21世紀に残したくない曲

別冊宝島『音楽誌が書かないJポップ批評10』に掲載

   ブルーハーツ「チェルノブイリ」

 「社会派」のレッテルを貼られそうになったミュージシャンは、自分は決して「社会派」なんかではないことをくりかえし表明し、時には「自分はラブソングを歌うように社会問題を歌っている」などと意味不明の云い訳をしたりする。「社会派かラブソングか」という無意味な二分法がたしかに存在する。
 ブルーハーツも、この罠にハマった。
 「社会派」のレッテルにとまどいながら、その「期待」に応えようとした結果が、「チェルノブイリ」という愚作だった。方向性を完全に見失った彼らは、「イメージ」というこれまた犯罪的な作品での転向宣言を機に無難な路線を歩みはじめたり、それで初期のファンが離れたことに危機感を抱いたのか、突然PKO問題に言及して「社会派」に逆戻りしたり、5年以上に及ぶ痛々しい試行錯誤の末、ついに遅すぎる解散をした。
 初期ブルーハーツに与えられた「社会派」のレッテルは、しかし間違いではない。ただしその「社会派」性は、現実に自分が身を置いている学校や職場や家庭の共同性をなんとか越え出たいという欲求に由来するものであって、べつに天下国家の問題へのジャーナリスティックな言及によって生じたものではない。
 チェルノブイリに行こうが行くまいが、世界中いたるところでぼくらの頭の上にハンマーは打ち下ろされているのであり、「まあるい地球」などという漠然とした曖昧な場所からではなく、今ここで何かを始めるんだという意志こそが「決して負けない強い力」の源だったはずだ。
 ぼくは今でも「社会派」だ。

   ザ・ブーム「島唄」

 ソウルフラワー・ユニオンのような愚劣な集団が、軽蔑されるどころか一定尊敬を集めているらしい状況を見るにつけ、ぼくは自分がミュージシャンではなく政治活動家であったことを誇りに思うのである。ソウルフラワーを筆頭に、ボ・ガンボス、ゼルダ、そしてザ・ブームといったいくつかのバンドが、90年代初頭、沖縄の喜納昌吉の周辺に結集した。彼らは、経済大国日本の現実を、沖縄そしてアイヌ、第三世界に立脚して撃とうとした。ここで問題にしたいのはこの現象そのものであって、「島唄」は単に一番知られている作品だから象徴的に挙げたにすぎない。
 全共闘運動の崩壊と入れ替わりに、70年代の左翼シーンを席巻したのが反差別運動である。在日朝鮮人でも被差別部落民でも障害者でも沖縄・アイヌ民族でも女性でもない我々は、彼らを差別・抑圧する社会構造に従属することで結果的に加害者である側面から逃れられない自己を否定的にとらえかえしつつ、彼らの自己解放運動に献身的に参加しなければならない……というアホらしい思想。当然の帰結として左翼は急速に新興宗教以下の超マイナーな存在になり果てた。
 人はなぜ、社会変革を夢見るようになるのか。云うまでもなく、その人にとって、今の生活がガマンならないからである。重要なのは、「より抑圧された誰か」のフィルターに依拠せず、学校で、職場で、家庭で、すでに充分に抑圧されているぼくら自身の解放を直接に求める回路を再建することだ。まともな政治活動家なら、いずれこのことに思い至らざるを得ないが、ミュージシャンはそうでもないらしい。