『人民の敵』第2号(2014.11.1発行)


コンテンツ4
〈貴重文書発掘〉外山恒一の01年1月〜2月の日記
〈正規版“購読”検討用・抜粋〉


 福田和也の本を手始めに、とにかく“保守系”の本を読みまくる。福田和也と、西部邁、佐伯啓思、そして小林よしのりとの座談会の単行本『国家と戦争』(飛鳥新社)なんてものも読む。小林よしのりはくだらないと思うが(もちろん、その主張は半々で正しくも間違ってもいるという程度には認めている)、西部センセイ(「センセイ」とカタカナで表記するのは、ぼくの場合、親しみを込めた冗談)とは一度『SPA!』で“60年安保の闘士と90年安保の闘士との、現状「左」翼を徹底攻撃する一点で団結し得る、世代を超えた邂逅”みたいな感じの対談をしたこともあって、もともと好きな人である(もちろん立場は左右で逆だが、「右翼」でも良い人は良い)。純粋に“保守系”とは云えないが、中野翠センセイや、呉智英などの著作も次々と買い込んでは何度も熟読。バカバカしい「左」翼への、徹底攻撃に溜飲の下がる思いで、ぼくも「右」に転向しようかな、とかなり本気で考え始める。
 でも、同時に吉本隆明先生(「先生」と漢字で表記する場合には、本気で尊敬していることを意味する。ぼくが「先生」と呼ばざるを得ないほど尊敬しているのは、吉本先生と、中島みゆき先生の御二人だけである)の『わが「転向」』(文春文庫)や『私の「戦争論」』(ぶんか社)なども改めて買って熟読する。ぼくが「左」翼の連中に嫌われ、憎まれるのは、ぼくが“吉本派”の左翼であるためという側面も大きい。戦後一貫して“無党派”左翼のカリスマだった吉本先生だが、80年代初頭の『「反核」異論』(深夜業書)以後、ほとんど“裏切者”呼ばわりの不当な扱いを受けている。さらに近年では、柄谷行人や浅田彰など後進世代のカリスマ論客が、吉本先生が御高齢でたまにしか冴えなくなったのをいいことに、卑劣な“批判”を先生に仕掛けるようになったため、先生はますます孤立無援のキビしい状況に追い込まれてしまっている。ぼくがまだ無名で、先生への側面支援すら困難なことが、悔しくてたまらない。吉本先生が御存命のうちに、なんとしてでも功成り名を上げて、若者(っつってももう30だが)の中にちゃんと、先生の志を受け継いでいる者がいることを分かってもらって、不謹慎な云い方だが、未来への希望をもって幸せな気持ちで生涯をまっとうしてほしいと、本気で思っている。


 「大した家柄でもない」と書いたが、父方はもともと富農階級である(註.間違い。江戸時代の先祖は武士だったようだ)。やっぱりぼくを溺愛していた祖父は、ぼくが4歳の時に病死したが、彼の代の時点ですでに農家ではなく、祖父は美術教師であった。先述の通り、伯母たちはほとんど全員、金持ちの家に嫁いでいて、あまりいわゆる“苦労”というものを体験していない。
 対して母方は貧農である。これまた先述の通り、祖父は戦死している。戦争に動員されるのはある種、その人が貧乏人である証拠である。そのため祖母は、いわゆる“女手ひとつ”で3人の子どもを育てた。血を吐きながら、日雇いの土方をやったのである。母親の1番上の兄を、ぼくは見たことがない。30を過ぎた頃、突然蒸発してしまったからである。数年前に、釜ヶ崎かどこかで、行き倒れて死んでいるのを発見された。警察が身元を調べ、祖母に通報されたものである。数十年ぶりに、長男は骨になって故郷に帰り、埋葬された。2番目の兄は、ぼくは結構好きな伯父さんだったのだが、簡単に云うと“トライアスロン系”の、ありがちな“個性派オヤジ”である。随分前から、東京に住んでいて、その息子、つまりぼくの従兄弟ともぼくは結構仲がいい。同い年だし、どちらかと云えばヤンキー系、ジャンキー系で傾向は違うがやっぱり同じく高校中退だからである。伯父だが、健康が自慢だったのに、これまた数年前に、突然心臓麻痺を起こして急死してしまった。母親は、祖母の、唯一の生きた娘なのである。
 「階級って本当にあるんだなあ」と感慨深い。大した違いではないが、このようにある程度の「家柄の違い」があって、父方の親戚は、母方のそれをどうやらサベツしているように感じられる。
 父親も母親もぼくにとっては大差ない「困った奴」だが、単にバカ正直な、リッパな大衆である。そういう誠実な人間が伯母たちのような海千山千にいいように利用され、思惑どおりに罠にハメられるのを見るのはガマンがならない。とりあえず“出入り禁止処分”に現時点では甘んじているぼくではあるが、いざとなったら公然と介入して、両親を救済しようと固く決意した。
 2人の伯母と父親は、夜中の1時ぐらいまで居座ったあげくに、ようやく帰っていった。まったく迷惑な連中だ。「常識をわきまえろ」とぼくに思われるようでは人間として下の下の下である。母親はたまらずすぐさま福岡のぼくの妹に電話して、これまた妹にとっては迷惑なことに、寝てたはずの妹を相手に長々とグチをこぼし始めた。途中でぼくに交代して、今夜の出来事をぼくの視点で面白おかしく妹に報告した。兄妹間でまたまた大爆笑連発のコミュニケーションが成立した。
 まあ、こういう経緯で、ぼくは「右」に転向することを、すんでのところで思いとどまった次第である。新保守主義とやらが流行だが、浅羽通明やあるいは〈プロ教師の会〉の面々の主張は、片面の真実でしかない。要するに、首都圏をはじめ、都市化された地域でのみ通用する言説にすぎないのだ。日本の大部分の地域は、おそらくこんな感じなのだ。連中がノスタルジックに称揚する「日本の伝統社会」の実に抑圧的な一面を、ぼくはこの目でしっかりと目撃してしまった。「家柄」問題をはじめとする、「階級社会」の現実も。「地方」にいながら「ものを考える」というのは、こういうことだ。「福岡」という地方中核都市を主要拠点とし、「東京」という大都会と、「札幌」という福岡とはまた別の地方中核都市と、「鹿児島市」というモノホンの地方都市と、「加治木町」や「隼人町」というモノホンのドドドドド田舎とを果てしなく往来する。これが、ぼくの、インテリ、思想家、表現者、革命家としての最大の強み、武器である。
 今しばらく、「左」で頑張りたいと思う。