげで(?)、このところ実に「やりがい」がある。
 福岡では「生活費」と大書し、鹿児島に移って以降は「500円ぐらいくれ」と大書した紙をギターケースに貼っていたが、現在では、「道交法違反で逮捕!? 警察のストリート・ミュージシャン弾圧をやめさせる 運動資金」と書き換えた。
 そして、私の「職場」である鹿児島市天文館の管轄である鹿児島中央警察署に宛てた、ストリート・ミュージシャンの容認を求める署名用紙と、「警察はストリート・ミュージシャン弾圧をやめろ!」と題したビラを置いている。
 そのビラの文面。

     ※     ※     ※

 ここ数ケ月、警察のストリート・ミュージシャンに対する弾圧が、深刻なものとなっています。
 私、外山恒一は16年前に福岡市でストリート・ミュージシャン活動を始め、10年前からは時折ここ鹿児島・天文館文化通りでも活動を続けてきました。
 福岡では、警察がストリート・ミュージシャンを取り締まる動きなどほとんどありませんでしたし、鹿児島でも、当初はそのようなことはなかったのですが、7、8年前からあちこちに「ギター演奏等禁止」の掲示が目立ちはじめ、4、5年前からは実際に警察がパトロール中にストリート・ミュージシャンを発見すると演奏を中止させはじめました。
 それでもこれまではそういう「警告」は多分に事務的なもので、警察に見つかった時だけ演奏を中止する従順な素振りさえ示しておけば、それ以上のオトガメはナシだったのが、ここ数ケ月の間に、状況は急変しています。
 私はすでに11月上旬、ストリート・ミュージシャン活動の「常習者」として交番に強制的に連行されました(「任意同行」と云いながら、「じゃあ行かない」と応じると、「じゃあ逮捕する」と云われました。どこが「任意」なのか)。交番では、「始末書を書け」「書かない」という押し問答を1時間ほどやった末に、警察が根負けして私は放免されました。
 そして12月中旬、またもや交番に連行されそうになりましたが、その場にたまたま通りかかった数名の市民の粘り強い抗議によって、2度目の連行は危うく免れることができました。
 しかしもはや、いつ「逮捕」されてもおかしくない状況です。

 ストリート・ミュージシャンの活動は、厳密に云えば確かに道路交通法違反(公道の無許可使用)です。しかし、そんなにメクジラを立てて強権的に弾圧しなければならないほど重大な「犯罪」でしょうか?
 私たちストリート・ミュージシャンは、往来を妨害しないよう気を遣っていますし、「騒音」といっても別に閑静な住宅街で活動しているわけではなく、まがりなりにも「県下随一の繁華街」のど真ん中でのことです。
 私は、ストリート・ミュージシャンは一つの文化運動として社会に貢献しているとも考えています。これまで全国各地の路上から数え切れないくらいのミュージシャンがデビューし、成功した例も少なくありませんし、また、そこまで行かなくとも、路上でストリート・ミュージシャン同士や、たまたま通りかかった通行人とストリート・ミュージシャンとが意気投合して、さまざまの文化的試みがおこなわれた例を、私は当事者としてたくさん知っています。
 ストリート・ミュージシャンと同様「厳密には違法」である、多くの店が店先の公道上に出している看板類を警察がいちいち取り締まらないのは、取り締まることによって生じる地域社会の経済的なマイナスの方が大きいからでしょう。
 ストリート・ミュージシャンだって同じです。些細な「違法性」にメクジラを立てて取り締まれば、地域社会にとって文化的にマイナスの結果を生じるのではないでしょうか。
 たかがストリート・ミュージシャンの存在さえ認めない不寛容さは、とくに文化的刺激に飢えた若い世代を今以上に県外へと流出させかねません。実際、九州各地から若者が流入してくる福岡などでは、ストリート・ミュージシャンを警察が取り締まったりしていません。ストリート・ミュージシャンだけでなく、絵やアクセサリーや、詩集や自作のTシャツなどを路上で(もちろん無許可で)売る若者も、福岡にはたくさんいます。ジャンルに当てはまらないような変わった大道芸人も時々現れます。しかし鹿児島では、試しに私が夜の天文館アーケードで自作のTシャツ販売をやってみたところ、案の定、警察に中止させられました。
 繰り返しになりますが、このような不寛容な体質の街からは、若い人や、自分の才能を世に問うてみたい人など、本来は地域の活性化に必要な人をどんどん他地域へ流出させてしまうのです。
 警察は、ストリート・ミュージシャンの存在を容認すべきです。

