『人民の敵』第7号(2015.4.1発行)


コンテンツ2
〈対談〉with スガ秀実
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


外山 80年代の終わり頃って、まあ最も先鋭的な部分は高校退学になろうがどうしようが、反原発でも反管理教育でもやってやるんだってノリがあって、かつブルーハーツを筆頭とするバンド・ブームや、風の旅団に象徴されるテント芝居の第2次ムーブメントもあったし、そういう風潮に背中を押されて、多少は優柔不断なタイプでもドロップアウトしやすい状況だったけれども、それでももう少し勇気や単にタイミングがなくてその一歩を踏み出せずに、それを負い目に感じてたような層を、浅羽通明が正当化してくれた側面があると思うんです。あんなのに参加しなかった君たちの方が正しいんだ、って。
スガ そうだね。浅羽の影響力に関しては少し後から気づいて驚いたんだけど、ペペ(長谷川。90年代半ばから後半期にかけて首都圏の諸々の運動の基軸にあった「だめ連」の2人の中心的活動家の1人)なんかでさえ浅羽にシンパシーを持ってた時期があるって云ってたよ。
外山 呉智英にせよ浅羽にせよ、自分たちの言説が今のような“ネトウヨの増殖”を結果するとは、内心忸怩たる思いでいるんじゃないかと思いますよ。おそらく自分たちが元凶だって自覚はありますよね、2人とも。
スガ たぶん自覚してるでしょう。10年近く前だったか、浅羽が花咲(政之輔。早大ノンセクトの首領)たちの運動に言及したことがあるんだよ。「早稲田の教員がぐーたらしてるから、早大の言論の自由が失われたんだ」とかって、一定のシンパシーを持ってるような書き方をしてた。おれもそうだけど、浅羽も“大学”って場所がいかにくだらないものであるか、よく知ってるわけですよ。今は手足になって動いてくれる現役学生がいなくなっちゃってほとんど何もできずにいるようだけど、01年のサークルスペース撤去反対闘争以来、これまで花咲は10数年にわたって早大の運動を担ってきたわけでしょ。で、タテマエではあるけど、教員たちにも共闘を呼びかけるよね。最初の頃は、度合いはともかく支持を表明してくれる教員もそれなりに大勢いたんですよ。ところが状況がシビアになるにつれて、守中(高明。フランス現代思想を専門とする早大法学部教授)とか、どんどん脱落していっちゃうんです。
外山 たしか宮沢章夫(劇作家。05年から13年まで早大客員教授)もそうだって話でしたよね。
スガ まあ、そういうことなんだろうね。ある種の経済的な問題にもかかわってかと思うけど、花咲たちの運動は「メチャクチャすぎて支持できない」って急に掌を返した。とにかくそういう教員が大なり小なり、たくさんいるんです。浅羽もバカじゃないから、大学教員ってもののそういうくだらなさはよく分かってるんだと思う。しかしだからといってネトウヨを育成しちゃいかんよ(笑)。そのギリギリの線での踏みとどまり方がどうも浅羽には……まあ浅羽というより、そもそも吉本だよね。吉本から呉智英へ、呉智英から浅羽へ、ってラインの人たち。さらにもっと“右”まで行っちゃったのは、やっぱり大月ですけど。
外山 ああ、そうですね。大月隆寛は一時期は「新しい歴史教科書をつくる会」にも名を連ねてましたもんね(註.90年代末に「事務局長」を務め、まもなく脱退)。
スガ あのラインの人たちの言説がネトウヨの隆盛に帰結しちゃったわけで、彼らはそれについてちゃんと総括すべきですよ。ほんとに困ってると思う、彼ら自身が。


スガ 日本の左翼が転向すると柳田に行くでしょ。それがどういうことなのか、おれにはずっと分からなかったんだけど、要するにクロポトキンだったんですよ(笑)。そういうものが柳田のベースにあることに誰も気づかなかったし、指摘してない。柳田は農本主義だとか土着主義だとか、いろいろ云われてきたけど、それは実はクロポトキン主義のことだったんだよ。だから転向した左翼が今でも柳田のそういう部分に惹かれて回帰していく。
 で、柳田って単に民俗学の人ではなくて、同時に農政学の人でもあるでしょ、農政官僚なんだし。だけどそれもクロポトキンなんだよね。『田園・工場・仕事場』っていうクロポトキンの本があって、柳田はそれを読んで、こういうふうに農村を運営していくべきだって講演もやってるんです。
外山 露骨に書名を挙げて引き合いに出してるんだ。
スガ うん。ところが柳田学者たちは誰もそこに注目してない。というか、分かってないんだよ。それは柳田が自分で書いた文章じゃなくて、講演の書き起こしだから、そもそも「クロポトキン」じゃなく「クロパトキン」って表記されてたりする。で、柳田全集の註では、それがアナキストの「クロポトキン」のことだって書かれてなくて、つまり校訂してる人が気づいてないの(笑)。柳田がクロポトキンに言及してるものはもう1つあって、それはその講演より少し前の時期で、大逆事件よりも少し前に「クロポトキンとツルゲーネフ」って文章を書いてる。
外山 タイトルにまで露骨に(笑)。
スガ なのにそっちにも誰もまったく注目してない。柳田全集にも載ってるのに、柳田研究者が誰もその重要性に気づいてないんだ。そもそもは匿名で書かれた短い論文なんだけど、何が重要なのか説明をだいぶハショると、その論文に註がついてて、「『クロポトキン』は地理学者」って書いてある。全集の解説担当者が書いてるのね。それはつまり……いや、たしかにクロポトキンは地理学者ですよ(笑)。だけど世界的にも日本国内的にも、クロポトキンと云えば何よりもまず「アナキスト」として認識されてるわけでしょ。
外山 ん? どういうことなんだろう。
スガ 註を書いた柳田研究者がクロポトキンを全然知らないんだよ(笑)。
外山 えっ、単にそういうことなんですか?
