『人民の敵』第5号(2015.2.1発行)


コンテンツ4
〈ヒット曲研究会〉with 藤村修・東野大地・西南大M
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


外山 かつてはオリコンチャートを参考にヒット曲研で話題に上げる曲を選んでたのが、見れば分かるとおり、ここ最近のオリコンはまったくアテにならんでしょ。純粋に売上枚数で集計してるから、CDに特典をつけて1人で何枚も何十枚も買わせる商法で、チャートの上位はAKBとジャニーズで完全に独占されてしまってる。そういうのだと現実を反映してるとはとても云えないんで、何か他に本当に実態を反映してるチャートはないのかとここ数年ずっと探してたんだけど、iチューンズでのダウンロード回数を基にしたチャートを見つけて、これだったら1人で何10回もダウンロードしないだろうし、少なくともオリコンより百倍マシなんじゃないかと。で、昨年のやつを両方比較してみると、iチューンズでは案の定“アナ雪”が年間1位なんだけど、オリコンでは百位にすら入ってないんだ(笑)。
アナ そんなに違うんですか!?
藤村 それは知らなかった。ビックリだな。
外山 いかにオリコンがもはや一切アテにならないかっていう(笑)。
藤村 ただiチューンズも微妙だと思うのは、例えばぽくはアイドル好きだけど、自分が推してるアイドルの曲をiチューンズで落としたことは1度もないよ。
外山 うん。だからむしろ純粋に“音楽に”カネを払う人たちの好みの動向は反映してるんじゃないかと。
藤村 実際どうなんだろう。若者たちは自分の聴きたい曲をiチューンズでダウンロードして入手するのが一般的なの?
アナ ぼくは1度も使ったことないです。
藤村 周りの学生たちは?
外山 やっぱり“CDを買う”ってことはあんまりないんでしょ?
アナ せいぜい誰かが買ってきたものを焼いて配ったりってことはよくあるけど。
藤村 それは違法じゃないの?(笑)
外山 “違法な聴き方”がむしろ主流でしょう。昔も友達にレコードを借りてカセットテープにダビングするのは普通だったし、今はそれでも音質の劣化がないってだけで。ぼくも世相を見極めるための資料として大量のヒット曲をiチューンズに入れてるけど、大半は“違法に収集”したものだもん(笑)。
アナ あとはツタヤで借りてきたCDをパソコンやiポッドに落とすとか。
外山 やっぱりカネを出してiチューンズでダウンロードするってのは一般的ではないんだ。
藤村 じゃあ誰がダウンロードしてるんだろう(笑)。てっきりM君(アナ)の世代では普通にみんなダウンロードして聴いてるのかと思ってた。これだけCDが売れない、売れないって云われてるんだし、だけど音楽を聴くのが趣味って人の割合そのものは昔とそんなに変わらないだろうから、やっぱりiチューンズやそれに類するいろんな音楽配信サイトからダウンロードしてるのかと思ってたんだけど……。
外山 M君個人は、昔のロックとかでもいいけど、それなりにCDを買う人なの?
