いじめられたらチャンス

ミニコミ『いじめられたらチャンス』より

 以下の文章は、1994年末、愛知県で起きた「いじめ自殺事件」の直後に、「いじめ」の当事者である全国の中高生を読者に想定して書かれ、いくつかの出版メディアに持ち込まれたが、「過激すぎる」などのトンチンカンな理由で、結局発表する機会を得られないまま現在に至ったものである。その後「いじめ」問題を扱った出版物が何十冊と刊行されたが、もしこの文章が執筆直後に、つまり「いじめ」論議ブームの早い段階で公にされていたならば、その内容はまったく別の展開を見せたに違いないと悔やまれてならない。
 オウム事件について、吉本隆明はこんなふうに書いた。
 「わたしは自民党と社会党が差異を失って浮遊しながら国政権を掌握している現在の政治社会状況と、サリンによる無差別殺傷が犯罪として出現してきたことと、大手の新聞やテレビ報道機関が無差別に法的確定の以前の段階で特定の個人や集団を犯罪者として葬ろうとする出鱈目な言説をふりまいていることとは、絶対に関係のあるところに、現在の情況は突入していると思っている」
 本文章が、6年もの長きにわたって一度も日の目を見ることもないままオクラ入りの憂き目を余儀なくされていることとサリン事件ともゼッタイ関係あります。(2000年・記)

 最初にはっきりと書いておくが、君が今、学校で「いじめ」を受けているということは、ぼくにとってはしょせん他人事でしかない。君がどんなに苦しい気持ちでいようと、ぼくには痛くも痒くもない。
 仮に君が「いじめ」の苦しさに耐えかねて自殺を考えたとしてもぼくは止めないし、まるで去年(註.93年)の某ベストセラー本のような云い方になるが、死にたい奴は勝手に死ねばいいと思う。精神的に「弱い」奴がどうなろうと、ぼくの知ったことではない。
 ──なんて書くと、「何て冷たい奴だ」と思われるかもしれないが、これはこれは本当のことだから仕方がない。94年の年末に起きた愛知の中学生の自殺事件をきっかけに、また「いじめ」問題が大きくクローズアップされている。この事件を扱った本が、今後、何冊か出版されるだろう。しょせんは事件を「飯のタネ」にしているにすぎない奴らが、何の解決にもならないお題目を並べては、今の「教育現場」を憂えてみせたりするだろう。そのテの偽善者どもよりは、よっぽどぼくの方が誠実だという自信はある。
 さて、君が「いじめ」を受けていることなどぼくにとっては他人事にすぎないと書いたが、ただ、ぼくは学校での「いじめ」地獄から抜け出す、唯一確実な方法を知っている。それを君に教えてあげようと思ってこの文章を書いている。
 なぜ「しょせん他人」である君にこうして知恵を授けようなんてお節介をやくのかという疑問は当然感じるだろうが、それを説明しはじめるとややこしくなるので、ここでは書かず、この文章の後に並べる予定のもう一つの文章の中に書いておくことにする。
 じつはぼく自身、何度かいじめられた体験がある。幼稚園の時にはしょっちゅう高見君に殴られていたし、小学校の時には田中君にいじめられて、こっちは何にもしていないのに教室で土下座して謝らせられたりした。しかしまあ、小学校までのことは今(註.これが書かれた94年末当時)24歳であるぼくにとっては遠い昔のことで記憶もアイマイだから、ぼくの人格形成に多少の影響は与えられているかもしれないが、今さらそんなにこだわっているわけではない。それにぼくも小学校低学年の頃、よく桜井君を何人かで殴ったりする「いじめ」に加担していた。泣き叫ぶ桜井君をさらに水筒で殴りつけた覚えもある。もしかしたら桜井君がその後転校していったのは、ぼくも加担していたこの「いじめ」が原因だったのかもしれないが、詳しいことはもう覚えていないしよく分からない。後悔はしている。
 「いじめ」の問題が「社会問題」みたいにして語られるようになったのは、86年に東京で起きた「鹿川君自殺事件」の時だった。たぶん鹿川君が「いじめ」を受けていた時期にぼくも中学生で、ぼくの通っていた中学でも何人か「いじめ」を受けている奴がいた。ぼくも「いじめ」られている一人だった。ぼくに対する「いじめ」は主として精神的なものだったが、ぼくはかなり露骨に「いじめ」グループへの反抗的態度を貫いていたので、「いじめ甲斐」がないと思われたのか、それは2ケ月ぐらいしか続かなかったように覚えている。他の「いじめられっ子」たちの多くは、卒業するまで「いじめ地獄」から抜けられなかった。その頃かなり真面目な正義漢であったぼくは、周囲で起きている「いじめ」に対して常に激しい怒りをたぎらせていた。あんまり云いなりになるなよ、と「いじめ」を受けている奴らに何度か云った記憶があるが、彼らは「卒業までの辛抱」とでも思っていたのか、黙って「いじめ」に耐えていた。ぼくはどうしてやることもできなかったが、例えば放課後の教室で「いじめ」の現場に遭遇した時なんかは、「おい○○、先生が呼んでいるよ」とかいったウソで、いじめられている奴を教室から連れ出して助けてやるぐらいの、その場しのぎの解決をやっていた。

