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2006年02月17日

美術作品2つ

 某月某日。
 あの外山恒一が、何人かの「前衛芸術家」と「コラボレーション」で美術イベントをやっているという。
 先日届いた案内のハガキは、やはり外山らしいというか、なかなか面妖な代物ではあった。
 極太明朝体で大きく、「前衛芸術展」とある。その下に並んだ4人の名前は、今回作品を出展している美術家なのだろう。どのような作品なのかの説明はない。
 続けて開催期間と会場までの簡単な地図があり、一番下に、「主催者より」として外山のメッセージが一言ある。
 「時間の無駄なので、来ないでください」
 読んで「ははあ」とピンと来た。これは「退廃美術展覧会」だろう。
 ヒトラーが政治家に転身する以前、画家を志していたことはよく知られた話だが、その保守的で古めかしい画風は、さまざまな前衛芸術、実験芸術がセンセーショナルに取り沙汰されていた時節柄、まったく認められることがなかった。その恨みを晴らすことが目的であったのかどうか、政権を獲得したヒトラーは、「退廃美術展覧会」と銘打った大々的な美術展を開催、それら当時の前衛芸術作品をさらしものにして嘲笑したのである。前衛芸術を単に禁圧した同時代ソ連のスターリニズムに比して、さすがヒトラー、同じ弾圧するにしてもその手法に芸がある。
 外山が最近、ファシストを自称していることは伝え聞いている。きっと今回のこの企画も、ヒトラーの故事にヒントを得たものだろう。
 わざわざ足を運ぶまでもなく意図は見え見えなので、行く必要もないかと思ったのだが、よく考えると行かなかったら行かなかったで、それはそれで外山の目論見どおりということにもなる。最初から外山は「来るな」と云っているのだから。
 外山め、なかなか姑息な手を使う。行ったら行ったでこれまた外山の術中にはまるのだと分かっていても、これでは行かざるを得ないではないか。
 私はおそらくかなり不機嫌な表情で、会場へ向かった。主に地元の美大生やアマチュア芸術家が小規模な個展やグループ展のために使用する小さなギャラリーで、私も訪れるのは今回が初めてではない。
 着くと案の定、入り口の扉は閉まっていた。窓がないから、中の様子も外からはまったく分からない。
 扉には貼り紙がしてあって、「『前衛芸術展』開催中。見る価値なし」と書いてある。
 ここで帰ったら負けだ。帰らなくてもどうせ負けなのだが、私としては不機嫌な表情をさらにいっそう不機嫌にして、とにかく扉を開けて中に入るしかない。
 と、鍵がかかっている。
 まさかそこまでやるとは。
 しばらく扉をガタガタやっていると、まもなくカチリと鍵の外れる音がして、扉が外側へ細く開いた。扉を開けたのは、全身を黒い服で包んだ年齢不詳のスキンヘッド。外山恒一だ。
 「何の用です?」
 白々しく外山が訊いてきた。
 「前衛芸術展とやらを見に来たに決まってるでしょう。わざわざ来たんだから、入れてくださいよ」
 押し入ろうとすると、まあまあと制止された。
 「案内状は届いてますか?」
 「届きましたよ」
 「じゃあ、時間の無駄だから来ないようにって注意書きも読んだでしょう」
 「読みましたよ」
 「だったら来なきゃいいのに。こんなくだらないものを見物するぐらいなら、あなたにも他にやるべきことがいくらでもあるんじゃないですか?」
 「ただの気まぐれです。いいから中に入れてください」
 「どうしても入れろと云うなら入れないこともないですが、ほんとに時間の無駄ですよ。悪いことは云わないから、帰った方があなたのためです」
 「余計なお世話です」
 「あなたのためによかれと思って云っているんですよ。いまどき『前衛』なんて云って気取ってる芸術家にろくなのはいないんですから。ヘタに影響でもされたらあなたの人生は台なしです。取り返しがつかない」
 「しつこいなあ。とにかく私は中に入りたいんです」
 「そうですか。ほんとに困った人だ。どうせ無料ですし、後で『カネ返せ』なんて云われる心配もありませんから、そんなに時間を無駄にしたいんであれば、勝手にしてください。まあこれでカネなんかとったら詐欺ですけどね、犯罪ですよもう」
 ブツブツ云いながらもようやく外山は私を会場に入れてくれた。
 展示されていた4人の「前衛芸術家」の作品は、どれもそれなりの出来で、普通に鑑賞できるのであればまあ来てよかったかなと納得できる水準には達していたが、やはり「普通に」は鑑賞させてもらえないのである。
 会場内には私の他にも数組、先客がいて作品を鑑賞しようとしていたが、外山が、私を含めそれら客の間を忙しく動き回って、
 「どうです、云ったとおりでしょう。まったくくだらない。こんなものを作って一体世の中の何の役に立つというんでしょうね」
 「これなんかちょっと面白いかもしれませんが、それだけです。面白いからなんだと云うんでしょう。そういう面白主義みたいなものは、深刻でマジメな芸術が世の中の主流だった時代に、それに対するアンチテーゼとしてかろうじて意味を持ったにすぎません。今のこの状況でこれをやるのは単に堕落です。いくらふざけても誰からも怒られたりしない時代に、ふざけたって何にもならんでしょう。何の緊張感もない。それにこの程度の面白さなら、ハリウッドの超大作でも観た方がよっぽど満足できますよ」
 「さあもうここにいても無駄だってことは充分分かったでしょう。とっとと帰ったらどうです」
 「まだ見てるんですか。だいたいあなた方もあなた方だ。あなた方みたいなのがいるから芸術家が甘えるんです。どうせこういうのをわざわざ見にくるおれってちょっと個性的?とか思ってるんでしょ。全然個性的じゃないです。私に云わせればあなた方なんかただの俗物ですよ」
 とまあ、次から次へと作品に、果ては私たち鑑賞者にまで悪態をつき続けるのだ。これでは落ち着いて作品など見ていられない。
 たまりかねた客の一人が、よせばいいのについに外山に食ってかかった。外山の思う壷だ。果てしない論争が始まる。最初のうちは、しめしめこれで私の方は外山に邪魔されず、ゆっくり見たいものを見ることができると安心したが、なにしろ会場はそんなに広くはない。論争の中身は私にも丸聞こえだ。外山は時々面白いことを云う。はっきり云って、主張の内容的には外山の方に分がある。ついつい論争に聞き入ってしまって、結局は落ち着いて鑑賞などできやしない。
 さすがにうんざりして、帰ることにした。
 外に出ようと、入ってきたのと同じ扉を開けると、外山が気づいて論争を中断し、私の方へ駆け寄ってきた。
 「やっと分かってくれましたか。いいことです。とっとと帰ってください」
 私は受け答えをするのも面倒で、黙って外に出た。
 「人生には限りがあります。あなたにはきっと他にやるべきことがあるはずです。もう二度とこんなところに来てはいけませんよ。じゃあ」
 そう云うと外山はニヤリと笑って扉を閉めた。カチリと鍵のかかる音がした。
 私はたまらなく不愉快な気持ちで家路についた。

 某月某日。
 あの外山恒一が個展をやっているという。
 今度は誰との「コラボレーション」でもない。会場には、外山の作品だけが展示されているはずだ。先日あれほど他人の「前衛芸術」をケチョンケチョンに誹謗中傷していた人間が、いったいどんな「作品」を公開しているものやら。
 外山のことだから、何のことはないただの「オブジェ」があるだけ、なんてことはないだろうが、たいしたものでなければそれこそケチョンケチョンに酷評してやろうと、私は少し意地悪な気持ちで会場へと足を運んだ。
 入り口には、「外山恒一個展『私は無実だ』」と大書した横断幕がかけられていた。
 私はイヤな予感がした。
 まさかかつて外山が展開し、そのため裁判官の心証を悪くして「ほぼ無実の罪」で投獄されるに至ったという、あの法廷パフォーマンスの「回顧展」のようなものではないだろうな。そうだとしたら、拍子抜けだ。かの裁判に対する外山の見解そのものの当否はともかくとしても、いやしくも「前衛芸術」の個展としてはこれほどつまらないものもない。
 何はともあれ、中に入った。
 イヤな予感は外れていた。もしかすると、「私は無実だ」の横断幕は、外山の過去の活動をある程度知っている私のような人間をわざとミスリードする、計算づくの軽いブラフだったのかもしれない。
 何の装飾もない無人の室内には、ポツンと一台のコピー機が置かれていた。その上方、壁面にプレートがかかっている。「これは犯罪ではない」。どうやら今回の「作品」のタイトルであるらしい。
 コピー機はすでに電源が入れてある状態で、書店などにあるポップのような形状のものが操作パネルの上に立っていて、手が描いてある。その人差し指がスタート・ボタンを差している。「押せ」ということか。
 ボタンに手が伸びかけたが、ちょっと待て、まず何をコピーさせようとしているのか確かめようと、原稿カバーを開けてみてギョッとした。
 一万円札が、10数枚。
 私は焦ってキョロキョロと周囲を見回した。誰もいない。と思ったのは甘かった。天井に、監視カメラがある。
 さらによく見ればコピー機はちょっと古い型で、現在のそれのようにどうやら紙幣コピー防止の機能のないもののようであった。
 何が「これは犯罪ではない」だ! 立派に犯罪ではないか!
 いや、外山の「作品」自体は犯罪ではないのか。外山はコピー機の上に紙幣を置いただけだ。人差し指の絵も、「押せ」と云わんばかりだが、実際に「押せ」とはどこにも書いていない。たしかに外山は「犯罪」になる一歩手前で踏みとどまっている。なるほど「私は無実だ」「これは犯罪ではない」か。
 しかし私がこれを押してしまえば、私の方は立派な犯罪者ではないか!
 まったくとんでもないことを考える奴だ。
 私はほうほうのていで逃げるように会場をあとにした。
 帰途、そういえば今回の外山の「作品」では、マグリットの「これはパイプではない」、赤瀬川原平の「千円札」、さらには観客を当事者と化す前衛演劇の手法など、先行するいくつかの試みの引用・コラージュがおこなわれてもいたのだなと気がついた。
 悔しいが、なかなかやってくれる。

