鹿児島交通違反裁判
獄中声明
 (2007年7月7日)

 今回の拘束は徹頭徹尾、不当である。
 まず、逮捕に合理的な理由がない。
 もちろん役所のやることであるから、形式上の合法性を装ってはいる。
 まず2件の道交法違反という容疑がある。これについて事情をきくために任意出頭を求めたが被疑者がこれに応じなかった。よって逮捕した。
 刑事訴訟法には、任意出頭の求めを「正当な理由」なく拒否することはできないとある。ゆえに警察が、任意出頭に応じなかった私を逮捕したことには何ら違法性はない。
 警察はそのように云う。
 一見もっともな理屈だ。
 ただしそれは、個々のケースの具体的事情をとりあえずおいといて、単に形式上、手続上、捜査手法として適法であるかどうかというレベルでの話である。
 つまりそもそも今回のケースで、警察は必ずしも私を直接取り調べる必要があったのかということである。
 私は電話での警察からの任意出頭要請に対し、一貫して以下のように応じていた。
 「警察あるいは検察に対して話す事は何もない。仮に出頭しても取調官の質問には一切答えるつもりはないから結局出頭する意味がなく、よって出頭しない。違反の具体的内容については、警察に記録が残っているはずであり、私はそれを現段階で否定も肯定もしない。警察がこれをどうしても摘発したいというのであれば、警察の手元にあるそれらの記録を元に書類送検し、検察がそれを見て起訴相当だと考えるなら起訴すればよい。もし起訴されれば、法廷には必ず出頭し、私の云いぶんを裁判官の前で明らかにする。略式裁判は望まない」
 この約1年半の間に、少なくとも20回は、電話してきた警察官に同じことを繰り返し伝えている。
 サイトでも公開しているとおり、念のために2度、上記の内容を簡単に書いたハガキを送付している。
 私の云いぶんに、おかしな点はひとつもないはずだ。
 軽微な交通違反といえども形式上はれっきとした刑事犯である。軽微であるから通常は正規の裁判を経ず「反則金」の納付という簡略化した方法で解決するが、それはあくまで非正規の、簡略バージョンである。
 反則金納付を求められた側は、それを拒否して、正規の刑事手続つまり裁判による処分決定を求める権利を有している。
 さらに、被疑者には黙秘権がある。つまり供述調書の作成に協力する義務はない。
 そもそも今回のケースでは、警察にはどうしても私の口から聞き出さねばならないような、未解明の事実など存在しない。
 じっさい逮捕後に、取調官が私に訊いてきた内容は、2件の違反の事実を認めるのかどうか、正式の裁判を望んでいるようだが何を争点にしようとしているのか、結局はこの2点だけだった。当然だろう。他に訊くべきことなど、「犯人」である私にも思いつかない。そして、この2つの質問に私がどう答えようが、容疑事実それ自体にとって何ほどのものでもない。あるいは後者の質問については、私の答え次第では起訴するかどうか検討しなおすことになる場合もあろうが、それは逆に私からすればこちらの手の内を明かして相手に対策を講じさせるようなものだから、答えられる質問ではない。
 いずれにせよ、今回のような単純な交通違反には、わざわざ本人を呼び出して確かめないわけにはいかない点など、そもそも原理的にありえないのだ。
 それでも警察がしつこく任意出頭を求めてくる理由は一つしかない。
 つまりこちらをメンドくさがらせることだ。
 たかだか数千円、数万円を納めればすべて片がつくのに、素直にその要求に応じないと、こんなにメンドくさいことになりますよ、ということをこちらに思い知らせて、わかったもうメンドくさいから云われたとおり全部払いますよ、ということになるのを奴らは期待しているのである。
 警察の任意出頭要請を拒否すると逮捕されることがある。それ自体はいい。そうせざるを得ないケースだってあるだろう。しかし今回のケースは違う。警察は捜査上の必要からではなく、こちらをメンドくさがらせて反則金をまんまとふんだくるための心理作戦として任意出頭を要請している。こんな任意出頭要請にすら、「正当な理由」(病気とかだそうだ)がないかぎり応じなければならないとすれば、警察はもうやりたい放題ではないか。
 例えばここにAというヤバい男がいる。どうヤバいかというと、革命だとか政府転覆だとか、とくかく物騒なアジテーションをして青少年に悪い影響を与えている。しかし困ったことにAのやり方は完全に合法的で、それ自体はどうにも取り締まりようがない。このまま野放しにしておくわけにはいかないのに……(参院選も近いし)。そういう時になんか形式上は成立するような任意出頭の要請をして、それに応じないとして逮捕してしまうことも出来るし、応じたら応じたで心理的に消耗させ時間も浪費させることができる。ーーということが許される社会になってしまう(もうなっている)のである。
