我々団の政治方針
総統に訊く
(2008年ごろ作成)
| 我々団の、具体的な社会問題に対する見解を訊いていきたいと思います。 総論として、まず何かありますか。 |
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まず我々は現在進んでいる監視社会化の傾向に強く反対します。街じゅうに監視カメラが設置してあるような社会です。あるいは、やたらと細かいゴミの分別を強要されたり、どこもかしこも禁煙になったり、飲酒運転に対するヒステリックな厳罰化や、そもそも犯罪全般に対する厳罰化、かつてなら犬も食わない「痴話ゲンカ、痴情のもつれ」で片付けられていたような問題に「DV」だの「ストーカー」だのといってすぐ警察を介入させたり、いたるところに「子ども110番の家」だの「防犯パトロール中」だのと張り紙がしてあったり、逆に無許可のビラやポスターを民間ボランティアが嬉々としてして撤去してまわったり、とにかくそういった、世間をあげて「お行儀のよい社会」を実現していこうとする近年の風潮に、我々は心底から嫌悪感を抱いています。 |
| しかしそれはなかなか理解されにくい主張ではありませんか? |
| そのとおりです。ですから我々は世間一般を説得しようとは思っていません。今のような風潮への嫌悪感は、ごく一部の人は強く感じていると思いますが、お行儀のよい社会がなぜ悪いのだ、犯罪防止に力を入れることがなぜ悪いのだと開き直られると、説得力ある反論をすることはとても難しい。分かる人には分かるし、分からない人には何を云ったって分かってもらえないような問題です。ですから我々は、とにかく少なくともすでに分かっている人たち、分かっているけれどもどうやってこういう風潮と闘えばいいのか分からなくて困ったりイライラしている人たちに、とりあえず集まろう、集まっていろいろ話し合って、何かこの状況を突破する方法を一緒に考え、実践に移していこうと呼びかけている段階です。 |
| 監視社会化がよくないとして、では何か代案がありますか? |
| 代案はあります。その点は、代案なしに監視社会反対を訴えている左翼と我々は違います。簡単なことですよ。地域社会、伝統的共同体の再建です。結局、そういうものが壊れてしまったから、代わりに監視社会化しているんです。だから本当は、右翼が監視社会反対を云うべきなんです。伝統的な社会、伝統的な価値を守れと。それがしっかりしていれば、別に新しいルールを作って諸個人を縛らなくてもやっていけたんです。左翼にはこれが云えません。伝統的な共同体を不合理なものとして否定するのが左翼ですから、それがなくなったことによる監視社会化の進行に対して、元に戻せとは左翼は云えないわけです。だから彼らは途方に暮れている。監視社会がなぜよくないのかを説明することは難しいですが、監視社会と伝統的社会とどっちがいいと思うのか、という選択を人々に迫ることはできます。そしてそういう選択であれば、それはやっぱりどっちかといえば伝統的社会の方がいい、というぐらいの感覚の人は、単なる監視社会反対派よりは数が多いと思います。だから我々は、完全に希望を捨ててはいません。 |
| しかし伝統的な共同体が壊れてしまったことにもそれなりの必然性があるわけで、元に戻すのは難しいのではありませんか? |
| ええ、そのためには資本主義をかなり制限しなければなりません。結局、経済の自由化が今の状況をもたらしているんです。例えば右翼の人たちは、今の若い人たちにモラルがなくなったのは日教組のせいだなどと云いますが、バカの極みです。私も日教組は嫌いですし、単に日教組粉砕ということでは右翼と共闘してもいいですが、若者の感覚がおかしくなっていることには日教組は何の責任もありません。すべては資本主義の発展の結果です。若者がおかしくなっているのは、日教組よりも例えば携帯電話の普及の方がよっぽど原因としては大きい。べつに携帯だけではありませんが、とにかくいわゆる高度消費社会とやらが若者のみならず日本人全体の感覚をおかしくしています。あるいは朝日新聞やNHKなどの「反日マスコミ」に責任をなすりつけても仕方がない。私も朝日新聞は大嫌いだし、そもそもマスコミ全般が大嫌いですから、赤報隊なんか断固支持しますけれども、それとこれとは別です。彼らは(NHKといえども民放との対抗上)商売でやってるんですから、売れると思えば何でもやるんです。資本主義の中で日本人全体がおかしくなっているから、そんなおかしな日本人に迎合せざるをえないマスコミだっておかしくなるに決まっているんです。マスコミのおかしな報道姿勢がますます日本人をおかしくして、増幅効果で状況は悪くなる一方です。結局、資本主義が悪いのだということに気がついた少数の人間が、なんとかしてこの悪循環を断ち切るしかないんです。 |
