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近況 アーカイブ

2005年12月31日

外山恒一 2005年重大ニュース

 獄中で、もう自分のことを自分で書くのはやめようと決意したはずなのだが、全然守れていない。というのも、自分で書かないと誰も書いてくれない状況は相変わらずだからである。そうなると、私の言動に関心のある人にすら、まったく活動状況が伝わらなくなってしまう。
 困ったことである。
 そんなわけで、とりあえず私は今年何をやっていたのか振り返ってやろう。年末に「重大ニュース」を発表するのは98年以来である。

 その前に、去年(2004年)のことについても少し触れておこう。
 獄中で細部まで構想したまったく新しい革命のビジョン(ファシズム)を携えて福岡刑務所を満期出所したのが04年5月5日のことであった。「子供の日」に釈放というのは、なんだかバカにされているような気がしてならなかった。
 6月までは鹿児島(隼人町)の実家にいたが、7月から、熊本の支援者宅での居候生活が始まった。
 出所直後は頻繁に福岡へ出向き、私の新しいビジョンについて熱く語ったりしたが、どうも反応が悪く、なんだか空回りの感が強かった。
 久しぶりのシャバでの活動は、なかなか軌道に乗らないのだった。
 友人の友人がごくフツーの犯罪者として鹿児島で逮捕されるという事態が6月に持ち上がって、少しでも刑を軽くしてやるために動き回った。微罪で長期投獄されるような私にそんなことができるのかと思われるかもしれないが、私自身のケースはほとんど「わざと」刑を重くしたようなものである。どうすれば刑を軽くできるかが分かっているからこそ、わざと刑を重くすることだってできたのである。この友人の友人のケースでは、かなり減刑に貢献できたと思う。
 獄中で構想した新刊については、予想以上に時間がかかった。8月か9月には刊行するつもりでいた『最低ですかーっ! 外山恒一語録』は、年末の刊行となった。ちなみにこの本に関しては、経費を抑えるために、本文レイアウトを全部自分でやった(それもあってちょっと素人くさい版面にもなっているが)。
 04年後半は、これら友人の友人救援と新刊準備の活動以外は、ひたすら読書の日々で、書くべきことはそんなにない。

 さていよいよ今年2005年の「重大ニュース」である。

 『最低ですかーっ!』売れ行きサイテー
 奥付は04年末だが、事実上今年1月に出た新刊は、またもやまったく売れなかった。たぶん2百冊くらいしか売れていない。
 とにかく1冊でもいいから、1万部以上売れる本を書けば、もう革命は成ったも同然という作戦があるのだが。
 しかしこの本は、ファシズムに到達するまでの私の思想や運動の変遷をざっと押さえるにはとてもよくできているので、今後、使い道はなくもないだろう。今回は初めての自費出版だし、つまり出版社側の都合で絶版になることもないのだから。

 ホームページ再開
 新刊の刊行に合わせて、1月に個人サイトを再開した。当初は単に「外山恒一のホームページ」だったが、6月に「ファシズムへの誘惑」とタイトルを変え、現在では友人の協力を得てブログ形式に衣替えされている。
 ちょっと思うところあって、来年前半中に、さらに大幅リニューアルをやるつもり。

 文芸批評家・スガ秀実氏との交流
 裁判中に少しメールのやりとりがあったスガ氏に新著を送ったところ丁寧な返信をいただいた。以来、交流が続いている。
 前々から気になる存在だったのだが、交流が始まってみて初めてちゃんとスガ氏の本を読み、かなり強い影響を受けている。とくに全共闘運動あるいは新左翼運動を肯定的に論じた大著『革命的な、あまりに革命的な』は、この方面の著作としては笠井潔『テロルの現象学』以来といってもいい私にとっての収穫。もっとも全共闘をリアルタイムで経験していない後続世代で、この本をちゃんと理解できる人間が私以外にそんなにいるとも思えないが。
 近年のスガ氏のアクチュアルな発言と、近年の私の主張とを比較すると、ほとんど用語が違っているだけという感じがする。
 今年2回の上京時と、スガ氏が所用で福岡に来た時には実際に会って(噂の「カラオケ」を含む。スガ氏は尾崎など熱唱)ディープな交流も実現。
 それにしても現在、私の言動をいくらかでも気にかけてくれている人は、斯界にはスガ氏と、あとは鈴木邦男氏がいるくらいだなあ。