アナ いや、あんまり。
外山 やっぱり“違法に収集”するのがメインなの?(笑)
アナ そうですね。フツーに違法に(笑)。
藤村 うーん……困ったね。
外山 “ヒット曲研”の前提そのものが揺るがされる状況ってことだもんね。もちろんぼくもそれは想定してて、だから今日は何を聴くのはあらかじめ決めずに、まず最初にこういう話をしなきゃいかんと思ってたんだ。
アナ あと、気になる曲があれば、ユーチューブで探して見ます。
外山 合法的な聴き方もしてはいる、と(笑)。そうだよね。ユーチューブがあるよね。しかしともかく、今何が流行っているのか、どうすれば知ることができるんだろう。


アナ 少なくともぼくの周囲の同世代の人たちを見ていて、流行ってるんだなあって実感するのは、やっぱりセカオワ(セカイノオワリ)ですね。
外山 西南大の学生っていう特殊な階層ではあるだろうけど、その枠内ではたしかにそうなんだろうな。
藤村 じゃあセカオワは昔の……と云っても昔の雰囲気を知らないだろうけど(笑)、昔ミスチルが聴かれてたような感じで聴かれてるってことなのかな? ミスチルとか、スピッツとか、イエモン(イエロー・モンキー)とか。
アナ あ、でもミスチルは近い気はします。
藤村 塾のバイトしてて、ミスチルが流行ってた頃の生徒たちはミスチルの下敷を結構みんな使ってたし、もっと云うとミスチルよりそのちょっと後の時期に流行った“19(ジューク)”だな。あの“みつを”のクソみたいな歌詞の……。
東野 “みつを”じゃないですよ。“ミツル”ですよ(笑)。
藤村 そうだ、“ミツル”だ。
外山 似たようなもんだよ。ナカムラミツル(註.“イラストライター”と称してヘタウマなイラストに何かいいこと云ってるっぽい短文を添える作風で90年代末ごろ人気を博した。“ゆず”の二番煎じのようなフォーク・デュオの1つだった“19”に詞を提供していた)って要は“若い相田みつを”なんだし(笑)。
藤村 とにかく生徒たちがよくミツルの絵の下敷を使ってたんで、わざと授業中に19やミツルの悪口をさんざん云ってたら反乱が起きて、生徒たちがテスト用紙を紙飛行機にして一斉にオレに向けて飛ばしてきた(笑)。
東野 紙飛行機がどうこうって歌もありましたしね(笑)。
外山 「あの紙ヒコーキくもり空わって」(99年。“19”のブレイク曲)
藤村 そういう目に遭ったぐらいだけど、そんな感じに近い聴き方をされてるのかな、セカオワって。
外山 つまり“心酔する”っていうか、ファンが“信者”化するような……。たしかにセカオワはメッセージ色の強いバンドっていう印象はある。“メッセージ”の内容や方向性の良し悪しはともかくとして。


外山 中川(文人)さんの兄(中川右介氏。編集者兼ライター。音楽批評の著作も多数)がこの数年、毎年“紅白”を観ながらツイッターで“実況中継”的に感想を呟いてるんだけど、それが面白いんでぼくも先日は兄貴氏のツイートをチェックしながら“紅白”を観てたら、“ドラゲナイ”については、“今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ”って歌詞に引っかかったみたいで、「若いのに戦いを終えてはいけない」って呟いててすごくオカしかった(笑)。でも改めて聴いてみると、たしかに全体的に“戦いたくない”感じが漂ってるよね。
藤村 「天使と悪魔」にしても要するに“戦いたくない”から……。
外山 典型的な“悪しき相対主義”という印象を受ける。“「正義」なんかどこにもない”みたいなことを、1度もマジメに“正義”を追求してみたことなんかないくせに、聞いたふうなことを繰り返し云ってるような。
東野 80年代の相対主義を承けて、90年代の心理学主義がある。その流れの先にこういう“「自分」が変われば「世界」が変わる”みたいなフレーズが出てくる。
外山 結局この人は“自分を変える”気もないよね(笑)。だって“世界”や“他者”と衝突しなきゃ“自分”が変わる契機も生まれないじゃん。だけどこの人は衝突したくないわけでしょ。“世界”とぶつかることが怖くて“自分”を守ってるだけだよね。
藤村 戦うのもイヤだし衝突するのもイヤだから、“戦う”ことの根拠となる“正義”も嫌う、っていう。
外山 “正義”を胡散臭いものとして否定するための便利なフレーズは、それこそ80年代以来、大量に溢れてるわけだし。この歌詞に散りばめられてるのは、そういういかにもアリガチな“正義”批判のお決まりのフレーズばっかりじゃん。
東野 いけませんねえ(笑)。最初の2曲はまだ聴けたけど、「天使と悪魔」はヒドい。この歌に表れてるような部分が、この人たちの根底にあるものなんですかね。
外山 だから云うように彼らの“初心”でしょう。
東野 最初にかけた“大ヒット”の2曲はこれを薄めた……。
外山 うん、だいぶ薄めてたね(笑)。薄められてたけど、でも本質的には同じ傾向が感じられるものじゃなかった?
