『人民の敵』第6号(2015.3.1発行)


コンテンツ3
〈貴重文書発掘〉「ヤケッパチの一票を! 都知事選回想記」第一部
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


 過去に極右や極左の議会外の政治党派が候補を擁立したことはいくらでもありますが、ほとんどすべて、フツーの選挙をやっちゃうんですね。アブない奴らだと思われたくないんでしょう。たいていは市民派とか改革派みたいなイメージを押し出して、無難な線でやります。何度か参院比例区に候補者を立てている極右政党の「維新政党・新風」もそうです。
 そういうんじゃダメなんですね。
 どうせ通りゃしないんだから(笑)、いや、大きな市議選レベルなら一人二人通せるかもしれませんが、極右や極左の最終目標は社会全体を革命的に変革することですから、一人や二人の地方議員を持てたからって、大局的には何の意味もありません。議員を誕生させることよりも、まずはしっかりした同志を獲得することの方がずっと大事です。だとすれば、過激な主張をオブラートに包むべきではない。
 人口五万人の街なら、過激な人は何人かいますよ。そういう人をできるだけ全員発掘する。それが選挙権のない未成年であってもいいわけです。心底から過激な人は何人かでしょうが、過激なことを好む人は何十人かいます。中核になる何人かを確実に同志として獲得しつつ、さらに何十人かをシンパとしてネットワークする。そういう成果を出せれば、革命党派としては現段階では充分じゃないですか。当選する必要はないし、考えようによっては供託金を没収されたっていいかもしれません。
 重要なことは、私はよく学年に一人くらいいるタイプと云うんですが、まあ数百人に一人くらいの圧倒的少数派のハートをガッチリつかむことです。そのためには自分たちが過激派であることを一目で分からせなくてはならない。市民派みたいなノリは却ってマイナスです。そんなことをすれば、寄ってくるのはどーでもいい連中ばかりになるし、本来発掘したい潜在的過激派には見向きもされない。何の意味もありません。


 私は、文章を書く能力については絶対的な自信がありますが、喋りができない。これがずっとコンプレックスだったんです。で、どうやったら喋りを鍛えることができるだろうかってことで、それはやっぱり演劇かな、と。だから出所したらすぐどこかの劇団に加入しようと、実はこれは獄中にいる時点で決めていた。ファシストになったんですから、演説もうまくならなきゃってことですね。
 ああ、その前に、そもそも獄中で喋りの訓練は始めてたんだ。その話をするのを忘れてました。
 私は二年間ずっと独房にいたわけですが、独房というのはお仲間との人間関係に煩わされなくて、読書したり落ち着いてものを考えるにはいいんですが、声を出す機会がほとんどない。これが結構ストレスなんです。たまには大声を出してストレス解消をしたい。もちろん監獄でいつも大声出して怒鳴り散らしているのは看守どもだけで、独房でなくても受刑者は大声なんてめったに出せませんけれども。“番号!”の時だけですかね。
 まあともかくそこで私は考えた。たしか懲罰房というのがあるはずだ。暴れたり騒いだりする奴が連れていかれるんだから、当然ながら防音もしっかりしているはずだ。つまりそこへ行けばいいんだ(笑)。
 まずは丁重にお願いしてみたんです。看守を呼んで、こう云ってみた。
 「私は外の世界ではストリート・ミュージシャンをやって生計を立てている。もちろん出所した後もそれで生活していくつもりだ。ところがココで生活していて一つ大きな不安がある。というのも、もう長いこと私は、声を出して歌っていない。声というのは使わないとどんどん退化してしまうもので、例えば高いキーが出なくなってしまうんじゃないかと不安である。そうなるとこれはシャバに出てからの稼ぎに影響する。社会復帰が困難になるということである。私は社会復帰のために定期的に発声練習をおこないたい。しかしこの独房で大声を出すのは周囲の迷惑だろう。ついては、懲罰房なるものがあると聞く。想像するに、そこは防音も完璧だろう。だから私をそこへ連れていってほしい。受刑者の社会復帰を支援するのも刑務所の重要な責務の一つである」とかなんとか。
 もちろん即座に却下されまして(笑)、じゃあ今からここで大声で歌う、と。だったらそれは懲罰の対象であるから懲罰房に連れて行くのに問題はないはずだ。しかし本当に歌うとそれはやっぱり周囲の迷惑だから、この「今から歌う」という宣言をもってもはや歌ったも同然ということで、ほんとに歌い出す前に懲罰房に連れて行ってくれと云ってみたんですがこれもやっぱり拒否されまして、仕方ないから実際に大声で歌いました。ブルーハーツの「青空」ですけどね。