スガ 人名事典か何かで調べてみたんじゃないかな。そしたら「地理学者」って書いてあったんでしょう(笑)。
外山 「アナキスト、文学者、地理学者」とか書いてあって、柳田のこの論文のテーマからして「地理学者」って部分を拾えば読者の理解を助けられるだろう、と……。
スガ おそらく。だけどクロポトキンの地理学の本なんかロシア語でしか読めないようなもので、たぶん日本人はほとんど誰も読んだことないよ(笑)。とにかく全集に関わった柳田研究者が、誰もそこを理解してないし、読む側も誰もそこに注目してない。


外山 3・11以降の反原発にもぼくは最初からそれほど期待してなくて、事故が起こってから対応するんじゃ“スケジュール闘争”と大差ない。88年はまだ日本で何も起きてないのに原発を焦点化させた。戦術も今回みたいにデモが中心ではありませんでしたよね。ただ電力会社前に集まって無期限で騒ぎ続けた。許可制のデモをいくらやっても権力側は事務的に対応すればいいだけなんだから、打撃にはなりませんよ。向こうがどう対応していいのか苦慮するようなことをしなきゃダメなんです。
スガ 88年の経験についても、まったく総括が出ないよね。当時の中心的活動家たちが今回どうしてるのか、それさえ見えないでしょ。
外山 小原良子(註.88年の高揚の火付け役となった大分県の主婦)とか……。
スガ 中島真一郎(註.従来の反原発運動への小原の批判に同意して合流、全面協力で支えた熊本県のベテラン活動家)とか。
外山 88年の反原発は、要するに“非暴力直接行動”路線じゃないですか。
スガ そうだね。
外山 だけど3・11以降の反原発派の感覚からすると、88年程度のことですら“過激”な路線に見えちゃうんだと思うんです。もちろん彼らは歴史から切断されちゃってるから詳しいことは知らないんでしょうけど、88年って“非暴力”とはいえ、単に狭義の物理的暴力に訴えないってだけで、“非暴力=遵法”ってことではありませんからね(笑)。無許可で集まって路上を占拠するんだし、電力会社の社員や警官に罵声を浴びせる人がいても誰も止めないし、集合を呼びかけた側は具体的に何をやるか指示しませんから、それぞれ“自己責任”で思い思いにやってください、って方針だった。
スガ あれは3・11以降に限らず、当時ですら“過激だ”って云われてたよ。
外山 そういえばそうでしたね(笑)。おそらく3・11以降の人たちが主観的に“60年代、70年代のノリ”だと思い込んで忌避してるような路線は、実は88年のものなんですよね。むしろまさにその“60年代、70年代以来”のノンセクト・ラジカルというか無党派市民運動が、88年の担い手たちには“オールドウェーブ”として非難の対象になってた。ポップな味つけの非暴力直接行動が“ニューウェーブ”として提唱されたわけです。それと同じような対立が攻守逆転して繰り返されてるとも云えますね。88年的な“ニューウェーブ”が今度は“オールドウェーブ”として非難の対象になってるような……。
スガ そうそう。
外山 当時の“ニューウェーブ”の中でも最左派だった札幌の宮沢直人が、3・11以降に周辺の血気盛んな若者たちを何人か集めて、見た目だけ過激な抗議行動を北電本社前でやってました。社員たちに食ってかかったり、発煙筒を焚いたり、ほんとに“見た目だけ過激”で、実際にはたいしたことないんだけども(笑)、その動画を見た最近の反原発派からは一斉に非難されてましたからね。“こういう人たちがいるから反原発が誤解されるんだ”って。


外山 リベラルというか、穏健左派の人たちは最近、何に展望を見出してるんでしょう? “安倍を倒せ”の大合唱は相変わらず続いてるけど、実際どうやって倒すつもりなのか……。そもそも倒してどうするのか(笑)。
スガ とくに展望はないと思いますよ。だから最近は大臣の不正献金疑惑なんかを次々と、延々そればっかりやってるでしょ。
外山 とにかく1人でも辞めさせよう、と。
スガ 憲法1条を残して9条を変えるってことはわりと簡単そうだけど、逆に9条を残して1条を変えるのは至難の業ですよね。もちろんそれらはそもそも“セット”なんだけど、左派は“セットである”ってことをどれだけ理解してるのか疑問です。むしろ現在ほどその“セット”ぶりが明白な状況もあんまりないぐらいじゃないですか、皇室が平和主義者の巣窟みたいになっちゃって(笑)。9条が1条と“セット”で存在してるってことを、戦後の左派はあんまり真剣に考察の対象にしてこなかった。“天皇制打倒”を本気で追求してこなかったからこそ、9条も残ったとさえ云えると思う。今後も残りますよ。“形骸的9条”なんか、永久に残せるでしょう。
