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職業不祥・渡部市郎が書いた判決文スタイルの作品中の「理由」から引用しつつコメントする形で、その問題点を指摘しておく。
まず、一方通行道路の逆走行為に関する私の云いぶん、
被告人は、検挙場所である地蔵角交番前交差点(以下「本件交差点」という。)付近から東方向に向かって原動機付自転車で運転を開始したところ、目的地の飲食店の方向でないことに気が付き、次の交差点(以下「東側交差点」という。)に至る前に転回し、西に向かって進行中、一方通行違反で検挙されたが、本件交差点から転回場所までの区間には一方通行の標識はなく、被告人には一方通行の規制の効果は及ばないし、過失もない
について渡部は、合理的な根拠を示さないまま、これを一方的に虚偽の供述であると決めつけている。そうしなければ、この道路においては禁止されていない原付での転回行為のために一方通行を指定した標識を確認することができない状況での逆走行為を処罰することができるのか否かについてメンドくさい立論をしなければならなくなるからである。これが全部ウソだということにしてしまえば、問答無用で処罰できる。
では渡部は、いかなる根拠をもってこれを全部ウソだと決めつけたか。
それは、違反を現認した警察官の証言の方が信用できるから、ということであるらしい。具体的には、以下のとおりである。
被告人の通行を現認して検挙した警察官である嶺岡豪(以下「嶺岡」いう。)は、公判廷において、地蔵角交番前に立って交通違反の取締り等に当たっていたところ、被告人運転の原動機付自転車が東側交差点方向から本件交差点に向かって進行してきたので、被告人を一方通行違反で検挙した、被告人が言うような転回の事実は現認していないと供述している。
この嶺岡供述は、具体的かつ明確で、内容的に不自然・不合理な点もなく、逆行車両の取締りを念頭に置いて、東方向を注視していたところ、被告人車両が西進してきたという視認状況からも、見間違い等は考え難いところであって、十分信用できる。
ところで、嶺岡の立っていた位置からは、本件交差点と東側交差点との間の道路のほとんどが視野に入り、東に向かって右側車線の一部が死角に入るものの、一方通行標識に至るまでの左側車線は全部見通ことができる状況であるから、被告人が供述するように、本件交差点と東側交差点付近の一方通行標識までの区間で転回した事実があるのであれば、その状況は当然嶺岡の視野に入ると考えられる。しかし、嶺岡供述に寄れば、被告人車両が転回した事実は現認されておらず、嶺岡は被告人車両が東側交差点を経由して進行してきたものと認識していたのであり、嶺岡供述と本件交差点付近の客観的な道路状況を総合すると、被告人車両は東側交差点を経由して本件交差点に至ったものと認められる。
渡部は、「被告人の供述は、これに反する」としているが、実はちっとも反していない。だから私も弁護人も、自称警察官の嶺岡の供述を証拠として採用することに同意したのである。
まず渡部は意図して触れていないのであろうが、嶺岡は公判廷において、何ら違反をしていない車両の動きまではいちいちチェックしていないし、またたとえ違反車両であっても、その違反を認識して以後の動きはともかくそれ以前の動きまでははっきりとは覚えていないものであると供述している。
だから「本件交差点」付近で発進し、まずは「東側交差点」に向かって走り始めた私の原付の動きについて、嶺岡が気づかなかったことには何の不自然性もない。
私は「東側交差点」に至る前に、道を間違えていることに気づきUターンしたのだが、それは当然、嶺岡が私の違反行為を現認する前の行為であり、嶺岡がこれに気づかなかったことにもまた何の不自然性もない。
しかも、「嶺岡の立っていた位置からは、本件交差点と東側交差点との間の道路のほとんどが視野に入り、東に向かって右側車線の一部が死角に入るものの、一方通行標識に至るまでの左側車線は全部見通ことができる状況である」ことを考えれば、私がUターンをした際、その「死角」である「東に向かって右側車線の一部」に入ってしまった可能性は充分にあり、となればその「死角」に入る以前の私の行為には何の違反もなく、「死角」から出て以後は逆走行為となるからその時点で嶺岡は私の原付の動きに注目し始めることになる。
つまり、私の供述と嶺岡の供述は矛盾していないどころか、むしろ一致している。したがって、嶺岡の供述内容を根拠に私の供述を虚偽であると断定することは不可能なのである。
渡部はさらにダメ押しして、以下のように私の供述はますます信用ならないと断じている。
(被告人の供述は)公判段階になって突如述べられた唐突なものである上、発進してすぐに転回したという点がそもそも不自然との感が否めず、被告人がこの付近でストリートミュージシャンとして活動しており、この付近の地理にも精通していると考えられることからすれば、転回した理由について述べるところもにわかに納得し難く、信用できない。
これもまた、無理がある。
まず最大限に問題視しなければならないのは、判決文のこの箇所が、被告人の黙秘権を否定するものだということである。
例えば捜査段階では別の主張をしており、公判段階で突如まるで違う主張を始めたというならまだしも、私は捜査段階では一貫して黙秘を続けたのであって、公判で何を供述しようとそれは「突如」である他ない。被疑者・被告人が、捜査段階で黙秘することも、公判において初めて自らの云いぶんを明らかにすることも、アメリカ様が恵んでくださった憲法に認められた正当な権利の行使であるのに、そのこと自体をもって被告人に不利な情状とすることは、黙秘権を否定する重大な違憲行為と断じざるをえない。