 そしたら看守がまずは「やめなさい」と云う。無視して歌っていると、やがて非常ベルを押される。でも他の看守どもが到着するまで多少時間がかかる。その間に「青空」はフルコーラスで最後まで歌いきってしまった。しょうがないから続けて中島みゆき(笑)。
 これは正確には福岡刑務所に移送される前で、まだ福岡拘置所にいた段階での話なんですが、どうやらすぐ上の階に革マル派の活動家が収監されてるらしいことが分かっていた。というのも、福岡拘置所で死刑が執行された時に、向かいの棟で抗議のシュプレヒコールを上げた囚人が看守たちに連行されるという騒ぎがあったんです。おそらく革労協の活動家でしょう。ちょうど、革労協が分裂して“内々ゲバ”の殺し合いが続いていて、福岡でも何人か捕まってた時期でしたから。あるいは中核派だったかもしれませんが、ともかくその騒ぎの時に、すぐ上の階から「人殺し集団!」というヤジが飛んだ。で、「げっ、革マルもいる」と(笑)。そういうわけで、そうした諸党派の諸先輩方への激励の意味も込めてですね、「青空」に続けて中島みゆきの「世情」を(笑)。
 それでもまだ看守はもたもたしていて、さらに何か歌ったような気もしますが、やがて何十人もわらわらと集まってきて、羽交い締めにされてめでたく懲罰房へ。こっちは最初から連れていけと丁重に頼んでるんだから、そんなに大袈裟にしなくてもいいのにね。
 面白いエピソードかと思ってついつい脱線が長くなりましたが、とにかくそんなふうに、その後も刑務所に移ってからも何度かわざと懲罰房に行きまして、心おきなく歌ったり叫んだりしました。そういう時に、歌うだけじゃなくて、ちょっとした芝居の練習みたいなこともやってたんですね。
 といっても大したことではないですよ。発声練習のやり方なんかを書いた、鴻上尚史さんの本を差し入れてもらって、ひととおり頭に入れた上で懲罰房に行って、実際にやってみたりとか。
 あと、例の『ファシズムの誕生』。それに引用されてた「世界はどこへ行く?」というムソリーニのエッセイがあるんですが、単行本で二ページぶんぐらいかな、それを独房にいる間に丸暗記して、懲罰房で大声で演説みたいに暗誦したり。高い声でやったり低い声でやったり、テンポを早くしたり遅くしたり、あるいは声色を変えたり、いろいろ試しました。もともとエッセイであって演説原稿ではないんですが、これはたぶん後の政見放送での役作りにかなり役立ってますね。
 福島泰樹ごっこもやりました。いるじゃないですか、自作の短歌を絶叫するパフォーマンスで有名な、ろくでもない全共闘オヤジが。私も獄中で短歌に目覚めて、それらはサイトで全部公開してありますが、私の短歌は絶叫向きではありませんから、やっぱり独房にいる間に他人のいろんな短歌を何十首か覚えておいて、で、懲罰房で福島泰樹ごっこと。
 くだらないこともやったなあ。“ぼくドラえもん”って一言を、さまざまに口調を変えて繰り返す(笑)。大阪弁のドラえもんとか、鹿児島弁のドラえもんとか、東北なまりのドラえもんとか。ハタから見れば間違いなくキチガイですよね。実際ハタから見られてるんですけどね、見張りの看守に(笑)。


 選挙期間中、野口君はこれまたいかにも市民派っぽく、二、三名の若い支援者と連れ立って市内各地を自転車で遊説してまわる、というスタイルを通しました。そういうのが好きな人には一定アピールするんでしょう。
 しかしオーソドックスな市民派選挙をやるだけなら私がその陣営にいる意味はありませんから、私は私にしかできない、思いつかないやり方で関わることにしました。
 私は主に選挙カーに乗っていたんですが、まず、当時まだスキンベッドではなかった私は、年も近いですし、顔立ちもまあ似てると云えば似てたので、事実上、野口君になりすまして、つまり道行く人が選挙カーで喋っているあれが候補者本人だと誤解する分には誤解するにまかせておいて、できるだけ面白い演説をやりました。
 もちろん内容はまったくリベラルなものです。私ではなく野口君の選挙なんですからね。“男女共同参画”だとか“エコロジー”だとか、本当は私なんか心にもない、むしろ疑問視してるような(笑)愚劣な主張を、野口君を当選させるためだと開き直って、ただそれを少し面白おかしく喋ったんです。少しですよ。「鹿児島は男尊女卑の野蛮な土地だと思われています。男女共同参画社会を実現し、ドドドドド田舎の汚名を返上しましょう」とか、その程度の穏健な過激さ。本当に過激で面白いことを云うとむしろ反感を買います。