 鹿児島の加治木高校というところで、ぼくは本格的に「いじめ」の標的にされた。
 といっても、金品を要求されたり、暴力をふるわれたりといった種類の「いじめ」ではなかったが(暴力的衝突に発展したことも一度だけあった)、それでもその手口が陰湿であることに変わりはなかった。
 靴を隠されたり、机にイタズラされたりということは何度もあった。廊下でたむろしている「いじめ」グループの脇を通り抜ける時に足をかけられそうになったり(そういう時にはぼくの方も警戒しているから実際に引っかかることはなかったが)、あるいは教室の外から大勢で「コウイチ! コウイチ!」と叫ぶので「何か用か?」と出ていくと「オマエのことじゃねえよ」などと云われたりした。「彼」というアダ名をつけられたりもした。連中はぼくのすぐそばで「彼」の悪口を云うのだ。「彼」というのがぼくを指しているという確たる証拠は何もないから、文句の云いようもなく、黙って自分の悪口を聞いているしかなかった。別のクラスの友人が、単にぼくと仲がいいというだけの理由で同じ奴らの「いじめ」の標的にされた。そいつがあまり反抗しなかったからというのもあるかもしれないが、その友人に対する「いじめ」はぼくに対するそれよりもヒドかったようだ。何度か殴られたようだし、「いじめ」グループの大半がぼくのクラスではなくその友人のクラスの人間だったので、机や持ち物にイタズラされる機会も多かったのだろう。
 「事件」として報道されるような種類の「いじめ」と比べたら大したことないじゃないかと思われるかもしれないが、たとえ一つ一つは「ちょっとしたこと」でも、それが毎日のように続くと、「いじめ」られている方はたまったものではない。「今日も何かされるんじゃないか」と、学校にいる間は常に緊張を強いられることになる。被害者意識も強くなっているから、もしかしたら「いじめ」ではないこと(例えばうっかり自分で自分のモノをどこかに置き忘れたりしても)、日頃「いじめ」を受けているぼくは、「もしかしたらこれもノノ(またアイツラが隠したんじゃないか?)」などと考えてしまう。登下校の最中に連中の姿を遠くから発見すると、コソコソと一定の距離をおいて歩こうと気をつかう。
 かなりシビアな日々だった。
 ある日ぼくは決意して、加治木高校の印刷室で百枚ほどのビラを作った。「いじめ」グループのメンバーの氏名と、具体的な「いじめ」の状況について書いたものだった。それを、加治木高校の全教員の(職員室や教科教官室や校長室の)机の上に、昼休みの時間を利用して置いてまわった。
 「校内で勝手にビラをまいた」として退学処分にされかけたのは、ぼくの方だった。一応「いじめ」グループのメンバーも呼び出しを受けたようだが、連中はシラを切りとおしたようだった。当然、「いじめ」は続き、「チクリ(密告野郎)」なるアダ名まで増えた。
 その後ぼくは福岡の高校へ転校し、さらにはその福岡の高校も中退するに至るのだが(これら一連の転校・退学は「いじめ」によるものではなく、それとは別にやっていた「反管理教育」的な活動によるものである)、高校中退後に本格的に始めた「反管理教育」運動の一環として、加治木高校の校門前にビラまきに行ったことがある。学校当局の生徒管理を批判しつつ、ぼくがなぜ、転校・退学を繰り返したかを説明する内容だったが、その時にまだ在校中だった「いじめ」グループの連中が、校舎の窓から顔を出して、「いじめられて学校やめたくせに!」などと叫んだ。まったくムカつく奴らである。
 加治木高校でぼくをいじめていた10数人のグループの中心人物は、川野聡という男だった。川野は体格的にも、おそらく体力的にもぼくと大差ないような小柄な男なのだが、ぼくをいじめるに際しては常に、角田と池田という2人のケンカの得意な奴をボディガード的に引き連れていた。角田と池田はともかく、この川野という卑怯者だけと、今だに許せない。こうして「いじめ」グループのメンバーを実名で書くという「ペンの暴力」をふるうことにも、いささかのためらいもない。
 21歳の時だったか、この川野に、福岡の街でバッタリ会ったことがある。川野の方からぼくに気づいて声をかけてきたのである。
 「もしかして、外山?」。
 川野は、西南大という福岡の大学に進学していた。内心ムカムカしながらも、その当時ぼくはまだ「暴力はいけない」と漠然と思い込んでいたので、「川野か、懐かしいなあ」などとヘラヘラ笑いながらテキトーにやり過ごした。懐かしくなんかない。あの恨みの情念は、いつだって5分前のことのようにリアルに思い出すことができる。川野とのこの再会は屈辱だった。
 今は、暴力は必ずしも「悪」ではないと思っている。次に川野とバッタリ出くわすことがあれば、その時は半殺しの目に遭わせてやろうと決意している。
 街で再会した時、川野はかつて己れがこのぼくに何をしたのかなんてことはすっかり忘れている様子だった。「いじめ」をやる側というのはたいていそういうものだ。鈍感で無神経なのだ。しかし、「いじめ」を受けたぼくの方は、いつまでだってそのことを覚えている。革命の暁にはこっそり処刑してやる。
 「いじめ」をやる連中は、被害者に報復され、殺されても文句を云う資格はない。「いじめ」を受けていた当時、推理小説に凝っていたぼくは、何とかして奴らを完璧な方法で殺すトリックはないものかと妄想をめぐらせてもいた。
 何年か前、高校だか中学の時に「いじめ」を受けていた男が、卒業した後も「復讐」のことばかり考え続け、大学の薬学部や製薬会社に進学・就職して毒薬の研究と入手経路の確保をし、ついにある日、自ら同窓会を企画、元クラスメート全員を毒殺しようとした事件があった。結局、妻だか母親だかが大バカ野郎で、直前に計画を察知して警察に通報したせいで、本当に惜しいところ(たしか「乾杯」寸前)でこの復讐計画は失敗に終わり、男は殺人未遂容疑で逮捕されたのだが、ここ数年、ニュースを見ていてあれほど悔しい思いをしたことは他にない。
 非現実的な話をすれば、こと「いじめ」に関しては、殺人を含む復讐の権利を、政府は認めるべきである。そうなればぼくは、今すぐにでも川野聡の居所を突き止めて、奴を殺しに出かける。

 ──とこのくらいぼくは自分の受けた「いじめ」について、今も執拗にこだわっている。実家の机の引き出しには、川野たちが当時教室のぼくの机の中に入れたイタズラ書きの紙きれが、大切に保存されている。
 自分の話はこれくらいでやめておこう。

 今、現に君が受けている「いじめ」に関してだ。
 はっきり云う。
 「いじめ」は仕方がない。
 もちろんこれは、「いじめ」を受けている君に、何らかの落ち度があるという意味ではまったくない。君には何の落ち度もない。
 君が「いじめ」の標的にされているのはまったくの偶然で、君が「いじめ」を受け始めたきっかけも、取るに足らない些細なことだろう。誰にでもあるようなちょっとしたミスとか(例えば中学時代、ぼくのクラスメートが「いじめ」を受け始めたきっかけは、最初の英語の授業で、メhereモという英単語を「ヒイヤ」なんてヘンな発音で読んだことだった。彼のアダ名も3年間ずーっと「ヒイヤ」だった)、クラス対抗リレーかなんかで、ここぞという時にコケたとか、多少他人より無口だとか逆にうるさすぎて周囲から浮くとか、何か(例えばアニメだとか鉄道だとか)のマニアであるとか(カンケーないがぼくは、若者にも人気のあるという三代目魚武濱田成夫が大嫌いだ。奴の詩集のタイトル「駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない」は、まさに「いじめっ子」の感性そのものだ)、その程度のことなのだ。誰だって「いじめ」の標的にされるきっかけになるような要素というのは多かれ少なかれ持っていて、君の要素がそうなったことには、何の必然性もない。本当に「運が悪かった」としか云いようのないことだ。あるいは、君が「いじめ」を受け始めるきっかけになった「あの事件」があった時に、君はちょっと間の悪い対応をしてしまったのだろう。それだけのことだ。
 アホな親や教師に「いじめ」のことを相談しても、「いじめられている側にも何か問題があるんじゃないか」などと云われたりするが、そんな言葉を気にしてウジウジ悩む必要はない。そんなことを云う奴らは、「いじめ」について何も分かっちゃいないのだ。「いじめ」がどういうものかなんてことは、自分が「いじめ」を受けてみるか、あるいは何か他の事情でやたらと感性が鋭くなってしまった人間(たまーにいるが滅多にいない)にしか分からない。
 誰もが「いじめ」の標的にされる可能性を持っているといっても、いったん特定の人間にその標的の役割が定まると、もうそいつはオシマイだ。あと戻りはまず効かない。いじめられている奴は、卒業するまでずっといじめられ続けている他ない。最初のうちは軽い「いじめ」でも、卒業するまでの間にはどんどんエスカレートして、より陰湿な、より残虐な「いじめ」になる。
 これはもう、運命だと思ってあきらめるしかない。
 親や教師に相談したってダメだ。百パーセント絶対にダメということはないが、ほとんど99パーセントの親や教師は、「いじめ」のことなんかまるで分かっちゃいないから、トンチンカンな対応をして、ますます「いじめ」をエスカレートさせる可能性の方が高い。
 はっきり云って、「自殺」もダメである。一発で死ねればまだいいが、運悪く失敗したりして、それがパレたりした日には、今度は「自殺未遂」なんてアダ名をつけられて、もっとヒドい「いじめ」に遭うことになる。うまく死ねたとしても、君に妹や弟がいたりすると最悪だ。君の自殺をネタに、今度は妹や弟が「いじめ」に遭うだろう。
 これは推測だが、例の愛知の中学生の自殺が大きく報道されたことで、「オマエも自殺しろ」なんて云われている「いじめられっ子」は全国にたくさんいるはずだ。
 もし、「いじめっ子」たちを反省させようとか、あるいは罪の意識にさいなまさせて復讐しようとかいうつもりで君が自殺を考えているとすれば、やめた方がいい。君が死んだところで、「いじめっ子」の9割は反省しない。オモテ向き反省したような顔をされ、カゲで君の自殺は格好の冗談のネタにされるのだ。もともとはフツーの奴らだった「いじめっ子」たちも、君をいじめているうちに完全に感性がマヒしているものだ。そんな連中に何も期待してはいけない。もし本気で自殺する気なら、何も期待しないで、ただ死ぬことだ。君が自殺するということは、単に君がこの世界からいなくなって人口が一人減るということで、それ以上でもそれ以下でもない。もっともぼくは、どうせ自殺する気があるんなら、「いじめっ子」をまず最低2,3人は殺してからにすることを勧めるが(仮にそれで警察に捕まっても、自殺ぐらい留置場でも刑務所でもできる)。
 というふうに、いったん「いじめ」の標的にされるともうオシマイ、八方ふさがりで手のうちようがない。いかんともしがたい。かつて「いじめ」を苦にして自殺した中学生・鹿川君の遺書にあった言葉、「このままじゃ生きジゴク」というのはまったく正しい。
 ように見える。だが違う。
 さっき、「いじめ」を受けている君には、まったく何の落ち度もない、と書いた。しかしそれはウソである。
 たった一つ、いじめられている君にも「落ち度」がある。
 それは、「学校」なんてくだらない場所にいつまでも未練タラタラ通っていることだ。
 まったくアホか君は。
 耐えがたい「いじめ」に耐えてまで「学校」なんかに通わなきゃならない理由がどこにある?