アナ どういうところが評価されてるんでしょうか。ファンはこれのどこがいいのか。
外山 正当化してもらえるじゃん、“自分”の内面を守って“世界”とぶつかろうとしないことを。
アナ そういうふうに聴いてるんですかね。
外山 いやいや、ぼくは批判的に云ってるんだから、ファンはそんな“効能”を自覚して聴いてるわけではないよ。だけどこれを聴いてれば脆弱な自我を守り続けることができるし、しかも仮に身近に“正義”を掲げて“世界”と戦ってる人を見た時に、それに脅かされたりすることもないでしょう。むしろ“そっち”に行かないことをもっともらしい言葉で正当化して、自分がまるでそいつらより“深く考えてる”からこそ戦わないんだって思い込むことさえ可能じゃん。“ドラゲナイ”でも“人はそれぞれ「正義」があって争い合う”とか聞いたふうなことを云ってる。戦ったり争い合ったりしてるのは、“正義”がしょせん相対的なものだってことにも気づかない愚かな連中だって云いたいわけでしょ、傲慢にも。
藤村 ボーカルの深瀬が“きゃりーぱみゅぱみゅ”と付き合ってるからっていう偏見かもしれないけど……。
外山 そうなのか。なんでそういうゴシップ的な情報にだけ詳しいんだ(笑)。
藤村 どうしても“きゃりーぱみゅぱみゅ”との共通性を感じてしまう。つまりこれはロックの“クールジャパン”化ではないのか、と。


外山 ぼくはラッドウィンプスを聴いてるとついつい大人目線で、若者が健全に悩んでいてよろしいんじゃないでしょうかって思っちゃうんだ(笑)。東野君なんかはこういう“自我”が前面に出てるような歌が苦手なんでしょ?
東野 実存の吐露、真情の吐露、みたいなのがダメですね。ちょっと語り過ぎなんじゃないかと思う。
外山 “語り過ぎ”は否定できないけどね。歌詞もやたら長いもん。だけどぼくとしては今日改めてちゃんと聴いてみて、ラッドウィンプスとセカイノオワリはだいぶ違うらしいことが分かったことは収穫だな。
藤村 ラッドウィンプスの歌はだいたいこんな感じでしょ。“語り過ぎ”なのが通常モードで。
外山 ものすごい分量の言葉を使って、ウダウダ、ウダウダと悩んでる(笑)。
東野 なんでこんなに歌詞が長い必要があるのか。
外山 悩み多き青年なんですよ(笑)。健全な若者にはぼくは好感を持つんだ。若者はこんなふうにオーソドックスに悩んでてほしいと思いますよ。……他に気になる曲とかありますか?
藤村 個々の曲がというより、ラッドウィンプスやセカイノオワリにしても、今の若い人たちが実際どれだけ聴いてるのかってことの方が気になる。
外山 パーセンテージは分からないけど、ラッドウィンプスやセカイノオワリのファンは、歌詞をマジメに聴くような聴き方をしてる人たちだとは思う。
アナ ああ、それはそうかもしれませんね。
藤村 セカイノオワリはそんなに歌詞が聴かれてるんだろうか。
外山 すっかりブレイクしちゃってからの最近の曲は、ただ売れてて流行ってるから耳になじんでさらに売れるっていうよくある循環に入ってるだけかもしれないけど、それでも改めてさかのぼって聴いて熱心なファンになるような人たちは、やっぱり「天使と悪魔」みたいなものに惹かれる層だと思うよ。
藤村 ローマ字表記になってからのセカイノオワリは、むしろ心地よい音やメロディーが先行してて、それに合わせて歌詞がはめ込まれてるような気がする。
外山 とはいえそういう時にやっぱり“戦い”がどうこう“正義”がどうこう、意味ありげな歌詞なんだからさ。


外山 サカナクションに関してはとくに何もナシですか?