 もう一つ、私が担当した重要な任務は、選挙カーの演説の背景に流すBGMのテープを編集したことですね。これが我ながら巧妙で……(笑)。
 住宅地用と繁華街用と二種類作ったんですが、まず住宅地用ね。
 昼間に住宅街で流すんですから、訴える相手は主に専業主婦とか自営業者・自由業者とか、そこそこ裕福な年配層ってことになります。そのうちのリベラル層に好印象であればいい。衣食足りて礼節を知っているような層。これはもう、陽水、拓郎、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、ジョン・レノン……(笑)。そのラインで、多少なりとも政治的・社会的な──拓郎だったら「イメージの詩」とか。ジョン・レノンは当然「イマジン」ですよね。陽水は、「傘がない」だとちょっと暗くなっちゃうので「最後のニュース」を選んだりして。で、そういうBGMを背景に、演説は左派系の市民運動からごく数名来ていた、穏やかに喋ってくれる、いかにも市民派的なオバサンに任せる。
 繁華街とか、あるいは大学周辺では違うテープを流す。
 こっちは多少なりとも反抗的な気概を持ってる健全な若者向けの選曲になってます。ブルーハーツ、忌野清志郎、奥田民生、セックス・ピストルズ、あとドラゴン・アッシュも入れたと思う。もう一年後だったら椎名林檎も入れただろうという、まあそういう並びですね。で、それをバックに、私が、内容的には実はそれほど過激じゃないんだけども、口調としては扇動的な、まくし立てるような演説を、たまにギャグも織り込みつつ、若者向けにやる。
 とくに繁華街用のテープは、流してるだけでたくさんの若者が向こうから手を振ったり、拳を突き上げたりの反応をしてきました。そりゃピストルズ流してる選挙カーなんて、他にありませんからねえ(笑)。
 もちろんピストルズは英語の曲だから入れても大丈夫なんです。どうせ歌詞を理解して聴いてる人なんかほとんどいませんから、とにかく反抗的で過激なイメージの代表曲という程度の意味づけにすぎません。清志郎も、本当に過激な、例えばタイマーズの曲なんかは入れません。
 最終日には延々とビートルズの「ヘルプ!」を流して、サビの“ヘルプ!”の部分に合わせて「あと一歩です」「野口英一郎を助けてください」などと連呼するとか、つまりそういう、一定の節度を保った上でのやりたい放題というか、まあかなり反則技的でもある戦術をいろいろ捻り出しては実践する、というのが私の担当みたいな感じになった。
 政治的なセンスと文化的なセンスとを両方兼ね備えていなければできない、かつ、自分の選挙ではないのでそれらを決して全開にはしないという(笑)大人の常識も必要とされる、特殊な役割ですね。誰にもできることではない。
 もっと詳しくは、これも私のサイトに当時書いた選挙戦レポートがあるんで、そっちを参照してください。
 でまあ、今となっては幸か不幸か、野口君は五〇人中四九位でギリギリ当選したんだけど、つまり私だってやろうと思えば当選するための選挙はやれるんだということを、一応は云っておきたいわけです(笑)。市民感情を逆なでしない程度に過激さの水準を落として、もちろん辻立ちやポスティングなんかの事前運動をきちんとやった上でですが、そうすれば当選しようと思えば当選する。
 あと、この野口君の選挙で私が採用した戦術を見れば分かるように、市議選というのは一度に何十人も当選するんであって、逆に云えば何十分の一の人から支持されれば通るんですね。不特定多数から支持を得ようとして、無難なことばかり云っていては、却って埋没してしまう。かといって私の選挙みたいに、圧倒的少数派だけに的を絞るのもダメですけどね(笑)。
 分かりやすく云うと、例えばさっきのBGMテープ。年配リベラル層向けのテープも心情的反体制派の若者向けテープも、少し例を挙げたように、いずれもそういう層の人ならまず知らないということはない、超メジャーな曲しか入れてません。当選を目的にしてるんですから、マニアックな方向に走ってはいけない。陽水・拓郎は入れていいけど、頭脳警察とか、三上寛とかは入れちゃいけない(笑)。もちろんだからといってGLAYとか、最近(註.もちろんこの文章を書いた時点での例である)ならコブクロとかGReeeeeNとかですかね、そういうのを入れるのもいけません。分かりますか?