 とまあ以上2つの「現代美術作品」を思いついたのだが、それこそ「他にやるべきこと」はいくらでもあるし、実行に移すのはひたすら面倒であり、かといって「現代美術」の現状に鑑みれば圧倒的に水準の高いこれらのアイデアをただお蔵入りさせてしまうのもシャクである、ということで、こんな形で発表だけしておく。

2006年05月16日

矢部史郎+山の手緑『愛と暴力の現代思想』

 とりあえず買って読んではいるが、その内容についてコメントする気はもちろんない。
 かつて最も近しい「同志」であった二人なのだから、共有している問題意識が多くあるのは当然であろう。しかし現在、私が連中の文章を読むのは、そこから何かを学ぶためではなく、単に「敵の動向をチェックする」ため以上ではない。私は過去においても現在においても、「敵の研究は怠らない」という姿勢において一貫している(それで「ミイラ取りがミイラになって」右に転じたのかも知れないけどね。がはは)。
 まあこの二人は日本で「反グローバリズム」を口先だけでなく実践している今のところ数少ないキャラクターではあるから一部で評価もされているらしいが、連中がおこなった「犯罪」については、すでに『en-taxi』誌上でスガ秀実氏も(そのごく一例についてだけだが)触れている。
 私もかつて(前世、つまり逮捕前)のサイトで連中の「犯罪」を暴露する文章を掲載していたのだが、すでにそのサイトは消滅しており、ちょうどいい機会なので再掲する。
 後進の諸君は、とにかくこういう悪質な手合い(要するに「スターリニスト」)に引っかかることのないよう。

 なお以下に再掲する文章は、2000年3月、当時の矢部・山の手グループの事務所へ出向き、私が山の手緑を「襲撃」した事件についての報告として書かれたものである。
 当時の私は、連中との「数年後の再会」を願っており、この文章もそのように結ばれているが、もちろん現在の私にはそのような感情は微塵もない。矢部史郎と山の手緑は、わがファシズム運動の過程で打倒されるべき敵のリストにすでに載っている。