 たしかに私は任意出頭要請を「正当な理由」なしに拒否した。逮捕されても仕方がない。ただしそれは、そもそもその任意出頭要請に「正当な理由」がある、それに応じてもらわないことには容疑事実の解明が明らかに不充分になってしまう場合の話だ。
 つまり今回のケースで私が任意出頭要請に応じなかったのは当然だし、そのことを根拠に私を逮捕することは百パーセント不当で、また逮捕を許可した裁判官は腹を切って死ぬべきだ。
 逮捕されただけでも不当なのに、ひと月もふた月も拘束が長引いているのは、もはや不当などという生易しい言葉で表現できるレベルをはるかに超越している。あえて云うならこれはもはやバスチーユものだ。
 警察は私を逮捕し、強制的に取り調べてはみたものの、さすがにもう「踏み字」とかやれないし、やっても私はまあ陛下のは無理だがそうでなければ例えば両親のとかならもうガンガンに踏みつけちゃうし、結局何ら供述を得ることができなかった。ムキになって黙秘するほどの事件じゃないのはそのとおりなのだが、ここは黙秘しとかないと、この不当な逮捕を追認してしまうようなものじゃないか。
 警察は任意出頭要請の段階から一貫して、私の云いぶんを確認しないことには立件しようにもできない、と主張している。もしそうなら、どんなでかい事件を起こそうが黙秘さえ貫けばいずれ必ず不起訴で釈放じゃないか。
 現に奴らは、私の供述調書など結局一枚も作成できなかったにもかかわらず、私を起訴した。
 つまり、結局は私が最初から要求していたとおりの展開になったのだ。
 私は捜査段階では捜査当局に一切何も喋らないから、警察の手元にある記録だけをもとに、起訴相当と判断するなら起訴してくれ、と最初から云っていた。実際、私の云ったとおりになった。ただひとつ、私が拘束された状態であることを除いて。
 私を拘束しておくことに、いったい何の意味があるのか?
 証拠隠滅のおそれがあると奴らは云う。すでに別の所(「勾留理由開示」公判における陳述。アップ済)でさんざん述べているとおり、そんなものはない。逃亡のおそれがあると奴らは云う。これも同様、そんなものはない。
 私は最初から裁判を望んでいるのだ。
 私には、素直に反則金を納入せず、あくまでも裁判を要求したことそれ自体が処罰されているようにしか感じられない。オカミにタテついて、裁判をやれなどとナマイキなことを云う奴はこんな目に遭うのだと調教されているようにしか思えない。
 「裁判を受ける権利」そのものを否定しているに等しい。このような不当な拘束を許可した裁判官にいたってはもう、ガス栓をひねって毒を飲んで首をくくりながら腹を切って死ぬべきである。
 そもそもは、たった反則金1万5000円相当の微罪なのだ。
 それが、現時点ですでに丸1ヶ月近く自由を奪われているし、おそらく最終的には2ヶ月間ほどの拘束となりそうな気配である。
 ただ国家権力に従順でないというだけの理由で、こんな目に遭わされるのだ。
 つまり、字義どおりの「見せしめ」である。
 むろん奴らは、そのことで私を屈服させようというのではなく、このことを知った『あなたがた』を屈服させようとしているのだ。国家権力にタテつくとヒドい目に遭うということを、『あなたがた』に思い知らせているのだ。
 今のところなんとか頑張ってはいるが、ヒドい目に遭っている当人である私は、いずれ屈服してしまうかもしれない。拘禁生活は実際、かなりキツイからだ。
 しかし諸君にとってはしょせん他人事だ。「他人の痛みは何年でもガマンできる」のことわざもある。
 他人事であるうちに闘っておいた方がいいと私は思うぞ。当事者になっちゃうと闘うべきか屈服すべきか常に迷うし。今なら諸君はいくらでも無責任に闘えるではないか。
 そしてもちろん、警察権力がすごい勢いで拡大しているという本質的な部分では、諸君にとっても今回の問題は他人事ではない。
 警察国家化を阻止するためには、こういう不当逮捕、不当勾留への激しい抗議行動が必要なのだ。
 事件の中身がこうもわかりやすくショボいってことは、むしろ問題化しやすい、闘いやすいってことなんだからね!(いくら不当逮捕でも容疑がすげー重大だったりハレンチだったりすると闘いにくいでしょ?)