 とにかく、圧倒的・絶対的な少数派ではなく相対的な少数派、十人中二、三人ぐらいの、世の中このままではいかんと漠然と思ってはいるぐらいの人たちをターゲットにして、そういう層にアピールするイメージを積極的に打ち出せば、市議選なら当選します。
 将来的に、もちろん私自身は出ませんが、我がファシスト党から本当に当選させるつもりで候補者を擁立する時には、当然そういう選挙戦をやります。


 旧隼人町エリアの土地柄について云いますと、先ほども云ったように人口も約三万七千と、まあ地方のしかも郡部にしてはかなり多い方なんですが、たぶん読者の多くが想像される以上に都市化の進んでいるところなんです。
 例えばサブカル系のマニアックな書店チェーンであるヴィレッジ・ヴァンガードが出店してたりする。実は私は高校時代に一年間だけ、八六年から八七年にかけて、当時は父方祖母宅だった今の実家に住んでいたことがあるんですが、それから十数年経って、考えられないような変化ですよ。私の高校時代には、そういうサブカルやアングラの情報を容易に入手できるような場所は、日常の行動範囲には存在しませんでした。もっともそういう変化を私は決して良いことだとは思っていなくて、要するにそれもまたファスト風土化の波が及んでいる結果にすぎないんですが。
 共産党の議員が存在するかどうかというのも、都市化のかなり大きな指標の一つだと思います。田舎ではアカは嫌われますからね。合併を控えたこの時期、隼人町には共産党の町議がなんと二名いました。私の高校時代には一名でした。
 さらには、ますます都市化の進行の指標とも云える、共産党よりも都会的な左派である「虹と緑」の町議さえ誕生していました。
 あと投票率ですね。もちろん低ければ低いほど都会だということです(笑)。モノホンの田舎だと九〇パーセントとか平気で行ったりしますからね。都会では、国政選挙以外は五〇%を切ることも珍しくありません。
 調べてみると、前回の隼人町議選での投票率は六五・四パーセント。そこそこ都会でしょう?(笑) それ以前の選挙も、ネットで記録を調べられるここ十数年ぐらいの範囲ではずっと六割台で推移している。
 これは迷いますよね。
 つまり、モノホンの田舎町ではなく、かなり都市化の進行した地域だということは明らかである。私を支持するような潜在的過激派も、それなりにいないこともなさそうだ。ファスト風土化の波に洗われている、もうまさに現在の日本のフツーの地方都市なわけで、実験の舞台としても最適で申し分ない。
 さらに情報を集めてみると、先述の「虹と緑」の町議は、定数の減る次の選挙ではまず当選しないだろうし、それが理由なのか、出馬しないということも分かった。丸々ではないにしろ、これまで彼を支持してきた層は、そうなると私か共産党の候補に投票する可能性が高い。これはひょっとしてイケるんじゃないか。もちろん当選するかもって意味じゃなくて、供託金を取り戻せるかもって意味です(笑)。
 ちなみに私の選挙がすごいのはね、私は誰からも票を奪われないが、私は他の候補の票を奪うということです(笑)。
 まず、私の主張に百パーセント賛同するのは、これはそもそも投票なんて愚劣なことを普段はしない人たちですから、私に投票するか、引き続き棄権する。私への中核的な支持層ともいうべきこの層の票を他の候補が奪うということは絶対にあり得ない。
 そして、百パーセントではないが多少なりとも賛同できるという人は、これまで仮に投票に行けばどこに投票していたかというと、たいていは共産党か社民党か、あるいは野口君みたいな市民派左翼の候補でしょう。彼らの一部は──もちろんごく一部でしょうが──私に投票する可能性がある。左派の候補者たちの中から消去法で選んで投票していた人たちのうち、最も過激な部分ですね。
 あるいは先に述べたような、「ファスト風土化を阻止すべし」、「地域の伝統的な風土を守れ」という主張は、非常に右翼的・保守的でさえありますから、これまで自民党などの保守系や右派の候補に投票していたうちの浮動的部分からも、私の主張のこの側面に着目して、私に投票する人が出てくる可能性もまったくゼロではない。つまりもう何というか、他のすべての候補者にとって迷惑な候補ですよね(笑)。
 とくに左派系の候補には迷惑きわまりない。もちろん私は一見極左的に見えて実は極右に近い、左翼嫌いのファシストなんですから、左派の足を引っ張るのは私にとって大いに善行で(笑)、まったく心が痛みません。