          ※          ※          ※

  なぜ山の手緑をテロったのか

 話せば長くなる。だが話さざるを得ない
 銭湯利用者協議会の渡辺洋一(活動家名・「矢部史郎」)と山の手緑は、長年の「同志」であり、98年には共著で本(『ヒット曲を聴いてみた』)まで出した仲である。
 ぼくは、2000年3月18日、銭湯利用者協議会の山の手緑をテロった。といっても、拳で頭や顔を3、4発殴っただけだが。
 なぜそんなことをしたのか、きちんと弁明しておこうと思う。
 とくに洋一とは89年の第一回全国高校生会議以来、10年来の「同志」だ。
 山の手緑とは、93年の退屈お手上げ会議で出会い、当初はその(実際に会った者には説明するまでもないことだが)エキセントリックでファナティックな、ちょっとでも気に入らないことがあればすぐにヒステリーを起こす独特のキャラクターに猛烈に反感を抱いたが、彼女が洋一とコンビを組んだ関係上、頻繁に顔を合わせざるを得ず、そのうち「なかなかいい奴じゃないか」と思うようになっていた。特に96年から98年にかけての時期は、二人はぼくの全国レベルでの最良の「同志」となっていた。
 その彼らと敵対関係に陥ったのが、99年3月のことである。
 事情が非常にこみいっているので、分かりやすく順を追って話そう。
 95年、震災とオウムの年だが、この年にぼくは東京で「だめ連」と出会い、その作風に計り知れない衝撃を受け、「これを福岡でやろう」と決意した。が、「だめ連」のペペ・神長とぼくの生来のキャラの違いからだろう、なかなか思いどおりにコトが進まず、ぼくはついにギブアップして、心機一転、それまでの「地元での活動にこだわり続ける」という方針をいったん撤回して、96年夏、東京に移転した。
 結局この東京生活は、家賃の高さとそれに比しての間取りの狭さからほとんどノイローゼ寸前になってわずか半年ほどで頓挫するのだが、この間に、「銭湯料金値上げ反対と行政による銭湯業者の保護」を掲げる洋一・山の手の運動事務所に頻繁に出入りし、日々議論を交わす中で急速に親密な関係になった。
 それまで、おそらく意図的にではあろうが、度量の狭い作風(些細なことですぐ仲間を「反革命」として切り捨てるような)で運動展開していた二人が、「丸くなった」と周囲に云われるようになったのは、実は他ならぬぼくの成果だと内心思っている。彼らも参加者として関与した座談会「ヒット曲研究会」の活動が、流行歌を聴くような連中を「ブルジョア的」と排除し、カラオケすら「党として禁止」していた彼らの作風をソフトに変えたという側面は、強調しておいてよいと思う。
 前述のとおり、半年の東京生活から撤退し、97年2月、また福岡に出戻りしたぼくは、「福岡版だめ連」形成の運動をゼロから再スタートすることになった。
 創刊されたばかりの『じゃまーる九州版』などを活用し、同年夏には30人ほどのネットワークが福岡で形成され、6畳2間のぼくの新しい「拠点」はあれよあれよという間に賑やかになっていった。
 97年夏から翌98年初頭にかけての約半年が、福岡の運動の第一の高揚の波だったのだが、洋一・山の手の二人が初めて来福したのはそのピークの時期にあたる97年8月だった。わずか2泊3日の福岡訪問だったが、その盛り上がり具合に二人は狂喜して帰っていった。
 だがこの「福岡版だめ連」の第一の波は、運動とは名ばかりの運動、ただ連日、飲み会を繰り返すだけの、運動としての体を成していないただの交流圏にすぎなかった。そのことに、ぼくは次第に苛立ちはじめた。
 「運動」の成立を不可能にしている、サブカル・スノッブ(ぼくのコトバで云えば“渋谷系”)の中心にいたのが、ヘンリーという東京の「だめ連」周辺とも交友のある女だった。
 些細なことで、突然ヘンリーはぼくのことを嫌悪しはじめ、ぼくは渡りに舟とばかりにヘンリーを中心としたサブカル・スノッブ一派を交流圏から排除した。98年2月のことである。このため交流圏は一挙に縮小した。
 ぼくは、残った中の数名で「自由民権運動・ラジカル九州」という新グループを結成し、政治色の強い交流圏の再確立を目論んだ。
 これが軌道に乗るのが98年の秋以降なのだが、2回目に洋一・山の手が「銭湯協」の仲間数名を伴って福岡に来たのはその直前の8月のことだった。彼らは、前回来福した時と比べての、交流圏のあまりの沈滞ぶりに、「福岡の運動はうまくいっていない」との印象を持ったようだ。
 詳細は別の機会に改めて書くことにするが、ここにぼくの私的な恋愛問題も微妙に絡んでくる。
 当時ぼくの「恋人」であり、「自由民権運動・ラジカル九州」の中心メンバーでもあったHが、ちょくちょく電話などで山の手緑に「相談」を持ちかけていたのだ。ぼくは自由恋愛主義者で、「1対1恋愛」を否定していたのが、Hに不安や警戒、嫉妬の感情を抱かせていた。それをHは、「外山さんは運動を、新しい女を漁る場としか考えていない」などと自分に都合のいいように歪曲して、山の手に御注進していたのである。どうも山の手は、それを真に受けていたフシがある。ヘンリー一派を排除した事情も、洋一・山の手には理解されず、悪印象を与えたようだ。福岡の運動が「うまくいっていない」のは、ぼくのそれらの「方針」のせいであると彼らは判断したらしい。自分たちがごく最近まで、寄ってくる新参者たちを次々とブルジョア的だの何だのと理由をつけて排除しまくっていたことは、コロリと忘れてしまっているらしい。
 実際には当時、福岡の運動は「うまくいっていない」のではなく、その直後、98年秋に始まる「福岡版だめ連」高揚の第二の波へ至る「再編期」にすぎなかったのである。
 夏に、「オフィスVAD」という、若いノンセクト左翼グループと知り合った。東京の「だめ連」のペペと同期の早大出身者が、転勤で福岡にやってきたのを機に結成したグループだったが、「外山系」でない若い左翼グループの登場は、ぼくが福岡で活動を開始して以来初めてと云って過言ではない、画期的な出来事だった。
 秋には、これまた別ルートで、やはりぼくらに年齢的に近い男性が、「メンズリブ福岡」を旗揚げした。行政とのタイアップも含めた精力的な活動展開で、同グループはあっという間に数十人規模の大所帯となった。
 99年に入ると、「ウェイブラット」という、引きこもりの少年少女たちの自助グループと関係ができた。
 また、寺山・赤瀬川的な活動を展開する現代美術のネットワークともつながりができた。
 自分たちの「自由民権運動・ラジカル九州」を含め、これらの運動体をヨコにつないだのが、第二期「福岡版だめ連」で、99年3月ごろには総勢百名近い巨大な交流圏が形成されていた。こうした成果は、ぼくが前年2月時点でヘンリー一派を切り、政治色を強め、おぼろげながらもある種の「目的意識」をもって活動を展開したことによる、つまり、ぼくの「ヘンリー一派排除」の判断は正しかったのだと今でも考えている。
 ところがここでまたしてもぼくの私的な恋愛問題である。
 99年元旦、Hの妊娠という事態が勃発した。結局2月に中絶し、ぼくに息子(娘かもしれんが)が誕生することはなかったのだが、この過程で、ぼくとHの恋愛関係は次第にギクシャクしはじめた。運動は盛り上がる一方なのに、私的空間は滅茶滅茶、という状況は奇妙な気分だった。
 3月、ぼくはあることでキレて、Hを殴打した。ふだん暴力をふるわない人間がガラにもなく暴力をふるうと、加減というものが分からないから、やり過ぎて鼓膜を破ってしまった。
 もともと、山の手に「運動相談」にかこつけた「恋愛相談」をしていたHである。当然、このことは洋一・山の手の耳にもすぐに入り、99年3月中旬、彼らは「福岡を外山カルトから解放するため」(これは同志・鹿島拾市が、彼らが福岡入りする直前に彼ら自身の口から聞いたフレーズである。洋一・山の手コンビの方がよっぽどカルト人気に支えられているクセして、まったくいい気なものである)と称してやってきた。
 彼らがやったのは、「外山恒一欠席裁判」である。
 要するに、この時期形成されていた「福岡版だめ連」の主要メンバーを一同に集めての、ぼくの悪口大会である。
 もともとワンマン体質を自覚しているぼくのことだから、そんなことをすれば当然、ぼくのやり方への不平不満が噴出する。ぼくはあっという間に、自分が築きあげたネットワークから、自分が排除されてしまう恰好になった。ぼくはこのことでHを責めたから、ぼくとHの関係も、さらに悪化して、Hはノイローゼになって精神科へ通うようになった。洋一・山の手は「H側」に立ったつもりだったのだろうが、彼らのやったことはHをも苦しめたのである。その証拠に、これ以後、Hは山の手への「相談」をやめている。
 来福の際、ぼくも一度だけ彼らに会った。欠席裁判の翌日、ファミレスで、3人で話し合ったのである。
 彼らはぼくに「折伏」を迫った。福岡が「うまくいってない」のはおまえのせいだ、「引退」しろ、と云うのである。そんな要求が呑めるわけがない。第一、彼らが乱入するまで、少なくとも運動面では、福岡は「うまくいっていた」のである。会談は物別れに終わった。これが、今回のテロを除いて、ぼくが彼らと直接会った最後である。
 二人が東京へ戻ってからの福岡の運動状況は混乱をきわめた。大人数でやるはずだった4月統一地方選に際しての「投票率ダウン・キャンペーン」は、結局ぼく一人でやることになった。「自由民権運動・ラジカル九州」の中心メンバーの一人、伊藤謙児が2月に正式結成した「だめ連・福岡」も、実質ぼくを排除する形で展開し、単なるサロンと化してまもなく崩壊した。百人の交流圏を最大動員して迎え撃つはずだった9月のテント芝居「風狂フーガ」(広島)と「魚人帝国」(京都)の福岡公演制作もガタガタになって、興業的に失敗した。Hとも結局夏に悲惨な形で別れた。
 彼らが帰った後の福岡の惨状に激怒して、ぼくは直後の3月23日、「おまえらのせいだからな」「おまえらは加害者だ 本質的に 無自覚な」という文面の2つのFAXを送りつけた。ちょっと解説が必要だろう。「おまえらは加害者だ」というのは、ぼくがHを殴った件を彼らが重要視して、最近なにかと問題になっている「ドメスティック・バイオレンス」(夫婦間・恋人間の男から女への暴力。直訳すると「親密な暴力」)の加害者としてぼくを糾弾する、という場面が会談の際、あったことを念頭においている。もちろん、ぼくはHを殴ったことそれ自体を反省していない。怒った時には、相手が男であろうが女であろうが、また恋人であろうが赤の他人であろうが、殴っていいのだと当時も今も思っている。
 また、この一種狂乱的な文面は、本来ぼくとHの問題である私的な恋愛事件に、彼らが「当事者」面をして介入してきたことへの意図的な対応である。彼らを逆上させて、本当に「当事者」にしてやろうというぼくの策略だ。
 連中は見事にこの策略にハマった。
 直後に書かれたのであろう、『情況』99年5月号の「矢部史郎+山の手緑」名義の論文「負債とファシズム」末尾の筆者近況報告欄に、山の手緑は錯乱して書いてしまった。
 「先日、知り合いの活動家がサイコパスだったことが判明。運動を組織しながら、女を殴っていた。女を殴るぐらいなら運動なんかやるな。関係者に根回しして排除したら、恨みのファックスを送り付けてきた。気持ち悪い。」
 ぼくはこれを読んで狂喜した。少なくとも山の手はこれで破綻した。
 ある人は、「サイコパス」なんて「サベツ用語」を平気で使う山の手への嫌悪感を表明した(ぼくはこの批判には同じないが)。
 別のある人は、「昨日までの同志に対してこんな書き方はないだろう」と不快感を露わにした。別に構わないが、たしかにヒドいとぼくも思う。
 もっとも本質的な批判が、また別のある人から出た。3点ある。まず「女を殴るぐらいなら運動なんかやるな」の部分。女を殴った奴にも、人を殺した奴にも、「運動」をやる権利がある。山の手は、清廉潔白な人間にしか「運動」をする「資格」がないというのか。そういう山の手自身はそんなに清廉潔白なのか。次に「関係者に根回しして排除した」の部分。古典左翼的なスターリニスト根性丸出しだ。そして全体的なトーン。「あいつはキチガイですよ」なんて口ぶりで他人を貶める心性の下劣さときたら……。
 ぼくが最も腹を立てたのは、連中が、「外山恒一がHを殴った」ではなく、「男が女を殴った」と書いたことだ。ぼくとHは、ぼくとHという個別具体的な人格としてではなく、男・女という抽象的な記号として処理された。
 付け加えれば、どうでもいいことだがまあ百人ほど面識のない他者をランダムに選び、それぞれ個別に外山・山の手と会談させて、「さあどっちがよりサイコパスですか?」と問うたらぼくに勝ち目はないことくらい、山の手を直接知る人間なら誰にでも分かることだ。
 また、連中はやはり同時期に出た『現代思想』99年5月号の同じく「矢部史郎+山の手緑」名義論文「市民? 誰が!」において自らの所業の正当化を試みている。曰く、
     ※     ※     ※
 家庭内で行使される暴力と暴力による支配は、通常、家庭内の問題であるとして放置される。身近にいる人間は、初めは暴力を問題化し介入を図ろうとするが、そのうち、暴力を行使する男性と暴力に服従する女性のカルト的関係を尊重し、追認するようになる。「あれは二人の問題である(私には介入できない問題だ)」というふうに。(中略)暴力が「親密な暴力」として追認され、その間違った認識が第三者にも共有されたとき、被害者はますます孤立し、無力な状態に追いやられてしまう。
 家庭内暴力から被害者を防衛するには、まず「親密な暴力」なる神話を禁止する断固とした態度が必要となる。(中略)暴力を行使する者は、問題は私的な家庭内の問題であると主張する。もちろん家庭内であろうとなかろうと、私刑は法的に認められるものではないのだが、彼は家庭内という理由を盾に、リンチの正当化を図る。
 (中略)「親密な暴力」に介入しようとする者は、家庭という神話を禁じ、積極的に男性を抑圧し、そのため少々マッドな外観を強いられる。そのマッドな外観に耐えられる者だけが、「親密な暴力」という神話を引きはがし、暴力を禁止できるのだ。
     ※     ※     ※
 だってさ。
 もうこれは笑う他ない。何が「少々マッドな外観を強いられる」だ。「少々」じゃなく完全に「マッド」だよ、この「サイコパス」が! 
 それ以外の諸点については、これを読む諸兄の判断に任せよう。ぼくとしては、やっぱり「恋愛」という局面においては、他の人間関係とは質の異なる特有の「空気」を帯びるものだと思うし、社会のルール(「法的」? ははは)で一刀両断してよいものではないと考える。恋愛に絡む諸事態は、基本的に「二人の問題」だというのがぼくの立場だ。それに、女が(つまりHが)「孤立し、無力」だという決めつけにも腹が立つ。Hもずいぶんナメられたものだと同情する。ぼくはこういう人間観に我慢がならない。それに普段ほとんど暴力をふるわない人間(ぼく)が、たかだか一度「恋人(H)」を殴っただけで、やれ「家庭内暴力」だ「私刑」だというセンスは、やっぱり「マッド」で「サイコパス」な方のものでしょう。
 ぼくと洋一・山の手コンビが同志関係から敵対関係に変移した事情は、以上に述べたとおりである。
 しかし考えてみれば、山の手がぼくを攻撃した深層心理には、近親憎悪があったと思う。たしかにここ数年、(前に書いたようにぼくのおかげなのだが)山の手は「丸く」なり、寄ってくる新参者たちもそのまま定着して、彼らの運動は盛り上がりを見せている。山の手はたぶん、ヘンリー一派を排除したぼくのやり方に、過去の自分を見たのだ。「私が苦労してやっと克服した体質を、まだ外山は引きずっている、キーッ!!」というわけだ。ぼくのH殴打事件と、山の手のぼくへの言論暴力事件と、どっちが「ドメスティック・バイオレンス」かとよくよく我が身に問うてほしい。
 ちなみにHは、ぼくと別れた後、彼を知る周囲の誰もが、ぼく以上に「潜在的バタラー」(「バタラー」とは、「ドメスティック・バイオレンス」の加害者男性のこと)と認めるFと恋愛関係を構築し、ぼくのもとを去った。もしも洋一・山の手の介入がなければ、ぼくとHの恋愛関係は8割くらいの確率で修復されたろうことを考えると、もしも将来、Hがまた「ドメスティック・バイオレンス」の被害者になった時には、その責任の一端は彼らにあると云ってもあながち間違いにはならないだろう。
 福岡の運動状況もまだ連中の介入に端を発する混乱の尾を引いたまま流動化しており、ぼく自身、99年夏から極度の鬱状態になって精神科へ通院するようになって現在に至っている。「福岡版だめ連」第三期は当分、来そうにない。
 この1年、洋一・山の手への怒りや恨みで夜も眠れない毎日を過ごしてきた。これは誇張ではなく、それで精神科で抗鬱剤だけでなく睡眠薬も処方してもらっているくらいだ。
 これだけ書けば、ぼくが山の手をテロった気持ちも御理解いただけようと思う。これでも理解してもらえないのなら、理解してくれなくてもいいと思う。
 当初は、洋一をテロるつもりでいた。
 山の手は「マッド」で「サイコパス」、つまりテンネンだから、山の手に怒りをぶつけても仕方がないと考えていたのだ。それよりも、本来、放っておけば錯乱して何をしでかすか分からない山の手の首にヒモをつけておくのが役目のはずの洋一が、今回、むしろ山の手の錯乱を後押しするような暴挙に出たことに腹を立てたのだ。しかもぼくと洋一とは、10年来の「同志」だったというのに……。
 標的を山の手に変更したのは何も洋一に喧嘩で勝つ自信がなかったからではない。喧嘩が強いことを自慢してもしょうがないが、ぼくは少なくとも、そんなに強くはないが弱くもない。喧嘩というのはたいてい、双方によほどの力量差がないかぎり、怒っている方が勝つ。だから洋一をテロることは簡単だった。
 山の手をテロったのは、まず第一に今回の福岡の運動破壊の領導者は間違いなく山の手だったこと。第二に、山の手が「マッド」で「サイコパス」なキャラを押し通せるのは女だから、つまり女は少々無茶をやっても殴られたりはしないという世間の「良識」に、山の手は甘えているのだというぼくの私見。第三、最大の理由は、ぼくが「女を殴った」こと自体を一寸たりとも「反省」していないのだという意思表示である。
 「軍報」(註.この文章と同時公開した山の手緑襲撃の現場レポート)での表現は大袈裟である。
 あれは“中核vs革マル”のパロディで、エンタテインメントとして読めるようにとの配慮で書かれたものだ。
 実際のところは、素手で顔や頭を3、4発殴った、という程度の「テロ」だ。「ツバを吐きかけ」というのもウソである。もっとも、計画としては、ツバを吐きかけるつもりでいたのだが、M(註.洋一つまり矢部史郎の妻。ただし当時は結婚前。我がファシスト党の“起源の闘争”である「マイ・マジェスティ事件」の下手人の一人でもあり当然「リスト」には掲載済)がいたのは想定外で、慌てて吐き忘れたのである。
 想定外ではあったが、Mがいて本当によかったと思う。そうでなければ、ぼくは怒りにまかせて思う存分に山の手を殴り続け、間違いなく重傷を負わせていただろうと思うからである。それでは何年たっても「冗談」にならない。
 いずれにせよ、現場に放置してきたミニコミの表紙に書きつけたように、ぼくは洋一と山の手を「まだ同志」だと思っている。
 今は当然無理だし可能でもお断りだが、「数年後に再会」を願っているというのはぼくの偽らざる本心である。