 断言してもいいが、学校にいるのはまったく時間のムダである。学校にいて得することなど何もない。君はヒドい「いじめ」を受けた。それだけでもう充分だ。君は学校で学べる唯一のことをすでに学んでいる。それは、学校が戦場であるということだ。バカな評論家たちは、「学校は本来『楽しい場所』であるべきなのに」などとつまらない妄想を口にする。それはウソだ。学校は戦場で、学校生活はサバイバル。それが学校という場所の正体だ。このことを君はすでに身をもって学んだのだから、もう君には学校をやめる資格がある。これ以上学校に通いつづけるのは時間のムダだ。さっさと戦線離脱するに限る。
 「いじめ地獄」を抜け出す唯一の確実な方法──それは君が学校をやめることだ。いじめられるのはイヤだが学校をやめるのはもっとイヤだというハンパ者は、まだまだいじめられ方が足らない。いつまでもいじめられていればよろしい。死んでくれても、いっこう構わん。

 さて次に、それでも何か学校をやめるのはちょっとノノという、フンギリのつかない君のために、学校に通うということがどれほどくだらないことであるかをトクトクと説明しよう。そしてその次に、では学校をやめたら、どうやって生きていけばいいかを教えよう。

 つい最近まで、ある女性と、いわゆるまあ「恋人同士」みたいな関係だった。その女性は両親と別居していて、祖母の家で暮らしていたのだが、そのバアさんは、ぼくと彼女が付き合っていることを快く思っていなかったらしく、彼女がぼくのアパートに泊まりにくるたびに、夜中でも電話をかけてきて、彼女を早く家に帰らせるように云ってきた。まあ、一般に家族ってのはそういうもんだろうと思っていたが、彼女がぼくと別れて、べつの大学生の男と同棲を始めると、バアさんは掌を返したようにその男に「この子をよろしくお願いしますね」などとホザいたのだ。要は、ぼくが高校中退の、どこの馬の骨とも分からない怪しげな男で、新しい「彼氏」は実際には行っても行かなくてもしょうがない三流私学とはいえ、れっきとした四年制大学に通う「ちゃんとした男」であるということで、このクソババアはぼくを差別していたのだ。このババアが何十年生きてるか知らんが、まったくムダな人生というのはあるものだ。現在、このクソババア宅に毎日イヤガラセの電話をかけるという「反差別」の闘争を私的に決行中だが、このように世間ではまだまだ、「学校」というつまらないものに対する信仰は根強いのである。
 そして、どうもまだ学校をやめる決心がつかないという君も、知らず知らずこの悪しき信仰に毒されているのだ。
 みんななぜ学校に通うのか?
 その最大の目的は、卒業証書を得ることである。学校を卒業して唯一手に入れられるものが卒業証書である。では何のために卒業証書をもらうかというと、それはもちろん、君が中学生であれば高校に進学するため、高校生であれば大学に進学、あるいは就職するためである。大学に通うのも、卒業証書をもらって就職するためである。 大企業に入ってそこそこ出世するためにはある程度以上の大学の卒業証書が必要だし、大した会社でもねーだろ、みたいな中小企業でも、就職情報誌の正社員募集要項を見ればそのほとんどが生意気にも「高卒以上」などと書いて、中卒や高校中退などへの就職差別を堂々とおこなっている。過激派でも組織してこうした差別企業のビルを爆破してまわりたいぐらいだが、ほとんど日本中99パーセントの企業がこのテの差別企業なので、いちいち爆破してまわってたんじゃキリがないからそれはやらない。 まあ要は、使い古された云い方なので改めて書くのも恥ずかしいが、みんな、有利な就職をするために大学を卒業し、大学へ進学するために、あるいはそんなにヘンサチの高くない奴でもそれなりの就職をするために高校を卒業し、高校へ入学するために中学を卒業し、中学へ入学するために小学校を卒業するのである。つまらない。青臭いロックシンガーなんかがよく口にする、「レールに乗っかった人生」ってやつである。「先の見える人生」ってやつである。ちょっと考えればもう、小学校の段階でそこそこ自分の人生の予測がつくのだ。
 で、何でみんな有利な就職をしたがるかというと、収入を安定させるためだ。何で収入を安定させなきゃいかんかというと、結婚して子供をつくって、つまり家族を作ってそれを支えるためである。で、何でみんな就職した後さらに出世したがるかというと、一つには自分の子供が大きくなるにつれて学費とかの金がかかるからであり、もう一つには自分の老後に備えるためである。
 要するにみんな、生まれてから死ぬまで、いつまでたっても「将来のため」に現在何をするかを決めて生きているのである。
 しかしその「将来」は本当に来るのか?
 冷静になって考えてみれば、そんなことは誰にも分からないのだ。人間いつでも死ぬ可能性がある。明日、もしかすると10分後に交通事故で死ぬかもしれないし、いつガンやエイズにかかるか分からないし、ぼくのようないい人でも知らず知らず他人に逆恨みされていて殺されてしまわないとも限らないし、皇居を狙った過激派のロケット弾の性能が悪くて北海道の民家に命中するかもしれないし、中華航空機が空から降ってくるかもしれないし、チェルノブイリ級の原発事故が日本で起きるかもしれないし、チッソがまた水銀垂れ流すかもしれないし、来年から急に氷河期に突入してみんな死ぬかもしれないし、宇宙人が侵略してくるかもしれない。あるいは何かのはずみで人を殺してしまったりして、何年も、あるいは一生刑務所暮らしになるかもしれない。殺人事件なんてのは、たいていはその場で激情に駆られて、なんてパターンだから、誰だって殺人者になりかねないのだ。
 あるいはせっかく一流大学を卒業しても、不景気で就職難、なんてこともあって、ぼくなんかはザマーミロと思っているが、それで人生の予定がちょっと狂ったりすることは本当によくある。
 つまり、みんな「将来のため」に生きているのだが、その「将来」とは実は、「本当に来るか来ないかもよく分からない漠然とした将来」なのだ。
 ところで「いじめ」を受けている諸君には、初期のブルーハーツと筋肉少女帯のCDを聴くことを勧めるが(長渕はいかん。長渕なんか聴いてる奴はオレがいじめてやる)、ブルーハーツも「70年なら一瞬の夢さ やりたくねえことやってるヒマはねえ」と歌っている。まったくその通り。「漠然とした将来」のために「現在」を犠牲にすることはない。そういう生き方をする奴は、いつまでたっても、たとえ老いぼれてからでも、「現在」を犠牲にしつづけるのだ。まさに今、君がそうしているように。どこかで、この堂々めぐりのループを断ち切るしかない。今が、そのチャンスだ。