 選管にとってもメンドくさくて迷惑な候補でしょうし、フツーの市民たちの市民感情は逆なでしますし、ごくごく一部の潜在的過激分子だけが溜飲を下げるという、いやもうまったく完全無欠の革命的候補者なんです、私は。


 言論の自由のないこの国でも唯一の例外として、選挙制度の直接の枠内でおこなわれる言論についてだけは、形式面での制限はあっても、内容面での制限は絶対にあってはならないことになっているし、実際ありません。それをやったら“我が国は民主主義の国家です”という建前を自ら否定してしまうことになるからです。
 だから選管が候補者の主張の内容に口出しすることは、あってはならないというより、そもそもありえない。
 ──というごくごく当たり前のことを、田舎の役人は理解していない場合があるんですよ。そういう役人はクビにすべきなんですけどね。そこらへんの一般ピープルがべつに民主主義の何たるかを理解していなくてもいいけど、役人が理解していないということはあってはならない。
 というかそういう人間が、しかもよりによって選管の役人をやってる時点でもはや民主主義国家ではない(笑)。経験的に、少なくとも鹿児島の田舎の方には民主主義はないということが分かりました。
 問題になったのは、さっき云いかけたように私の犯罪歴に関する記述です。
 私にとっては自慢ですから(笑)、ムショ帰りであるということを選挙公報に堂々と書きます。
 といってもスペースが限られていますから長々と事情を説明することはできなくて、「ほぼ無実の罪で丸二年間の投獄を経験」というふうに書いた。
 そしたらバカ役人が、「無実じゃないから有罪判決を受けたんでしょう」と文句を云ってきたんですね。
 当然こっちは云い返しますよ。
 「まずあなたが個人的にそう思うのはあなたの自由だ。しかもあなたは役人なんだし、同じ役人である裁判官の判断を信用しがちであることまで理解してやってもいい。しかしあなたもたぶん聞いたことぐらいはあるだろうように、世の中には時に冤罪事件というものも発生している。裁判官が有罪判決を出し、実際に刑に処された人間が、おれは本当は無実なんだと云い続けるケースは論理的に想定しうるし、現にいくらでも存在する。その無実の主張を信用するかしないかは人それぞれだが、いったん有罪判決が確定した以上はもう無実を主張し続けてはならん、という論理は成り立たない。そもそも、これは選挙公報なんだから私の無実の主張が信用できるかどうかは有権者がそれぞれ判断すればいいことで、あなたにあれこれ云われる筋合いはない」
 って、当たり前すぎる話でしょ? まあだいたい、こっちは“ほぼ無実”って書いてるんであって、“無実”を主張してるわけですらないんだけどね(笑)。
 そしたら、
 「裁判所に照会して、判決文の写しを入手している。やっぱり有罪じゃないか」
 って云うんですよ、そのバカ役人。「だからそれはァ……」って、もう話がまったく噛み合ってない(笑)。
 バカ役人には、論理的に対話する能力がそもそも欠けている。下っ端の役人ならまだしも、そいつは隼人選挙区の選挙管理委員長なんですよ(笑)。死刑にしてもいいぐらいだ。
 ここはバカに合わせて話のレベルを下げようと思って、別の論法も試してみた。
 「例えば選挙違反で捕まって、有罪判決を受けて、ために公民権を停止される期間もやがて過ぎて、満を持して再び政治に挑戦することにした候補者がいたとする。で、その人は過去のアレは不当な処罰で、私は実際には潔白だ、信じてほしいと訴えて、選挙公報にもそう書いたとする。そういうケースは充分ありえますよね? その時にあなたは、有罪の確定判決がある以上、そんな主張は認められないと云うんですか?」
 と訊いてみた。バカ役人は、
 「そうだ」
 と云う(笑)。「いやいやいや……」となりますわなあ。で、
 「分かった。あなたは裁判所の判断を絶対的に信用していて、それを真っ向から否定するような主張は虚偽であり、選挙での自由な言論といえどもそういう虚偽を認めるわけにはいかないと、そういうことですね」
 と訊いたら、やっぱり、
 「そうだ」
 と云うから、
 「じゃあ、これまでのすべての裁判の確定判決で、自衛隊の存在は合憲だとされている。しかし例えば共産党は自衛隊は違憲だと云っている。あなたの論法でいけば、共産党は選挙公報にその主張を載せられないということになりますね」
 と云ってみた。そしたら、
