『人民の敵』第10号
(2015.7.1発行)
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内容
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収録日
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収録場所
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400字詰原稿用紙換算
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1
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〈発掘インタビュー〉見津毅
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1993.02.25
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東京
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約139枚
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2
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〈発掘インタビュー〉太田リョウ |
1993.02.21
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東京
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約177枚
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各コンテンツの内容と冒頭部分
(もともと一般公開を前提としていない内容で、コンテンツによってはサシサワリある発言も多く、3段組レイアウトの冒頭1段のみ掲載します)
コンテンツ1 〈発掘インタビュー〉見津毅
この第10号は実質“「秋の嵐」特集号”となった。「秋の嵐」は90年前後の若いラジカリズムの(知られざる)高揚期の中心に位置し、2015年現在でもその人脈的系譜は運動シーンの随所に(在特会界隈やそのカウンター界隈にまで)残る超重要な存在なのに、当事者たちが資料や証言をほとんど残していないために、実態が知られないままたまに“都市伝説”的に語られてしまう困った状況が今なお続いている。しかも「秋の嵐」の(特に後期の)中心人物2名はすでに故人である。が、実は外山はその2人(&やはり「秋の嵐」の中心的活動家だった佐藤悟志と鹿島拾市の計4人)に93年2月段階で回想インタビューをおこなっていた。これらの貴重な記録をいつまでも“お蔵入り”にさせておくわけにはいかないので、見津インタビューの冒頭で注釈したとおり、関係者に断りもなく今回は独断で勝手にこれら故人2名へのインタビュー・テープを起こして公開することにした次第である(佐藤インタビューはすでに第2号に掲載)。まず見津毅は、「秋の嵐」の結成から解体まで、すべての時期にわたってその中心にいた“メイン中のメイン”の人物である。 |
公開部分は全体の約45分の1
コンテンツ2 〈発掘インタビュー〉太田リョウ
後期「秋の嵐」(90年秋)に、その類稀れなアジテーション・スキルで高揚をもたらせた太田リョウのインタビュー・テープ発掘である。どんな解説も不要、ただ「読め!」と云うしかない。 |
公開部分は全体の約51分の1