外山 以前も少しお訊きしたんですが、『国家民営化論』で表明した立場は撤回してないんですよね。
笠井 してませんよ。
外山 『国家民営化論』を出した時期って、後に「ネオリベ」とカテゴライズされるような風潮が、まだそんなに猛威をふるっている状況ではなかったでしょ。
笠井 ネオリベって言葉自体、当時まだありませんでした。
外山 「新保守主義」って言葉はあったけど。
笠井 新保守主義と新自由主義は違うからね。まあ二人三脚でやってるようなところはあるにしても。
外山 笠井さんが『国家民営化論』で表明した立場は、ネオコンと同列視されてしまいがちでしょ。以前お会いした時に、そこらへんについて「ネオコンやネオリベとは違う」と云われてましたが。
笠井 シカゴ派のネオリベとリバタリアニズムも違います。
外山 どう違うんですか。例えばアメリカでは、ネオコンとキリスト教原理主義みたいな人たちとが共闘して共和党を支えてるけど、両者は本来まったく異質なものですよね。ネオコンの側は左翼出自で、左翼が自己批判的な過程を経てネオコンになったわけで。その点は笠井さんの経歴ともかなり重なると思うんですが。
笠井 マルクス主義をきちんと自己批判してないからネオコンになっちゃうんです。だって彼らは要するに“自由主義世界革命”でしょ。“世界革命”なんて反革命ですよ(笑)。
笠井 ともかく20世紀的な行動的ニヒリズムは、もう思想的に終わったんじゃないかという気がする。まあ、分からないし、最終的な結論ではないけれども。千坂恭二はああいう浮世離れした人だから(笑)、そこらへんがどうも分かってないんじゃないか。
外山 ぼくはやっぱり笠井さんのそういう部分には異論があって、学生運動や大衆運動が社会の表層からは一掃されてしまった80年代以降の日本の状況というのは、ごく日本的な特殊状況だと思ってるんです。諸外国では80年代以降もそういうものは存在し続けてるわけですし。世界水準で見れば行動的ニヒリズムの性質を帯びた運動は今でもいくらでもあるでしょう。
笠井 それが20世紀的なものと同じなのかどうかですよ。例えば20世紀のスペイン戦争に参加した国際旅団と、今の「イスラム国」に義勇兵として飛び込んでいく連中が同じ精神なのかどうか。スペインに駆けつけたマルローやオーウェルと、イスラム国に国境を越えて志願する若者たちとは、どこまで似ていてどこまで違うのかをきちんと見なければ正確なことは云えないと思う。
外山 たしかに20世紀的な行動的ニヒリズムとは違う21世紀的な行動的ニヒリズムというものが出てきてるのかもしれないけど、行動的ニヒリズムそのものが終わったわけではないでしょ。
笠井 例えばイスラム国に捕まった日本人。彼はどうも軟弱だったりバカであるように見えるかもしれないけど、ああいうものが実は21世紀のリアリティなんじゃないか。もしかすると彼は心から改宗して戦闘的なジハディストになるかもしれない。なんかそういう感触なんだよね、21世紀って。
外山 たしかにあの捕まった青年と、松平君とは似てる気がするけれども(笑)。
笠井 意志強固でカッコいい20世紀的な行動的ニヒリズム青年と比べると、オタク気質だったり、軟弱で、背骨がないように見える、そういうのが実は21世紀的なのかもしれない。
外山 やっぱりそれは80年代以降の特殊日本的な状況下で生み出された青年像にすぎないんじゃないかとぼくは思ってるんですよ。
笠井 もちろん結論を出したわけではないけれども。しかしイスラム国に参加して、処刑した生首を子供に持たせて写真撮ってネットに流したオーストラリア人とかいますね、アラブ系の移民じゃなく白人の。あれもやっぱりヘンだよ(笑)。20世紀の行動的ニヒリストの目から見ると、やっぱりどこかタガが外れてるように思うでしょ。
外山 ああ、なるほど。
笠井 20世紀の行動的ニヒリズムも“虐殺”を結果することはあるけど、子供に生首持たせてネットに流すっていう(笑)。この意識というのは明らかに20世紀的なニヒリズムとは異質なものであると思いますよ。
外山 今の話でかなり納得してきたんですが、たしかに“タガが外れてる”って印象をいろんな領域について感じさせられますよね。なるほど、“タガが外れてる”のか。
