獄中短歌「百回休み」108
政治犯として下獄してよく学び一般刑事犯として出る
最高傑作と自負している。テーマが深遠であるのみならず、ちゃんとギャグになっている。すごい。天才。
ギャグになっているというのは、例えば永山則夫とか金嬉老とか泉水博とかがそうであるように、普通は、まずは“一般刑事犯として下獄して”、獄中で“よく学”んだ結果、“出る”時にはいっぱしの“政治犯”っぽくなっていたりする、つまり「一般刑事犯として下獄してよく学び政治犯として出る」ものなのである(永山は死刑囚だから「出る」ことはなかったが)。そこが逆になっているわけだ。
そしてこの奇妙な自己認識の背景には、親鸞思想めいた“気づき”がある。知的あるいはイデオロギー的な訓練を積み重ねた末に、やがてまあ“ゴール”のような地点に到達することがある。それで満足してちゃダメで、今度はそこから引き返して、“俗世”に戻ってこなきゃいけない、というのが親鸞の云う“往相・還相”である。
入獄した時点ではいっぱしの政治犯気取りで、他の無智モーマイな一般刑事犯の連中とはオレは違うんだ、という意識でいたのが、獄中でさまざまな見聞や思索を経て、オレは何ら特別な存在ではないのだ、という認識に至ったところでちょうど満期出所となる。
その辛くキビシー“修行過程”を、「よく学び」などと、アッケラカンと呑気に表現しているところもいい。