          ※          ※          ※

 繰り返すがこれは「転向」前の文章である。
 現在の私は、「女性を殴ってはいけない」と考えている。それはもちろん、フェミニズム的な立場からではなく(男女平等を云うなら殴る殴られるに男も女もない)、「女はか弱い存在であり、保護されるべきだ」という女性差別的な立場からのものである。

2006年08月11日

悪意訳 イマジン

 消去法で書籍広告が一番充実した『朝日新聞』を購読しているのだが、今朝は自社新刊として『自由訳 イマジン』なんてシロモノが広告されていた。
 ふだん「敵の研究を怠ることなかれ」と自らに云い聞かせている私だが、さすがにこれはわざわざ読むまでもなくろくなもんじゃないと分かる。
 恥ずかしながら私もジョン・レノンは結構好きなのだが、反戦デモとかで今だに「イマジン」だの「平和を我等に」だの流したがる左翼のロウ・センスを目の当たりにすると、ついつい茶化してみたくもなるというものだ。
 実は以下のネタもやっぱり例によって例の時期に着想したもので、具体的な文言をあれこれ検討しながら独房でニヤニヤしていたのだが、いい機会だから完成させて発表しよう。
 なんか悪ノリしてるうちにどんどん原詞から離れてしまったような気もするが、でも実際、大枠こんな歌だよなあ。


  想像力が権力を奪う(悪意訳「イマジン」)

 「英霊」なんかいるわけないだろう
 科学的な認識ってやつを身につけろよ
 天国も地獄もない
 空とか地面があるだけだ
 人々よ単に今を生きろ
 動物化するポストモダン

 労働者に祖国はない
 失うものは鉄鎖のみ
 命を賭けるに値するものなどない
 宗教はアヘンだ
 人々よ日々何事もなく
 終わりなき日常を生きろ

 そんな思考停止したサヨみたいなのは
 おまえ一人だけだと君は言うかもしれないが
 実はそうでもないんだぜ
 君も早く目を覚ましてこっちの世界に来いよ


 私有財産の廃止!
 同意しないなら君は人民の敵だ
 生産力の増大がすべてを解決する
 世界は一家 人類はみな兄弟
 人民よ今こそ起て
 獲得するのは全世界だ

 そんな思考停止したサヨみたいなのは
 おまえ一人だけだと君は言うかもしれないが
 実はそうでもないんだぜ
 君も早く目を覚ましてこっちの世界に来いよ

2007年02月16日

神のサイン

 文房具屋なんかに、いろんな姓の印鑑を詰め込んだ、回転式のなんと云うのか、あるじゃないか。
 あれをボーッと見つつ、もやもやと考えていた。
 もちろん「外山」の印鑑は持っているわけだが、まったくカンケーない、別の姓の印鑑を意味もなく持っているとオカしいかなあ、と。ペンネームとか偽名とかいうんではなしに。
 最初はまあ、「大杉」とか「吉本」とか「三島」とか、「意味」から入ってみたんだが、それだけではどうもあんまり面白くない。
 次はもちろん、インパクトだ。「黒沼」とか「権藤」とか「勅使河原」とか。でもやっぱりアイデアとしては今ひとつ。
 いっそごくフツーの姓をただ意味なく、というのはどうか。なんでもいいけど、とりあえず「佐藤」とか「鈴木」とかは避けて、「梶井」とか「吉村」とかテキトーな、あるいはいっそ思い切って「船岡」とか!?
 これといった決定打が出ないなあ、と気持ち悪くなりかけながらぐるぐる回し続けて、ついにそれら数百本の印鑑の中の一つに目が釘付けになった。
 そういえばそんな苗字は確かにある。
 「神」。
 これを買うことに決めた。
 「外山恒一 」、うーん、すごくいい!
 以上どうでもいい話。

2007年03月20日

オリジナル曲・弾き語り映像

 私の過去の音楽作品の中から「代表曲」二つを、映像で見られるようにした。

 「青年は仕事をやめる~無職青年社・社歌~」

 「賛美歌第13番」
 (勝手に作った『ゴルゴ13』主題歌)


2007年05月09日

東京外山界隈・必読文献

 6月中に、私の活動や主張や存在に何らかの興味関心を抱いてくれた諸君が互いに交流を深めることのできる場を、都内(中野)に開設することとなった次第だが、ただ漫然と交流するだけでは不毛である。
 そこで、私は諸君に“東京外山界隈必読文献”を指定し、単なるダベりが単なるダベりに終わらないようサポートする。
 私は頑固な「教養主義者」なのである。

 一応“東京外山界隈”なのだから、『最低ですかーっ!』をはじめとする私の過去の著作はひととおり読んでおいてもらうのは当然として、それ以外のものを以下に挙げる。

 1.福田和也『魂の昭和史』(小学館文庫)
 2.村上龍『69』(集英社文庫)
 3.同『愛と幻想のファシズム』(講談社文庫・上下巻)
 4.赤瀬川原平『反芸術アンパン』(ちくま文庫)
 5.同『東京ミキサー計画』(同)
 6.立花隆『中核vs革マル』(講談社文庫・上下巻)
 7.同『日本共産党の研究』(同・全3巻)
 8.浅羽通明『アナーキズム』(ちくま新書)
 9.同『ナショナリズム』(同)
 10.同『右翼と左翼』(幻冬社新書)
 11.竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫)
 12.笠井潔『ユートピアの冒険』(毎日新聞社)
 13.スガ秀実『1968年』(ちくま新書)
 14.同『革命的な、あまりに革命的な』(作品社)

