藤村 ともかくアイドルに要求されるハードルが、少なくともダンス・パフォーマンスの技術なんかに関しては高くなっていくのは、モーニング娘がきっかけだったんじゃないかな。
外山 その前に沖縄アクターズ・スクールもあるよね、厳しいダンス・レッスンを経てデビューするっていうのは。
藤村 そうか。
外山 ただしその訓練の過程が大っぴらに晒されるわけじゃないけど。
藤村 うん、そうそう。安室奈美恵とかMAXとかでしょ。たしかに苦労の過程は見せない。
外山 だけどそういう“アイドル”的な人たちも、昔と違って歌やダンスをきちんとこなさなきゃいけないという流れが、90年代前半期に作られたってことかもしれない。で、90年代後半になると、モーニング娘がその努力の過程そのものを一つの“売り”にしていく、と。
藤村 話は前後するけど、もう一つ云っとくことがある。今の“会いにいけるアイドル”みたいなコンセプトを最初に打ち出したのが東京パフォーマンスドール。
外山 名前しか知らない。
藤村 篠原涼子がいたグループ。あと穴井夕子とか。東京パフォーマンスドールは、東京の何とかって特定の会場で定期的に公演して、それを観に行くファンがいてっていう形態を基本にしてた。もちろんまだ“握手会”とかはないけどね。
外山 ヒットチャート的にはそんなに売れたグループってわけでもないよね?
藤村 そこそこ上位に行ってたんじゃないかな。まあヒットチャートそのものが次第に本当にヒットしてるのかどうかの指標ではなくなり始めてた時期だとは思うけど。
外山 90年代初頭ぐらいなんでしょ? つまり篠原涼子が“小室ファミリー”になる前ってことでしょ?
藤村 いや、小室が提供した「恋しさと せつなさと心強さと」が大ヒットするけど、まあその前後ぐらいだよ。北川昌弘って人の『山口百恵→AKB48』という本によれば、東京パフォーマンスドールにはアンケートのシステムがあって、アイドルのパフォーマンスに対してファンがあれこれ感想や要望を云えるような仕組みが作られてたらしい。云ってみればアイドルの“民主化”だね。
外山 民主化か。けしからんことだ(笑)。
藤村 そういう方向は東京パフォーマンスドールから始まった。
外山 昔のアイドル・ファンは、向こうが提供してくれるものをただ一方的にありがたく享受してただけなのにね。“親衛隊”を作ってひたすら“応援”だけするもので、意見を云うなんておこがましいにもホドがある(笑)。
藤村 ともかく東京パフォーマンスドールで“会いに行けるアイドル”の原型ができて、モーニング娘でガチなレッスンの様子を見せたり、CDの売上がどうこうとかワケの分からないノルマを課したり、最終的なパフォーマンスにもそれなりに高い技術が求められるようになったりして、その代わりに顔の良し悪しとか“オーラ”とかの重要性は下がる。そういう流れを全部統合して、より現代資本主義にも合致するように再構成したのがAKBってことになる、という気がするわけです。
藤村 もちろんAKB総選挙が公平公正におこなわれている、なんて考えるアンポンタンは『人民の敵』の読者にはいないだろうけど、もちろん“得票数をごまかして発表してる”なんてことが仮になかったとしても、例えばAKBの場合は各メンバーが所属してる先がそれぞれ違うわけで……。
外山 ん? それはどういうこと?