東野 何を云えばいいんですか(笑)。
藤村 オレは自分がやっぱりコジれた人間だから……。
外山 あまり興味を惹かれない?(笑)
藤村 いい曲なんだろうとは思うけど、これを積極的に聴こうとは思わない。どっちかと云うとそれこそラッドウィンプスやセカイノオワリの方が、興味の対象にはなる。
アナ へー、そういうもんですか。
藤村 反感も含めてね。
外山 良し悪しや好き嫌いはまた別の話として、とりあえず心になにがしかの反応がある、と。
藤村 そうそう。
外山 サカナクションはひたすら“いい音楽”であって、「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」は漠然と歌詞が支持されてるのかと勘違いをしてたけど、改めて聴いてみるとやっぱり歌詞には“意味なさげ”だよね(笑)。
アナ ぼくは今日聴いた中では一番好きですよ。
外山 “音”としてはそりゃ一番いいもん。単に“趣味の問題”としてはぼくも好きです。歌詞は要するにこの“音”を邪魔しないものとして存在してるにすぎない。
アナ ああ、そうですね。
外山 歌詞をそういう位置づけで扱うミュージシャンは、とくにサカナクションだけじゃなくて他にもいくらでもいるし、音楽至上主義の傾向が強いほどそうするはずなんで、たいてい“音”としては“いい”のが当たり前。だけどそういうミュージシャンは“実存くん”にはウケない(笑)。


外山 日本で英詞で歌うのは、ほぼ“歌詞にとくに意味はありません”って意味だよね。他のも同じなのかな?
 (ワンオクロック「アンサイズニア」を前半3分の1ほど流す)
藤村 こっちは日本語メインだ。
外山 でもやっぱりそんなに意味はなさそうだよ。
藤村 だけど最近のロックにもわりとアリガチな“自己責任”論みたいなことを云ってなかった?
外山 “今を生きるコトは簡単じゃなくて ただ楽しけりゃいいってもんでもなくて 明日、明後日の自分に何が起ころうと責任を持てるかどうかさ”って部分ね。
藤村 そのテの歌詞って最近よくある。
外山 でも例えば秋元康が“仕事”として誰か男の歌手に詞を提供する時にもこういうことは書きそうだよ。秋元康の名前を出したのにはとくに意味はなくて、要するに“プロの作詞家”がってことで、とりあえずメロディ部分を言葉で埋めなきゃいけないから何か書いてみました、ぐらいのことじゃないかな。昭和のアイドル歌手に提供されてたような曲だってこれぐらいの“内容”でしょう。
東野 とはいえ自分で作詞してるわけだし、何か詞が必要だから仕方なく書いてるにすぎなくて、歌詞にそんなに重きはないんだとしても、そもそも自分の中にない言葉は出てこないし、その人自身が肯定的に捉えられるような歌詞しか書かないはずですよ。
藤村 “僕の思う当たり前は君にとって当たり前かな? 君の思う当たり前は僕にとって当たり前かな?”ってあたりも、さっきの“自己責任”みたいな部分と相まって、自己啓発セミナーっぽい。ウーバーワールドってバンドもこういう自己啓発セミナーみたいな歌詞を歌いまくってて、曲はカッコいいんだけど歌詞が聞こえてくるとイヤな気分になる。
外山 たしかにそう云われてみると……。英語混じりだし、日本語の部分も“本格ロック”っぽい音に埋もれてる感じだからあんまり気にならなかったんだけど、よく読むと結構ウザい歌詞だ(笑)。ビーズとかの歌詞もこんな感じだけど、歌詞にそれほど重きを置いてなさそうなバンドがこういう詞を書きがちなのは、その人たち自身の志向性云々ではなくて、“時代の無意識”みたいなものだよね。