| いわゆる格差社会の進行に関してはどう思われますか? |
| なんとかしなきゃいけないに決まっています。右翼がこの問題に冷淡であるのが我々にはもどかしくて仕方がない。各地で結成されているフリーターの労働組合や、あるいは格差社会を問題にしている共産党が支持を増やしたりと、全部左翼に持っていかれてます。そもそも格差社会が固定化すると、右翼が理想とする「国民的一体感」のようなものは失われていくんですから、これは右翼にとってこそ由々しき問題ですよ。もはや「自己責任」などと云ってればすむような状況ではありません。例えばバカなマスコミがバカな国民に迎合して煽り立てていますが、データによればべつに犯罪は増えていないし、むしろどんどん減っています。それは最近の防犯キャンペーンの成果ではなくて、それ以前から犯罪件数は減少の一途をたどっているんです。それはなぜかといえば簡単で、経済的に豊かになったからです。つまり昔は貧困ゆえの犯罪が多かった。だから今は圧倒的に治安がよくなっているんですが、これからは分かりませんよ。夢も希望もない貧乏人が増えれば、犯罪もまた増えるでしよう。マスコミが煽り立てている側面もありますが、実際、動機の面では犯罪の質は変わってきている印象があるでしょう。わけのわからない犯罪が多い。しかし本当はわけがわかる犯罪です。夢も希望も失った貧乏人たちが時々ヤケを起こし始めている。ヤケっぱちだから「わけがわからない」という印象を与えますが、我々に云わせれば分かりやすすぎるぐらいの傾向です。とにかく早いところなんとかして、貧乏人に夢と希望を与えなければいけない。今はまだ、それこそ「夢も希望も失った」的な心情的な絶望感からくる犯罪が目立っていますが、今は親のスネをかじって何とかやっていけてるような人たちが、その親たちの蓄えが尽きたら、経済的にも行き詰まるのは目に見えてますから、字義どおり貧困からくる絶望ゆえの犯罪が増加しますよ。 |
| そうなるとますます、厳罰化を求める声も高まりそうです。 |
| だから我々は頭に来ているわけですよ。犯罪は、かなりの程度、政府の責任です。政府がろくでもない政策をやって、社会をメチャメチャにして、人心を荒廃させれば犯罪は増えるに決まってます。もちろんごく稀には根っからの悪人もいるでしょう。しかしそんなのはごくわずかです。かなりの部分が、ろくでもない社会の犠牲者です。ろくでもない人間を生み出すのは、ろくでもない社会です。そういう社会を作っておいて、そしてますますろくでもない方向に社会を変えていこうとしているくせに、犯罪が起きたらその責任を犯罪者個人に押しつけるというのでは、為政者としての責任感も何もない。つまり政府には資本主義の横暴を規制する義務がある。資本に対抗できるのは国家権力だけなんですから、その責任をちゃんと果たさなければいけない。責任を果たして、資本主義のひずみをできるかぎり減らして、住みやすい社会を作る努力を全部やった上で、それでも悪事をはたらくような犯罪者に厳罰を課そうというなら我々もべつに反対しません。やるべきことを何にもやってないくせに、犯罪を犯罪者個人の責任にするその傲慢さに、我々は憤っているわけです。 |
| 資本主義がどうしてよくないんですか? |
| 伝統を破壊するからです。資本主義は合理的で、伝統的な社会制度や価値観は非合理的です。だから放っておけば資本主義の力の方が強いに決まっています。そこで国家権力の介入が必要になるんです。資本主義が合理的な社会改造を推し進めようとするのを、問答無用で邪魔するのが国家権力の本来の仕事です。例えばバカな右翼は学校で道徳教育をしろと云う。そんなものはやらなくていいんです。そもそも教師たちがそれほど道徳的で立派な連中ですか。教師だって大部分はそこらへんにいるフツーのバカな日本人でしょう。そんな連中に道徳なんか教わったって仕方がない。学校は勉強だけ教えていればいいんです。教師たちは、少なくとも自分の専門教科については、多少は他人より勉強ができるんですから、その点だけは上から目線で生徒たちに偉そうに指導者ヅラをしてもいい。 |
| 学校が勉強だけを教える場になっていいんでしょうか。 |
