鹿児島交通違反裁判
上告趣意書 草案

 上告の主眼は、第一審の異常さにおきたいと思います。

 一審はとうてい裁判の名に値するものではなく(「公正な裁判」とか「不公正な裁判」とかいう以前の問題)、単に裁判官による被告人への私的報復にすぎません。
 二審では、一審での私の反抗ぶりをあまり詳細に描写すると、却って心証を悪くするとの弁護人の判断に従い、このあたりをあまり強調しませんでしたが、「最後」ですから一審の異常な判決の背景を全部ぶちまけてしまったほうがいいのではないかと思います。

 つまり私は、「三審制の保障」を求めたい。
 二審で、私が弁護人作成の控訴趣意書に補足した上申書で、「破棄自判」ではなく「地裁への差し戻し」を求めたのも同じ理由によります。
 今回の一審のようなシロモノを「裁判」として認めて「三回ぶんのうちの一回」として数えること自体がおかしい。
 数えてしまっているがために、現に二審判決は一審判決を前提とした量刑判断をしている形跡が濃厚です。二審判決も、そもそもの検察官求刑の「2倍」という異常な判決ですが、一審判決があまりにも常軌を逸しているために、まるで「常識的な判決」であるかに見えてしまっています。

 上告趣意書の論理構成は、基本的には以下のようなものを望みます。

 被告人はその反権力的な思想信条から、第一審において、独特の方法で(決して粗暴な言動によるなどではなく、裁判所としても対処のしようがない方法で)裁判官への反抗的態度を貫いた。具体的には、これこれこういう内容である。
 一審判決の「求刑の8倍」という、わが国の裁判史上おそらく他に例を見ない異常さの背景にはこうした事情があり、端的に云って、一審裁判官が被告人の反抗的態度に腹を立て、しかし直接にはそれに対処する方法がないために、常軌を逸した重刑を科すことをもってこれに代えたものと判断せざるをえない。つまり、一審裁判官は、職権を濫用して被告人に私的な報復をおこなったのであり、これはとうてい「公正な裁判」の名に値しない。
 被告人は控訴審において、憲法に定められた三審制の保障および公正な裁判を受ける権利を根拠に、一審判決を「公正な裁判」とは認められないから、控訴審による破棄自判ではなく原審への差し戻しをと求めたが、それは、控訴審が一審判決を丸ごと肯定することはないだろうが、このような異常な一審判決を前提に、その「行き過ぎ」を修正する程度の判決がなされてはたまらないと考えたからであったが、実際には、被告人の危惧したとおりの控訴審判決となっている。
 控訴審判決は、一審裁判官が被告人への私的な怒りを背景に恣意的におこなった事実認定を丸ごと踏襲しており、「とはいえ求刑の8倍は重きに失する」との判断からいささかの減軽をおこなったにすぎず、それでも求刑の2倍という、常識的に考えて「異常な判決」となっている。
 そもそも求刑は、軽微な交通違反に対して煩雑な裁判手続きを省略することを目的とした反則金制度において違反者に求められる反則金と同額の罰金刑を求めたものであり、被告人は、正規の裁判さえ求めなければ求刑と同額の反則金納付の義務を負っただけで済んだのであり、個別の事例により多少の増減の判断はやむをえない場合があるとしても、反則金制度の趣旨や裁判を受ける権利の保障という観点から、その増減の判断にもおのずと限度があろうはずである。少なくとも、もともとの反則金の倍額、まして8倍額などという罰金刑を科すような判決は、行政判断による反則金の請求に納得のいかない者が正式の裁判を求めることを過度に萎縮させる効果をもたらすものであり、限度を超えたものと云わざるを得ない。
 しかし再三のべるように、今回の事案に関しては、すべての元凶に裁判の名に値しない一審判決の存在があり、これを否定して、事実関係を詳細に審理する役割を担う一審からやり直す必要があり、そうでなければ、被告人に対し、憲法上に規定された公正な裁判を受ける権利を保障せず、三審制の趣旨も否定されることになるし、また一審判決は、裁判官は私心をまじえず公正な判断をおこなう存在であろうという国民の司法に対する信頼を損なわせるもので、ことは裁判所の名誉の問題にもかかわる。
 よって、上告審による控訴審判決の破棄自判ではなく差し戻し、それも高裁ではなく地裁への差し戻しを求めるものである。
 以下、補足的に言及しておけば、一審・二審を通じて被告人が主張しているとおり、少なくとも一方通行違反については被告人は無罪であり、速度違反についても、現行法が現実に対応していないという被告人の主張には合理性があり、仮に有罪とするにしても裁判所は現行法の改正を促すべきであり、ましてこの被告人の主張をもって「反省の欠如」などといった被告人に不利な情状認定をすることは、被告人の思想信条の自由を否定するものである。また、被告人が捜査段階で黙秘し、公判において初めて自らの見解を述べたことをもって、被告人の供述の信用性を否定することは、憲法に保障された黙秘権の否定であり、とうてい看過することはできない。
 ということも本来すべて一審・二審の段階で議論が尽くされるべきことで、それを根本的に不可能とした一審裁判官の責任は重大であり、最高裁はその責任をとって、この事案を一審まで差し戻す決定をしなければならない。