ファシスト党〈我々団〉党員は何をなすべきか
-コミュ力を高めて党勢拡大に寄与すべし-

2020.01.01 外山恒一


 「ファシスト党〈我々団〉」の党員がまず最初にやることは、自らの居住地に学習会グループ「危険思想研究会」を立ち上げる(すでに他の党員が立ち上げている場合にはそれに参加する)ことである。
 学習会の具体的な内容や形式は、別途説明したとおりである。

 とはいっても、まずはその学習会の参加者を集めなければならない。他にまだ党員がいない場合は当然だが、すでに党員がいて学習会が立ち上がっていたとしても、そこにさらなる新規の参加者を募る努力をするのは党員の義務である。
 つまり、ただ勉強だけしているような者は党員の名に値しないのであり、勉強仲間を増やす努力をして初めて党員と呼ばれうるのである。ここのところを勘違いしてはいけない。
 最低限、ビラを作って常に携帯しておくべきだろう。「危険思想研究会」という名称は出しても出さなくてもいいが、政治的かつしかも反体制的な志向の集まりであることは明確にしておかないと、つまらん人間が集まってしまう。「右翼とか左翼とか、昔の過激な学生運動とか、アングラ演劇などの反体制的な文化運動について勉強する集まりです」とでもしておいて、そこに「危険思想研究会」の名称が添えてあったほうが、むしろ潔いかもしれない。「右翼とか左翼とか、昔の過激な学生運動とか〜」に(詳しくはないが)興味を持っている者は、意外といるものだ。それにそういうことに興味がない奴を集めても仕方がない。そういう打ち出しをした上で「危険思想研究会」とあれば、そのあまりの直球さに、危険というよりバカバカしい味わいを感じるのが常識的なセンスというもので、その程度で引くような奴にはどうせ最初から脈がない。

 ここで重要なのは、ネットで人を集めようとしてはいけないということである。自分の足を使わなければいけない。
 もちろんネットを一切使ってはいけないということではない。SNSにアカウントを立ち上げて参加者を募ったりしてもいいが、どうせそんな程度ではたいした数は集まらない。1人も集まらない可能性だって高い。ビラを持って、あちこちに顔を出さなければ人は集まらない。ネットは、使うとしても補助的な手段と考えるべきである。

 零細僻村だと難しいにしても、人口10万人(平成の大合併での水増し分を除く)ぐらいのエリアになれば、それっぽい人たち(世間の風潮とは合わずに、まあ政治的ではないとしても、世間的にはマイナーな映画や音楽を好んでいるような人たち)の溜まり場になっているような喫茶店や飲み屋の1つ2つはあるものだ。人口50万人クラスの主要都市になれば10ヶ所はある。そういう場所の常連となるのが一番てっとり早いのだが、じゃあいざ初めて行って、どんなふうに受け入れられていけばいいかと云うと……こればっかりは“コミュ力”というやつだから、こうしろああしろとは説明しにくい。
 “コミュ力”のない人は往々にして誤解しているのだが、問題はこっち側の発信力・表現力ではないのである。“コミュ力”の高い人というのは、相手の話を誤読しない人なのだ。つまりトンチンカンな反応を返さないことが何より大事なのであって、話がかみ合ってさえいれば、相手をウンザリさせることはない。そこが、こっちが話す内容が面白い、面白くない以前の基本である。
 だから、“コミュ力”を上げようと思うなら、相手の話をよく聞かなければならない。まあそこらへんは結局は現国の読解テストと似たようなものだから、試しにセンター試験の現国部分の問題を解いてみるといい。7割ぐらい得点できれば、まあ素質は充分だ。得点できない人はまずそこから何とかしなきゃ始まらないかもしれない。
 とにかく、こっちが何か相手の興味を惹きそうなことを云うのではなく、相手が云っている内容を(直接口には出していないこと、つまり字面には表れていない“行間”まで含めて)誤読しないことが大前提。それが“空気が読める”ということでもある。その上で、こっちの話が面白いかどうかはセンスや引き出しの問題だし、普段から浴びるようにいろんなものを享受していればそれだけ引き出しも増えるから、そういう努力はしたほうがいいのは当然だが、実はそこらへんはあまり重要ではない。話の内容がかみ合ってさえいれば、多少は口下手でもコミュニケーションは成立する。
 ちなみに、こっち側の表現力についてだが、急に“政治の話”をするのは難易度が高いし、とりあえず周りの知り合いに、自分が面白いと思った本や映画を薦めてみるといい。相手もそれを読んだり観たりしてみたくなるか、それによって自分の表現力の到達度が測れるだろう。こんなもん、何度失敗したっていいのだから、練習だと思って積極的にチャレンジしてみればよかろう。
 より踏み込んだ訓練法として、最近各地に増えているオタク系のバーに足しげく通ってみるという手もある。“アニソン・バー”とかの類である。そこで、マスターや、カウンターで隣り合った客などを相手に、例えば“外山恒一”の宣伝をしてみるのだ(もちろん上記のとおり、好きな映画や音楽や小説やマンガを薦めてみてもよい)。完全に偏見で云うのだが、オタク系バーのマスターなら、コミュ力のないオタク連中を日々相手にしているはずだから、“困った奴”の扱いにも慣れているのではあるまいか。もちろんそこで自分のコミュ力のなさに開き直るのではなく、マスターの顔色を窺って“鬱陶しい奴だな”と思われていないかどうか気にしたり、話しかけた相手がこちらの話に興味を持ってくれるかどうか観察して、自身のコミュ障を改善する努力をすべきである。つまりオタク系バーのマスターや客に練習台になってもらう……というより“指導していただく”のだ。オタク界はネット文化との相性もいいから、客はともかく、オタク系バーのマスターともなれば“外山恒一”を知らないなんてことはほぼあり得ず、イチから説明する過程をすっ飛ばせて、まだ充分なコミュ力がない者にとっては“修行”環境として絶好と云えよう。