笠井 70年代に入るとドイツ・イタリアには軍事闘争派が登場し、日本にもヘナチョコとはいえ一応いたわけです。ではなぜイギリス・アメリカ・フランスには新左翼の極左派、軍事闘争派が本格的に登場しなかったのか。イギリスはもともと新左翼がそれほど強くなかったにしても、フランスにはそういう方向が生じかけてはいたんだよ。「プロレタリア左派」っていう毛沢東派の都市ゲリラ組織がルノーの重役を誘拐して、人民裁判にかけて処刑するかどうかという話になった。こういうところがフランスは面白くて、誘拐したあと、じゃあどうするか公開論争されるの、『リベラシオン』紙とかで(笑)。論争にはサルトルもフーコーも参加した。とくにフーコーが強い調子で“人民裁判/処刑”の方針に反対したのが効いたみたいです。新左翼に対しても影響力を持つ“知識人”が同時代のフランスにはいたけれども、日本にはせいぜい羽仁五郎とか、そういうどうしようもない連中しかいなかった。吉本隆明は60年安保の時には影響力を持ってたけど、70年安保には基本的に関係ないから。
外山 全共闘に対しては吉本はむしろかなり冷ややかでしたよね。
笠井 吉本は津村喬なんかを叩く一方で、叛旗派には甘かった。まあ全体としては否定的で、せいぜい東大全共闘が丸山真男研究室を破壊したのは良いことだ、っていうくらい(笑)。吉本の丸山批判を実証するために破壊したわけではないんだけど(笑)。とにかくいなかったわけですよ、極左テロ路線の前に立ち塞がり活動家を説得できるサルトルやフーコーのような知識人は。他方で連赤の活動家の水準も低いし、まあどっちもどっちかな。活動家の水準も低かったけど知識人の水準も非常に低かった。
外山 しかしそういったさまざまなズレが今なお尾を引いてるわけで。
笠井 そうだねえ。だからもう幕末と同じで、ゼロからはじめるぐらいの構えでないとダメなんじゃないですか。
外山 右も左も、若い活動家と話すと「なんでこんなにバカなんだ」と思うんだけど、よく考えたら幕末に暴れてた若者たちも大差なかったのかもしれないな、とも思います(笑)。
笠井 情熱と行動力さえあれば何とかなりますよ。
外山 ええ。ただその“情熱と行動力がある若者”も最近あまり見当たらなくて(笑)。
笠井 形態が20世紀とは異なってるから視野に入ってこないだけなのかもしれないよ。そこを見抜かないと。
笠井 とにかく共産党はこれまでやってきたことを一切自己批判してないんだから、信用されるわけがない。平和運動でも学生運動でも労働運動でもフラクション戦術で大衆運動に介入しては分裂させてきた黒歴史があるのに、自己批判したことなど一度もないわけだから。かならず、また同じことをやりますよ。
外山 日本の左翼運動がここまで衰退したことの原因としては、革マル派という特殊すぎる党派が存在したことが一番大きいと思うけど、どうして革マル派なんてものが登場したのかという背景まで遡れば、そもそも日本共産党がああいう体質でなければ革共同、革マル派も登場しないのであって、やっぱり共産党が何もかも全部悪い(笑)。
笠井 大元は福本イズムですけどね。「分離結合論」で労農派を叩いた。ただ労農派も戦後は社会党になるわけだから、これがいいとも云えない。ツイッター上で話題になってたけど、「たかじんのそこまで言って委員会」の番組復活に共産党大阪府委員会からお祝いの花輪が贈られていたとか。何考えてんだか(笑)、あんなもの日本会議の宣伝番組じゃないか(笑)。
外山 そうですよね(笑)。しかし仮に共産党が自己批判して過去を総括して、社会民主主義政党かなんかに生まれ変わったとしても、それはいいことなのかどうか微妙だとも思います。
笠井 前非を悔いたなら解党して消滅するのがいいんじゃないですか。党の資産はこれからいろんな運動で頑張ろうという人たちに「どうぞ好きなように使ってください」と提供し、党本部ビルも一般に開放する(笑)。
外山 民主党の復活もないだろうし、“第三極”云々もそう簡単には行かないし、議会主義路線の人たちですら少なくともこの先10年20年は何の展望も見いだせないという状況ですよね。
笠井 ヨーロッパやアメリカと違って社民やリベラル派の議会勢力がないというのは、不利なことばかりではないんです。もう街頭闘争にしか活路はないということなんだから。
外山 まったくそのとおり。
笠井 街頭に出た大衆が社民やリベラル政党に期待して、使い捨てられるという危険性がまったくない(笑)。「革命的左翼」とか「革命的共産主義」とか称する社民の“左翼反対派”が伸長する余地もないし、大衆運動を真っ直ぐやりたいようにやるには絶好の環境だよ。
外山 議会政治に自分たちの利害が反映されないという状況は大事ですよね(笑)。
