同時代人としての尾崎豊
吉岡忍『放熱の行方』書評

『VIEWS』1993年11月24日号に掲載


 

 92年4月25日の夜、ぼくは福岡の踏上で尾崎豊の「卒業」を歌いながら泣いた。同じ日の昼さがり、著者は渋谷の交差点の真ん中で、尾崎豊の死を知って泣き崩れる少女の姿を目撃している。
 ぼくは尾崎のファンではなかったが、彼の存在とその死は、80年代と自分の10代とがちょうど重なっているぼくにとって、他人事ではなかった。尾崎は、ぼくの世代が抱える不全感や苛立ちを、ロックの世界で最初に表現した一人だったように思う。だからこそ、「今夜は追悼ライブだ」と半ばシャレで歌いはじめた「卒業」や「15の夜」の歌詞内容と自分の中学・高校でのつらい体験とが重なって、自然に涙が溢れてきたのだ。
 著者は尾崎のミュージシャンとしての軌跡を、80年代の時代状況と重ねながら、時に手厳しい尾崎批判をまじえて丹念に追う。他誌で、「ミュージシャンの言葉」に対して厳しすぎるのでは、との本書への批評を目にしたが、ロックが時代状況と密接に結びついた最もストレートな表現である以上、本書のようなロック批判こそが本来なされるべきなのだ。
 ぼくの把握では、尾崎は、「80年」のYMOと「90年」のブルーハーツという時代の極点で現れたロックの中間に位置する存在であり、時代の過渡期の産物である。さらに前の世代である全共闘世代の「重苦しさ」への反発も内包した80年前後の“軽薄短小”の「サブカルチャー」はそれなりの必然性や積極的意味を持っていたのだろうが、それはやがてマジメで深刻なものの存在を隠蔽する消費社会の風潮に呑みこまれ、風化してゆく。だがいくら明るく賑やかな時代が到来しても、ぼくらの不全感や苛立ちが完全に消えてしまうわけではない。高度消費社会とか情報化社会とも呼ばれるポスト戦後社会のもとでのそれをロックの世界で最初に表現したのが尾崎と渡辺美里であった。「愛」や「やさしさ」という陳腐なフレーズを根拠に時代に挑んだ彼らの表現はやがて必然的に、ハウンド・ドッグやジュン・スカイ・ウォーカーズに代表される脳天気な「ガンバレ・ロック」ヘと頽落してゆき、唯一その限界を越えたブルーハーツを登場させた後、90年代に入り長渕剛という最悪の堕落形態を生んで現在に至っている。
 こうした同時代の他の日本のロック・ミュージシャンについて本書では触れられていないが、著者は尾崎の挑戦と敗北を通して80年代を検証している。とかく否定的に語られることの多い80年代である。著者もこの時代を否定的に描きつつ、時代の主流とは反対側に現れた尾崎という現象を、同時代の表現者としての共感を表明しながら分析し、尾崎の限界と敗北の必然性を明らかにする。
 尾崎の失敗・敗北を乗りこえ、90年代の表現を模素していかなければならないぼくの世代の表現者にとって、有益な一冊だ。死後相次いで刊行された「尾崎本」には、その生涯を伝説的に祭りあげるものや、あるいはスキャンダラスな匂いのするものが多いが、本書はそうしたものとは確実に一線を画している。
 ――それからささいなことではあるが、本書全編を通じて尾崎の名が一度きりしか登場しないという執筆形式もシャレている。