全共闘に、そしてファシズムに学べ

知人がコミケに出品した同人誌『破滅論 2nd Kiss』に寄稿したもの
09年12月

 つまらない時代だと思う。もちろんいつだって「つまらない時代」なんだが、その「つまらなさ」を突破しようと試みるさまざまの模索それ自体が、これほどまでに総じてつまらない、最悪の「つまらない時代」も珍しいんじゃなかろうか。
 その理由は私の中ではハッキリしていて、結局、全共闘を直視する者がほとんどいないから、ということに尽きる。
 読む気はあるんだが値段が高すぎてなかなか購入するフンギリがつかずまだ読んでないんだが、それなりに評判となっている(た?)小熊英二の大著『1968』も、小熊の政治的スタンスからしてむしろその読者を全共闘から遠ざける効果をしか持っていないだろうし、またそうであるからこそ広く読まれるのだということぐらいは、読まなくても分かる。
 よく目撃するのは、「全共闘なんてしょせん……」と知りもしないくせに全共闘を批判するその批判の内容が、実は全共闘が当時の既成左翼に対しておこなっていた批判とまったく同じだったりするトホホな光景だ。これまた刊行当時それなりに話題になっていたらしい(私が獄中にいた時期のことなので「らしい」としか云えない)東浩紀と笠井潔との往復書簡『動物化する世界の中で』において、東の問題提起に対して笠井が「それは全共闘がすでに問題にしていたことで……」と丁寧に説明し始めるのを東が「また全共闘オヤジの思い出話が始まったよ」的に切り捨て、ほとんどの読者が東側に喝采を送るという展開もそれに近いものがあった。
 笠井や、あるいは近年のスガ秀実のような、全共闘を今なおアクチュアルな問題として、かつ肯定的に論じるタイプの(実はごくごく少ない)全共闘世代の論客は、一般に毛嫌いされている印象がある。かなりユニークな(つまり多くの全共闘世代があまり云わないような)ことを云っているのに、「その話はもう聞き飽きたよ」的に切り捨ててしまう者が多い。「全共闘の話」というだけでオートマチックに拒絶反応を示すのだ。
 私には、そういう反応を示す人たちの方が、むしろある種の「全共闘コンプレックス」に陥っているように思われる。それなりに冷静な議論をする人たちでさえ、こと「全共闘の話」となると途端に平静を失って、やっきになって全否定しようとする。「とにかくその話はやめてくれ」という態度になる。
 私は、全共闘を高く評価し、笠井やスガの云うとおりそれは今なおアクチュアルで重要なテーマだと考えているが、べつに全共闘に対して何ら負い目も幻想もコンプレックスもない。云うまでもなく、1970年に生まれた私は「68年」を象徴的な年号とする全共闘運動を実体験していない(そもそも生まれてもいない)が、例えば「その時代に生まれたかった」的なことは一度も思ったことがない。むしろその末路を知ればこそ、「遅く生まれてよかった」とすら思っている。私は私なりに充分に自身を取り囲む状況と闘い続けてきたし、そのことを誇りにしているから、その時代にその時代なりの闘い方をした当時の全共闘の活動家たちを自分と対等な存在として冷静に受け止めることができる。その上で、全共闘の運動はすごいと思うし、べつに「その時代に生まれたかった」とは思わないが、もし生まれていれば自分も積極的に参加しただろうと思う。こういうことを云うと(ますます?)嫌われそうだが、「ゼンキョウトウ」と聞くだけで拒絶反応を示す人たちは、自分が自分なりに闘ってこなかったという「やましさ」を抱えているのではないかという気がする。
 そろそろ自身の「全共闘コンプレックス」を自覚し相対化して、例えば「やましさ」を抱えているのであれば、どうせ全共闘の元闘士のオッサンたちだって自分と同じ世代に生まれていれば大半は自分と同じように鬱屈することしかできなかったはずだと冷静に受け止めて、そういうありふれた若者たちが「68年」にどういう時代経験の中で何を考えどう行動したのかということを、確かめてみてはどうか。そうすれば、もし現在の状況に充分以上に苛立っている者であればだが、全共闘には共感する他ないはずだ。
 というのも、全共闘とは乱暴に一言で云って「苛立ちの運動」であったからだ。
 世の中(といきなり大きな話にしなくてもいいのだが、とにかく自分を取り囲む状況のすべてが)何か間違っている、「世の中オカシイ」とか云ってフリーター労組だの在特会だの、それらしい「正義」を掲げて「運動」している連中もいるみたいだが、そいつらの云ってることやってることもどうも何か間違っている、じゃあ何が正しいんだと訊かれても「とにかく全部どこか間違ってる」としか云えないし、そういう自分自身のフガイナサも間違ってる、どうすればいいのかちっとも分からない、やり場のない苛立ちだけがつのる……という気分が何かの拍子に集団的に共有され爆発したとして、それを「具体的な問題を具体的に解決するためのビジョンを欠いている」みたいに誰かに批判されても困るだろう。いや困るどころか、そういう批判をしてくる奴は少なくとも間違いなく敵だと直感するだろう。
 爆発に身を委ねている最中はいいんだが、いずれそれは終わる。ある者は、ふと我に返って、すべてなかったかのようにして平凡な社会生活に復帰し、中には順調にそっちで立身出世していく者もあるだろう。ある者は、自分はたまたま運よくその爆発現場に居合わせたにすぎないくせにまるで自分の力で爆発を実現したかのように錯覚して、それに比べて今の若い連中はなんだと手前勝手な説教を始めるかもしれない。ある者は、ただ無我夢中で暴れただけのくせに、それが何か「正義」に基づいた意識的な行動であったかに偽装して、「正義」の活動家に転身してまるで自分がずっと当初からの「志」を持続して「非転向」であるかに思い込むかもしれない。
 つまり醜悪なのは爆発の現象それ自体ではなくて、それが終わってしまった後のその体験者たちの身の処し方である。目の前の全共闘世代のオヤジが醜悪だからといって、全共闘それ自体を否定してしまうのは早計にすぎる。それに、ごく稀には、爆発に身を委ねた体験を誠実に振り返ろうとする者もあって、私には、笠井やスガや、あるいは数年前に亡くなった小阪修平といった人たちがそうであるように思われる。

