外山恒一(とやま・こういち)
1970年生まれ。九州を活動拠点とする革命家。福岡刑務所卒。
88年4月、2年間に3つの高校を転々としたあげく、中退。同年5月、「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」を結成。89年1月、『ぼくの高校退学宣言』で単行本デビュー。同年8月、福岡市天神の街頭で初めてギター弾き語り、福岡のいわゆる「ストリート・ミュージシャン」第1号に。90年7月DPクラブの活動を急激に先鋭化させ、全国各地で旧式の「反管理教育」集会を「粉砕」、「運動の破壊者」として既成左翼から憎悪され、恐れられる。91年から数年間は、「街頭ライブ」の革命的ムーブメント化に努力、失敗。92年、『週刊SPA!』の「中森文化新聞」に<反教育の革命児>として連続登場、一躍注目を浴びる。かに思われたが、結局たいした変化はなし。同年8月 ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争。93年10月 「反共左翼革命結社・日本破壊党」結成。翌年にかけて寺山修司展粉砕闘争、公安調査局事件など引き起こす。95年2月 東京で「だめ連」と出会い、これを福岡へ「輸入」することを決意。曲折を経て97年5月より「福岡版だめ連」の数次の高揚を牽引。99年5月、私的な恋愛問題に周囲のフェミニストたちが政治的介入をおこなったことへのやむを得ざる反撃戦として「ストーカー闘争」を開始、刑事事件化するが、裁判闘争を徹底的にエンタテインメント化する戦術が功を奏して、事実上「法廷侮辱」の罪で2年間の獄中生活を勝ち取り、「まったく新しい政治犯」となる。04年5月、福岡刑務所を満期出所。自称「思想界の北島マヤ」(天才で不遇)。