 私の主張に賛同いただける方は、さまざまの方法で、警察にストリート・ミュージシャンの存在を認めさせるための活動にご協力ください。
 以下、具体例。
 ・今回の活動のメインである、署名活動に応じる
 ・活動資金の提供
 ・天文館地区の所轄である鹿児島中央警察署への電話・手紙・ファックス・メールなどによる「ストリート・ミュージシャンの存在を認めよ」という要請
 ・新聞等への投書
 ・警察がストリート・ミュージシャンを取り締まっている現場に出くわした時に、時間の許すかぎりその場にとどまって抗議する
 ・万が一、私や、他のストリート・ミュージシャンが逮捕された場合に、即時釈放を求めて留置先に押しかける
 その他、何かアイデアがあればどんどんやってください。
 また、この活動を運営する側として、活動方針を話し合うミーティングなどに積極的に参加してくださる方も随時募集しています。

 外山恒一(ストリート・ミュージシャン)

     ※     ※     ※

 この私が「署名運動」だなんて、以前から私の作風をご存じの方は拍子抜けされるかもしれない。しかし私はすでに選挙にも出ている。獄中でファシズムに転向したと同時に、私は合法路線にも転向しているのだ。もっともストリート・ミュージシャンの活動は微妙に「非合法」なのかもしれないが。
 街頭で歌っている時にはやはりどうしても「仕事優先」になってしまうので、積極的に署名を呼びかけたりはしていないのだが、とりあえず目立つように置いているだけで、毎日数名が自発的に応じてくれている。
 また、4月にやる野外演劇の演出家でもある、行きつけの飲み屋のマスターが、この運動に全面的に協力してくれて、そこの常連客を中心に、路上とは別ルートでも署名は集まっている。
 もちろん以前からの知り合いである鹿児島市議の野口どんもいるし、またちょっと前に通りかかって「青春時代」だの「『いちご白書』をもう一度」だのリクエストして何千円かと名刺を置いていったなぜか自民党の若い市議もいる。今日なんか、件の飲み屋の常連客が、なんと鹿児島から出ている自民党の某大物代議士とつながっているらしく、このことを「陳情」してみると云っていたらしい。
 結局のところ「ストリート・ミュージシャンくらい自由にやらせればいいじゃん」という単純明快な要求なので、賛同者は多いのだ。それこそ、「右も左も関係ない」。
 この運動を機に、これまであまり積極的には関係を作ろうとはしていなかった、地元のストリート・ミュージシャンたちとの交流も加速している。10年以上前に福岡でやったことの二番煎じではあるが、それぞれのオリジナル曲を持ちよって、オムニバスの音源を作り、路上でそれぞれが配布しよう、という活動も提起した。鹿児島のシーンが活性化すれば、一般の支持も拡大し、警察は弾圧しづらくなるだろうという計算もある。私の「オリジナル曲」は、ここ10年ほとんど増えていないのだが。
 もっとも、市議だの国会議員だのという前に、鹿児島なんだから、ひとつだけ即解決の反則技がなくもない。あの人が、公の場で「ストリート・ミュージシャンを規制するのは感心しないね」と一言云ってくれればいいのだ。左翼時代ならともかく、とうにファシズムに転向した現在の私としては、もはやかの人を思想的に否定する理由もない。ほんと、「鶴の一声」で警察もおとなしくなると思うんだけどなあ。なんとかしてくれないだろうか、長渕さん。

   末尾連載 連作獄中短歌「百回休み」16
 ※今朝読んだ三面記事にでかでかと報じられてた人と談笑

About ストリート・ミュージシャン容認要求闘争

ブログ「ファシズムへの誘惑・ブログ」のカテゴリ「ストリート・ミュージシャン容認要求闘争」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはアリババが四十人の盗賊です。

次のカテゴリはファシズムとは何か(必読!)です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。