 で、“コミュ力”の問題はクリアしているとする。
 党員がやるべきことは、繰り返すが学習会(危険思想研究会)の参加者を集めることである。とりあえずは新規党員を増やすことではない。新しい人を党に勧誘するのではなく、学習会に勧誘するのである。
 もちろん、学習会も究極的には党勢拡大に寄与するものでなければならないのだが、そうガツガツする必要はないし、ガツガツしては人が遠ざかってしまう。主宰が外山恒一の支持者であるということだけ明確にしておけばいいだろう。と云うより、対外的には、ファシスト党員がやっている学習会ではなく、外山支持者がやっている学習会だということにしておくべきである。「対外的には」というのは、隠しておくという意味ではない。主宰がファシスト党員であることを隠す必要はないが、そこらへんの人に「ファシスト党」などと云ってもポカンとされるだけだろう。「外山支持者」なら分かりやすい。主宰は外山支持者であって、外山という人はファシスト党の代表であり、したがって主宰自身も当然ファシスト党員である、という理路でなければ理解はされにくい。

 どうせ同じことなのだから、党員は「ファシスト党」ではなく「外山恒一」の宣伝をすればよい
 実は、私がこの10数年、さんざん動き回りながらも党勢拡大を実現できなかったのは、これが私には難しいからである。なんせ私がその「外山恒一」本人なのだ。他人の宣伝は簡単なのである。私はあちこちで「劇団どくんご」を宣伝しまくって、それなりに動員に寄与してきたと思うし(本番前日に公演地近隣の飲み屋に初めて行って、もちろん私のことも知らなかったような、たまたまそこにいた人を何人も翌日の本番に“動員”することに成功して劇団員に驚かれたことも1度や2度ではない)、千坂恭二氏が近年、若い支持者を増やしているのも、千坂氏を知ったきっかけは私がらみである場合がかなり多いはずだ。しかし、自分の宣伝はやりにくい。私が例えば「劇団どくんご」に関して日々やってきたようなことを、私に関してやってくれる者が一定数いれば、党勢拡大は簡単なのにと常々思っていた。それをどうにかシステム化できないものか。
 「外山恒一」の宣伝はやりやすいはずである。世の中というものがよく分かっていない人たちは、例の政見放送などもはや10数年前のものだし、「今の若い人は外山恒一なんか知らないだろう」と思ったりするものらしいが、あの動画はいわばネット動画界のスタンダード・ナンバーみたいなものである。「今の若い人」だって10人に1人ぐらいはキヨシローを知っているし、外山恒一の政見放送も20人に1人ぐらいは知っている。スタンダード・ナンバー化するとはそういうことで、“いま流行っている”かどうかは関係がない。しかも2年に1回ぐらいは大きな選挙で愚にもつかないキテレツな政見放送がネット上で話題になって、そのたびに引き合いに出され、それで初めて見るという者もある。おそらく今日だって全国に何人かは、あの政見放送を初めて見て衝撃を受けている奴がいるはずだ。
 「外山恒一って人の政見放送を知っていますか?」と話を振ってみて、知らなければ見るように勧めればいいし、知っていればとりあえず他の“面白動画”(アメリカ大統領選のやつとか、“ほめご…”とか“ニセ選挙”とか、あるいは“無職”云々の弾き語り動画とか)を勧めればいい。面白がってくれたら、「実は文章も意外と面白いんですよ」などと云って、相手のレベルに合わせて、とりあえず“面白”系なら「法政大学入学相談闘争」とか“ツクシ小説”とか、サブカルチャー方面の人にはピストルズ論とか『ファイト・クラブ』論とか獄中短歌とか「なごやトリエンナーレ」論とか、インテリっぽい人だったらべつに何でもいいが『全共闘以後』を貸してもよかろうし、外山恒一の“書いたもの”を勧めて、本当は“面白動画の人”ではないのだということを理解させるべきである。政見放送だけを広めてもミーハーを増やすだけで意味がない。政見放送は単に、外山を知らない者にまず“取っかかり”として勧めればいいという以上のものではない。
 外山コンテンツが使い勝手がいいのは、“面白動画”をはじめ“とりあえずキャッチー”なものから、ヒトカドのインテリも唸らせるものまで、相当に間口が広いことである。これは他の政治系・思想系のグループではとうてい考えられない、我が党だけの強みだと云える。それらを活用して、まずは“ファン”レベルの外山支持者を周囲に増やし、そうした人々を学習会に組織していけばよい。