東野 単に何かカッコよさげなことを書こうとした結果として、こういう歌詞になってしまう。
藤村 80年代のロックにはこんな歌詞はなかった気がする。昔のヒット曲研で、フライングキッズの「ディスカバリー」って歌を、みんなで寄ってたかって批判してたでしょ。“大人になれ”みたいな説教を……。
外山 “あんな大人にはなりたくない”とか“世の中間違ってる”とかがロックの基本フォーマットだったのに、“いつまでも世の中のせいにしてないで、もっと大人になれ”みたいなこと云い始めるロックシンガーが出てきたぞ、って話ね。『宝島30』とか浅羽通明的な言説が蔓延して、マジメな奴ほど妙にコジらせて保守化する傾向が目立ってきてたから、そういう風潮を象徴してる曲だって徹底批判の対象になった。
藤村 あれが97年とかでしょ。当時そういうものがロックの歌詞にも表れ始めてたんだろうけど、それが今や当たり前なぐらいにまで浸透しちゃったんだよ。とくにヒップホップ系がヒドくて、すぐ親や周りの人に“感謝”しちゃうような詞ばっかり(笑)。
外山 そうだよなあ。“リスペクト”的な文脈が特殊日本的に歪曲されてるんだと思うけど。
藤村 ヒップホップ系に限らずそのテの歌詞がJポップ全般にもはや当たり前のように出てくる。ワンオクロックのこの歌が特にどうこうってことではなくて、むしろこの程度ならそんなに拒絶反応もないけど……。
外山 全般的な状況の中に置いて考えると引っかかってしまう、と。
藤村 うん。またかよ、って思う。


 (湘南乃風「純恋歌」を聴き、09年のヒルクライム「春夏秋冬」を聴いて、外山が“下層階級”について暴言を連発し、さらにヒット曲研の趣旨を逸脱して、外山が最近“ロックバー飲み歩き”の過程で右傾化した若者から教えてもらった極右ヒップホップ・グループの英霊来世(えいれいらいず)「開戦」を聴いて“事前のイヤな予感ほどヒドくはない”と感心し、逸脱ついでにやはり飲み歩きの過程で反原発派の若者からよく話題に出るフライングダッチマンというバンドの「ヒューマン・エラー」という曲のユーチューブ動画を観て“事前のイヤな予感以上にヒドい”と批判噴出してるところで例によって?テープレコーダーが停止していることに気づく)
外山 (電池を入れ直して)今までの議論をもう1度最初からお願いします(笑)。
東野 どこからですか?
外山 フライングダッチマンがヒドいって……。
東野 はい、ヒドいです(笑)。えーと……何を話しましたっけ。
外山 ぼく自身の発言で覚えてるのは、フライングダッチマンが実は原発推進派で、反原発運動の質を低下させて打撃を与えるためにこういう曲をわざとやってるんなら一目置く、と(笑)。
藤村 オレが云ったのは、明後日また九電前で抗議行動だから、とても参考になった、と。内容じゃなくて喋り方とかの面だけど(笑)。
外山 でも実際、反原発派にこういう感じの連中が一定いることはたしかだよね。
東野 あ、何を云ってたか思い出した。つまりコレを支持するのって、コレを聴くまでもなくすでに反原発の立場だった人たちだけで、反原発派が集まってる場所でコレをやれば「いいぞいいぞ」ってことになるかもしれないけど……。
外山 コレを聴いたことがきっかけで「そうか、やっぱり原発は良くないんだ」って思い始める人はいない、と。
東野 ありえませんよ。
外山 むしろ“原発に反対してる人たちってやっぱりこんな感じなんだ”という印象を、対外的に強める結果にしかならないよね(笑)。完全に悪宣伝。反原発運動にとってはマイナスでしかない。
東野 一種の“うたごえ運動”ですよ。
外山 ん? それはどういう意味で?