 そうじゃない。自分は卒業証書が欲しくて学校に通っているわけじゃない。学びたいことがあるから通っているんだ、なーんてマジメな君なら云うかもしれない。あるいは、将来大学で勉強したいことがあるんだ。だから高校まではせめて出ておかなきゃ、なんてまた「将来」というコトバを持ち出して君は云うかもしれない。
 バカだね君は。相変わらず。
 本屋へ行けよ本屋へ。
 学びたいことがあるなら今すぐ学べ。
 大学で学びたいことがあるなら今すぐ大学へ行け。大学の講義なんか、学生じゃない奴がこっそり忍び込んだってバレやしないのだ。あるいは君が心理学なり数学なり文学なりを学びたいとする。まずは紀伊國屋書店にでも行って、君が学びたいジャンルの本が並んでいるコーナーで面白そうな本を探す。この本はいい! みたいなのがあって、それを書いた人がどこそこ大学の教授だったりしたら、直接その教授を訪ねていって自分にも授業を受けさせてくれと頼んでみる。大半の教授は、4年間ただ遊ぶために大学に籍を置いているだけの学生どものあまりの多さにイライラしているから、君のように向学心あふれる若者が、自分の授業を受けさせてくれと頼んできたりしたら大喜びするだろう。「本校の学生でない者には授業を受けさせない」なんて云う教授がいたら、どうせそいつは大した教授じゃないから別の教授をあたれ。大学教授なんて腐るほどいる。
 まあ、実際には、何かを学ぶのに大学なんか行ったり、教授についたりする必要はまったくない。学校なんかに行ってるヒマがあったら、もっと他にいろんなところへ行って、いろんなものを見たり聞いたり体験したりして、で、一人でいる時にボーッととりとめもなくいろんなこと考えたりしながらちょこちょこ本でも流し読みすればそれで充分である。ぼくなんか本もロクに読まないが、そこらへんの大学(「一流」大学も含む)の学生や教授なんかよりよっぽどいろんなことが分かっている。
 大学は行ったことないからよく分からんが、はっきり云って少なくとも高校や中学の教師の大半はアホである(たぶん大学もそうである)。
 正直なところ、ぼくも中学・高校在学中には「教師」という存在に対してかなり幻想を抱いていた。人間としてはイヤな奴でも、少なくともそいつの担当している教科については、あるていどモノを知っている人なのだろうと信じこんでいたのである。これがとんでもない間違いだった。実は、高校を中退して2年後、ぼくはもう一度「高校1年生」としてまた新しい高校に入学してみたことがある(「やっぱり卒業しよう」と思ったからではなく、「反管理教育」の活動の一環としてそうしたのである)。高校の教師たちが、自分の担当教科についても何も分かっていないという「衝撃の事実」を知ったのはその時である。ぼくは高校中退後2年間、革命運動家として全国各地でさまざまの社会問題にかかわったのだが、そうした経験を経た上で、改めて高校に入学すると、例えば「現代社会」の授業では社会科の教師が、社会問題についてトンチンカンこの上ない解説をしているのを目の当たりにして、教師ってのはこんなにバカだったのかと愕然としたものだ。考えてみれば当然のことだ。たいていの社会科教師は、現実に社会問題をどうこうしようという活動などやってみたこともなく、ただ大学や短大で教員免許をもらって、そのまま学校へ派遣されて、教科書に載ってることを載ってるとおりに暗記して喋っているだけなのだ。つまり自分のアタマで考えて納得したことを喋っているわけではないのだ。
 あるいは世の中には共産党というアホな政治団体があって、それに所属している教師ってのも結構多いんだが(一つの学校に一人か二人ぐらいかな)、たとえば共産党員の国語教師ってのも珍しくない。彼らに本当に現代文の読解能力があれば、共産党の文章と、共産党批判の文章とを読み比べて、さっさと共産党なんか辞めてるはずで、つまり連中にマトモな国語の授業などできるわけがない。
 そういえばぼくの現役高校時代の「倫理・政経」の教師も、今考えるとウソばっかり教えてた気がするなあ。
 ──とまあ、これくらい「学校」で学べることなど何にもないのである。
 本気で何かを学びたい人にとって、学校は百害あって一利ナシ、学校で唯一学べることは学校はロクでもない場所であるということだけ、さっさと学校をやめるべきである。

 でも学校には「友達」もいるし……なんてことを「いじめ」で大変な目に遭っている君が今さら云うとも思わないが、君が学校に行かなくなったぐらいで君から離れていくような「友達」など、君の方から見捨ててやればいい。
 心配することはない。
 学校をやめたからといって、「友達」を得られる場所がなくなるわけではない。学校やめた後にただ部屋に閉じこもっていたんでは確かに友達はできないかもしれないが、あちこち出かけたりしていれば自然と新しい友達はできるものだ。ぼくなんか全国を股にかけて動き回ったから、今では「話の通じる同世代の友達」に限っても全国に何十人かいるし、顔見知り程度の友人なら何百人もいる。しかもその中に、中学や高校時代の友人なんか一人もいない。あ、一人二人はいるかな、そんなに親しくしてない奴。まあそんなもんだ。部屋に閉じこもりさえしなければ、自然といろんな新しい人に出会えるし、学校みたいに自分の意に反して自動的に大勢が送り込まれるような場所で知り合う人間よりも、自分の気の向くままに歩き回って知り合う人間の方がよっぽどいろんな話ができたり、互いに刺激や影響を与え合うような関係ができたりして楽しい。