 また党員はその地域の学生に働きかけるべきである。
 右翼版全共闘運動の創出こそが、中期的には我が党のファシズム運動の展望であって(「学生運動入門」参照)、各地の党員はその担い手を発掘し、育成しなければならない。
 とはいえ、その学生は必ずしも右翼学生でなくてもかまわない。むしろ左翼学生でもよい。そもそも、いまどき日本の大学にマトモな右翼の学生運動も左翼の学生運動もほぼ存在しないのだから、要はまずは“学生運動っぽいこと”に興味はあるという程度の、もしかしたらノンポリの学生を発掘し、学習会に組織していけばよい。
 党がせっかく学生向けの無料の「教養強化合宿」を年2回開催しているのだから、ツテのできた学生はなるべく送り込んでもらいたい。
 学生が1人おり、その学生が学内に数人の仲間(単なる“面白がり”でもよい)を作れば、大規模な「外山恒一講演会」を開催することが可能である。
 もちろん大学当局の許可を取らなければならない。本来は学生が学内でイベントの1つや2つやるのに当局の許可など必要ないはずだが、今どきそのようなマトモな大学は全国に数えるほどしか存在しない。本来は、たとえば学生会館などを学生が自主管理していて、その自治会なりサークル連合なりの承認があれば、大学当局の許可などなくとも会館内のホールなどを使用できるはずである。が、そのようなシステムが維持されている大学はほとんどあるまい。腹立たしいが大学当局の許可を取るしかない。
 もっとも、そんなに難しいことではない。協力してくれる教授を1人見つければよい。どこか大教室を押さえて、学生に広く告知する。当局の許可を得て開催するイベントであれば、掲示板などにその告知ビラを貼ることなども許可されるだろう。協力してくれる教授を探し、交渉し、当局の許可を得て会場を確保し、宣伝をし、自分たちのやりたい企画をやるというその過程そのものが、活動家としてのある種の訓練になる。
 告知期間は1ヶ月程度が望ましい。同志社大、北海道大、早稲田大では、実際そのように学生たちが学内で1ヶ月ほど宣伝しまくった結果、同志社170名、北大150名、早大270名以上が集まった。2007年の都知事選直後の話ではない。同志社は2016年、北大と早大に至っては2018年の話である。“外山イベント”は、ちゃんと宣伝さえすれば今でもかなりの集客が見込めるのだ。
 ちなみに3大学とも、学園祭でも何でもない、ごく普通の日の開催である。学園祭では他にしょーもないイベントが多数同時開催されているから、埋没して学生は集まらない。
 ともかく党員は学生を発掘・育成し、学内での「外山恒一講演会」の開催にまでこぎつければ、とりあえず100人、200人の学生が集まるのだし、そこで学習会の案内をすれば、少なくとも何人かは新規に参加するようになるだろう。

 もちろん大学などではなく、そこらへんの市民センターの研修室だとか、あるいは飲み屋とかライブハウスとかで“外山イベント”をやるのもいい。が、大学でやる場合と違って、宣伝がしにくく集客に苦労するだろう。それこそ学習会がある程度の、常連的に10人、20人が参加しているぐらいの活況を呈していれば、そのそれぞれが手分けしてあちこちで宣伝して、100人とは云わないまでも、それなりの集客は可能になるだろうし、やれそうな見込みがあれば是非やってほしい。
 いずれにせよ党員には、使い勝手のよい“外山コンテンツ”を活用し、というか要は“外山恒一”をダシにして、学習会の規模をどんどん大きくしていくことが求められる。
 各地の状況にもよるが、年に1回、外山の側も2ヶ月ほどかけて全国を回ることを考えている。“外山イベント”を計画する場合は、その期間中の開催が望ましい。

 学習会のレベルを上げるために、党員はなるべく年に1度は、福岡で年に4回おこなわれる1週間の「指導的党員養成合宿」に参加してもらいたい。合宿は年4回開催し、いずれも6泊7日(1日目の夜に集合して7日目の朝に解散)の実質5日間の日程となる。年に1回以上参加し続けている者が「指導的党員」と見なされる。
 1つの地域に複数の学習会が存在してよい。常連的な参加者が20人を超えるようになると、むしろ分割したほうがよかろう。
 人が増えてくれば自然にさまざまな企画が生まれるものである。大雑把なイメージは別途書いたとおりだが、まずは学習会の参加者をひたすら増やしていく努力に全力を注いでほしい。