 もちろんこれらは我々団の団員・準団員は全員読むことが義務づけられる。
 いや団員・準団員ともなるともっと大量の読書を義務づけられる。
 “東京外山界隈”は必ずしも外山思想賛同者のシーンではなく、我々団とは無関係の者はもちろん、外山思想に異を唱える向きの参加も許されるわけだが、少なくともこれぐらいの前提は素養として共有してもらっておかないことには話も始まらない。
 12は現在入手困難で、図書館ででも探す他なかろうし、また11、13、14あたりは活字慣れしていない向きにはちょっと難しかろうが、とくに「玄人の乱」に出入りしようと思う者は頑張って全部読むように。

2007年05月20日

学園祭企画について

 私を学園祭に呼びたい、という学生諸君もあるかと思う。
 が、私は学園祭には行かない。
 ぐだぐだ書くつもりはないから一言でまとめると、「多数派のお祭りには付き合いたくない」ということだ。
 大学へなど絶対に行かない、ということではない。
 多数派のお祭りと無関係に、有志が集まって、私を呼ぼうという感心な話になら、ぜひ協力したい。
 というわけで、

 私を学園祭やその関連企画に呼ぶためのギャラ……100万円
 学園祭と無関係な自主企画に呼ぶためのギャラ……交通費+2万円

 とする。
 まあ、学園祭は事実上拒否ってことだな。
 「学園祭と無関係な」とは、学園祭開催日から前後1週間以上開いていることを目安とする。
 交通費は、熊本もしくは東京からの往復交通費で、飛行機は苦手なので基本は新幹線など列車。
 講演とか、誰かとの対談イベントはもちろん、例えば20人、30人と集めてくれるんなら、単に外山恒一を囲む飲み会、というのでもいい。
 志ある学生諸君からのオファーを待っている。

2007年05月23日

外山恒一、また逮捕!?

 警察がうるさい。
 原付の交通違反の、反則金の納付を私が渋っているからだ。
 もう1年以上前の違反なんだが、鹿児島県警からしょっちゅう電話がかかってくる。
 払う気がないのは分かった、では取調べに応じろというのだ。
 で、こっちとしては、取調べなんかやるだけムダだ、なぜなら私はこの件に関して完全黙秘するから、どうせ調書なんか作れない、私が違反したという証拠の類はたぶんあるんだろうから、立件するならそれら警察の手持ちの材料だけでさっさとやってくれ、正式裁判になれば、法廷には必ず出頭する、と応じている。
 じゃあ逮捕するぞ、と向こうは言う。
 論理がめちゃくちゃである。
 というわけで、近くまた逮捕されちゃうかもしんない。

 こっちの云いぶんについては、手の内を明かしたくないのでここでは書かない。
 が、原則として私は、たとえこっちが悪くても、反則金など払うつもりはない。
 私はかつて、「ほぼ無実の罪」で2年間も投獄された人間だ。
 つまり国に恨みがある。
 そんな私から、簡単にカネをむしり取れると思ったら大間違いだ。
 最高裁まで争ってやる。
 当然、国選弁護人も要求する。
 で、負けたら労役に行ってやる。労役というのは、一日5千円換算で、罰金を刑務所での労働奉仕で支払うということだ。5千円換算だが、実際には数百円も国に利潤をもたらさないような労働内容である。
 「ほぼ無実の罪」での2年間もの拘束に耐え抜いた私には、もはや覚悟の上での1、2ヶ月の投獄など屁とも思わない。しかも、軽微な交通違反の罰金など、数日の労役で終わってしまうのだ。
 つまり私から数千円をむしり取るために、国は莫大なカネを投入せざるを得ないばかりか、その数千円すら結局むしり取れないということだ。
 ざまあみろ。

 ま、問題の2年間の投獄について、警察庁長官と最高裁判所長が公式に謝罪するっつうんなら、私も一切を水に流し、たかだか数千円の反則金くらい、気持ちよく納めてやってもいいんだが。

2007年05月29日

いまどき政治犯は当たり前

 私の政見放送について、「日本には言論の自由があるんだなあ」などというマヌケな反応は無数にあるが、かねがね云ったり書いたりしているとおり、現在の日本には言論の自由などない。かろうじて選挙制度を利用した場合にのみ、例外的にある程度、言論の自由が謳歌できるにすぎない。
 そんなわけだから、ちょっとしたビラまきや集会などで逮捕される「政治犯」など、現在の日本では実はほんとはちっとも珍しくなんかないわけで、つい先日も、こんな事件が起きている。

 中核派活動家ら2人=法政大で職員に暴行
 (URLを入れようとしたのだが何かうまくいかん。「中核派活動家ら2人=法政大で職員に暴行」で検索すれば出てくる)

 時事通信の報道のようだが、まったくひどい内容だ。この記事を書いた記者とこれを通したデスクは腹を切って死ぬべきだし、そもそも会社が潰れるべきだ。もっとも現在の大手マスコミの報道はすべて例外なくこの程度なので、だからファシストたる私は、政権樹立後にはすべての報道機関は取り潰しにすると公言しているのだ(言論の自由など謳歌していないマスコミを取り潰したところで、それは言論弾圧ではないからね)。
 そもそも「新井拓容疑者(32)」が「中核派全学連活動家」であるのは事実そのようなんだが、「友部博文容疑者(24)」が「同派支持者」であるなんてまったく嘘、つまり完全な誤報なのだ。日本の存在価値ナシ報道機関がよくやる「警察発表の垂れ流し」というやつである。
 4月27日に法大界隈でおこなわれた集会とデモが、同大学を前世紀から活動拠点としている中核派の主導によるものだったのは事実だが、メンバーやその支持者だけでなく、同大学にどうやら数名規模で存在しているらしいいわゆる“ノンセクトラジカル”の活動家も参加していた(「友部博文容疑者」はその一人だ)し、先日私を秋葉原のメイド居酒屋とやらに連行した革命的非モテ同盟の人もいたし、私の都知事選の協力者でありネイキッドロフトのイベントでも司会をやってくれているかの中川文人氏もいたし、そもそもこの日は実は何を隠そうこの私も参加していたのだ。
 上記の「報道」が、いかに「いまどき学生運動なんかやっているのは中核派とかナントカ派とか、そういうアブない奴らであって、逮捕されて当然」という方向に、事実を捻じ曲げてでも読者を誘導しようとしているかというのは、これだけでも明らかだろう。
 もちろん、中核派だからといって今回のような微罪(というよりも単なるでっち上げ。もともと大学当局や公安当局にこの「新井拓容疑者」は目をつけられており、正門前で法大職員たちと押し問答になった時、事前の計画どおり職員の一人が「うわー、首をしめられたー」と絶叫して「こいつがやった」と彼を指差し、これを合図に公安刑事どもが彼を「現行犯逮捕」したという事件なのである)で逮捕されてよいわけがないし、こんな滅茶苦茶をやる大学職員など、仮に首をしめられても自業自得である。つーか自ら首をくくるべきである。我々団は破防法が怖いので組織的な武装闘争はやらない方針だが、勇敢な中核派の諸君が今回の暴挙に加担した法大関係者を次々と血祭りに上げていくというなら支持声明くらいは出してやってもいい。
 事件からもう一ヶ月になるが、2人はまだ釈放されていない。2人とも起訴されたとのことで、少なくともこのまま初公判までは保釈もないと思う。
 まったくひどい話。
 日本に言論の自由があるなどと思い込んでいる連中は、これまたみんな死んだ方がいい。

 以下参考までに。
http://saru2.iza.ne.jp/blog/entry/176902/
http://www.minimal-global.net/united_ob/cat93/

2007年05月30日

主なニュース記事・取扱ブログ等

 http://www.warewaredan.com/
 の左側中段あたりから、
 「主なニュース記事・取扱ブログ等」
 として、スタッフが見つけたり、私自身が見つけたりした、一定読み応えのある私への言及にリンクを張っているのだが、たぶん我々が見逃してるものも多いと思う。
 なるほど確かにこれはふむふむ、と私が思えば反映させるので、自薦・他薦問わず、それなりの記事等あればメールなりここへのコメントなりで教えてほしい。
 ここ数日でもいくつか追加しておいたのだが、なにぶん更新に気づきにくい箇所なので、未読の人はチェックを。
 んなわけでよろしく。

2007年05月31日

活動費カンパのお願い

 別記のとおり、2007年6月1日、我々団を仮結成する運びとなり、その活動は主には団員らの納入する月々の団費によってまかなわれるが、その他に、団員であるとないとを問わず、金銭的余裕のある向きにはカンパをお願いする次第である。
 振込先は、「鹿児島銀行 隼人南支店 普通0181126 トヤマコウイチ」である。

2007年06月03日

数日東京滞在、その他もろもろ

 http://www.tbsradio.jp/life/
 に出演するため、数時間後に東京行きの(東京行きが出る博多行きの)列車に乗る。
 出演時間は、深夜(だから正確には6月4日ということになる)1時から4時。
 つまり3時間の生出演である。
 一緒に呼ばれているゲストは、またもや「素人の乱」の松本哉君である。
 とりあえず生で放送して、以後もサイトからその録音を聴けるようにするとのことである。