 さあこれでもう君が「学校」にこだわる理由なんか一つもないはずだが、さらにダメ押しで、学校に行くことが君に与える悪影響についていくつか書き加えておこう。
 学校という場所は、もちろん教科書の内容だけを教えるところではないし、また「何かを教える」だけの場所でもない。
 学校にいる間に、君はいろんな「学校的価値観」「学校的感性」「学校的体質」を、知らず知らず身につけてしまう。これはかなり怖いこと、ヤバいことである。世間の連中は、たとえば今ぼくがこうして書いているような内容の文章とかを「アブな〜い」なんて云うのだろうが、ぼくに云わせれば学校に通っていることの方がよっぽどアブない。
 学校にいて身につけてしまう悪い体質の一つに「先輩・後輩」意識がある。「タメ口」なんて言葉があるが、学校にいると、たった1年や2年先に生まれたというだけの人間に向かって「タメ口」をきいてはいけない、という意識が自然に身についてしまう。学校で「先輩」に「タメ口」をきこうものなら、それこそ「いじめ」の原因になりかねない。ぼくなんか元来礼儀正しい方だから、初対面の相手には年上だろうが年下だろうがついつい「ですます言葉」になってしまうが、あるていど親しくなればフツーに話す。トシ食ってりゃエラいというもんじゃない。先に例に挙げた学歴差別のクソババアのように、ムダに生きてる人間だって世の中にはたくさんいる(ムダな人間の方が多いくらいだ)。しかし、学校にいる限り、自然にそういった「年功序列」みたいな価値観が身についてしまう。
 ぼくなんかは、そういうのはキュークツで仕方がない。多少の敬語──「ですます」ぐらいなら別になんてこともないが、年下の奴とかに「外山さん、○○されるんですか?」なんて口のきき方をされるとウンザリしてくる。
 あと、ミョーな「秩序感覚」。なにごとも「みんなで」やらなきゃ気がすまない。一人だけ「みんな」と違った奴がいると何か落ち着かなかったり、そいつが疎ましく思えたりする感覚になってしまう。
 こういう感覚はたぶん、班活動とか部活とかHR、あるいは文化祭・体育祭や生徒会活動なんかを通して身についてしまうんだろう。 「やりたい奴だけでやりたいことをやる」ってな発想にどうしてもならない。
 まあ、「いじめ」の背景の一つには多分こういう「秩序感覚」があって、それで「みんな」と何かの拍子にズレちゃった奴が「いじめ」の標的になったりするんだろうなあ。
 ファシズムってやつだ。学校はファシストを育てる場所である! あー恐ろしい。
 「分をわきまえる」ことを教えられるのも学校でだ。学校では、人間が「生徒」としての役割を押しつけられることになる。「生徒」として「やっていいこと」と「やってはいけないこと」がある。「やってはいけないこと」をやると、いろいろ罰があったり、周囲から白い眼で見られたりする。君が私服で登校してはいけないのも、16歳になったからといってバイクの免許を取ってはいけないのも、登下校の最中に飲み食いしてはいけないのも、みんな君が「生徒」だからだ。フツーの人間は、そういうことをしてもいい。
 という具合に、学校に通っていると、自然に「生徒」として「分をわきまえて」しまう。君が何か親や教師に文句を云ったりすると、「そんなことは大人になってから云え」なんて云われる。これも、「分をわきまえろ」ということだ。まったく腹が立つ。たいていの親や教師も、「分をわきまえる」ことを学校で覚えて、そのまま大人になって、今度は君に「分をわきまえ」させようとしているのだ。青臭い云い方だが、そんな大人にはなりたくねえって感じだな。
 それから、「差別意識」も学校では大変よく身につく。特に、例の差別ババアみたいに、「ちゃんとした」定職にもつかず、学校もロクに出ていないような人間への差別意識は、当然、学校にいる限り自然に身につく。学校では、進学するか定職につくかという2種類の進路しか提示されないから、こういう差別意識になっちゃうのは当たり前といえば当たり前である。「テキトーにブラブラ遊んで暮らす」なんてことを考えるのは学校的価値観の中では「悪」だし、だからそういう価値観に毒されたバカばかりのこの世の中では、ぼくのように本当に「テキトーにブラブラ遊んで暮らし」てるような人間はウサン臭がられるのだ。畜生、覚えていろ差別ババア。死んだら祝電送ってやる。
 ここ数年、ぼくは路上でギターの弾き語りをやって、通行人がくれる「投げ銭」で生活しているのだが、こないだ、いつものようにぼくが街で歌っていると、小学校3,4年生ぐらいの二人組の女の子が寄ってきて、「お兄ちゃん、仕事してないの?」と訊くので、「これが仕事」と答えると、「お家あるの?」と続けて訊いてきた。「あるよ」。女の子たち、ニヤニヤ笑いながら、「ダンボールでしょ?」。その云い草が、明らかにいわゆる「浮浪者」とか「ホームレス」をバカにしたニュアンスだったので、思わず「そういうのはサベツといってとっても悪いことなんだよ」とトクトクと語ってきかせてやろうか、それともオシオキとして性的イタズラでもしてやろうかと考えたが、それも大人げないので「大っきいダンボールだ」と答えておいた。10歳になるかならないかで、すでに「ちゃんと働いてない人」への差別意識をしっかり身につけていて、そして多分、たいていの場合はそのまま大人になっていくのだ。
 ちなみに学校ではおそらく教えてくれないだろうし、たぶんたいていの社会科教師も知らないことだろうが、君はあの、路上にダンボールを敷いて寝ている人たちが、普段どうやって生計を立てているか知っているか? ゴミ箱を漁っている? まあそういうこともやるし、だからといってゴミ箱漁っちゃいかんという理由もなかろうが実は彼らの大半は普段、結構フツーに働いているのだ。「日雇い労働」ってやつで、主に建築現場とか港とかの肉体労働を一日単位で契約してやっている。単に彼らが、必要最低限以上に働く気がないか、それとも実際に仕事がなくて困っているかで、路上で暮らしているにすぎない。──まあ「彼らは本当は働いているからサベツしちゃいけないんだぞ」なんて云うと「じゃあやっぱり本当に働いていない人はサベツしていいんだ」という話になって例のクソババアと同じになっちゃうからそんなことは云わんが、ただ、学校にいると、レールに乗っかった人生を歩んでいない人への漠然とした差別意識は身についちゃうもので、つまり学校はファシストは育てるわ差別人間は育てるわで、やっぱりロクでもないということが云いたいわけである。
 あと、これはまあ些細なことではあるが、学校行ってる奴はとにかく云うことがつまらん。特に大学生。ギャグはとんねるずか何かの受け売りだし(ちなみにぼくはとんねるずも大嫌いである。笑えないことはないが、奴らにはハッキリと「いじめっ子」の匂いがする!)、もちろんマジメなことを喋らせてもつまらん。何の話題でも無難で常識的なことしか云わんから、一緒にいてイライラする。大学生は差別していい。考えてみりゃ99パーセントの大学生は、小学校から高校まで最低12年間も学校行ってるわけだし、あるていど以上奇抜なことを云ったりやったり考えたりする奴にとって学校ってのは居づらい空間だから、そういう面白い奴はその12年間のうちにどんどん学校社会からこぼれ落ちて、大学まで無事に行けるのは残りカスばっかり、ということになる。多少の芽は持ってた奴でも、大学という残りカス集団の中に入ってしまえば、朱に交われば何とやらで、どんどんどんどんバカになっていく。そういう奴を、ぼくは何十人も見ている。大学まで行ってしまえばもうほとんど手遅れだぞ。今のうちに学校なんかやめてしまえ。 学校は、やめるためにある!

 あ、そうそう。
 もう一つ、学校をやめるのは「逃げる」ことになる、というつまらない迷信もまだまだ根強いから、それを粉砕しておこう。
 まず第一に、どうして「逃げる」のがいけないんだ? ということがある。逃げたきゃどんどん逃げればよろしい。
 それから第二に、もし「逃げる」というコトバを悪いイミで使うとすれば、本当の意味で「逃げて」いるのは、学校に通い続けている奴か、きっぱり学校なんかやめちゃう奴か、どっちだ? という反論もできる。学校やめる奴がすべて正しいとは云わないし、はっきり云って学校やめる奴の大半はやっぱり学校行ってる奴と大差ないぐらいくだらない連中なのだが、少なくとも君にとっては、学校に通うよりやめる方が数億倍良いことは、これまで書いてきたことからも明らかだろう。だって学校に通えば通うほど、アタマは悪くなるしファシストや差別人間になってしまうんだから、できるだけ迅速にやめた方がいい。悪いイミで「逃げて」いるのは、学校に通い続けている奴らの方なのだ。奴らは、「漠然とした将来」へのパスポートを鼻先にブラ下げられて、それを追いかけて一生走り続けているマヌケな家畜みたいなもんだ。それに気づかないのはバカだし、気づいていながらそれをやめないのは、そのパスポートを失いたくないがゆえに学校にしがみついて、自分のマヌケな姿を直視することから、奴らこそが「逃げて」いるからだ。
 「逃げるのか?」なんてバカな奴らの云うことに耳を貸す必要はない。それは、君をリッパなファシストや差別人間に育て上げようという、恐るべきインボーを持った悪の公然秘密結社・学校の手先による「悪魔のささやき」なのだ。ここで屈してはすべて終わりだ。地獄に堕ちる。