外山 どこの国だって“ウチは自衛かどうかに関係なく戦争をやれることにしてます”とは云いませんからね(笑)。
スガ 実際にもう軍隊を持ってるんだし、左翼は「軍隊は持っていいから天皇制を廃止しろ」と主張することもできたはずなのに、そうしなかったわけですよ。それで“普通の国”になれなかったとも云える(笑)。徴兵制の復活を憂慮する左派もたくさんいるけど、そもそも世界的に見てもう徴兵制をやってるところなんかないですよ。
外山 韓国とかにはあるけど……。
スガ うん。つまり“先進国”にはないんです(笑)。
外山 そういうことですよね(笑)。とにかく左右ともに、古くさい“左右”イメージをお互いに内面化していて、困ったもんです。
スガ ミもフタもないけど、やっぱり共産主義が崩壊したのが原因ですよ。
外山 あ、個別具体的な主張を支えるイデオロギーがなくなったから、具体的主張のワンセットだけが残った、とも云えるかもしれませんね。それらを統御するイデオロギーがなければ、その改編もできないっていう。
スガ かつて共産主義があった場所には今やISしかない(笑)。
外山 なかなかイスラム国と組もうって気にはなれませんよね。
スガ ISって革マルに近いのかなあ。オウムというより革マルって感じがするんだけど、どうですか、そこらへん。
外山 ん? イスラム国のありようが、オウムと革マルと、どっちに似てるかってことですか?
スガ ネットで見てても、オウム的だって意見と革マル的だって意見があるんですよ。
外山 うーん……関東連合だと思います(笑)。
スガ まずISは“地域支配”をしてるよね。
外山 なるほど、革マル派が拠点大学を恐怖支配するように、と。“領地”がある(笑)。
スガ そうそう、早稲田とか国学院とか(笑)。
外山 “実効支配地域”が……。しかもそれも“領域”というよりは“点”で支配してる(笑)。
スガ うん(笑)。


外山 やっぱり“内ゲバ”って結局は“革マル問題”なんだよなあ。
スガ そうなんです。関西ではまだそこまでシビアではなかったらしいけど、首都圏ですね。典型的にはやっぱり早稲田。
外山 革マル派が“一元支配”を実現した段階でそれはもう始まってしまって、72年以前からすでにそうなってる大学もあった、と。
スガ 69年の早大闘争の少し前ぐらいの時期の早大での内ゲバは、解放派と革マル派の、自治会あるいは文連の取り合いの問題にすぎなかったんです。ところが結局やがて、革マル派が謀略的な手段を使って、早大から解放派を放逐することに成功してしまうんですよ。そこから本格的な一元支配が始まる。それまでだって文学部キャンパスなんかは革マル派の一元支配だったんですけど、早大そのものから解放派を叩き出したことで、それがもっと完璧なものになるんですね。
 それは当時の全共闘運動全体にとっても大きな問題で、象徴的には、70年の全国全共闘の結成集会のポスターを見ても分かりますよ。ネットにも転がってるんじゃないかな。会場である日比谷公園までデモで向かうんですけど、早稲田を1周してから向かうってルートになってるはず。結局それは早大当局と警察に阻止されて実現できなかったんだけど、そういう元々の予定のルートにも、早大の状況が極めてマズいことになってるという全共闘運動全体の問題意識が表れてるんですよ。一時は早大全共闘も革マルと拮抗してたんだけど、解放派が追い出され、全共闘も追い出されて、早大がまた革マル派による一元支配に戻ってしまったことは、ものすごく深刻な問題として広く共有されてた。もちろん全国全共闘を主導してたのは中核派ですけど、単に中核派の方針が押しつけられたわけではないんです。全国全共闘って、革マルを除く新左翼8派とノンセクトの合同だけど、その全体にとって大きな問題だと感じられていたんですよ。
外山 全共闘も早大から追い出されたんだ。
スガ 歴史的に説明すると、まず68年に革マル派が一元支配を完成するわけね。
外山 さっきの、解放派が放逐されたって話ですか?