 「それは話が違う。それは政治的な意見だから許される」
 とか云いだす。
 「ある判決が正当か不当かという判断だって政治的な見解の一種だとも云えるでしょう?」
 と訊いても、
 「そんなことはない」
 って(笑)。もーどーしよーもない。「あああああああああっっ」って頭をかきむしるしかない。
 「それじゃ違う例を出そう。狭山事件という有名な事件がある。知ってるか?」
 と訊くと、
 「知ってる」
 と云う。
 「犯人とされた石川一雄さんはすでに仮出所してシャバにいるから、選挙に出ようと思えば出られるかもしれない。仮に石川さんがこの隼人選挙区から立候補したとして、選挙公報に自分は無実なんだという主張を書いてきたとして、あなたはそれを受理しないということだな?」
 と訊いてみた。そしたら案の定、
 「受理しない」
 と答えた。あとはもう、部落解放同盟の諸君に任せるよ。テッテー的にこのバカ役人を糾弾してやってください。


 “右下で目立つからいい”というのは、普通なら縁起かつぎに毛が生えた程度の幸運です。
 しかし私の場合は特別の事情もある。フツーの選挙ポスターと違って、私のはとにかく字が多いんですね。後で云うように二種類のポスターを作ったんですが、うち一種類はもうほとんど論文です。長い文章が細かい字でギッシリ、というポスターです。これが仮に三列とか四列とかの掲示板で、その最上段の番号を割り当てられると、まさに意味をなくしてしまう。位置が高すぎて読めなくなるんです。
 後の熊本市議選では実際にそういうハメにも陥りました。
 自分で選挙に出てみると、細かいところでさまざまの疑問を感じます。この問題はつまり、選挙を主催している選管が、選挙ポスターをその程度のものとしか考えていないということなんですね。つまり「選挙ポスターってのは、顔写真をバーンと出して、名前をデカデカ書いて、あとは短いキャッチフレーズを一言か、せいぜい二言三言っていう、そういうもんだ」と、選管自身がタカをくくっている。
 世間に広くアピールしたい内容を持っている候補なら、例えば壁新聞のようなポスターを作ってみることも、けっこう簡単に思いつくはずです。顔と名前と短いキャッキフレーズという九割方の、ヘタすりゃ自分以外全部のありきたりなポスターと、それだけでアッというまに差異化できる。“どいつもこいつもイメージばっかり、しかしこの候補だけは何か知らんが内容がある”というイメージを(笑)、強力に打ち出せさえするんですから、本当に主張したい内容のある候補なら、そういう戦術を思いつかない方がどうかしてる。私のポスターも、ちょっとやり過ぎではあるけど、まあそれに近い。
 ところが我が国の選挙の現場では、選挙ポスターが各候補者の政見をしっかりと表現するためのメディアになりうるということが、恐ろしいことに想定さえされていない(笑)。
 とくに熊本市議選では、とんでもない掲示板がいっぱいありました。二メートルぐらいの川幅の川の向こう岸の壁にこっち向きに設置されていたり、三メートルぐらいの崖の上のフェンスに崖下に向けて設置されていたり、要するにいずれも遠目に眺めるしか仕方がない設定になってる。ポスターに、たくさんの言葉を連ねて何か主張を書く候補者がいるかもしれないということが、そもそも想定されていないんです。
 ──ってなんで選挙を全否定している私がこんなことを云わなきゃいけないのか(笑)。選挙に意味があると強弁する人たちこそ、こういうところを問題にすべきなんですけどね。


 何か作戦を変えようと思って──しかしとくに素晴らしいアイデアが急に出てくるわけでもない。
 とりあえず荷台のスピーカーからブルーハーツというのをやめることにしました。イメージ戦略としてはそんなに間違っちゃいないと思いますが、もっと面白いことができないだろうかと考えた。
 それで、録音した演説を流してみることを思いついた。
 原付を運転しながら演説するのは難しいというか不可能に近いから、せめて録音であっても何か自分の主張を喋った方がいいんじゃないか。もちろんBGMつきで。
 しかし日本語の歌をBGMに日本語の演説をするのは聞き取りにくいだろう。じゃあブルーハーツはダメだ。となると当然(?)ここはピストルズだ。しかもこれまた当然、「アナーキー・イン・ザ・UK」以外にありえません。