 さて最後に、では実際に学校をやめた後、一体どうやって暮らしていけばいいのか、ということについて書こう。
 基本的には一人で生きる、ということだ。
 いったん「学校」的なものに見切りをつけた以上、大検を受けて大学へ進学しようとか、最近増えている「高校中退者や登校拒否児を受け入れる高校」に入ろうだとか、あるいはこれまた最近全国各地で増えている「理解あるオトナ」たちが「学校へ行きたがらないコドモたちのために」運営している「フリースクール」なんて名前の怪しげな学校モドキみたいなところへ通おうだとか、そういう未練たらしいことは考えないことにしよう。そういうのはすべて、「学校」の正体に勘づいてそこからの脱出をいったんは決行した君を甘いコトバでたぶらかして、ふたたび君を「学校」の世界に連れ戻そうという、これまた悪の公然秘密結社・学校の手先の中の、特に悪知恵の働く奴らが最近になって思いついた、巧妙な手口なのだ。引っかかってはいけない。そんな手に乗ったのでは、何のために「いじめ」まで体験して学校をやめたのか分からない。無間地獄に落とされて、元も子もない。フリースクールなんかに通うくらいなら、よっぽどあの時「いじめっ子」を2,3人道連れにして自殺した方がよかった。とにかく、「漠然とした将来」へのパスポートなどというウサン臭いことこの上ないエサをチラつかせて、君をふたたび「学校」の世界へ連れ戻そうという誘惑を、断乎として拒絶するプライドだけは失うまい。

 まず、住居を確保する必要がある。路上で生活しようという勇気と覚悟がある人には、もちろん住居は必要ない。
 学校にも行かず、せいぜいたまにアルバイトをして暮らすという君を家に置いてやろうという度量の広い親を持っていたら、まああんまり極端に頼るのもよくないが、しばらくの間、両親の世話になってもいいだろう。
 ただ、たいていの親はアホなので(実はぼくは、親というのはアホで理解のない方が、たくましい子供が育つので良いと思っているが)、君が「学校をやめて当分ブラブラします」というのを許さないだろう。
 ぼくの場合、やはり親はまったくアホでどうしようもなかったのだが、高校中退後、班としくらいは険悪な雰囲気のまま親元にいさせてもらった。ぼくの両親、とくに母親の方がどのくらいアホで理解がないかというと、たとえば「いじめ」のことも含めてぼくが何度も学校当局や、時には県の教育委員会とも衝突した際、常に教師たちと一緒になってぼくを非難した。母親がぼくの側についてくれたことなどただの一度もなかった。それどころか母親はバカ教師どもと結託して、三重県にある超々々管理教育で悪名高い私立の全寮制高校(脱走者やら自殺者やらが相次いで、一時期「陸の戸塚ヨット・スクール」と呼ばれて社会問題にさえなったところだ)に転校させようとしたり、どうもこの子はアタマがオカしいんじゃないかと精神病院にブチ込もうと云い出したりで、とんでもなかった。ぼくは学校でも常に緊張を強いられていたが、家に帰ってもそれは変わらなかった。寝てる間に絞め殺されるんじゃないかとか、いきなり親がこっそり連絡した「陸の戸塚ヨット・スクール」の屈強な教師たちがやってきて、家や通学路で白昼堂々、有無を云わせずラチカンキンされてしまうんじゃないかという不安に怯えていたし、逆に、眠っている両親の顔を見て、今、何かでコイツラのアタマを打ち砕いてしまったらどうなるだろう、という悪魔だか天使だかの囁きを聞いたりの、やはりシビアな毎日だった。
 高校をやめてから数年たった今では、お互いに「こいつとは一生分かり合えん」ということを何となく分かり合っている感じで(正確には、ぼくは両親がアホすぎてぼくのような天才の思考にはアタマがついてこれないのだと思っているし、両親の方は「キチガイに何を云っても仕方がない」とでも思っているのだろう)、その当時に比べればかなりフッ切れたような安定した関係にある。周囲の似たような多くの事例から考えて、親には早い段階でガツンとカマした方が(学校やめるとか家出するとか)、早くあきらめてもらえるようだ。逆に煮え切らない態度でいると、険悪な関係もそれだけ長く続く、ということが云える。ぼくはむしろ、両親がアホで理解がなかったことで、その逆境を乗り越え、こんなに強くたくましく育っているわけで、彼らのアタマが異常に悪かったことに感謝しているくらいである。お父さんお母さん、バカでバカで本当にありがとう。