 帰りの切符が何日か有効だと思うので、その期間、せっかくだから東京に滞在する。
 高円寺に開設をもくろんでいる居酒屋「玄人の乱1号店」のための会議とか、実はちょっと大げさな展開になるかもしれないファンクラブ関係の打ち合わせとか、なんだとかかんだとか、東京でやらなきゃいけないこともいろいろあるからだ。
 そんなわけで、我々団への入団に関して、現金書留など郵便を使った手続きをとる人には、対応がちょっと遅れることになるのでご了承を。

 ところで、いま出ている『フラッシュ』(本誌ではなくエキサイティングとかいう別冊的なやつ。コンビニにも置いてある)が、なんか外山恒一特集みたいになってる。まあ、まったく無関係な二つのページに同時登場しているというだけだが。
 それから、某氏からの情報によって知ったのだが、やはりいま出ている『週刊朝日』で、某トンガっ(てい)た方が外山恒一に言及している。なんかあえて「外山」の名前は出さない書き方をしてるっぽいので、こちらも名前を出さないことにするが、まあやはりその界隈の方である、
 http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_7bda.html#more
 といい、どうして彼らはこう素直でないのだろう。素直でないというか、韜晦するんだろう。
 私と違って確信的な相対主義者であることを誇りとしていらっしゃる方々なのだから、政治的背景や政治的文脈をわざと無視して、あれこれ云わずに単に面白がればいいのに。
 ちなみにこの枡野氏が指摘している、某トンガっ(てい)た方の「日本棄権党」、正直これにはいくらか影響受けてます。そのアイデアを私なりに発展させたものが後述する8年前の試みで、今回の都知事選はまあ、ちょっと別枠だけれども。
 そういえば、ちょっと前のやつだが、
 http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20070420
 はヒドいな。
 「彼が犯した犯罪、女性への傷害と、弁護士への名誉棄損」だって。私の「犯罪」とその裁判の内実がどんなものだったか、ちょっと調べれば分かるのに。それともこいつは文盲なのか。

 あと、熊本のスタッフが、こんなものを見つけて教えてくれた。
 http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/senkyokannriiinnkai/data/h19sigi.pdf
 つーか、まあこれ自体はもちろん知ってたんだが、そのスタッフに指摘されて初めて気がついたことが。
 選挙区が二つに分かれてて、それぞれ別集計してあるんだが、要はこれ、都市部と農村部なのだ。
 都市部ではイセリ君に勝ってる!

 今回はまあこんなところか。
 先日チラッと予告した、都知事選の政見放送に続く、「とんでもない」計画。
 これはたぶん11月か12月になると思う。
 で、それまでの場つなぎというかなんというか、8年前に福岡県知事選に際しておこなった「投票率ダウン・キャンペーン」ってのがあって、詳しくは、
 http://www.warewaredan.com/contents/b98-3.html
 とか、著作『最低ですかーっ!』に書いてあるんだが、この時の映像が断片的に残っている。そのままではとても見れたもんじゃないので、近々これをそれなりの水準に編集して公開しようと思う。
 諸君もそろそろ濫造される政見放送のパロディには飽きているだろうし、乞うご期待。

 そんなわけで数日間、熊本を留守にするので、熊本の諸君がそのかん街頭の「職場」に行っても私はいないからあしからず。

2007年07月16日

ファンクラブ的なもの、それから玄人の乱

 トップページではすでに告知してあるし、ここでも以前チラッと触れたけれども、改めて。
 前々から予告していた「外山恒一ファンクラブ的なもの」が7月4日以来、立ち上がっている。BEWEというサイトの中にある、「外山恒一サポーターズ・クラブ『我々少数派』」というのがそれだ。
 http://bewe.sc/wareware/
 メールアドレス等を入力する必要はあるが、入会は無料だ。
 入会すると、こことはまた別の私のブログを読むことができる。
 さっき見たところ会員数は132名となっていたが、ある程度の人数になった段階で、単にブログだけでなく、さまざまの企画を展開していくことになっているので、ぜひ多くの諸君の参加を期待したい。また、周囲に私の活動や主張に興味を持ちそうな人がいたらぜひこの「我々少数派」をオススメしてほしい。

 それからもう一つかねてから予告していた“外山系居酒屋”、「玄人の乱1号店」について。
 これははっきり云ってポシャった。
 場所まで決まっていたのだが(高円寺駅南口出てスグ。ロータリーに面した、つまり徒歩1分もかからないビルの〇階)、まあ今回の逮捕事件のトバッチリでと云ってもいいのかな、そこを斡旋してくれることになっていた協力者から、やはりこの一件はなかったことに……と。
 7月1日オープンってことで話は進んでいたのだが。
 まあ、結果としてはよかったのかもしれないと今では思っている。
 というのも、都知事選以来、なんか状況に流されるようにバタバタと動いてしまって、やはり一度立ち止まってゆっくり考える時間が必要だったのだ。その意味では今回の丸1ヶ月の獄中生活というのはいいタイミングだったと思う。
 で、居酒屋の運営は、ネイキッド・ロフトとかでの数ヶ月に1度のイベントとは違う、日常的な活動になってしまうわけで、それを九州でやるんならともかく、東京でというのはやっぱちょっと私のそもそもの方針からズレてしまうような……と獄中で不安になり始めていたのだ。

 九州以外でのレギュラーな活動は、結局ネット上の、「ファンクラブ的なもの」だけでいいような気がする。
 やっぱり九州で本腰いれてやっていきますよ私は。
 獄中でじっくり考えて、とにかく念願の私塾開設をメインに今後の活動を組み立て直すことにした。

2007年07月19日

「我々少数派」にて「百回休み」自註の公開開始

 http://bewe.sc/wareware/
 の方のブログ、基本的には日々のヨシナシゴトを書いているんだが、もうちょっと内容があって、そこでしか読めず、しかもあえて広く一般に伝えなければならないほどの急迫性はない、という都合のよい題材はないものかと考えて、単行本用に執筆している文章の一部を掲載していくことにした。
 まだ版元は決まっていないのだが、前回の投獄中に作った連作短歌「百回休み」。
 単行本化に際しては、全108首のひとつひとつに自註をつけていこうと思っている。
 全部公開しちゃうと単行本を買ってもらえなくなるかもしれないので、10分の1、冒頭の11首ぶんを公開する。
 読みたい人は会員登録を。

2007年07月28日

やっぱり!

 午後3時過ぎから、参院選に比例区から出ている某ナショナリスト政党の街頭演説にサクラとして参加。
 午後5時半、別の用事があったためナショナリストの諸君と別れて、バスに乗ろうとしたその時である。
 2人組の怪しげな男たちが、声をかけてきた。
 「すいませんねえ、上から云われてるもんで」みたいなことを云う。
 とっさに何のことか分からなかったが、よく聞いてみると、彼らは警備課の私服刑事だという。たしかに2人とも、怪しいイヤホンをしている。
 つまり上からの指示で、私にぴったり張りついているらしい。あまり利用者のいない路線バスで、これは尾行がバレると思って、バレる前に自分から身分を明かしたようだ。
 結局、私がバスに乗ったのは、今回の参院選とはまったく無関係な用事のためであることを確認して、途中で降りていった。

 諸君。
 やっぱり奴らは私を警戒していたのだ。
 参院選に関与させないためにショボい容疑でムリヤリ投獄したに違いないという我々の当てずっ、いや現象学でいうところの本質直観は図星だったのだ!

 明日は投票日。
 選挙には興味がないので、自分か他の我々団公認候補が立候補しないかぎり投票にはいかないつもりだったのだが、さすがに今回はナショナリスト諸君に協力しないわけにはいかないだろう。まあ実際、どうしても投票に行け、行かなきゃ死刑と云われたら、今回はこのナショナリスト諸君に投じる以外の選択肢はあり得ないからなあ。

2007年07月29日

ニュース見てないんで……

 新聞をとってないし(たいていの時期は『朝日新聞』を購読しているのだが単にモノグサでまだ熊本に身を落ち着けてからは手続きをしていないだけ。ちなみに断固として『朝日』を購読するのは本の広告が一番充実しているからで、内容的には『朝日』のみならず全マスコミはもはや「まったく新しい戦争」の推進勢力であり一切読む価値なしと思う)、テレビも見ないので、世の中で何が起きているのかほとんど分からない。せいぜい、毎週買って読んでいる『SPA!』と『プレイボーイ』でしかニュースに接していない。さすがにいかがなものかと自分でも思う。
 ブログ更新のついでに、今回の参院選関連の記事をざっとチェックしていて、ついさっき、宮本顕治が先日亡くなっていたことを知った。
 ちょっと感慨深い。
 というのも、こないだの獄中で宮本顕治のことを考えていたからだ。
 別に彼の戦前の獄中非転向のことではない。
 訃報を伝える記事に、「東大在学中の(19)29年に芥川龍之介を批判した『敗北の文学』で雑誌『改造』の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった」とあるが、このことについて考えていたのだ。
 私は教養のない教養主義者なので、この宮本の有名な論文を読んだことがないのだが、私は天才なので、たいていのものは読まなくても読んだ人よりその内容を理解している。
 東浩紀とかを念頭に云うのだが、近年の若手論客は、どうも頭の良い人ほど袋小路の、どーでもいい議論に熱中していく印象がある。状況の停滞を作り出している責任のかなりの部分は、そういう優等生インテリたちにあると私はかなり以前から確信している。
 で、おそらく昭和のはじめにも似たような状況があって、宮本顕治はそれを突破する「野蛮な情熱」が必要だと件の論文で吠えたのだろうなと、読んでないからそれに関するいろんな人の言及を聞きかじった上でそんな気がしている。読んだ人、たぶんこの理解で正しいでしょ?
 私も昨今の優等生インテリたちの議論を眺めていて、今必要なのは当時の宮本顕治みたいな存在なんだよなあと獄中でむにゃむにゃ考えていたのだ。
 もちろん宮本顕治のいう「野蛮な情熱」はマルクス主義者のそれであるはずで、私はファシストだし、実際「野蛮な情熱」はマルクス主義よりもファシズムに親和的だとも思っているわけだが。
 ともかくこれで日本共産党はますます社民化し、左派の大同団結が急速に現実味を帯びてくるだろう。
 ファシストはナショナリストとの連帯を急ぎ、これに対抗しなければならない。