 「アナーキー・イン・ザ・UK」は三分ちょっとの曲です。その長さに収まるぐらいの演説を録音して、イントロとエンディングがちょうどいい感じのタイミングになるようにミックスして、それを荷台のスピーカーから流す。
 というわけで選挙二日目の夜、さっそく演説原稿を書いた。一時間ぐらいで書けました。
 唐突ですが、それが後の都知事選の政見放送です。
 あの政見放送には、“東京”とか“都知事選”とか、そういう単語は一切出てこないでしょう? 当たり前なんです。本当はこの霧島市議選の時に、読み上げて録音して、原付の荷台から流すために書いた演説原稿なんですから。政見放送でも、実はこの元々の原稿から一字一句、変わっていないんです(註.よく考えたら一ヶ所だけ、「東京都以外の諸君でもかまわない」と云っている。もちろんこの霧島市議選では「隼人町以外の諸君でもかまわない」だった)。
 今云ったとおり、一時間かそこらで書いた演説原稿です。推敲もほとんどやってない。あのままの形で一気に書き上げたものです。
 書き上げるとすぐ、近所のカラオケボックスに行きました。
 もちろんこの時は後の政見放送と違って原稿を見ながら読み上げるだけなので、全文を暗記する必要はありません。とりあえずまず何度も大声で読み上げてみて、ちょうどいいテンションを探る程度で、都知事選の時ほど作り込みもしません。それでもまあ、何度も繰り返していればアドレナリンが出て多少ハイにはなってきます。
 で、いよいよICレコーダーで録音します。実際に録音してみると、四分を超えていました。
 しょうがないから読み上げるスピードを徐々に上げていきます。テンションを落とさないよう気をつけながら、これも何度も何度も繰り返して、やっと自分でも納得できる、ほぼ三分ちょうどのバージョンを録音することに成功しました。
 自宅に戻り、今度は「アナーキー・イン・ザ・UK」とのミックスです。
 これはもちろんそんなに大変な作業ではありません。時間を計算した上で演説を録音したんですから、CDラジカセで、CDで「アナーキー・イン・ザ・UK」をかけ、イントロのちょうどいい部分でマイク端子につないだICレコーダーの演説を再生しはじめる。すると計算どおり、「どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」とラストの絶叫をしたところに、ジョニー・ロットンの「デーストローイ!」という絶叫が重なって、いい感じに終わった。
 それをカセットテープに録りました。
 翌日、選挙三日目はそのテープを流しながら、原付で選挙区をまんべんなく走り続けました。ルートは基本的に初日、二日目と同じく、ポスター掲示板の設置場所を回る。もうポスターの貼り替えはやりません。剥がれたり、あるいは剥がされたりしていないかだけはチェックして回る。たまに、“やっぱりこの場所はbポスターじゃなくてaポスターの方がいいかなあ”とか、その逆のことを感じたら、そうする。
 貼り替えるわけでもないのに、なんで掲示板を回るかというと、結局そうしていれば自動的に選挙区内の全域を回ることになるからです。ただし、全部は回れない。単に貼り替えるために回る時と違って、今度は録音した演説テープを聞かせるために回ってるので、どうしてもゆっくりゆっくり、時速二十キロ以下で走ることになります。ダラダラ走って、一日で回れるだけの範囲を回る。
 ただねえ……これもあんまり、実際にやってみると“なんだかなあ”って感じなんです。
 わざわざ云うまでもないとは思いますが、テープはメチャクチャ面白いんですよ。都知事選の政見放送の演説そのまんまなんですから。それがあの都知事選の一年以上も前に、鹿児島のショボい田舎の選挙で流れてるなんて、諸君もきっとエモ云われぬ、なんかもどかしーい気持ちになるはずだ(笑)。
 結局どういう状態になるかと云いますと──要するに三分は長いんです。時速十キロで走っても、沿道で仮に聞き耳をたてる人がいたとして、やっぱりごく一部しか聞けないことになる。かといって、一つの場所に停まって三分間それを流し続けてみてもなんかマヌケな感じなんです。
 どうせ誰もちゃんと聞きゃあしないってのもありますが、そうだなあ──例えばスーパーの前とか、人が集まってるところで流せば、“なんだなんだ?”って寄ってくる人も何人かはいますよ。しかしたいてい途中から聞くことになるでしょ? あれは全部まるごと聞かなきゃ面白くないじゃないですか。かといって仮に何か別の方法でまず人だかりを作って、「じゃあ聞いてください」って再生ボタンを押して、私はその横でそのまま三分ほど黙ってるってのもヘンな空気でしょ? どうにもこう、ライブ感がないんです。