 家に置いてくれないほど理解のない親だったり、学校にも行かずブラブラしている子供を見て精神病院にブチ込もうとする親だったり(結構よくいるみたいだ)、逆に親の方がヒステリーを起こしたりで、家には何とか置いてもらえても息がつまりそうだ、という家庭環境の場合には、息がつまってしまう前に、当然「家出」しかないだろう。万が一、見つかって連れ戻されたりしても、親の理解のない限り、何度でも「家出」を決行しよう。
 問題は、どうやって食っていくか、つまり収入を得るかということと、どうやって一人暮らしのアパートを借りるか(路上生活をヤル気がない場合)なんだよな。
 少々身元が怪しくてもやれるバイトとなると、やはり一番は単純な肉体労働だ。『an』でも見て、「一般軽作業員」募集の会社に雇ってもらう。たいていの場合、このテの会社は、一回の面接だけですぐ採用してくれる。ただし16歳未満であれば雇ってもらえないので、もし君が15歳以下だったら、年をゴマカさなければならない。べつに身分証明書の提示を要求されるわけではないし、深く素性を詮索されたりもしないので、ゴマカすのは簡単である。できれば年は18歳以上にゴマカした方がいい。というのも、その方が日給が高いからだ。どうしても顔が幼ければ16歳にしとけばいいだろう。住所がまだない場合には、現実に存在するテキトーな住所を暗記しておいて、電話はまだつけていない、とか云ってゴマカせばいい。住み込みで働かせてくれるところも多いから、しばらくそうするのも手である。実家から出てきたばかりで仕事を探していると云えばいい。実家に連絡されたりすることはまずないだろう。連絡されたら、何度でも家出を決行するまでである。
 一カ所で例えば年をゴマカしているのがバレて雇ってもらえなくなったとしても、こういう「一般作業員」のバイトはいくらでもあるので、別の会社に行けばいい。「肉体労働」だからといって、自分は体力ないしノノなどと心配する必要はない。このテのバイトはたいてい、建築現場でのゴミ拾いとか、鉄パイプやベニヤ板を運ぶ仕事で、そんなにムチャな体力は必要としない。女の子でもできるし、実際、男女の作業員を募集しているところも多い。
 面接とか、年をゴマカしたりするのがメンドくさければ、いっそ山谷や釜ヶ崎などの「寄せ場」に行けばいい。山谷は東京の南千住に、釜ヶ崎は大阪の西成にある。他に、横浜の寿町とか、大きなところだけでも全国に何カ所かある。たいていの学校じゃこんなこと教えてくれないだろうが、これらの街はまあ云ってみれば日本のスラム街みたいなもんだと思えばいい。路上に寝ている、いわゆる「ホームレス」は大きな都市ならどこにでも多少はいるが、そういう人が何千人だか何万人だか住んでいる地域である。地域の中に何カ所か、朝早く(4時とか5時とか)並んでいれば「手配師」と呼ばれる建設業者の使いの者が軽トラやバンでやってきて、その日の仕事を世話してくれるという場所がある。募集人数が多かったり少なかったり、ワリのいい仕事だったりワリの合わない仕事だったりするし、募集が少なくて仕事にありつけなかったりもする(「アブれる」という)が、これならその場で即決採用だ。いちいち素性など訊かれない。しばらく金が貯まるまで路上で生活してもいいし、地域内には一泊2,3千円の簡易ホテルもいっぱい建っている。日当が1万2,3千円だから、簡易ホテル住まいでもいい。女の子には山谷や釜ヶ崎の仕事は向かないかもしれないが(「寄せ場はコワい」などと書くとサベツだと糾弾されかねないが、実際問題として「フツーの場所」ではないし、手配師の中にはヤクザもかなり混じってるから、よっぽどしっかりしてる人じゃないと気軽に「大丈夫」とは云えない)、ま、自分は大丈夫だという自信のある人や、どうせなら何でも体験するんだというチャレンジ精神あふれる人は、行けばいいと思う。実際、寄せ場で生活している女の人も結構いる。
 しかし女の子なら、それこそブルセラ・ショップにパンツ売ったり、あるいは売春やって金を貯めてもいいと思う。ぼくは差別が嫌いなので、売買春が「悪」だとはこれっぽっちも思わない。ぼくが今、女子高生だったら、少なくともパンツは売るけどなあ。
 ──とかなんとか、学校やめたりしたら途端に路頭に迷って人生転落の一途、みたいなイメージそのまんまの生活法ばかり書いてしまったが、もっとラクして収入を得る方法はある。ここまでの話は、根性があれば何でもやれるという例だ。ぼくは根性ない方だし、寄せ場で仕事を求めたことも全部で10回ぐらいしかない。 君が何か「芸」を持っていたら、それをカネにしたらいい。
 ギターなんか弾ければ一番いい。
 路上弾き語りだ。自分で作った歌でもいいし、ビートルズやら今流行の歌やら、他人の歌をやってもいい。
 いい場所さえ見つければ、これが一番ラクな商売だ。いい場所とは、大都市(まあせめて県庁所在地クラスだな)の盛り場つまり酔っ払いのサラリーマンとかの多い場所で、ヤクザや警察があまりうるさくない所。そういう場所を見つけて、夜3,4時間も大声張り上げて弾き語りすれば、最低でも3,4千円、日によっては万単位の収入がある。ぼくの収入源の9割も、現在これだ。収入を上げようと思ったら、ビートルズだとか吉田拓郎、井上陽水など、40,50歳くらいのオヤジが喜びそうな曲をレパートリーにすればいい。ぼくは陽水・拓郎を「オヤジ・ホイホイ」と呼んでいる。長渕も儲かるが、くれぐれも歌って悦に入らぬよう。せいぜいファンを装うか、金のためだと割り切って、詐欺みたいなもんだと思ってやるように。これだけは重ね重ね云っておくが、長渕はよくない。
 伴奏の機械があれば、サックスやフルートの演奏でもいい。これはすごく儲かる。バイオリンとかもカッコいいだろうなあ。
 楽器できないよ、なんて人も心配ない。今すぐギターの練習を始めよ。2ケ月もやれば、充分路上ライブで食っていける。酔っ払いどもは、たいてい楽器の上手い下手など分かりもしない素人だ。声張り上げて、いかにも「頑張ってます」ってなポーズを見せれば、客はダマされてくれる。ぼくはもう路上ライブ歴も長いし、その間にレパートリーも五百曲ぐらいになってるから、別に客をダマしてるわけじゃないが、福岡の街頭ライブ仲間の明石君は、ギターを始めて1ケ月ぐらいだというのに、勇敢にも路上に立ち始めた。それでも週末など1万円以上稼ぐこともある。彼のギターがどれほど下手であるか、言葉で説明できないのがもどかしいぐらいである。あえて言葉で説明するなら、普通ギターはジャカジャカ弾くものだが、彼のギターはバコバコである。とりあえず誰でも知っているような曲を10曲ばかり覚えてグルグル繰り返していれば何とかなる。路上で練習してるんだ、ぐらいの気持ちでやればいい。そのうち上手くもなるし、声量もアップするし、レパートリーも増える。もちろん、続けていれば路上で友達もできる。芸は磨けるし金は入るし友達はできるし、いいことずくめだ。「世の中甘い」と思える。不安も消える。
 ただ、路上で歌ってイヤな目にもたまに遭う。しつこくからんでくる酔っ払いとか、リクエストした曲ができないだけで怒りだしたり罵倒して去って行ったり、長々と説教垂れたりするバカ客もいっぱいいる(一番タチの悪いのは「昔オレも音楽やってた」挫折組)。場数を踏めばそのテのバカ客をあしらうコツも得られるし、度胸もつく。まあ世の中、基本的には甘いが時々キビしいということだ。
 女の子が路上ライブをやれば、男の数倍儲かる。女の子なら、どんなに下手クソでも必ず儲かる。云うまでもないがこれは「若い女の子」がやるからであって、金を入れていく客の9割は演奏なんか聴いちゃいない。女は外見だけでいいという(この場合かならずしも「かわいい」外見である必要はない。単に若きゃいい)女性サベツの裏返しである。女はなかなか実力で判断してもらえないのである。まあ、こういうアホらしい風潮は逆手にとって利用し、どんどん儲ければよろしい。ただし、路上ライブで儲かるからといって(あるいは「上手い」とホメられるからといって)、自分に実力がある、才能があるなどと思い上がってはいけない。たまーにこういうカンチガイの女ストリート・ミュージシャンがいて醜悪きわまりないので口を酸っぱくして云っておくが、(もちろん本当に実力や才能がある場合もあろうが)女の子が路上ライブで食っていく場合、それはほとんど「音楽」で食っているのではなく、売春をやってるのに近いんだと自覚すべきである。その証拠に、実際やってみれば、手を握られたり、少々体を触られたりということは頻繁にあるだろう。まあ、そんなに危険な目に遭うわけでもないし、もちろん売春はいけないことではないから、どんどん路上ライブをやればよろしい。
 あ、いいことを思いついた。
 理解のない親を持ち、家出せざるをえない不運な君は、まず家出決行前にひと月でいいから一心不乱にギターの練習をせよ。「いじめっ子」に金を取られたと思えば、1万円前後のオンボロ・ギターなんて安いもんだ(リサイクル・ショップに行けばもっと安い)。で、東京なり大阪なり名古屋なり福岡なり札幌なり(札幌が一番儲かります。東京は結構ダメです)へギターを持って家出決行。地元だと知り合いに見つかって家出に失敗する可能性もあるので、できるだけ遠くの大都市へ出る。儲かりそうな場所を探して、夜は路上ライブ、昼はギターを抱えて公園のベンチや、冬なら地下街の休憩所みたいなところ、あるいは儲けの一部で映画館にでも入って寝る。できるだけ、いかにもミュージシャンです、みたいなカッコしてれば、若いからといって補導されたりしない。
 風呂は銭湯に行けばいいし、洗濯はコインランドリーだ。
 毎晩路上ライブを続けていれば、そのうち友達もできる。君に住む場所がないことを知れば、泊めてくれる奴もそのうち出てくるだろう。また、大きな都市にはたいてい他にもストリート・ミュージシャンは大勢いるだろうから、そいつらに話しかけたりして仲良くなればいい。ずっと泊まっていいという親切な人もいるだろうし、友達が多くできれば、1,2泊ずつ泊まり歩いて暮らせばいい。
 ぼくの6年間の街頭ライブ経験からして、友達が多くできれば、そういう生活は可能だと思う。ほぼこれに近いことを、旅先なんかで今でも時々やってもいる。
 また、絵のうまい人は路上で似顔絵描きをやってもいいし、パントマイムや手品のできる人ならかなりの収入を得られると思う。アクセサリーを自分で作って、路上に風呂敷ひろげて売ってる人も多い。
 とにかく、ヤル気と、少々の行動力さえあれば、どうにでも道は開ける。
 ぼくの友人の例をいくつか挙げよう。
 まず、家出して路上ミュージシャンの家に1,2ケ月ずつ転々と居候を続けていた友人がいる。彼自身もギター弾きだった。
 やはりギター弾きで、同棲していた彼女の家を追い出されて以来、自転車(しかもママチャリ)の荷台にギターと生活道具をくくりつけて、全国各地を旅している友人がいる。彼はテントも持っていた。
 これはギター弾きではないが、やはり家出同然にそれぞれ全国各地から出てきた4人が知り合って、埼玉で家賃9万円のでっかい一軒家を借りて共同生活をしていた。部屋を借りる場合には、たいてい親を保証人にしなければならないので、家出などするとなかなか部屋を借りられなくて困るが、共同生活してくれる友達を何人か作れば、そのうち誰か一人の親に保証人になってもらえばいいから問題は解決する。そのためには、家出してからはものおじせずに大胆に行動して新しい友人をどんどん増やしていくことだ。どうせ昨日までの君のことなどまったく知らない人たちばかりの街へ一人で出るのだ。堂々とやればいい。昨日までの自分とは違う自分になるのだ。
 で、そのぼくの友人4名の共同生活だが、食費も家賃もワリカンだから、一人が月に一週間も日雇いのバイトをやれば、あとはブラブラと遊んで暮らせるのだ。もちろん金のかかる遊び(クラブとかカラオケとか飲み屋とか)をするならもっと働かなきゃいけないが、ボーッとしたり本を読んだりCD聴いたりみんなでダベったりする時間には事欠かない。やたらと広い一軒家で、周囲は農地だったから、たまーに他の友達を大勢呼んでパーティをやったり、大音量でCDかけて踊り狂ったり、みんなでミニコミ作ったりで、まあ毎日キャンプみたいなものだった。
 それにぼくたちは「ヒッチハイク」という交通手段を開発していた。やり方は別に書いておくからマネしてほしい。ヒッチハイクのやり方さえ覚えれば、日本中どこへでも(もちろん島は除く)タダで旅行できる。いっそ家出する時もヒッチハイク!

