鹿児島交通違反裁判
控訴審第一回公判(2008年2月21日)
法廷レポート

当時のブログより

 昨日の控訴審初公判については、後日改めて報告するが、基本的には第一審とはうってかわってパフォーマンスを排し、淡々と主張するにとどめたので、あんまり面白い報告にはならないと思う。
 が、閉廷後、衝撃の事実が明らかになったので、そのことだけをまず報告しておく。

 その場で、なんかモヤモヤとはしていたのである。
 何か、とっても大事なことに、自分が気づかずにいるような気がして。

 閉廷後しばらくしてから、ようやく思い当たった。
 高裁の審理は3名の裁判官による合議となるのだが、うちこっちから見て左手に座っていた裁判官、なんか意地悪な尋問をしてきてヤな感じだなあと思っていた裁判官を、「なんかこの人、見たことあるぞ」と、尋問に受け答えしながら、私は無意識に感じていたようなのである。
 そして、ヤツが何者なのか、閉廷後に思い出したのである。

  一木泰造!

 忘れもしない(忘れていたんだが)2001年の福岡地裁、私の最初の刑事裁判で、どーでもいい微罪に対して懲役10ヶ月の実刑判決を云い渡した3名のクソ裁判官のうちの1人だったのである!!
 ファシストは復讐を重視する。
 政権樹立に至る過程で、ファシズム運動に敵対した連中は、政権樹立後に必ず全員血祭りにあげられることになる。
 その「過程」はどこから起算するかというと、このたびの日本(九州)ファシズム運動の“起源の闘争”である「マイ・マジェスティ闘争」、つまり1999年から2004年にかけて後の初代(臨時)総統に対しておこなわれた大弾圧事件からに決まっている。この弾圧事件の下手人として我がファシスト党の「うらみ手帳」にリストアップされている者には、微罪の傷害事件の自称被害者である女性やその支援者(矢部史郎・山の手緑や、フェミニスト弁護士どもなど)、実はこの弾圧のきっかけを作り今にいたるもネット上で私への粘着行為を続けている佐賀在住の某などの他、当然ながらそれぞれの段階で私に不当判決を云い渡した2件×三審制で総計19名のクソ裁判官どもが含まれている。
 とにかくそれぐらい、一木は我々にとって「悪いヤツ」なのである。
 ここで会ったが7年目、ではあるが、我々は現段階ではまだ政権を視野に入れるには至っていないので、悔しいが復讐は先のこととする他ない。

 というわけで、今回は「意外とマジメそうなヤツ」を装って少なくとも「求刑どおり」の罰金1万5千円(原判決の1/8)、さらには一方通行違反については無罪とさせて罰金1万円(原判決の1/12)という判決を勝ち取るつもりだったのだが、今回もまた正当な判決は望めそうにない。
 一木はさらに罪を重くするだろう。

 ファシスト政権樹立を急がねばならない。