獄中短歌「百回休み」082
社会派になるべき時にシニカルな笑いに逃げる映画監督
崔洋一のことを云っている。
かつて観た『マークスの山』は、高村薫の原作ではそんな話まったくカンケーないのに取ってつけたように“内ゲバ”なんてテーマを織り込んで、ただただ興醒めな“社会派”映画に仕上がっていた。
かと思うと、ちょうど私が獄中に囚われの身となった02年、花輪和一の『刑務所の中』を崔が映画化して話題になっていることは、獄中で購読してた雑誌の記事などからも知ることができ、そちらは日本の刑務所生活の実情を単にコミカルに描いているらしかった(出所後に観たが実際そうだった)。
実際に刑務所生活を体験した花輪が、それを淡々と、時にコミカルあるいは自嘲気味に、負の感情を抑えて描くことにはそれなりの必然性がある。しかし、まがりなりにも“社会派”映画監督である(つもりの)崔が、その野蛮さを各方面から糾弾されまくっている日本の監獄制度をテーマに選んでおいて、「受刑者は甘やかされている」という印象を与えかねないような(実際そのような反応をしか生まなかった)撮り方をするとは……。
つまり崔は、“社会派”にならなくていい時に“社会派”ぶり、“社会派”にならなくてはならない時には没政治的になってしまう、まあ典型的な日本的サブカル野郎、死ねばいいとしか云いようがない反革命分子と結論した次第である。
90年代末のTVドキュメンタリーでの「だめ連」へのインタビュアーぶりもヒドかったし、名作と云われている初期の『月はどっちに出ている』は観なきゃと思いつつ、『刑務所の中』も名作扱いされてるわけだし、どうせ……と思うと観る気が起きない。