笠井 その点では、アメリカやヨーロッパよりもやりやすいかもしれない。
外山 むしろ恵まれた条件である。
笠井 とも云える(笑)。
笠井 千坂の云ってることで、“全共闘高校生派”“年少派”って話は説得力がある。69年の時点で高校生だったり浪人生だったりした世代は、それ以前の世代とは違う経験をしてるはずだよね。69年の夏に、赤軍派がすごい勢いで「募兵活動」をやっていて(笑)、半分ダマされて応じたような高校生も多かった。押井守は高校全共闘の世代なんだ。年上の全共闘学生には違和感があったと云ってた。大学生はデモが終われば下宿に帰ってメシ喰って寝ればいいけど、高校生は家に帰ったら帰ったで“家族帝国主義”との闘争が待っている(笑)。オヤジには殴られるし母親は泣き出すし、「大学生は気楽でいいよな」と仲間とグチってとか。年長世代には学級委員的な左翼が多かったよ。団塊の世代の中心の1948年生まれは67年大学入学で、71年卒業。まあ、活動家で無事に卒業したヤツは少ないが。これが日本の〈68年〉の中核を成した世代。それでも、田舎の優等生が都会の大学に来て過激化したような奴が山ほどいた。しかし69年に高校生だった連中には、感性的な反逆主義みたいなところがあって、高校中退のぼくは学級委員的な連中よりむしろそっちに感覚は近かったな。
外山 小阪修平の『思想としての全共闘世代』にも、大学が徐々に闘争の色を濃くしていく過程を最初から体験した世代と、入学したらいきなりバリケード封鎖されてたような世代とでは、受け止め方から運動感性から、まったく違うはずだと書いてました。
笠井 東大安田闘争ではじまった69年は一種黙示録的な雰囲気があったから、それにいろんな人がそれぞれ感応して、中にはまだ頭の固まってない段階でいきなりそういう状況に放り込まれる場合もあったろうし。押井守をはじめ、その後クリエーターとして大成したのは高校全共闘とか、年少世代の方が多い気がする。学級委員的な左翼ってのはろくなもんじゃないことははっきりしてるわけで(笑)、学校の教師ぐらいにしかなりようがない。
外山 村上龍や坂本龍一も高校全共闘ですもんね。
笠井 坂本龍一は70年の時点でまだ新宿高校にいたはず。
外山 高校全共闘って、68年ではなくて70年、71年ぐらいがピークですよね。
笠井 そう。ちょっと時差をおいて高校まで波及していった。しかし坂本龍一も今や9条平和主義だから。年少世代はガキで無思想だったから、その分すぐ転向しちゃうところもあるかもしれない(笑)。それにしても69年の黙示録的ラディカリズムを貫いてる人間は少ない。
笠井 白井聡の説では、安倍には長生きできないだろうという気持ちがある、親父も早死にだったし。あと何年生きられるんだか分からないんだから、生きてるうちにやりたいこと全部やっちゃおうという、そういうタイム・スケジュールで動いてるんじゃないかと(笑)。だけど、それは実存的な切迫感とは違う印象でしょう。石原慎太郎ならまだしも、どう見ても20世紀的な行動的ニヒリストじゃないよ、安倍は。だから安倍晋三を中心に、一方にイスラム国に捕まったあの変な若者を置き、他方に松平君を置いてみれば、なんとなく日本の21世紀的なヘンタイ政治配置が浮かび上がってくるのではないか。
外山 なるほど!(笑) だけどそれはあんまりワクワクしないなあ……。
笠井 たぶん21世紀の政治はヘンタイ的なんだよ。最近は松平君のプロフィールに「長崎浩と笠井潔の薫陶を受けて」云々と勝手に書いてあるんだけど……薫陶なんかした覚えない(笑)。
外山 薫陶を受けた結果がコレか!? と(笑)。
笠井 藤田直哉っているでしょ。彼が最初に松平君を連れてきたんだけど、みんな疑わしそうな目で見てて、「これは挑発者ではないのか」って。
外山 挙動不審ですからね(笑)。
笠井 そのうちだんだん、そもそもこういう奴なんだと分かってきて、じゃあ仕方がないと(笑)。
外山 ぼくも小耳に挟んではいたけど、そういうふうに考えると松平君の「レイシストにしばかれ隊」っていうのも、ちょっと面白いのかもしれない。
笠井 チマチョゴリで女装して在特会デモの周りをウロチョロして……。
外山 罵声を浴びて、嬉しいという(笑)。
笠井 ニコ動に上げられてた動画では、皇居の前でやっぱり女装して、そのうち警察が来て、抵抗して……しばかれて(笑)。喋ってる内容は凡庸なんだよ、「原発反対」とか。手段が目的を、存在感において凌駕してる(笑)。