| いいも何も、それしかできないでしょう。しかし勉強をちゃんと教えることは、それなりの効果があるはずですよ。例えば左翼は学校で神話を教えることに反対しますが、そんなバカな話はない。神話はちゃんと教えるべきです。べつに歴史の授業で教える必要はありませんが、国語の授業でもいい。国語教育を徹底すれば、わざわざ道徳なんか改めて教えなくても、日本人の伝統的な美意識なり価値観なり、子どもたちに叩き込めますよ。あくまで教科教育を通じて、そういうことをすればいい。それが何ですか最近の教科書は。生徒に迎合して、流行のバカな若者ウケしそうな文章を国語教科書に盛り込もうとする。生徒をお客様扱いしてるんです。つまりこれも資本主義ですよ。生徒にウケれば、採択率が高くなるから、教科書会社はそんなものばかり作りたがる。政府は断固としてこうした傾向を封じ込めなければなりません。だから国定教科書でいいんですよ。伝統的な日本人の価値観を守るために必要だと思われる教材を国語と社会科で強制的に使わせればいい。もちろん義務教育の範囲は、身につけなければ卒業させてはならない。義務教育というのは、生徒のためではなく国家なり社会のためにあるんですから。そして学校は、それ以外のことを一切やってはならない。つまり道徳教育だとか、生活指導だとか、そんなできもしないことをやるべきではない。そういうのは、親や地域社会のやることです。日の丸・君が代も、公務員である教師に押しつけるのは別にやりたきゃやればいいですが、生徒に押しつけてはならない。もちろん社会科の授業で、日本の国旗は日の丸ですと教えるのはいいし、教えるべきです。君が代も音楽なり古典の授業なりで教えればいい。しかし入学式や卒業式で強制的に生徒に歌わせたりするべきではない。というよりそもそも入学式や卒業式そのものが必要ない。自動車学校に入学式がありますか。学校はもっと事務的に、クールに、勉強だけを厳しく教えていればそれで充分です。 |
| それでは学校は塾と同じになってしまうんじゃないですか? |
| そんなことはありません。塾はあくまで営利企業です。場合によっては生徒に迎合しなければならない。しかし学校は国家権力の一機関です。生徒の趣味嗜好に迎合する必要がない。教えなければならないことを、断固として教えることができます。学校は一種の監獄なんです。子どもという動物を、調教して人間にしなければならない。ただし、それはあくまでも教科教育の範囲に限るべきであるというのが我々の立場です。そして、何度も云うように、道徳教育的な機能も実は教科教育の範囲である程度は代行させられます。 |
| 愛国心のようなものも教えなくていいと? |
| そんな教えようのないものは教えようがないでしょう。しかし、国語教育で古来の和歌なりなんなりを徹底教育し、歴史教育で実感を伴ってこの国の来し方を理解させれば、愛国心に近いものは自然に芽生えるはずです。芽生えなければそれはそれで仕方がない。それ以上のことはやってもしょうがないし、できないし、無理にやるのはむしろ逆効果でしょう。 |
| 歴史認識の問題もありますね。 |
| そのへんは右翼の方に歩があります。明治以来の日本の対外政策は、基本的には正しかったし、部分的な失敗はいろいろあるでしょうが、ことさらに卑下する必要はありません。悪いとすれば中国が悪い。中華帝国(「中華」とは「世界の中心」という意味)なんだから、中国が属国である朝鮮や日本やベトナムを伴って、率先して欧米列強に対抗すべきだった。中国がちゃんとそうした責任を果たさないから、そんな力量もないのに日本がそれをやらなければならなくなって、結局ああいう展開になった。もちろん我々はファシストですから、北一輝や石原莞爾といったファシストが革命に成功して本当にイタリアやドイツのような体制になっていれば、もっとうまくやれたのにという不満はありますが。 |
| では外交や防衛に関しても、我々団の立場は大方の右翼と同じですか? |
| だと思います。靖国に祀ると約束して兵士たちを死地に赴かせた以上、本人ではない遺族が何と云おうが政府としては靖国神社を特別扱いして責任をとるべきです。戦前の体制と切れた革命政権であれば約束を反故にしてもいいですが、そうじゃないんですから。諸外国がガタガタ云ってきても適当にごまかしつづければいい。本来なら断固として内政干渉するなと云うべきでしょうが、敗戦国だからそう強く出られないのも仕方がない。もちろんこの不自由な敗戦国の立場も、なんとかしてそろそろ脱却しなければならないんですが。 |
| 防衛に関してはどうですか? |
| それはもちろん、可能なかぎり最大限の軍事力を持つべきです。必要最小限なんてそんな甘っちょろいことを云っててどうするんですか。最大限ということは当然、核武装するということです。こんな当たり前のことに反対するのはバカな左翼だけですから、いちいち説得的に説明する必要もないでしょう。ただし我々は、原子力発電には断固として反対します。 |
| 核武装賛成で、原発反対ですか? |
| そうです。原発はもともと、核兵器開発の隠れ蓑として推進されてきたものです。そんなことは歴史を勉強すれば誰にでも分かることです。さまざまの原発必要論は、すべて後付けのヘリクツです。耳を貸す必要はない。堂々と本来の目的である核武装をやればいいんです。危険な技術であることは間違いありませんから、発電なんかに流用してリスクを日常化・遍在化させるべきではありません。 |