東野 “うたごえ運動”って、要は“啓蒙”でしょ。
外山 つまり“歌”を通して大衆を啓蒙しようとしてるんだが、そもそも最初からその運動に参加してる身内の言葉でしか表現されておらず、“身内ノリ”を再生産して強化する効果しかもたらさず、しかもその上、音楽的な水準も非常に低い、ってところまで含めて“うたごえ運動”の定義だよね。
東野 むしろ“うたごえ運動”よりも退行してると思う。
藤村 “うたごえ運動”は“みんなで歌う”のが基本だけど、コレだとそれも不可能。
外山 バックのバンド演奏があるだけで、事実上は単なる演説だもんなあ。格好からして彼らはたぶんそもそもはパンク・バンドなんだろうと思うけど、これもある種の“ヒップホップ”の受容だよね。英霊来世とフライングダッチマンと、“政治的なヒップホップ”の日本での受容に関して左右それぞれの極端な例を聴いてもらった感じだけど……。
藤村 この2つを比べればそれは英霊来世の方が間違いなく良いですよ。オレが右翼だからっていうのは、その判断には何ら影響ない。
外山 たまたま最近あちこち呑みに行く先で時々話題に出るんでフライングダッチマンを紹介したんだけど、もちろんもっとずっとマシな“左派系ヒップホップ”は他にあると思いますよ(笑)。
東野 これを支持してる反原発派の人は多いんですか?
外山 “多い”ってことはないと思う。そもそも年配の人たちは知らないだろうし。だけどロック系、ヒップホップ系、レゲエ系は40代以下の反原発派には一定いるじゃん。彼らの中にはこの曲を知ってる人も多いと思うし、知ってる場合はたいてい支持してるんじゃないかという気がする。そんなに頻繁に話題に出るわけじゃないけど、これまでに何度か、それぞれ別の店で話題を振られて、“いいですよね”って云われて返答に窮した(笑)。良くないんだもん、明白に(笑)。
東野 内容的な問題は措いといても、演奏ナシでただ普通に喋った方がまだいいと思いますよ。
藤村 うん。そう思う。
アナ こんなのやるよりデモに参加した方がいいですよ(笑)。
外山 参加してはいると思うけどね、彼らも。
アナ いや、こんなのやらずにただデモだけやった方がいい(笑)。


東野 ロックを含むカウンター・カルチャーが持ってた政治性は、歌詞とか表層的な言葉の水準によってではなく、振る舞いとかのパフォーマンス的な水準に由来するものだったんだけど、ちょっとシニカルな云い方をすると、そういう政治性はかつてのもっと権威主義的な社会状況において成立しえていたのであって、“68年”を契機としてそれ以降に成立してきた“リベラルな管理社会”ではもはや成り立たないんじゃないかと思うんです。
外山 ロックそのものがすでに体制公認の文化産業だし、日本は微妙かもしれないけど、グローバル・スタンダード的には、エミネムやレディ・ガガを見ても分かるように、むしろ政治的あるいは反社会的な振る舞いをすればするほど“さすが本物のロッカーだぜ”って絶賛されてますます成功してしまうようになっちゃってる状況において、そういう“政治性”にどれほどの意味があるのかって話だよね。
藤村 オレの云おうとしてた文脈に接続すると(笑)、現代社会というのは、文化を含めた制度的なルールのあり方が、ロック的な衝動さえもたやすく吸収してしまうようなものになっているので、政治的なメッセージ性をロックで表現したりすることにそもそもあまり有効性がなくなってしまってるってことでしょ。
東野 それに、M君なんかはむしろ特殊なタイプで、今の若い人は“ロックは反体制”とか云われてもまったくピンとこないのが普通だと思いますよ。
外山 ヒップホップもそうかな?
東野 そうなんじゃないですか。
藤村 “親に感謝”だもんな(笑)。
外山 日本の“売れてるヒップホップ”はそうだけどさ。
藤村 フライングダッチマンもロック産業に回収されるのかな?