 ──とまあ、こんな感じかな。
 ぼくは高校をやめて親元を離れ、一人暮らしを始めてからもう6年になるけど、ヒッチハイクと路上ライブとプラス多少の(謙遜。ほんとは天才的な)文章力という武器があったために(というより、ぼくの場合、これらを誰に教わったわけでもなく、自分で開発したのだからその偉大さも想像できようというものだが)、今でも楽しく遊んで暮らしている。マジメにバイトなんかしたのは、この6年間で全部合計しても2ケ月にもならない。もう2年、フツーのバイトをしていない。
 何度も云うようだが、少々の決心というか、思い切りのよさがあれば、今すぐ学校をやめ、「いじめ地獄」からすっかり解放されて、まったく新しい別の世界で新しい人生を開始することができる。大事なのは、今の生活はもうイヤなんだという気持ちだ。
 「学校やめて自力で暮らす」。
 これだけの決心をすればいいのだ。「いじめ」に耐えてこの後何ケ月も何年も過ごすよりはずっとラクで楽しく、君をいじめているつまらないフツーのアホな連中なんかのムダで薄っぺらな一生とは全然違う、密度の濃い人生を送ることができる。君のアタマの中にある、つまらない常識をいったん全部捨てることだ。自殺する決意よりずっと簡単な決意だ。ただ君があまりにも長いこと学校にいすぎたために、君の発想が貧困になって(はっきり云ってこれは学校制度のせいであって、君が悪いわけではない。学校制度は人間の想像力を貧困にする。学校をやめることは、自分でその奪われた想像力を取り戻す旅に出ることだ)、もう絶対「いじめ」はイヤだと思えばすぐにでも新しい世界を開くことができるこれらの方法、自分の力で生きる方法を考えもつかなかっただけだ。今、君は「いじめ地獄」を抜け出す確実な方法を知った。本当に「いじめ」が辛ければ、あとはこれらを実行に移すだけだ。
 ぼくも学校に通っている間、ずっとダマされ続けてきた。学校では、「世の中キビしい」と教えられた。そう思いこまされてきた。だから、どんなに学校生活がイヤでも、なかなか学校をやめる決心がつかなかった。それで、自主退学を決意するまで、何度も何度も転校を繰り返して、なんとか学校にしがみついていようとあがいた。
 しかし、実際に学校をやめて6年以上を経た今、自信を持って君に云える。
 本当は世の中、かなり甘い。
 生きていこうと思えば、どんなことをやっても生きていける。そのへなのフツーの奴らをテキトーにダマしておこぼれを頂戴して、ノホホンと遊んで暮らせる。人生なんとかなる。「取り返しのつかないこと」なんて、そう滅多にあるもんじゃない。
 本当はこの文章は、「いじめ」を抜け出すことを第一の目的としたものではなく、君が自由に生き始めるための文章である。自由に生きるためには、「漠然とした将来」を目の前にブラ下げられてそれを追って走り続ける生き方を、どこかでやめる必要がある。君が走らされているレールを、どこかで自分の意志で踏み外してやる必要がある。「いじめ」は耐えがたい。耐えがたいものに耐える必要はない。これ以上、「いじめ」に耐えるのがイヤなら、今がチャンスだ。レールを踏み外せ! それが怖ければ黙ってもうしばらくの間、「いじめ」に耐えろ、あるいは、自殺してしまえ!

 以上で、ぼくの君へのメッセージは終わりだ。
 最後に、ぼくが現在やっていることを簡単に紹介しておこう。
 ぼくは福岡にアパートを借りて、革命運動をやっている。
 革命などと聞くと、なんだかブッソウなものを想像する人が多いだろうが、もし君もそうだとすれば、それは君の想像力の貧困だ。
 ぼくの理想は、遊んで暮らすことだ。キャンプみたいな生活が、ずっと続くことだ。ところがそれを邪魔しようとするつまらない連中がいっぱいいる。そういう連中と闘争しつつ、キャンプの仲間を増やすこと。
 世の中ってのは、キャンプを続けようとする人間と、それを潰そうとする人間との戦いの場だ。キャンプ派の人間は、現在、圧倒的に少ない。学校制度がうまく機能して、人々の想像力が貧困になっているからだ。キャンプ派の人間をできるだけ増やして、キャンプ地帯をできるだけ拡大すること。それがぼくの考える革命運動だ。
 この文章の中では、ちょっと「キャンプ生活」を楽しく描きすぎたかなっていう反省はある。実際には、キャンプ生活は、世間のつまらない連中との圧力と、常に戦いながらでないと維持できない。
 君たちの中に、自分も福岡に行って、戦うキャンプ生活に参加したいという人がいれば、ぜひ連絡してほしい。
 路上ライブでもバイトでもやって稼ぎ、家賃や光熱費や活動費をワリカンで払い、自分の使った分の電話代なんかもちゃんと払えるという約束ができ、なおかつ革命運動にも積極的に参加するというなら、しばらくのあいだ泊めてやる(「家出」なんだから親とか、親に連絡しそうな友達とかに、ぼくのところへ来るなどと漏らすなよ。アホな親たちの相手すんのはほんとメンドくさいんだから)。金が貯まればちゃんと自分で部屋を借りるんだぞ。あくまでもそれまで一時的に泊めてやるだけだからな。 ちなみに具体的にどんな革命的活動をやっているのかについては、過去(92年時点まで)についてはぼくのこれまでの著作を読むとか、ここ最近については五百円(コピー代・郵送代)添えて資料請求すれば送ってやるからその旨書いて連絡するのだ。実際にぼくらの活動に参加するかどうかは、それらを読んだ上で決めればいい。それまでにしっかりギターの練習を積んでおきたまえ。