 まったく、全共闘は、ただ暴れただけである。
 「純粋な若者たちが理想に燃えて闘った」というのは、それを何かよいことであるかのように云うにしても、斜に構えてバカにして云うにしても、そもそも後づけのウソである。
 全共闘は、積極的に掲げうるような何らかの肯定的な価値を一切提示しなかった。ただ、その時点でさまざまの人々がそれぞれに掲げていた価値の一つ一つについて、「それはウソじゃないか」、「これもウソじゃないか」と否定して、ことごとく粉砕していこうとしただけである。
 だから何の意味もなかった、と云う者が多いのだろうが、しかし実際そのとおりじゃないか。世の中ウソばっかり、インチキばっかりじゃないか。
 どうせそんなもんだよ、いちいち熱くなってたって仕方ないよ、としたり顔で云う者が多いのだろうが、しかしそれさえもウソじゃないか。

 私には「破滅願望」はないが、「破壊衝動」なら売るほどある。とにかくすべてをぶち壊してしまいたい。このウソだらけ、インチキだらけの醜い世界を、丸ごと地獄の劫火の中に叩き込んでやりたい。
 かつて、10代後半だった頃の私は、自身の中にあるこの根源的な破壊衝動を直視できずに、とりあえず「管理教育反対」を掲げて左翼的な政治運動の世界に足を踏み入れた。直視していなかったのではなく、実際にまだ世界に絶望していなかったのかもしれない。何らかの理想的な社会が到来しうる、そしてそのことに自身が貢献しうるという可能性を、素朴に信じていたような気もする。しかし、私にとって(オーソドックスな)左翼活動家として過ごした日々は、そうした希望を一つ一つ失っていく過程だった。
 全部、ウソだった。
 ウソに気づくたびに苛立ち、それを暴こうとした。さまざまの左翼系の集会に乗り込んでは、ウソを暴き、罵声を浴びて排除された。今にして思えば、私は“ひとり全共闘”をやっていたのだ。正確には数名の“同志”がいたが、しょせんは多勢に無勢のレベルで、もし私たちが醜悪なウソつき左翼どもと拮抗するぐらいの勢力であれば、民青vs全共闘のような“内ゲバ”も辞さなかっただろう。
 数少ない“同志”たちもやがて徒労感にさいなまれて、一人ずつ姿を消していった。
 最後まで踏ん張ろうとした私は、結局一人になって、どうしようもない苛立ちの中で言葉を失っていることに気づいた時、20代が始まっていた。
 スガ秀実が云うように、当時は「68年の思想」を「一手販売」していた感のある笠井潔の著作を耽読しながら、自身の中で極限的に肥大化した破壊願望を、なんとかなだめすかそうという苦しみと共に、私の“異端的左翼活動家”としての20代はあった。
 説明するのもメンドくさい複雑な経緯で刑務所に叩き込まれていた33歳の時、私はついにあきらめた。すべてをぶち壊すことをあきらめたのではなく、それをあきらめることをあきらめたのだ。
 私はやはり、すべてをぶち壊すことにした。世界を丸ごと地獄の劫火に叩き込んでやることにした。ファシズムという、まさにそのために生み出された理論体系の存在にようやく気がついたからである。
 最近、かつて「総破壊」を掲げるアナキスト・グループの頭目として全共闘運動のある種の可能性の中心に存在していながら、その後、長い沈黙を続けていた千坂恭二が、ファシズムの論客として復活した。
 私の「全共闘」理解は正しかったのである。
 諸君も、あるいはヤケを起こしてしまう前に、全共闘に、そしてファシズムに学べ。