外山 さすがにそれはないでしょう(笑)。
藤村 現代資本主義の体制的な政治性には回収されないとしても、それとは別の、もっと質の悪い政治性に回収されるような気はするけど。
外山 それはまさにその通りだ。
東野 経済的な成功という形では回収されないけど、“リベラルな監視社会”のシステムには充分回収されてるんじゃないですか。
外山 少なくともすでにできあがっている既存の“原発賛成・反対”の対立構図を組み替えたりはしないよね。反原発派の一部に存在するあまり質のよくない感性をますます強固にするだけ。“ヒット曲研”の文脈に戻すと、紅白で話題になったサザンの「ピースとハイライト」(13年のオリコン年間チャート17位)についてツイッターにも書いたとおり、あれはネトウヨ的な連中に反発されて、左派というかリベラル派に絶賛されるという、“案の定”な反応しか生み出さなかったわけで、すでに成立している対立図式を何ら動揺させるものではない。
藤村 ああいうものを喜ぶ人たちの共同性にただ回収されるっていう。フライングダッチマンのコレも、規模がだいぶ違うけど基本的にはまったくそういうものであって、それは“資本主義に回収される”ということと大差ない。外山君がソウルフラワーユニオンを昔から“とっくに失効した第三世界革命論だ”“ソフト・スターリニズムだ”ってずっとディスりまくってるけど、基本的にはコレもそのテのまた別のカテゴリーに分類できるようなものでしかないでしょ。


藤村 この曲にはすごく賛否両論あるでしょ。この曲は今の“危険なナショナリズム”の風潮に乗っかるものだという批判が一方にあり、“いや、椎名林檎は皮肉でやってるんだ”と擁護する声もある。
アナ ぼくは“何じゃこりゃ”って拒絶反応を覚えました。
藤村 オレの理解では、この曲は“ナショナリズムのクール・ジャパン化”。
外山 あ、それはよく分かる。
藤村 つまり内容的にはまったく何も云ってないでしょ。“フレー、フレー、ニッポン”としか云ってなくて、あとは全部なんかテキトーな、“生きる力がワーイ!”みたいなもんで(笑)。
外山 そもそも何かのテーマソングなんだよね?
アナ 日本代表の応援ソング。
藤村 ワールドカップか何かの。
アナ そうそう。
藤村 でもこの歌じゃまったく応援になってない(笑)。
外山 そういうオファーだからって“ニッポン”なんてマンマなタイトルつけて、出だしがいきなり“万歳、万歳”って、明らかにワザとらしいじゃん。
藤村 完全にバカにしてるよね。
外山 全然ナショナリズムじゃない。むしろ距離を置いてる。
藤村 紅白のパフォーマンスで初めてこの曲を聴いたんだけど、やっぱりバカにしてるんだと分かって感心した。どこか外国の軍服みたいなのを着た人がバックで踊ってたり、椎名林檎自身も“着物にエレキギター”で。
外山 いかにも日本風のカッコをした上でそれに似つかわしくないことをやるというね。
藤村 まさにそれが“クール・ジャパン”の本質だけど。“意味”とか“起源”みたいなものを全部とっ払って無意味化するっていう。
外山 ぼく自身はオタク文化とか“クール・ジャパン”的なもの総体に否定的な立場だけど、椎名林檎のこのパフォーマンスは、そのテのものの否定的な側面を逆手にとって利用してるよね。“あらゆるものを無意味化してしまう”という“クール・ジャパン”の悪質な作用を、ナショナリズムに対して応用してる。
藤村 だからこれはまさに左翼的なものだよ。
外山 うん。そう思う。
藤村 反ナショナリズムだもん。いや、正確には“反”ではないけど。
外山 “親”も“反”も無意味化するような意味で“反”ってことだよね。
藤村 やっぱりそう解釈するのが正しいんじゃないかな。ツイッターで佐藤悟志さんが“こうなったら東京オリンピックの開会式は椎名林檎に歌わせて、バックはみんなAKBとかのアイドルで固めればいい”って書いてて、素晴らしい、その通りだと思った(笑)。ああいう今からでもイスタンブールに譲ってほしいような(笑)、くだらないイベントをもしどうしても日本でやるんなら、今は“クール・ジャパン”をウリにしてるんだし、安倍もたぶん“クール・ジャパン”なんか少しも理解してないだろうにそこは頑張って踏襲していくつもりなんだろうから。
外山 ぼくは“クール・ジャパン”を全否定してるし、90年代に入ってこのかた日本人こそ世界で最も劣等民族だと確信してるけど(笑)、そんなゴミくず民族が世界に何か貢献しうるとしたら、この頽廃を世界中に伝染させて滅亡に巻き込んでいくぐらいだよね。


藤村 オレもこないだの紅白はツイッターをチェックしながら観てたんだけど、椎名林檎の「ニッポン」に“恐ろしい、ついに来るとこまで来たか”とか書いてた人が、サザンの「ピースとハイライト」に大喜びしてるってパターンが結構あって……。東野君は紅白は観た?