 都知事選の政見放送だって、テレビやパソコンの前で、黙って一人で見るから面白い。みんなでワイワイ見るもんじゃないです。ほとんど読書に近い行為として鑑賞しなきゃ面白くないような、そういう作品なんですね。とてもじゃないが、選挙戦の街宣向きではない。
 だからこの世紀の名演説の記念すべき最初の録音テープ、霧島市議選で実際に使ったのは、一日きりです。


 えー、選挙は恐ろしいという話をします(笑)。
 選挙戦の中盤から、手応えが感じられるようになって、“これはひょっとすると……”という気持ちが芽生えてきたという話をしましたよね。
 それが最終日ぐらいになるともう、トップ当選しそうな気がしていました。
 すいません(笑)。反省してます。
 いやー、選挙は恐ろしい。
 とくに私の場合、反応が尋常じゃないわけです。フツーの候補と違って、支持を表明してくれる人はもう、とにかく熱烈な支持を表明してくれる。好感をもたれたというレベルじゃないわけです。
 これは都知事選の政見放送をただのお笑いやデンパ系にしか感じ取れなかったようなスットコドッコイには理解不能でしょうが、何度も云うように私はラジカル派の政治思想としては極めてオーソドックスなことを、ちょっと面白おかしく加工して云ったりやったりしてるだけですから、そこをちゃんと読み取れる人はもう、まっすぐに支持してくれる。しかもそんな人は普通、選挙になんか出ませんから、初めてこんな候補に出会ったとその支持は尋常でなく熱いものなんです。
 そういう反応に、選挙期間中に何十回も出会うわけです。何度か云ったように、そこらへんで呼び止められて。そうやって直接に熱い支持を表明してくれた人が何十人かいるんだから、その背後にはさらに十倍ぐらいの淡い支持層がいそうな気がするじゃないですか。目の前にカゲロってしまうじゃないですか、どうしても。
 完全に人が票に見えてきましたよね。
 まあ正直云って、この選挙戦の後半に陥ったような、堕落したフツーの選挙戦をですね(笑)、最初から──最初からというのは告示前の事前運動から含めての意味ですよ──ずっとやってればそりゃ通る可能性はあるんです。私の云ってることなんて要するに反グローバリズムですから、実はそれほど極端な、特殊なことを云っているわけではない。何度も云うように、むしろオーソドックスですらあって、そこを読み取ることができる人には熱烈な支持を受けるのも当たり前なんです。
 ただ、私の選挙スタイルとして、そこらへんが読み取りにくいようになってる(笑)。それを私は、一週間の選挙戦をつうじて、読み取っていただけたかのように誤認してしまった。
 貴重な勉強をしたと思います。
 というのは、オウム真理教がなぜあんなことになったかということが、自分で選挙を経験してやっと分かった。
 オウムが本格的にマズいことになったのは、選挙を経てからですよね。たしか九〇年の参院選かな? 比例代表で「真理党」として出て。選挙以前に坂本弁護士一家殺害はやってるけど、家族まで巻き込むのはともかく、共産党の弁護士なんか別に殺したって構やしません。“本格的にマズいことになった”というのは、要するに荒唐無稽な陰謀論に走るようになったのが、あの選挙後だったということです。
 オウムの選挙戦も、妙なカブリモノをしたりして、注目はされたわけですよね。単に面白がられた。そういう反応を、オウムは支持と勘違いしたんだと思います。手応えを感じた。
 ところがフタを開けてみると、選挙結果は惨憺たるものだった。そこで私のように社会科学的な素養と常識があれば、こっちが勘違いしただけなんだなと冷静に判断できますが、オウムにはそれがないから、“開票が操作されたに違いない”というマズい方向に行ってしまう。いったんそうなると、妄想はどんどん拡がって、あらゆる種類の陰謀論へと一直線です。
 オウムよりも多少は社会科学的な素養のありそうな、私が出たやつの一つ前の都知事選での石原慎太郎氏への対抗馬、昔はウーマン・リブの活動家だった樋口恵子氏だって、ボロ負けして“票が操作された”とか何とか、見苦しいこと云ってたでしょ? ボロ負けするってことは、誰が考えたって最初から分かってそうなもんなのに。
 とにかくそれぐらい選挙というものは、精神衛生上よろしくない。選挙戦は何よりも候補者本人の心を蝕みます。