スガ うん。で、69年春だから東大の安田講堂攻防戦も終わった後ってことになるけど、散り散りにされてた早大ノンセクトが「反戦連合」ってのを作って再結集して、卒業式だか入学式だかにかこつけてキャンパスに公然登場して、革マルと内ゲバをやって勝ったんだよ。30人対60人ぐらいの内ゲバで、こっちが“30人”の方ね(笑)。2回やって、2回とも勝った。それで黒ヘル・ノンセクトがまた早大にも登場できるようになって、一時は勢力的にも拮抗するぐらいにまでなったんだ。
外山 つまり解放派が追い出された後にはノンセクトも公然登場できないような状況で……。
スガ もちろん。
外山 それが数ヶ月続いてたわけですね。
スガ うん、数ヶ月だな。ちょうど“安田講堂”の前後の時期。早大には全共闘がないって状況で、これはマズいってことでノンセクトを集めて内ゲバをやって、打開したわけだよ。それにくっついて解放派なんかも青ヘルを黒く塗りつぶしてまた早大に入って(笑)、一緒に早大本部の占拠なんかをしてるうちに勢力も拮抗してきたから、黒かったはずのヘルメットのいくつかがだんだん青に戻ってきたりしつつ(笑)、やがて「早大全共闘」を名乗り始める。だけど69年の夏かな、機動隊導入でバリケードが解かれて全共闘が追い出されると、やっぱりまた革マルの一元支配に戻るんだよね。ちょうど9月の「全国全共闘」結成が、党派間のボス交によって進行してる時期でしょ。当然、早大をどうするかって話も出るわけですよ。それで、もちろん周りをグルッとデモしただけで早大を奪還できるわけでもないけど、あくまでそういう“示威行動”をした上で全国全共闘を結成するって流れにしたんだろうね。
外山 じゃあ“早大全共闘”はほんの半年にも満たないぐらいの存在で……。
スガ そういうことになります。だけどその後も余波というか、くすぶってはいたんだと思う。だから川口事件をきっかけとして、また火がつくんですよ。その間も学外にはいろんな運動がある。
外山 学内に革マル派以外の運動が公然登場できないだけで、他党派のものも含めて学外のデモや集会に参加してる早大生はいくらでもいますよね。そもそもそれを見とがめられて川口君が中核派シンパだと疑われたんだし。……川口事件の直後から半年だか1年だか、革マル支配の打倒を目指す“第3次早大闘争”(註.“第2次”は69年の“早大全共闘”、“第1次”は他のいくつかの大学でのさまざまな闘争とともに“プレ全共闘”の1つとされる65年末〜66年の学費闘争)が盛り上がって、だけどそれも鎮圧されてしまうわけですが、第3次闘争の終息後に再び敷かれた恐怖支配は、じゃあ解放派が追い出されてから一瞬の“早大全共闘”が登場するまでの間の時期のそれと、あんまり違わないわけですか?
