『人民の敵』第6号(2015.3.1発行)


コンテンツ1
〈特別講義〉by 東野大地
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


外山 「現代音楽」と同時期に並記されてる、さっき桜子もちょっと触れた「ロマン主義の通俗化」とか「クラシック保守派」とかってのは、具体的には“音楽史”の教科書的な年表には載らないような人たち?
東野 20世紀初頭に“現代音楽”が登場するでしょ。だけど従来からクラシック音楽というか“シリアス・ミュージック”を受容してた人たちの中には、“現代音楽”について行けない部分もかなりいるわけですよ。そういう人たちは、後期ロマン派までのレパートリーを演奏するようなコンサートなんかに足を運ぶ層として、閉じていく。録音技術も発達してくるし、“現代音楽”の展開は無視して、評価の定まった過去の“名曲”の“名演”のレコードばっかり聴いてるような人たちを、ここではまあ“保守派”としたわけですけど。
外山 絵画の世界で云えば、東野君たちの現代美術の学習会で話題になったっていう“印象派ババア”みたいな?
東野 あ、そうかもしれない(笑)。
外山 「ロマン主義の通俗化」ってのは“佐村河内”みたいな感じ?(笑) “ゴースト”の人は本来は“現代音楽”系の人なのに、わざとダサダサの“ロマン派まがい”の曲を作ってたというじゃないですか。
東野 この文脈ではそうではなく……(笑)。19世紀的な「芸術とは“美と感動”だ!」みたいな観念は、20世紀に入るとゴリゴリの“シリアス・ミュージック”派の間では通用しないわけで、そういう潮流は“ポピュラー・ミュージック”の方に流れ込んでいく、ってことです。音楽に“美”や“感動”を求めるような人たちは、“ポピュラー・ミュージック”を聴くようになる。
外山 “現代音楽”派は音楽に“美”とか“感動”とか、そんな“通俗的”なもの求めない、と(笑)。
東野 “音楽史を前進させる”ことが彼らの目的。


在宅 途中から来たんで、まだ話の流れを掴めてないんですけど、その“ポスト・パンク”のところに矢印が来てる「上からのポストモダニズム」っていうのは、それもさらに「前衛の終焉」ってところから矢印が来てるけど、つまり“前衛”を突き詰めて、行き着くところまで行って、最終的に行き詰まって……というような話ですか?
東野 “前衛”ってやっぱり“新しいこと”を追求するものなんだけど……。
外山 もはや“新しいもの”なんかないもんね(笑)。
東野 ただこの80年前後の“オルタナティヴ・ミュージック”というのは、“モダニズム”と“ポストモダニズム”の中間ぐらいって気がするんですよ。あるいは“ポストモダニズム”と一口に云っても段階があって、初期の“ポストモダニズム”は一種の“隠れモダニスト”の運動なのかもしれない。
外山 つまりこういうことかな。「もはや“新しいもの”なんかないんだ」って表明や、それに見合う確信犯的な“パクり”や“引用”という表現形態それ自体が“新しいもの”として機能する時期が、“モダン”の最後の最後、あるいは“ポストモダン”の1番最初にある、と。
東野 そうですね。「“新しいもの”なんかもうないんだ」というのは本心からの表明だと思うんだけど、それが逆説的に“新しさ”になってしまった。あるいは、“新しさ”や“オリジナリティ”といった既成の価値観への距離の取り方にもいろんなヴァリエーションがありうるし、実際にいろんなことが試みられたんですけど、さらに後の時代になると、そういうヴァリエーションの存在それ自体もどうでもいいものになってしまう。
西南大M “上から”の方は大体分かった気がするんですが、“下から”の方はどういう問題に突き当たってそういう展開をするんですか?
東野 そっちは何か“問題意識”に基づいて“ポストモダニズム”に行き着くわけじゃないと思うんですよね。
外山 つまりヒップホップに典型的に、大衆音楽でも“サンプリング”に象徴される“パクり”や“引用”の“ポストモダニズム的表現”が盛んになるんだけど、それはクラシック系の現代音楽でのそれとは違って、何か理屈があってそうしてるんじゃなくて、一種の“成り行き”みたいな経緯で登場してくる、と。だけど結果としては、理詰めでそこに辿り着いた“現代音楽”と同じようなものが産み出される。


山本 視覚芸術の分野だと“アウトサイダー・アート”ってのがあるけど、音楽にもそれに相当するようなものがあるのかな?
外山 大衆音楽それ自体が“アウトサイダー・アート”みたいなもんでしょ。“精神病者が描いた絵”とか“犯罪者の絵”とかの印象が強いけど、もともとの意味合いは“正規の美術教育を受けてない人”ってニュアンスだから(東野註.“アウトサイダー・アート”はロジャー・カーディナルによる意訳で英語圏での呼称。元々はフランスの美術家ジャン・デュビュッフェの概念“アール・ブリュット”=“生の芸術”のこと。正規の芸術教育を受けていないだけでなく、近代文明・市民社会から“狂気”として排除されてきた精神病患者をはじめとする“狂人”の表現?を指す)、譜面も読めないような9割方のポピュラー音楽家は“アウトサイダー・ミュージシャン”だよ(笑)。
東野 でも誰か典型的な例もあったような気もする。
外山 “ワールドミュージック”もそうでしょ。西洋人目線からすれば、“正規の音楽教育”を受ける機会さえない可哀想な未開の土人たちが……(笑)。
東野 そもそもシュールレアリスト的な発想だと思うんですよ。シュールレアリストって、“近代的理性”に汚染されてない“無垢”な表現を称揚する人たちなわけで、“第三世界の音楽”だったり“精神病者の絵”だったり、そういうところに“ロマン”を見出しちゃったりするような(笑)。
外山 “沖縄音楽”に走る連中も、結局そういう“上から目線”だと思うね。沖縄の素朴な、遅れた未開の人たちって何かいいなあっていう(笑)。
西南大M 「島唄」を歌ってる人たち(ザ・ブーム)も沖縄の人じゃないんですね。
外山 あの辺は喜納昌吉以外、みんな日本人でしょ(笑)。ソウルフラワーユニオンの中川敬が左翼イデオロギーで組織した潮流でしかない。90年代初頭に同世代のロック・ミュージシャンたちに“第三世界革命論”みたいなのを吹き込んで、ボ・ガンボスやザ・ブームやゼルダをオルグしてさ。