藤村 ホリプロに所属してるメンバーもいればナベプロに所属してるメンバーもいる。
外山 そうなんだ。全然知らなかった。
藤村 CDを百枚買うには10万円かかるでしょ。10万もはたいて自分の推しメンに貢献するというのは立派な、熱烈なファンだ。おれはもうアイドルのファンになってる“内部”の人間だから「素晴らしい!」と思うよ。世間から見れば「バカ!」って話なのは分かるけど。しかし個人で10万は大きいけど、法人にとっては別にどうということはない“経費”の範囲でしょ。もしかしたら“10万円ぶん買ったことにします”って会計上のやりとりで済ませてる可能性さえある。CDの現物すらなく、金と投票権のやりとりだけが企業間ではおこなわれてるのかもしれない。そうだとしてもそれはAKB総選挙のシステムにおいては“不正”でも何でもないはずだし。だから総選挙のためにAKBのCDを大量に買ってる個人のファンに云いたいよ、ムダだからやめろって(笑)。
外山 “一票の軽み”だ(笑)。
藤村 うん。おれもアイドル・ファンだから気持ちはよーく分かるし、おれ自身もそれに近いことをやってるけど、“大人の世界”はもっと汚いんですって云ってあげたい(笑)。アイドル・グループってのは、アイドルが自主的に運営してるわけじゃないんだから。
外山 “自治”がおこなわれてるわけではない(笑)。
藤村 汚ならしい大人、しかも秋元なんていうクズみたいなオッサンが全部やってるんですよって。
外山 “民主化運動”をやればいいんじゃないの?(笑) “真の民主主義”を求めて、さまざまな“チェック機能”とか要求して。公正な選挙がおこなわれているかどうか、“監視委員会”を結成して秋元康に公認させる(笑)。
藤村 そういうことすべきだよ。しかも民放だけじゃなくNHKのBSでAKB総選挙のダイジェスト版とか放送してるんだから、国民的に要求すべきだ(笑)。おれも一応NHKで観てみたけど、とくに開票作業がチェックされてるわけでもないようだったし……。
外山 “開票立会人”とかいないんだ。
藤村 いるかもしれないけど、いたって八百長はできるからね。
外山 事務所が投票権を買うのはフツーの議会政治で云えば“企業献金”みたいなものなんだから、やっぱり“政治資金の透明化”を図らないと(笑)。
藤村 国政にあてはめれば、政治資金規正法も公職選挙法も何もない状態でただ“選挙”だけがおこなわれてるようなもんだよ(笑)。
外山 ものっすごい後進国の選挙(笑)。
藤村 AKBにおいてアイドルが代替可能な存在になってるというのは、現代の資本主義において労働者が代替可能な存在であるのと一緒なんですよ。
外山 そうだね。AKBの人たちって“労働者”って感じがする(笑)。
藤村 ガチの労働者で、しかも非正規雇用のね(笑)。派遣社員やアルバイトとおんなじ。
外山 実に身近な存在だ(笑)。
藤村 例えばかつてのピンク・レディとかって、忙しくて1日3時間睡眠だったとか云うけど、どうして3時間しか寝られなかったかといえば代替不可能な存在だったからですよ。ミーちゃんケイちゃんが出てこないと“ピンク・レディ”にならない。ところがAKBは誰が出てようと欠けてようと“AKB”なんだよ。
外山 入れ替え可能。
藤村 “アンタの代わりなんかいくらでもいるのよ”ってのが成り立つ。実際、正規のメンバーの周りには“研修生”とかいるわけでしょ。
外山 失業者の群れが……(笑)。
藤村 それはやっぱり日本のブラック企業の構造と一緒だよ。「アイツラと同じ境遇になってもいいのか!」って秋元が実際に云ってるかどうかはともかく、同じ構造が現実として作られてる。現代の資本主義の縮図だっていう、ものすごくありふれたAKB批判なのかもしれないけど、そういう“ありふれた批判”さえなかなか出てこないんだもん。
外山 『人民の敵』の読者層はAKBにあんまり興味ないと思うから、“ありふれた批判”であっても新鮮だと思いますよ。
藤村 とくに顔が可愛いとかで容姿に自信があるわけではないメンバーにとって物語形成力ってのが一番の武器になるし、その物語に乗っかってくれる自分推しのファンをいかに獲得するかってのが今のアイドルの最も重要な任務になってる。それはこの本(輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』2010年・光文社新書。以下『「日本の心」神話』。外山も大絶賛の名著)で、“演歌”というジャンルが形成されるに際して大きな役割を果たしたとされている……誰だっけ、宇多田ヒカルのお母さん。
外山 藤圭子。
藤村 うん。
外山 実際にはイメージ戦略だったと書いてあったね。
藤村 本当のところはどうだったのか知らないけど、「十五、十六、十七と私の人生暗かった」って歌(「圭子の夢は夜ひらく」)で不遇な生い立ちを匂わせて、お母さんが失明して云々ってエピソードもあって、「だからこそこの曲に賭けるんだ」と云って殺人的なプロモーション活動をこなす。演歌歌手は今でもみんなそういうプロモーション活動をやるよね。新曲が出たらあっちこっちのレコード店を回り……。
外山 有線の放送局を回り……。
藤村 来てくれたファンたちと1人1人握手して、サインして……。
外山 ああ、たしかにそもそも“選挙”じみた振るまいだ(笑)。
藤村 そうやって地道にCDを売って歩く。これとおんなじことを今のアイドルもやってるわけだ。新しいCDがリリースされたら“リリイベ”と称して、“フラゲイベ”とか云って……。
外山 何イベ?
