「仁義なき戦い・原子力戦争」

99年執筆・14年10月に注釈つきで公開

 昔、「仁義なき戦い・原子力戦争」という文章というか何というか、書いたことがある。
 1999年に茨城県東海村のJCOで臨界事故が起きた直後に「九州電力を叱り励ます不良市民の会」という反原発団体を結成して、ヘンな反原発ビラを作製して既存の反原発団体に提供した以外には何も活動しなかったのだが、実は“面白ビラ”を作る以外にもう一つ計画していたことがあり、それは“反原発の面白動画を作る”ということだった。
 その“脚本”として執筆したのが「仁義なき戦い・原子力戦争」である。
 結局、役者を揃えられず、また仮に撮影したとしても今のように手軽な動画編集ソフトもなかったので、脚本を書いただけに終わった。
 当然どこにも発表しないまま、私のパソコンの奥深くに約15年間眠ったままになっていた“幻の一文”である。
 今後もとくに撮影して完成させようという気もないし、誰かほんとに撮りたいという奇特な人があれば、細部(99年当時なので「長野の田中親分」とか出てくる)を修正し、勝手に撮ってくれてかまわない。

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   仁義なき戦い 原子力戦争

 (市民センターの受付。女性事務員が机に向かっている)
 (自動ドアが開き、10名ほどのヤクザ風の男たちが逆光で一瞬、映る。ドカドカと入ってくる足元)
 (受付)
 (声で)「部屋、ひとつ貸してもらいたいんじゃが、のう」
 (事務員が顔を上げる)
 「あの、どのような目的で」
 「そんなもんなんでいちいちこんなんに云うたらないかんのじゃ」
 「この施設は……」
 「オモテの看板には、市民センター、云うて書いとったがのう、(サングラスを外す)ありゃわしの見間違いじゃったんかいのう」
 「いや……」
 「云うとくがのう、わしも市民じゃけ。部屋貸してくれ云う権利ぐらいあるんと違うんか、云うとんのじゃ」
 「も、もちろんです」
 「あんじょう、やってつかあさいや」
 「どの部屋をご希望でしょうか」
 「そうじゃのう、和室がええのお」
 「そうじゃ、和室がええ」
 「和室とったれ」
 「とったれ!」
 「とったれ!」
 (叫ぶ男たちの顔をそれぞれにアップ)

  (タイトル)
  (サントラをバックにチェルノブイリ原発、反原発のデモ、東海村の事故を報じる新聞記事などがモノクロで映し出される。役者・スタッフ名を大仰な筆文字でそれに重なる)

 「(サントラをバックにナレーション)1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故をきっかけとして、原発の是非をめぐる、時に流血をともなう凄惨な抗争が相次いで勃発した。それは国内にとどまらず、全世界を舞台とする壮絶なものとなる他になかった」

