獄中短歌「百回休み」056
犯罪者同盟/第二、第三の、そして無数の宅間守を!

 60年代初頭に(のち次第に著名な新左翼系批評家となっていく)早大生・平岡正明が、紀伊國屋書店かどこかで澁澤龍彦訳のマルキ・ド・サド『悪徳の栄え』を万引きするという、吉本隆明に褒められたんだか叱られたんだかのパフォーマンスをやった時に自称して注目された「犯罪者同盟」と、“68年革命”の世界的スローガンと化したチェ・ゲバラの名台詞「第二、第三の、そして無数のベトナムを!」を踏まえている。宅間守は云うまでもなく、01年に大阪の私立小学校に乱入して児童を大量殺傷し、04年にスピード処刑された人である。
 04年5月5日の満期釈放の数日後、親しい記者氏に“出所祝い”として何軒か飲みに連れて行ってもらった。うち1軒が、水俣病闘争の拠点として有名なバーで、存在は知っていたが、私が行ったのはその時が初めてである。
 カウンターで飲みながら、「そういえば獄中でこんなものを書いてました」と記者氏にこの“歌集”を見せた際に、オカミサンが「私にも見せて」と云うので見せたら、この一首が目に入るや激怒し始めて、「出て行ってくれ!」といきなり“出禁”になってしまった。
 私はサブカル野郎ではないので、べつに奇を衒ったり、コトサラに“云ってはいけないこと”を露悪的に云ってみたいとか、そういう動機でこんな歌を詠んだわけではない。宅間のやったことはもちろん最悪だし、日本政府がやる死刑だから反対なだけで私が独裁する良き社会であっても宅間のような人は死刑に処すしかあるまい。それはそれとして、私は実際、宅間の裁判闘争には深く感銘を受けていたのである。
 95年のオウム事件を機に“反テロ戦争”が勃発して以来もうお決まりのパターンで、宅間もやはり弁護人にさえちゃんと弁護してはもらえず、まあ仮にちゃんとした弁護を受けても死刑にはなるだろうが、宅間はそうした茶番としか云いようがない“裁判”に何事も期待せず、ただただ法廷侮辱を繰り返し、マス・ヒステリーの増幅装置でしかないポスト・オウム社会の“報道”や、その視聴者つまりFラン人民どもを挑発しまくり、控訴もせずさっさと死刑になっていった(死刑自体は仕方ないとしても、あの異例にすぎるスピード処刑にほとんど非難の声が上がらなかったのだから、やはりこの戦時下の社会は異常だ)。
 私もまたちょうど、誰にも理解してもらえない立場で(理解されないだけで宅間と違って私には何の落ち度もなかったが)孤独な裁判闘争を闘った結果、獄中にあり、そこで宅間の戦闘的姿勢をFラン報道で読んでずいぶん勇気づけられた。そうだ、この反テロ戦争=第4次世界大戦下で“テロリスト”=“人民の敵”と見なされた者は、こんなふうに“誰にも理解されない闘い”を引き受けていく以外にないのだ、と。
 それにしてもたった“31文字”で初対面の人をここまで怒らせるとは、私が発する言葉の力はやはり大したものだと誇らしい気分になった。