2007年08月12日

私塾構想

 04年5月の出所以来の悲願である革命家養成塾「黒色クートベ」の開設だが、塾生募集要項の一部を変更することを考えている。
 現時点では、
 http://www.warewaredan.com/contents/j-joken.html
 にあるとおりだが、この「卒塾後、(少なくとも5、6年は)九州内にとどまって活動すること」という条件のハードルがあまりにも高いと感じられるらしく、なかなか塾生が集まらない。
 私としては、大学進学のために縁のない地方都市に移り住む若者は大量にいるわけだし、大学卒業後もそのままその周辺にとどまってすっかり地元民のようになってしまう人も多いんだから、大学なんぞに行くより一億倍明るく楽しい未来が切り拓ける我が塾へ入門するためのたかだか5、6年くらい、むしろ低すぎるハードルだと思うのだが。
 だがまあ、現実に塾生が集まらないんだから仕方がない。
 ちょっと妥協しよう。

 「卒塾後、(少なくとも5、6年は)九州内にとどまって活動すること」は、入塾のための絶対条件ではなく、志願者が多い場合の優先条件にとどめる。
 つまり、半年間、九州に滞在し共同生活するという形態は変わらないが、その半年間の修行を終えた後は、べつに九州にとどまる必要はない。

 これでどうだ。
 そういうことなら入塾を検討するという人、連絡を待つ。
 できれば10名、少なくとも5、6名、志願者があれば、いよいよ本格的な準備にとりかかろうと思う。
 その場合、スタートは来年4月半ば頃を考えている。
 来年4月から10月まで、九州で、私の直弟子として革命家修行をしてみたいという人、まずは早めに連絡せよ。
 志願者が10名を大きく超えるような場合は、上記のとおり、卒塾後も九州内にとどまることを誓う者を優先的に受け入れることになる。

2007年08月16日

ちょっと訂正

 サイトのトップにある、熊本での第4回学習会についての「スタッフによるレポート」中に、テキストとして使用した『思想としての全共闘世代』の著者・小阪修平氏について、「著者の小阪氏は外山氏と交流があり」との記述があるが、「交流があり」というほどのことはない。
 なんか、「フカシ」みたいに思われるとアレなんで、訂正しておく。
 もちろん20代をとおして笠井潔氏の著作をバイブルとし、またこちらは実際ある程度の交流があった竹田青嗣氏の著作も愛読していた私は、笠井氏や竹田氏とつながりの深い小阪氏の文章も愛読してはいたが、実際にお会いしたのは、都知事選の渦中で一度きりである。政見放送が流れて2日目か3日目くらい、駅前に集まってくれる人が何となく増えてきたかなあという感じの(それでも10名前後。終盤の、100、200という数とは比較にならない)日に、小阪氏は来てくれたのだった。
 人数が少ないから、頃合を見て、全員で近くの居酒屋へ移動し、1、2時間、いろいろと話をした。その内容はまた、いつか書く。
 報道もされたとおり、8月10日、亡くなられた。
 「良質な全共闘世代」の数少ない一人だったと思う。

2007年08月17日

明日、熊本を発つ

 20日のネイキッドロフトでのイベントに向けて、明日、熊本を発つ。
 明日の夜はすでに予告したとおり、福岡で交流会。
 参加希望者は夜7時、西鉄福岡駅ライオン口に集合。
 すぐ移動するので遅れると参加できません。

 東京では今回はネイキッドでのイベント終了後にしか不特定向けの交流会はないんで、私と直接話をしてみたい人はこれに参加するしかない。
 6時半開場、7時半開演。

 東京には24か25まで滞在する予定。
 27日には鹿児島で裁判なんで、そっちも可能なかぎり傍聴を。
 レポートに書いたとおり、前回の初公判と違って、玉砕覚悟で面白く(?)する予定。

2007年09月06日

結局カネの問題

 誰か百万円くらいポンと出してくれないものかなあ。
 私の今後の活動のカナメは、云うまでもなく私塾「黒色クートベ」となるのだが、ネックはやはりカネなのだ。
 入塾志願者はなかなか集まらないけれども、その問題は『ファシズム入門』さえ刊行されれば解決するし、実際そう遠くない将来、何がどうあろうとこれは刊行する。
 また、塾舎として使用する建物の維持費や塾生の生活費についても、メドはついている。
 では何が問題なのかというと、開設資金がないのだ。つまり開設してしまえばその回転資金は捻出できるのだが、開設するために「まとまったカネ」が必要で、それがない。
 50万あれば充分なんだが、誰か「よしここは自分が……」って人はいないのかなあ。

 もうひとつ。
 当面選挙には出ないと云ってきたが、実はまた出ようかと考えている。
 九州某市の市議選。
 供託金ラインのクリアは前提なので、熊本市議選と同じことは事実上タダでやれる。が、熊本市議選での反省点をふまえ、今度は例えばポスターがすべての掲示板に告示初日のうちに貼られている状態にしたいし、選挙カーに積むスピーカーなどの機材も充実させたい。また、熊本と違ってそのためにわざわざ公開できる住所を確保しなければならないから、名目上だけでもアパートか何か借りとかなきゃならない。結局、計算すると最低でも計50万ほどがこれらのために必要になる。
 外山がまた選挙に出るってんなら「よしここは自分が……」(以下同)。

 もちろん自分で何とかするのが一番いいわけで、今月末には懸案のオリジナルTシャツの販売を始める。とりあえず5種類。「まだ反抗期」Tシャツも当然、その5種類に含まれている。
 Tシャツがバカ売れしたら、問題はすべて解決なんだが。

2007年10月02日

不定愁訴!

 いや違った不当判決!!
 すでにご存じの諸君もあるかと思うが、素晴らしすぎる判決が出た。
 詳細は、今その渦中である観劇ツアー期間終了後に改めてアップすることにして、今日のところは結論だけ報告しておく。

 判決は、「罰金12万円」であった。
 求刑が同1万5千円だったから、なんと8倍である。
 検察官の求刑を上回る判決自体がごく稀であるのに、「8倍」というのはあるいは前代未聞なのでは?
 判決にはいくつか但し書きがあり、まず「未決算入を1日5千円換算で10日分」。これは判決が出るまでの間に拘束された期間のうち、裁判官の裁量で「すでに刑罰を受けたも同然」ということでいくらか差っ引くもの。私は今回、30日間にわたり獄中にあったわけだが、このうち10日分を1日5千円換算で、つまり計5万円分の刑罰をすでに受けたに等しいと考え、罰金は実質残り7万円となる。
 で、その残り7万円を、何らかの理由で払えない・払わない時には、やはり1日5千円換算で、刑務所に入れる、と。これを「労役」という。つまりおとなしく7万円を国に納めるか、刑務所に2週間行けということ。もちろん、私は当初から宣言しているとおり、後者を選ぶ。ただしもちろんこれは判決確定後の話で、高裁・最高裁に控訴・上告しているうちは猶予期間となる。
 最後にもうひとつ。「この裁判にかかった費用は被告人の負担とする」。これはおそらく計10万円以下である。国選弁護人の報酬(高くても8万円くらいだという)と、今回は警察官の証人出廷があったので、その証人の日当と交通費がまあ1万円前後だろう。有罪判決を受けるとたいていこの但し書きがつくし、また実際には「貧困のため」とか理由を書いて免除申請をすれば(普通は)通るので、この部分はべつに特殊なことではない。

 とにかく、そういう判決であった。
 もちろん控訴する。
 ちゃんとしたものは二審の国選弁護人が書くだろうし、被告人独自の「控訴趣意書」には一言、「まじめにやってください」でいいような気がする。

2007年10月05日

例の件の報道

 衝撃の8倍判決、さすがにポツポツ報道され始めたようだ。
 「職業」に注目しよう。
 「不詳」ってのが多いが、これは今回、検察官が起訴状等で一貫してそう表現してきたからだろう。職業どころか、住所や学歴まで「不詳」と云ってたからなあ。それでも捜査機関かよ、と。
 鹿児島の自称新聞社である南日本新聞は「自称革命家」とやってくれていた(3日朝刊)。今回、逮捕された際の警察発表では「自称文筆業」とされ(そもそも完全黙秘で応じてたから「自称」なんかしてないんだが)、マスコミもいつものようにその警察発表を垂れ流していたが、「自称革命家」ってのはどこから出てきたんだろう。すでに報告のとおり法廷でも職業については黙秘してきたから、公的には今回、「革命家」を自称した場面はなかった。
 南日本新聞の社内資料にでもあるのかな?