 (和室。5人ずつの推進派・反対派が向かい合って座っている)
 「今日みんなに集まってもろうたのは他でもない、プルサーマルに手ェ出すことについて……」
 「ちょっと待てや。誰がそがいなちんけな話しにここに来とる云うたんじゃい。わしらは原発そのものに反対じゃ、云うとるんじゃけ、のぉ」
 「そうじゃそうじゃ」
 「原発そのもんに反対じゃと? われ何ぬかしよるんなら」
 「反対云うたら反対じゃ。わしらが昔からそがいに云うとったんは、こんなんもよう知っとろうが」
 「こんなんも知らんわけじゃなかろうがい、日本の電力の大半は原子力で作られとるんぞ、おどれら、ローソクの暮らしに戻せ、云うとるんか」
 「何ぬかしとんなら。水力やら火力やら、まだ使えるもんはえっとある云うんに、わざとどんどん潰しよって、原発なしじゃ暮らせんような国になるように絵ェ描いたんは、おどれらじゃろうがい」
 「まあまあ、いきさつはこの際どうでもいいじゃないの。問題にしちょるんは、今の話じゃ。今、原発とめてしもうたら、ローソクの暮らしにおどれらも戻るんぞ、云うとるんじゃ、のぉ」
 「こんなんらはいつもそがいなことぬかしよんがのぉ、電力が足りん、云う話、ありゃほんまの話なんかいのぉ」
 「そりゃほんまの話よ。原発いらん云うんなら、こんなんはローソク1本のみじめェな暮らしする覚悟できとるんじゃろうな。ムショよりよっぽどみじめや思うんじゃが、どうなんかいのぉ」
 「このくされ外道が、云わしとったら……。おい、テツ、道具持ってこいや!」
 (推進側がアタフタと逃げ出そうとする)
 「待てや! こがいな場所で殺(と)ったりはせんが」
 「な、何じゃい」
 (テツにがフリップを手渡す)
 「どうぞ」
 「ようく見てつかあさいや。こりゃあ、おどれらが作ったグラフじゃ。電力が足りん足りん云うて、足りんのは甲子園で野球やりよる真夏のたった3日ぐらいのもんじゃないの、のぉ」
 「それでも足りんもんは足りんのじゃけ」
 「このぐらいの電力、水力でも火力でも、2、3基建てりゃ充分じゃろがい」
 「わしらに云わせりゃ、水力や火力の方がよっぽど外道よ。長野の田中親分も、ダム作るんは反対じゃ云うてみんなに尊敬されちょるんは、こんなんもよう知っとろうがい。火力だってあんなもん、大変な環境破壊ぞ。温暖化、温暖化云われちょるの、こんなんも聞いとろうがい。その点、原子力やったら二酸化炭素も出さんし、クリーンなエネルギーや云うて、それでわしら、みんなのためや思うて、一生懸命、原発作りよるんじゃ」
 「何ぬかしよるんなら。二酸化炭素は出さんでも、放射能は出すじゃろうがい。いつぞやも東海村で2人も仏さん出しよったが、チェルノブイリを見てみい、もう10何年も経とうか云うんに、今だに何十万単位で人が死によるんど。おどれらの手はもう汚れとるんじゃ」
 「東海村の件はわしらも残念や、思うちょる。じゃがのう、チェルノブイリで何十万も死んどる、いうんは、ありゃ云ってみればマスコミのデッチ上げよ。あれだけの事故になりゃ、そりゃ何十人かは死によった、いうんは、事実じゃろうけェ、わしらもあんじょう気ィつけて原発やらんといかんとは思うちょるが、のう」
 「何キレイゴトぬかしよるんなら。おどれらの目的はゼニじゃろがい。火力や水力じゃ、入ってくるゼニはタカが知れとるけぇのう。安全や、クリーンやぁ云うて、結局はゼニが欲しいだけなんと違うんかい、おう?」
 「このガキァ云うにことかいて、わしらがゼニのために動いちょる云うてアヤつけよるんかい。ええ加減にさらせよ、この外道が」
 「違うんかい。クサレ外道はどっちじゃ。ゼニのためやない、云うんなら、なんで札束でほっぺた引っぱたくような真似して、現地住民のケツかきよるの。そのくせいざ住民投票や、いうことになったら、おどれらの息かかったもん、えっと送り込んで、工作しちょろうがい。わしらは全部、お見通しなんぞ」
 「まあ、こんなんもそう熱くなるなや。わしらも好き好んで原発えっと建てよるわけじゃないけェ。電力が足りんのじゃ。わしらもこがなふうに真っ昼間から必要もないのに電気つけてクーラーつけて、議論しちょるじゃろがい。もうローソクの暮らしには戻れん体になってしもうとるんじゃ」
 「夜中に一人で酒飲んどると、つくづく原発いうもんがいやになってのう。足を洗うちゃろうか思うんじゃ。じゃがのう、朝起きてみんながわしらの作った電気使って生活しよるんの見ると、夜中のことはコローッと忘れてしまうんじゃ。わしら、どこで道間違ったんかいのお」
 「間違っとったら正せばいいじゃない」
 「こんなんの考えとることは理想よ。夢みとうなもんじゃ。現実いうもんはのう、おのれが支配せにゃどうにもならんのよ。こんなんも目ェ開いてわしらに力貸せや」
 「それで東海村の仏さんやチェルノブイリの仏さんが戻ってくるの?」
 「原発がほんまはいかんゆうことは、おどれの胸に聞いてみたら分かろうがい。このまま放っといたら、あの動燃の外道ども、なんぼでもいたしいことし続けるど。次、大事故起こしたら、こんなんどがいな仁義通すつもりなんじゃい。後がないんじゃ、後が」
 「はっきり云っときますがのう、原子力さえやめてくれたら、わしらも何も文句は云わんのじゃけ。火力でも風力でも水力でも地熱でも、どっちこっち云うてないですよ。何でもやってつかあさいや。じゃがのう、原子力だけは絶対にわしら許さんけェ。ここらで観念して、こんなんも男になりんさいや」
 「話にならんのぉ。止めれるもんなら止めてみいや!!」
 「ケンカはおどれらがなーんぼゼニがあっても勝てんのんど。最後じゃけ云うとったるがのう、狙われるモンより狙うモンの方が強いんじゃ。そがな考えしちょるとスキができるど」
 「話は終わりじゃ。おう、帰らしてもらうけぇ、オモテに車用意しとけや」
 (推進側の一人、立ち上がる)
 「待てや!」
 (反対派の一人がピストルを取り出し、発射。仁義なき戦いのテーマ「チャララーン、チャララーン」が流れる。推進派も応戦し、激しい銃撃戦。次々と血を流して倒れる両者。ストップモーションで、無惨に殺されていく両構成員のそれぞれの死にざま)

 「(サントラをバックにナレーション)現在、とくに先進国においては原発廃止の方向がほぼ定着しつつあるという。しかし、世界にはまだ五百基もの原発が稼動している。原発推進派と反対派の血みどろの抗争は、現在の流れが定着し、世界中のすべての原発が廃炉となる日まで、その凄絶さを増しながら続いていくことだろう」
 (字幕で「完」)