藤村 “フラゲ”。AKBの「フライング・ゲット」の、CD発売前日のリリース・イベント。LinQもそういうのをやる。福岡の薄いアイドル・ファン層だけではCDの売上はおぼつかないから、特に人気のあるメンバーが“選抜”されて東京に行ったり大阪や名古屋に行ったりする。逆に福岡に残ってるメンバーは“干されメン”とか云われちゃうわけですよ。どこが“ラブ・イン・九州”なのか、“九州を拠点とするアイドル”なのかって話だけど(笑)。で、福岡に残されちゃった人たちはものすごく劣等感を持ってしまうし、当然その劣等感は公言される。「今回もまた東京に行けなかった、悔しい」とブログやツイッターに書くんだ。そんなことを書かれた日にゃあ、そのメンバーを推してるファンはもう、「おれの力が足りないばかりに、申し訳ない」って気持ちになるわけですよ(笑)。
外山 ダメだよ、早く抜けた方がいいよ(笑)。
藤村 だけど「でんぱ組」みたいな成功例があるからさ、そんなこと云われても抜けるわけにはいかない。スガ(秀実)さんが新自由主義の特徴についてよく“1人1人が(“労働者”ではなく)個人事業主”って云うけど……。
外山 そういうことだね。
藤村 安倍政権がまた労働法制を大きく変えるから、ますますそういうことになっていくだろうし、アイドルはすでにそれを地でいってる。
外山 AKBに限らず、と。
外山 ぼくもさんざん云ってるように、今のヒットチャートは売れてる実数じゃないもんね。1人で何枚も同じCDを買わされるようなシステムのものだけがトップ10入りする。
藤村 あるいは紅白歌合戦の視聴率が今や50%を切るんだから。昔はそんなこと考えられなかったでしょ。いつだったか“ついに50%台にまで落ちた”ことが衝撃だったぐらいなんだし。59・2%だったかな。
外山 昔は国民の8割ぐらいが見るものだったからね。今は何%ぐらいなの?
藤村 それでも40%台でしょうね。とにかく大晦日に家族揃って紅白を見るっていう文化がなくなったわけで。
外山 たぶんあれだな。もし一連の選挙制度改革がおこなわれずに、昔と同じように不在者投票の要件も厳しく、期日前投票とかさせず、投票時間も夕方5時ぐらいで締め切るっていう“正しい選挙制度”が続いてたとして、その場合の国政選挙の投票率と紅白の視聴率はほぼ同じぐらいで推移してるような気がするな。
藤村 あ、そうだね。それは面白い視点かもしれない。しかもかなり因果関係がありそうな話だし。因果関係というか……。
外山 同じ原因でそうなってるという現象。
藤村 うんうん。そんな感じがする。
外山 また何かを云い当ててしまったかもしれない(笑)。
藤村 とくに濱野ですよ、ダメなのは。『前田敦子はキリストを超えた』(2012年・ちくま新書)っていう、いろんな意味で許しがたい本も書いて。
外山 そんな本が出てるんだ(笑)。しかも、ちくま新書か。どうして外山恒一の本も出さずにこんなくだらない本ばっか出してんだ(笑)。
藤村 まったくそのとおりだ。まずは外山君の「政治活動入門」と「学生運動入門」を併録して刊行すべきだよ。
外山 そのつもりであちこち売り込んでるんだけどね、どうもダメなんだ。
藤村 それでいて、反原連(首都圏反原発連合)の勢いを潰した奴の本なんかホイホイ出しやがって。
外山 ん? 誰のこと?