外山 そういうふうに云われると、ぼくもだんだん笠井さんの云わんとするところが分かってきたような気がします。手段と目的の、釣り合いの壊れ具合ですよねえ。
笠井 60年代にも赤瀬川原平とかあのへんの、前衛アーティストによる“ハプニング”運動とかあったでしょ。あるいは唐十郎のテント芝居とか。今の運動にはそういう要素が欠けていて、まあ外山君の云う「劇団どくんご」は観てないから知らないけど、演劇性とかハプニング性とか、そういうのが松平君の言動には含まれているんだと考えることもできる。まだ“芸”が不充分だけど。
外山 そうですね。
笠井 暗黒舞踏とか云って白塗りで踊ってる人も昔はたくさんいたけど、そういう人たちには一応“芸”はあった。松平君ももうちょっと……。
外山 芸を磨いていただかないと(笑)。
笠井 しばかれ方のひとつにしても……。
外山 堂に入ったしばかれ方をしてほしい、見事なしばかれ方を(笑)。
笠井 主張は凡庸でつまんない。左翼なら誰でも云ってる程度のこと。ところが表現形態がどこか過剰(笑)。
外山 うーん……そういう人はたしかに最近ポツポツ見かけるような気がします。
笠井 ヘンタイ的でマゾっ気があるけど、妙な自罰意識とかではないからね。
外山 メンヘラの多くは周囲の人間に重圧を与えるけど、松平君にはそういうのもないし。
笠井 たまたま身近に松平君しかいないから例に挙げてるけど、感触として最近はそういう傾向なんじゃないかと。
外山 日本共産党から革マル派に至る、日本の左翼運動史の宿痾のような“マズい存在”が最大の原因ではあるんでしょうが、銃が容易に入手しにくいって環境も、大きな要因の一つなんだろうなと思うんですよ、70年代の新左翼の悲惨な展開にとって。
笠井 それはそうですよ。ドイツもイタリアもフランスも当時はまだ徴兵制ですからね。大学生は徴兵猶予になったりしても、小学校や中学の同級生で軍隊経験のある奴は身近にいるわけだ。当然、銃の心得はあるし撃ったこともある、という連中がゴロゴロいる。
外山 なるほど。
笠井 軍事や戦争が、日本だとすぐロマンの対象になっちゃう(笑)。しかしイタリアでもドイツでも、もっと即物的なことなんだよね。もちろんベトナム戦争を戦っていたアメリカも。『ディア・ハンター』って映画があったでしょ。あれを観た時、われわれのベトナム反戦運動って、ベトナム人やアメリカ人のリアリティとは無縁のものだったんだなあとつくづく思いました。
外山 軍が身近な存在ではないがゆえにロマンの対象になる、それが例えば塩見孝也の大言壮語として顕在化したりするってメカニズムは、合点が行く気がしますね。
笠井 オウムの場合は、日本特有のそういう文化的・精神的背景は同じにせよ、一応はAKライフルを日本国内で作ろうとして、工場を買収したり旋盤を入手したりしていた。左翼って、そういうことをマジメにやらないよね。しかしオウムもそんなものをわざわざ国内で生産しなくても……。
外山 密輸すればよかったんですよね。
笠井 ソ連崩壊後、武器はいろいろ流出してたし、ロシアとのコネクションも作ってたんだし、やればできたはずなのに。
外山 左翼よりは“よくやった”とはいえ、やっぱりどこか“思いつき”的ですよね。
笠井 ぼくは徴兵制になった方がいいと思うんです。日本の特殊な平和幻想から少しでも目覚めるためにも。だけどならないね。
外山 ぼくもあちこちで云ってるんですが、むしろ左翼の側が徴兵制を求めるようでなければおかしい。
笠井 ただし国家に“徴”されるのではなく、われわれ自身が武装するんだという、つまり“市民軍”的な方向でないといけない。市民革命の帰結である“市民軍”の創設を要求する。小学校の学区ぐらいのエリアごとに隊が組織され、小学校の校庭の隅に兵器庫があって、月に1回は校庭で軍事教練をやる(笑)。指揮官は隊ごとに選挙で選ぶ。軍事の専門家はいてもいいけど、あくまで助言者であって指揮権は持たない。そういうのを学区ごとに日本全国で組織して、一家に1台RPGを配る。そういう体制を作るべきでしょう、中国の占領軍と百年戦うために。対戦車ヘリとかではなく対戦車RPG、対ヘリRPGとかを日本の精密機械技術を駆使してもっと高性能化すればいい。そういう市民軍のゲリラ戦争用兵器の開発を進めるべきですよ。老人は軍事教練は大変なので、いざという時の自爆攻撃要員。若い者には先があるんだから、先のない老人が自爆攻撃は引き受ける(笑)。外山一派が中国占領軍の手先になったら、もちろん日本解放軍の自爆テロの標的だね。