スガ 同じようなものだったと思いますよ。とくに反戦連合が登場する直前の頃は、かなり似てたんじゃないですかね。革マルは、他党派と関係してそうな奴を見つければ必ず捕まえて、自治会室に拉致してボコボコにしてましたし。


外山 とにかく70年代後半から80年代前半にかけての約10年間は、資料も証言も少ないし、完全に運動史のブラックボックスと化してますよ。
スガ 空白ですね。継承関係もそこで切れてるでしょう。
外山 とくに地方の情報が皆無に等しいんです。それは“68年”についてさえ、小熊英二の『1968』でも頑張ってある程度はフォローしようとしてる形跡があるけど、結果的にちゃんと拾えてるかは微妙ですよ。もともと地方大学の学生運動に関する情報は少ないんだけど、それが70年代後半以降となると、地方だろうが首都圏・関西圏だろうが、おしなべてほとんど何も分からない。
スガ そうなんだよな。小熊英二の本はマイナーな全共闘もフォローしてるっていうのがウリらしいけど、映画『圧殺の森』で有名な高崎経済大学闘争にさえほとんど触れてない。むしろ中公新書で小林哲夫って人が書いた『高校紛争』(12年)って本があるでしょ。あれは全国各地の高校の“校史”とかを原資料にしてて、だいぶ見通しがいいよね。
外山 そうですね。ああいうものの“大学版”が、“68年”についてさえ存在しない。
スガ 大学には高校の“校史”みたいなものがないから……あることはあるんだろうけど、ちゃんとした記述がないと思うんだ。『学習院史』というのもあるらしいけど、“革マル中心史観”になっているようだし。“西の日大”と呼ばれてやっぱり学生運動がずっと抑え込まれてた近大にだって、65年くらいに日大に先行するかなり大きな“民主化闘争”があって、それは校史にも載っているんです。ただ、それ以上に調べる手立てが、とりあえず見当たらない。
外山 “大学新聞”には多少はそういう記事もあるじゃないですか。全国をくまなく回れば、いろいろ発掘できるとは思うんですけど。
スガ それも80年代にはもう消滅してるんじゃないかな。しかも早稲田の新聞なんか完全に革マルのものだし、慶応の『三田新聞』もいつまで続いてたのかなあ。東洋大の新聞も70年代のうちに終刊してるはず。
外山 ぼくが18歳ぐらいの時に出会って、その後さんざん“査問”的に鍛えてくれた、それこそぼくの師匠格の人がいて、もう死んでるんですが、彼はもともと九大ノンセクトだったらしいんです。彼が云うには、70年代ずっと下降線を辿っていた九大学生運動が、80年だかにいきなり、学生総会が定足数割れせずに成立するほど盛り上がったというんですよ。もっと調べてみないと分からないけど、そういう“埋もれた歴史”は各地にいくらでもあるはず。
スガ 『デルクイ02』で外山君がやってたいくつかのインタビューも、非常に貴重なものでしたね。山口大の話とか。何人ぐらいでやってたのか分からないけど、たぶん1ケタでしょ(笑)。
外山 あれは“80年代半ば”の山口大ですね。なんでも中核派と戦旗西田派が拮抗していて、そこにちょっと元気のいいノンセクトが出てくるとオルグ合戦が始まって、どっちかの軍門に下るか消耗して運動から身を引くか、結果として80年代の山口大をノンセクト不毛の地にしてしまったという自己批判的な回想インタビュー。
スガ 80年前後というのはもう“ポスト川口”の時代だろうね。
外山 ちょっと盛り上がってたフシもあるんですよ。九州大学で数年ぶりに学生総会が成立したって話もそうだし、早大ノンセクトの復活もあるし。昔ちょっと云われた“学生運動10年周期説”ってのがあるけど、前の世代の運動解体期の悲惨な記憶がちょっと薄れて、それをあまり深刻には引きずってない新世代が何か新しいことをやろうって気になるのに単にそれぐらいの時間を要するのかもしれません。若い頃のぼくを鍛えてくれたその人が九大ノンセクト時代に発行してたミニコミがあるんですが、当時流行った糸井重里の、『ビックリハウス』に連載してた「ヘンタイよいこ新聞」みたいなノリなんです。今の感覚からはたぶん分かりにくい、シュールでナンセンスな内容で、“68年”とはまた違う、刷新された新世代の学生運動が萌芽的に出てきてた時期なのかもしれないんです、80年前後って。
スガ その九大の例は、その人の個人的能力の問題ではなく?
外山 そこらへんは何とも……。だけど坪内祐三の回想記を読んでも、当時の早稲田で、もちろん早稲田は革マル支配下だから事情は特殊だろうけど、政治に関心がないわけではないが直接的に政治的な主張をやるわけではない、バカバカしいノリの冗談ミニコミ運動みたいなもので一部学生が盛り上がってたとか、あと、あれもそうですよね、島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』に……。
スガ ああ、そうだそうだ。
外山 あれも80年前後の首都圏の学生運動の一断面ですよね。
スガ 外語大が舞台で、露文専攻の学生たちが中心の運動が小説のモデルなんだよ。そのグループに参加してた人を知ってる。もう死んじゃったんだけど。
外山 やっぱりシュールでナンセンスなノリの、だけどそれなりにいろいろマジメに考えてるっぽい学生たちによるヘンテコ政治運動が描かれてるけど、やっぱりそういうのが各地に同時発生しつつあったんじゃないかと。