藤村 『1968』を書いた……小熊英二。あいつが野田首相と会えとか云うから反原連の勢いが削がれちゃったわけでしょ。まあそれはともかく、この濱野の本が依拠してるのは吉本隆明の「マチウ書試論」なんだよ。
外山 そんな大袈裟な話なんだ(笑)。
藤村 吉本は、イエスの一見“博愛の精神”に満ちたように思われる言葉の裏に、とんでもない憎悪が隠されていて、その憎悪をもたらしたものは当時の経済的・社会的な構造だって分析したわけでしょ。ローマ帝国の圧政に苦しむヘブライ人がいて、それでもその中には律法に従順なパリサイ派・サドカイ派がおり、一方に抵抗するイエスたちの原始キリスト教団があった。そういう状況全体を規定しているのが当時の社会構造すなわち“関係の絶対性”である、と。そういう吉本の議論をAKBをめぐる話に持ち込もうと思えば、たしかに持ち込むことは可能なんだよ。前田敦子の有名な言葉があるでしょ?
外山 いや、存じ上げませんが……(笑)。
藤村 「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」っていう。
外山 あ、知ってる! じゃあきっと“有名な言葉”だ(笑)。
藤村 だけど今の話の流れから、この言葉がいかに空疎なものであるか分かるでしょ。AKBは“チーム”じゃなくて“システム”なんだから、それを好きとか嫌いとか云うこと自体が無意味なんだよ。まだマイナーな頃はともかく、すっかりメジャーになったAKBにおいては、AKBというシステムそのものが云わば“所与”のもので。たしかにLinQもAKBと同じようなシステムでやってて、それでもぼくはLinQとAKBは違うと思いたい“希望的観測”を持ってるけど、それはLinQがまだそんなに売れてないからで、だからそれぞれ個々のメンバーを推してたとしても、AKBとかの売れてるグループとの比較でまず“LinQが好き”ということが成り立つ余地がある。つまりそれは後進国・植民地・発展途上国の……。
外山 ナショナリズムとして。
藤村 うん。でも“先進超大国”AKBにおける前田敦子の言葉は空疎で、“一見それが慈愛・博愛の精神に満ちているように思われたとしても”という議論は可能なんだ。実際に前田敦子は、大島優子とか他のメンバーを推してるファンたちの間で「なんで前田がセンターなんだ」とディスられまくって、ネットでもさんざん悪口を書かれてて、濱野もそのことはちゃんと踏まえてる。そしてその憎悪を生み出す、さらには前田敦子派やアンチ前田敦子派を生み出すものこそ、“AKB総選挙”というシステムであり、もっと云えば、本来は代替不可能な存在であるはずの“アイドル”を代替可能な存在にしてしまう最近のアイドル・システム、さらに突き詰めれば現在の資本主義のあり方そのものという“関係の絶対性”である、というふうに議論を展開するのが……「マチウ書試論」を引っぱり出すとすれば、当然そうなるよね。したがって打倒されるべきはそれらのシステムであり、“総選挙”なんか粉砕すべきだって結論に、革命思想家・吉本隆明なら至るはずだよ。ところが濱野はまったくワケの分からん議論をしてる。吉本が云う“一見、博愛の精神に満ちているが”という部分をどっかに置いちゃって、“憎悪”の部分だけを取り出して、しかもそれをアンチ前田敦子派の心情に重ね合わせるんだ。えーと……分かる?
外山 いや、ちょっとついて行けてない(笑)。
藤村 濱野は前田敦子をディスるアンチ前田派の側に“憎悪”があって、つまりアンチ前田派が原始キリスト教団になぞらえられてる。“憎悪”を抱いた原始キリスト教団=アンチ前田派と、“前田推し”のファンたちがまるで古代ローマの圧政下におかれたヘブライ人諸派の対立のように生じていて、しかしそこでそうした対立を超える、無私で利他的な、前田の「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という発言がおこなわれた、したがって前田敦子はキリストを超えた、っていう話。
外山 なるほど。それはたしかに吉本をまったく読めてないね。ほんとに濱野って人がそんなバカなことを云ってるのか、自分で読んで確かめてみないと分からないけど……まったく読む気になれない本が最近多いよ(笑)。