東野 後でユーチューブでサザンと長渕だけ観ました。
藤村 なぜ観るべき人(中島みゆきのことと思われる)を観ないんだ(笑)。……サザンがまずチョビヒゲを付けて登場したでしょ。あれについて“ヒトラーを想起しない奴はバカだ”とか書いてる人が大量にいて、こいつらの方がよっほどバカだと思った。だってサザンだよ。桑田がチョビヒゲ付けて出てきたら、“ナチス”だ“ヒトラー”だっていうんじゃなくて、むしろ“ドリフかな?”“ヒゲダンスかな?”ってまず思う方が、よっぽどサザンを日頃からちゃんと聴いてる“理解者”の反応だよ。だって紅白に「チャコの海岸物語」で初登場した時(82年)なんか、三波春夫の格好をして、“お客様は神様です”とか時々挟みながら思いっきりバカにしまくって歌ったような人だよ(笑)。「音楽寅さん」って番組でもいつもヘンな格好してるし、“ひとり紅白”とか云って過去の歌謡曲を全部1人で歌うようなライブをやったり、そういう人なんだ。チョビヒゲ付けて出てきたのを見てすぐ“ヒトラーだ”なんて思う奴の方がよっぽど普段は桑田に興味がないに決まってる。この問題について、オレは桑田さんにムカついてるんじゃなくて、あのパフォーマンスをツイッターとかでトンチンカンに絶賛してた連中にムカついてるんだ。
外山 もちろんパフォーマンス全体の文脈からすれば“ヒトラー”が“正解”なんだけど、それは「ピースとハイライト」をある程度まで聴いてからやっと分かることで、“軽薄短小”の典型みたいなキャラをウリにしてきた桑田がまさかそんなことをするとは思わない方が普通だよね。
藤村 で、その上でさらに「ピースとハイライト」って歌はどうなんだっていう。あんなものが“プロテスト・ソング”なの?
外山 じゃあせっかくだし改めて聴いてみますか? それこそかなりの大ヒット曲だし、ヒット曲研の趣旨ともズレない。
藤村 昨年の曲だっけ?
外山 いや、一昨年じゃなかったかな。
アナ 13年のチャートに載ってますよ(オリコン年間チャート17位)。
外山 だからむしろ“何で今さら物議をかもしてんの?”って感じがしたんだけどね。だってもう発表直後には“しばき隊(レイシストをしばき隊)”の界隈で話題になってたでしょ。ライブで「ピースとハイライト」を演奏する時にバックで“しばき隊”と在特会が街頭で衝突してる映像とかを流してたとかで。あれがもうだいぶ前だもん。“サザンもこっち側についてくれた”って盛り上がってた。
藤村 なんだ、結局“仲間褒め”じゃん。そのエピソードはオレも当時ツイッターで見てたけど、今云われて思い出した。
外山 ぼくはもともとサザンは好きで新曲が出たら大体チェックしてるし、“しばき隊”がらみの話題もあったからますます「ピースとハイライト」のことは紅白を観るまでもなく知ってて、“桑田がこんな曲を!?”“素晴らしい”って反応にしても、逆に反発して“在日認定”とかし始める連中にしても、今さら何を騒いでんだと思った。それなりに世の中の動きを気にしてる人なら、賛否はともかく“しばき隊”界隈のことはチェックしてるべきだし、サザン自体は普段は視野に入れてない人でも、当然少なくともあの曲のことだけは知ってて当たり前なんだもん。