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『全共闘以後』刊行記念トークライブ@京大熊野寮


『人民の敵』第45号
2018.6.1発行)

※発行ペースが乱れまくっており、実際に刊行されたのは2018年12月です

内容
収録日
収録場所
400字詰原稿用紙換算
〈対談〉with スガ秀実
2018.10.01
京都
約104枚
〈インタビュー〉with 佐藤雅彦
2018.06.11
札幌
約96枚

1.前号でもスガ氏との対談イベントのテープ起こしをコンテンツとしたばかりだが、今号では京大熊野寮でおこなわれた外山の新著『全共闘以後』の刊行記念イベントでの対談。まずは本の内容に沿う形で“68年”闘争の意義、その消息と、それらと入れ替わるようにして登場した“89年”世代の諸運動に関するさまざまな考察、そして“68年”のある種の“負の遺産”と化した感のある“ポリコレ”や、その最新形態である“MeToo”現象への違和感について語り合う展開となった。スガ氏とかつて協働していた時期もある文芸批評家の渡辺直己氏が、まさに“MeToo”のエジキとなって早大教授を解任された7月の事件についても大いに話題に。

2.筑波大といえば新著『全共闘以後』でも、そもそも全共闘運動に懲りた文部省が“学生運動のない大学”を目指して73年に開学させ、学生たちは大学以外に何にもない、学生に“悪影響”を与えそうな極左活動家やアングラ芸術家の類がウロチョロしている怪しい飲み屋とかない、まったくの僻地の無菌状態のキャンパスに押し込められて、もちろん70年代のことだから学生運動をやりたがる学生が少しはいたが、当時としてはありえないぐらい徹底弾圧され、実際まさに“学生運動のない大学”が実現され、他のフツーの大学でも“筑波大に学べ”とキャンパスを多摩とか相模とかに移転させたり、不特定多数の学生がタムロしにくいような構造にサークル棟や学生寮を建て替えたりといったインボーが進んで、80年前後には全国の学生運動で“筑波化阻止”が合言葉のようになっていた、という話を書いた。それは事実そのとおりなのだが、筑波大といえども70年代の話である。前述のとおり、学生運動をやりたがる学生はまだフツーに、多少はいる。弾圧の網の目をかいくぐり果敢な闘争が試みられ、やが開学からわずか5年後の78年、無菌状態で飼育されて政治的にウブなところにつけ込まれた筑波大生たちが大規模な選挙違反事件に巻き込まれるというトンデモ事件を機に、「やっぱりボクたちも少しは“政治”とかに興味を持ったりすべきなんじゃないかしら」という機運が一気に高まって、翌79年にはそれまでの当局お仕着せの中学校の文化祭レベルの学園祭を拒否する“自主学園祭”要求闘争が燃え上がり、なんと当局を打ち負かして“自主学園祭”を実現してしまう。そしてさらに翌80年の“自主学園祭”は、筑波大に対する初の機動隊導入を伴う形で潰されてしまうのだが、学生たちはすでに完全に調子に乗っており、その時点でもはや筑波大は、当時の大半の大学よりずっと学生運動が盛んな状況で、各党派も入り乱れてオルグ合戦を繰り広げているほどであり、“学生運動のない筑波大学”というイメージは、あくまで78年以前のものにすぎなかったというのである。外山が札幌で出会った、当時の過程をすべて現場で実体験した筑波大OBに、例によって根掘り葉掘り訊いてみた記録である。