2007年10月08日

ネット社会って恐ろしいねえ

 ふと思いついて検索してみたらこんなの出てきた。


裁判員制度全国フォーラム in 鹿児島

日 時 平成18年1月22日(日)
13:30~16:00(開場13:00)
会 場 かごしま県民交流センター 県民ホール
(鹿児島市山下町14-50)
ビデオ上映 「刑事裁判 ~ある放火事件の審理~」
裁判員制度
ポイント解説 渡部 市郎(鹿児島地方裁判所裁判官)
パネル
ディスカッション 「語いもんそ 裁判員制度」
【パネリスト】
小栗 実(鹿児島大学法科大学院教授)
辛島 美登里(歌手)
宮之原 綾子(鹿児島青年会議所会員)
【アドバイザー】
渡部 市郎(鹿児島地方裁判所裁判官)
樋口 正行(鹿児島地方検察庁検察官)
上山 幸正(鹿児島県弁護士会副会長)
【コーディネーター】
日高 和広(南日本新聞社論説副委員長)
(敬称略・順不同)
主 催 最高裁判所、福岡高等裁判所、鹿児島地方裁判所、南日本新聞社、全国地方新聞社連合会
後 援 法務省、鹿児島地方検察庁、日本弁護士連合会、鹿児島県弁護士会、鹿児島県、
鹿児島市、鹿児島県市長会、鹿児島県町村会、鹿児島県商工会議所連合会、
鹿児島県商工会連合会、鹿児島商工会議所、鹿児島青年会議所、NHK鹿児島放送局、
MBC南日本放送、KTS鹿児島テレビ、KKB鹿児島放送、KYT鹿児島読売テレビ、共同通信社


 んー、何「アドバイス」すんのかなあ。
 判決なんて気分で出していいんですよ、難しく考えることないですよ、とか云うのかなあ。
 ポイント解説って(笑)。

 ちなみにコヤツは例の志布志事件の無罪判決にも絡んでいるようだ(いわゆる「合議」で、3人の裁判官のうちの1人)。もっとも鹿児島地裁の刑事裁判はどうも全部その3人でやってるみたいなんだが(http://www.courts.go.jp/kagoshima/saiban/tanto/tisai_tanto.html参照)。

 裁判報道では、「何月何日、鹿児島地裁(渡部市郎裁判官)は……」と書くのが普通だから、裁判官の名前で検索すれば、とくに最近の事案についてはよく出てくる。
 コヤツの過去の判決をざーっと並べて、どういう犯罪についてどういう判決を出し、それは求刑に比べて何割増or減だったか、とか表にすると面白いかも。今回いかに恣意的な判決を書いたか、バレバレになるだろう。
 誰かヒマな人、やってみない?

2007年10月26日

幻のテレビCМ

 実はこのかん、妙な計画がゴクヒリに進行していた。
 熊本の某イベント企業が、熊本県内もしくは九州内で深夜に流すテレビCМに、なんとこの私を起用しようとしていたのだ。
 結局、テレビ局側が放送を拒否してオクラ入りすることとなった。
 トンデモ企業側のトンデモ関係者が、「こうなったらYouTubeで流してやる。もうゴクヒリでもなんでもない」と云いだしほんとにそうしたようなので、ここでも紹介しておこう。
 ただしこれはテレビ局の事前審査を受けるための試作版で、私もまだ気合いを入れて演じてない(服もたまたまその時に着てたやつだし)という点は割り引いて鑑賞のこと。
 それから熊本ひいては九州の土曜の夜にヒマな諸君はこの「クラブ・ピラミッド」に足を運ぶように。私もたまにいたりする。

 しかし計画どおり何の予告もなくいきなりコレが深夜テレビで流れたら衝撃的だったろうになあ。

2007年10月29日

大阪で観劇

 11月2日のネイキッドのイベントのために初心者マークをつけて車で東京まで行く途中、大阪に寄り、同行スタッフS嬢の友人が主宰しているという劇団の公演を観た。
 ダダイズムの祖・ツァラの戯曲を翻案したもの、という事前情報しか得ておらず、それはS嬢も同様。
 ところがなんとクライマックスで私の例の政見放送のパロディがおこなわれ、私も、S嬢も、それからこの観劇に同行した大阪で2泊させてくれた10年来のストリートミュージシャン仲間も驚いた。
 もっとも、そういう芝居をやろうとしていたら初日に本人が客席にいるのだから、向こうはもっと驚いただろう。あと、客も(知らない人もいただろうが)。

 私は、テント芝居以外は、九州のアマチュア劇団の芝居しかナマで観たことがないから、やっぱり大阪ぐらいの人口規模になると、ヘンで面白く、また脚本も演技・演出もハイレベルな劇団がフツーに存在するんだなあと、全体的にちょっとうらやましくもなる舞台だった。内容は1回観ただけじゃよく分からなかったけれども。まあダダイズムだし。

 で、個人的にちょっとうれしかったのは、その政見放送パロディのレベルもそれなりの水準に達していたこと。ネットで見ることのできるそれらは、たいてい単なる言葉遊びで、オリジナルの水準にはるかに及ばないどころか、あのフォーマットを使って別の何かを主張したいという情熱すら感じられないものがほとんどではないか。
 今回のパロディは、そのセリフを云う、あるいは書いた者が(たぶん同一人物だが)本気で自分のテーマとしている内容を、あの形式にうまく落とし込んでいた。

 なんか、いろいろやってもネットでの反応に目をとおしていると無力感に陥ることが多い。
 先日の「償い」にしても、どうも意図がちゃんと伝わっていないようだとイライラする。冒頭に「詞・曲 さだまさし」とわざわざキャプションを出しているのに、あれを私のオリジナルだと勘違いするのはもう論外としても、歌がうまいとかうまくないとか、そもそもあれはさだまさしのモノマネ芸を披露しているんだってことにさえ気づいてもらえていないのではないかと不安になる。もっと本質的なところでは、私はあの歌をちっともいい歌だとは思っていなくて、むしろ否定してバカにして歌ってるんだということに気づいてもらえないのが一番困る。
 そういえば前にも似たようなことでイラッとした。細かいことだが、ちょうど先日の短い獄中生活の頃、批評家の浅羽通明氏が私の都知事選パフォーマンスについて、『中央公論』誌上でかなりの分量を割いて論じてくれた。で、私はそのことを紹介する日の日記のタイトルを「知識人が雲上から降りてきた(笑)」としたのだが、これもその意図を分かってくれる人がほとんどいないようで、そうするとまるで私が「知識人」あるいは浅羽氏に過剰な幻想を抱いているかに思われる以外の可能性がなくなる。念のために説明しておくと、「知識人が雲上から云々」とは、同じ浅羽氏が論壇で最初に小林よしのり氏を肯定的に評価した時のことを描いた、『ゴーマニズム宣言』の中の有名な一文なのだ(宅八郎氏など反小林派の論者が盛んに引用してバカにしたので)。私はその故事(?)を踏まえていたのだが、ちっとも理解されなくて……。

 が、今回の芝居を観て、ちょっと立ち直った。
 私の活動に注目している人が、必ずしもネット上で私のことに言及するとはかぎらない。つまり、2ちゃんねるに書き込んだり、自分のブログで言及したりしない人たちの中にも、私の活動に注目してくれている人はいくらでもいるのだという当たり前のことを、やはりついつい忘れてしまいがちになる。ネット上の反応を世間の反応だと勘違いして、間違ったフィードバックをしてしまう危険さえ常にある。
 私の活動にインスパイアされた人たちが、私の知らないところで、それを高いレベルに昇華していたりすることもあるのだとマノアタリにして、ちょっと世の中に希望が持てた。

2007年10月31日

動画「償い」について補足

 誰か気づいて指摘してくれるのを待っていてもムダっぽいので、もう自分でネタばらしをしてしまおう。
 今回の選曲には実はそれなりの必然性がある。
 「さだまさし」「償い」「東京地裁」で検索してみるべし。

 ちょうどあの結果的には丸2年におよぶ不当な監禁を受けることになった裁判闘争の最中にこの報道に接し、この程度のセンスの人種に裁かれる不条理になんというか、身もだえしたものだ。
 このニュースを覚えている人は、今でも結構いるはずなんだがなあ。

 それにしても最近、「このギャグはどこがどう面白いのかというと……」みたいな野暮を演じざるを得ない場面が増えている。
 「教養の崩壊」というやつがその背景にはあるのだろう。
 諸君。
 黒色クートベで教養を身につけるべし。

2007年11月03日

昨日のネイキッド

 人数的には45名とちょっとアレだったが、意義深いイベントではあった。
 80年代、90年代の運動史は私にとってライフワークの一つでもあり、今後ともイベントのテーマとしてしつこく取り上げていきたい。
 しかしやっぱり山本夜羽音はイベントのゲストには向いてないよなあ。観客おいてけぼりでコアな話に脱線していくからなあ。
 もっとも、10数年の運動史をたった3時間で総ざらえしようというのがしょせん無理ともいえる。
 「反管理教育運動史」とか、あるいは「馬の骨」「秋の嵐」とかに絞って語らせたら、山本夜羽音でも充分イベントは成立するのかもしれない。
 まあ今回は私が「本当にやりたいイベント」の一回目、試作版ということで、物足りなかった向きには容赦願いたい。
 次回以降は、もうちょっと見せ方を工夫しようと思う。

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