| その他のいわゆる環境問題についてはどうですか? |
| まったく興味がありません。もちろん不要な環境破壊はやめるべきです。意味もなく自然の海岸線を破壊して、「郷土の美しい自然」みたいな人々の心の拠り所を奪うべきではないし、その他のろくでもない開発には反対です。しかし例えば、温暖化対策なんかべつにする必要はない。そもそも地球温暖化論が原発推進論者の陰謀でしかないことは、指摘する人はかなり以前から指摘していましたし、近年ようやくいくらか流通する議論になってきました。温暖化の他にもリサイクルやゴミの分別など、こういった問題については、槌田敦という頑固なエコロジストが書いた『環境保護運動はどこが間違っているのか』という本を一冊読めばそれで充分です。ムリして対策を立てなくても何も心配することはありません。もちろん原発だけは別です。それから云うまでもないことですが、かつての水俣病のチッソのように、営利企業がろくでもないことをやらかさないように政府はきちんと目を光らせておかなければなりません。 |
| 当然、改憲派ですか? |
| いえ、護憲派です。正確には、9条以外には一切手をつけるなという護憲派です。9条は、本来変えるべきです。国家が軍隊を持ってはならないなんてそんな無茶な話はない。世界政府ができるまではそんなことは不可能だし、我々はファシストですからそもそも世界政府的なものにも断固反対です。それぞれがそれぞれの国柄で独立して存在すべきです。だから9条はナンセンスなんですが、しかし今の改憲派はそれ以外の条文にも手をつけようとしている。というより全面的な改憲、憲法全体を一から作り直そうとしている。もちろんアメリカに押しつけられたにすぎない憲法ですから、そうした方がいいのも確かです。しかし今おこなわれようとしているのは、9条以外の部分に関しては、一方で国民の義務条項を増やせ的なバカ右翼のものだし、一方でプライバシー権だ環境権だといったバカ左翼のものです。いずれにせよろくでもない。そんなものを作るよりは、9条だけを変えて、他は今のままにしておいた方がよっぽどマシです。だから我々は基本的には護憲派なんです。さらに云えば、別に9条だってムリして変える必要はない。今だって憲法では軍隊を持たないことになっているのに軍隊を持っている。こんなことが許されるんなら、別に憲法を変えなくったって何でもできますよ。核武装だってできます。我々は、今の日本には憲法なんかないし、そもそもこの国は法治国家でさえないと考えています。政府機関が法に基づいて行動する、というのが法治国家ですから、憲法9条と軍隊が同居しているこの国は法治国家ではありえません。ですから本当は我々には、9条だってどうでもいいんです。実は、護憲派といってもそんなにこだわっているわけでもない。60年も憲法をないがしろにすることに慣れてきたこの国の政府は、新しい憲法ができたってどうせ守りませんよ。だから憲法論議は我々にとって本当に退屈です。 |
| 世界政府云々ということでチラッと出ましたが、グローバリズムには反対の立場なんですね。 |
| 当然です。右翼ナショナリストと連帯して国家権力と左翼の連合体に決戦を挑むというのがファシズムの基本路線です。個別国家の自立を求めるナショナリストと連帯するんですから、グローバリズムとは相容れるはずがありません。そもそも左翼の理想はインターナショナリズムであり、インターナショナリズムすなわちグローバリズムです。左翼は近年、グローバリズム反対で盛り上がっていますが、あれは今のグローバリズムはしょせんアメリカニズムであって真のグローバリズムではないという意味での反対にすぎません。そしてまた資本主義も本来グローバルなものです。資本主義と対決する責任を放棄した今の国家権力は、したがって左翼と相性がよいのです。国家権力が代行する資本のグローバリズムと、左翼が求める民衆のグローバリズムとがしばらくの間は衝突を続けるでしょうが、やがて落としどころを見つけて「資本と民衆のグローバリズム」が完成するでしょう。我々はその来るべき新世界を、マルクスが予言した本来の意味での共産主義であり、同時に「まったく新しいスターリニズム」でもあるとみなし、なんとしてでもその実現を阻止したいと考えています。右翼ナショナリストの諸君は、もはや国家権力には見限られているのだということに気づき、我々と手を組んで共に政府打倒の闘いに決起しなければなりません。 |
| 公言されているとおり、我々団が右翼寄りではあるが右翼でも左翼でもないということがよく分かりました。右翼と左翼それぞれの「いいとこ取り」というか、むしろ一般に受け入れられにくいところばかり取り入れているような気もしますね。 |
| おほめいただき光栄です(わーいホメられた)。 |
| いえいえどういたしまして(ホメてないだろ!)。 |