また、「発進してすぐに転回したという点がそもそも不自然」というくだりはまったくもって意味不明である。私がUターンしたのは道を間違えていることに気づいた(正確には、道を間違えているような気がし、実際に間違えてもいた)からであり、走り始めて20メートルほど進んだ時点で気づこうと、数キロ走って気づこうと、「自然」とか「不自然」とかいう話にはなりようがない。
さらに、私が「この付近でストリートミュージシャンとして活動しており、この付近の地理にも精通していると考えられる」というのも意味不明である。説明すると、単純には幹線道路である国道10号線、中心街のメイン・ストリート、そして今回の「犯行現場」である深夜4時間の一方通行道路はこの順番で平行して走っている。私は実家のある隼人町から、国道10号線で鹿児島市内に入り、メイン・ストリートと問題の一方通行道路との中間あたりの飲み屋街でストリート・ミュージシャンの仕事をするのを常としていた。つまり、問題の道路は私にとって、日常的な移動ルートの外にある。犯行当日の目的地であった「飲食店」には、当時の段階でまだ1、2回しか行ったことがなく、じっさい道に迷っているぐらいだからとても「この付近の地理にも精通している」というレベルにはほど遠い。
結局、渡部は私を厳罰に処したいだけであり、根拠にもならないことを根拠として、私が厳罰に処されるべき旨をるる主張するも、独自の見解に基づくものであって、採用するに値しない。
渡部は、べつに違法というわけではない形でおこなわれた、私の法廷侮辱(的)パフォーマンスに、よほど頭に血がのぼったとみえる。私が、きっとアレにはムッとしただろうなあと内心ニヤニヤしていた振る舞いが、すべて判決理由に反映されている。つまり渡部はかなり、分かりやすい奴である。
たとえば、私が公判においても唯一、自らの職業に関してだけは黙秘した点。理由は以前にも書いたとおり、かつて公判で堂々と正直に革命家であると供述したところ、福岡地裁の自称裁判官に「自称革命家」呼ばわりされた屈辱的な体験があるからである。渡部はこの職業黙秘がよほど腹に据えかねたらしく、訴訟費用を私に負担させる根拠として、このことを「なお、被告人は、自己の職業を明らかにせず、その結果、収入や現在の資力等も判明しないので」などとわざわざ挙げつらって補強している(有罪判決で訴訟費用を被告人の負担とすることは普通であり、べつにわざわざその理由を書かなくてもいいのに)。まったく子供かおまえはと云いたくなる。
「量刑の理由」というのがまたケッサクだ。「( )」をつけて補いつつ鑑賞してみよう。
本件の違反事実がいずれも交通の危険をはらんだ看過し難い内容のものであること(笑)、被告人が、判示第1の事実について不合理な弁解を述べ(おまえのその断定の方が不合理だよ)、かつ、第2の事実について独自の論理(原付の一律30キロ規制は実態に合わず不合理であり法改正がなされるべき、という話)を展開し、悪法には従わなくてもよいなどと身勝手な言い分を述べ(「悪法も法なり」とは多数意見ではあっても法律学上の一意見にすぎず、そうでない意見を採用しないだけならともかく道徳的に断罪すべきではない、と最終陳述書にも書いておいたのだが、渡部はきっと文盲なんだろう)、公然と法無視・法軽視の態度を表明し(おいおい公然と違憲行為をおこなっているのはおまえだ)、交通事故が減らないのは裁判官の責任であるなどと(ここに最もカチンときていると思われる。これも最終陳述書を参照のこと)自己の非も顧みず責任転嫁の態度に終始しており、反省の情は微塵も見られないこと(だって反省してないもん)、このような被告人の応訴態度に加え、被告人には平成13年に傷害で、平成15年に名誉棄損で、それぞれ実刑に処せられた懲役前科2犯があり(今回同様、おまえみたいな自称裁判官どもによる法廷侮辱パフォーマンスへの報復としてな)、交通違反歴も複数あって(余罪追及する?)、被告人の遵法精神の欠如が顕著であること(「遵法精神」なんて意味不明なレトリックを平然と使う法曹はアホ丸出しであることは、『スレッド』2号に書いたとおり。法律を守る義務は国民にではなく政府つまり公務員つまり渡部などにのみ存する。これ法律学の常識。渡部アホ丸出し)などを考慮すると、本件の違反がいずれも反則行為に当たるもので、判示第1については過失であるなど(あ、そこだけは認めてくれるんだ)、被告人のために酌み得る一切の事情を考慮しても、被告人を寛刑とすることは法治国家における法秩序維持等の観点から(おいおいおいおい。おまえの「8倍判決」は「法治国家における法秩序維持の観点から」どうなのよ? そもそも「法治国家」のイミ分かってる? 『スレッド』を読め『スレッド』を)妥当ではない。そうすると、検察官の罰金1万5000円の求刑は本件の個別情状に照らして著しく軽きに失するといわざるを得ないところであって、被告人に対しては主文の罰金刑が相当であると判断した。
最大のヤマ場はこの最後の部分、「検察官の罰金1万5000円の求刑は本件の個別情状に照らして著しく軽きに失する」だろう。
渡部が単に私の法廷侮辱パフォーマンスに逆上して、プライドを傷つけられた腹いせに公私混同してムチャな判決を書いているにすぎないのに、判決が求刑の8倍になっちゃうのは軽すぎる求刑をした検察官の責任であるなどと、自己の非も顧みず責任転嫁の態度に終始しており、反省の情は微塵も見られない。
よってファシスト法廷は職業不祥・渡部市郎に対し、シチューかき回しのうえ味つけを申し渡すものである。
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