 獄中自伝を徐々に蔵出し
 「自分のことを自分で書く最後の作業」のつもりで実は獄中で自伝を書いていた。ムソリーニもヒトラーも、獄中で自伝を書いているし、ファシストの基本のような気がしてつい。懲罰中、隠し持ったシャーペンの芯で隠し持った便箋に、細かい字でびっしり書き綴ったその「現物」は、目にする者すべてに衝撃を与えている。
 これを何らかの形で発表することを考えて、テキスト入力の作業を始めた。
 実際には途中で挫折した未完成原稿なのだが、内容的には、自伝というよりも80年代論、90年代論で、自分の活動歴についてはざっと触れる程度にして、これまで断片的にしか言及してこなかった同時代のさまざまの現象について、かなり本格的に論じている。獄中で執筆した部分はすでに入力を終わり、現在、続きを書いている(と云いたいところだが夏以降またストップしてしまっている)。今のところ限られた数人にしか読んでもらっていないが、評判はいいので、いずれ完成させる。

 街頭ライブ本格再開
 04年末あたりから熊本の繁華街で小遣い稼ぎ程度に時折やっていたのだが、5月の上京資金作りのために本格的に再開。その後も、6月の「どくんご」ツアー随行資金、7月以降は選挙資金(供託金)を貯めなきゃいけないなど、結局もうやめるつもりだったストリート・ミュージシャン生活に逆戻り。
 長期投獄のため当初はかつての感覚を取り戻すのに苦労したが、現在ではすっかり元のベテラン職人に。

 久々の上京
 たぶん2001年秋に「劇団どくんご」の千秋楽を観に行って以来だと思うからほぼ4年ぶりである。
 その「どくんご」が今年やはり4年ぶりの全国ツアーをおこなうとのことで、初日公演を観るために5月16日、上京。1週間ほど滞在し、ついでに首都圏のかつての友人・知人らを訪ね、毎日交流三昧。
 東京の本家「だめ連」界隈では予想どおり私の本はまったく読まれていないが、実は旧「法政の貧乏くささを守る会」界隈には意外に愛読者が多いことが判明したのは収穫。ちょっと元気が出た。

 劇団「どくんご」九州ツアーに随行
 6月は「どくんご」の九州4ケ所公演について回った。劇団側にはうっとーしかったかもしれないが、芝居終了後の打ち上げで各地に人脈を作ることと、将来的には我がファシスト党でも党員によるテント劇団を結成することも考えているので、建て込みやバラシ、そして移動生活を一度ざっと経験してみるというのが主な目的。4年前は裁判の真っ最中で、ほとんど建て・バラシは手伝えなかったし。
 6月11日が熊本県水俣市、16、17日が宮崎県綾町、19日~21日が宮崎市、25、26日が鹿児島市公演。移動が私だけ原付で別々になる以外はほぼ劇団員と生活を共にし、ハードだが楽しい毎日だった(私の方は)。

 熊本撤退
 前記のとおり出所直後の04年7月から熊本市内の支援者宅に居候の身だったのだが、いろいろあって急遽撤退することに。
 食・住が完全に保障され、ひたすら勉学に打ち込むことができたのはいいが、やはり他人ん家だし、支援者のみならずその家族とも同居だったので、例えば熊本で誰か仲間を見つけたとしても福岡時代のように家に連れ込んで濃厚に「オルグ」したり、「交流会」のようなものを自宅開催したりすることはもちろん、連絡先住所を公開してビラをまいたりすることもできなかったので、この熊本での1年間、具体的な活動は停滞してしまった。とにかく獄中に引き続き勉強はした、理論的進展はあった、ということでまったく無意味ではなかったと思いたい。
 7月末にふたたび鹿児島県隼人町の実家での生活が始まる。

 「劇団あたまごなし」結成
 「どくんご」のテントで知り合った暗黒舞踏的なパフォーマー・花上直人氏の公演がたまたま移住直後の鹿児島でおこなわれたので観に行った。
 来場者のほとんどは鹿児島でのテント芝居の打ち上げでよく見かけるメンツだったが、この日の公演を主催した元演劇人の居酒屋店長が、打ち上げの席で盛り上がった勢いで、地元鹿児島にテント劇団を新たに立ち上げることを宣言。いきなり脚本を執筆するよう命じられてしまった。
 劇団員も徐々に集まり、曲折を経て秋に劇団名を「劇団あたまごなし」、公演タイトルを「アリババが40人の盗賊」とすることが決まった。
 主宰の居酒屋店長との交流はほとんど連日となり、またそれに伴ってそこの常連客を中心に鹿児島での友人・知人もやたらと増大。12月上旬にはついに人生初の「合コン」まで体験した。
 肝心の脚本は遅々として進まず現段階でまだ半分ほどだが、本番は4月に迫っている。

 「おとなの文芸部」軌道に乗らず
 九州のインテリな若者を手っとり早く組織するための文芸サークル「おとなの文芸部」は、禁煙キャンペーン粉砕を掲げる「タバコ解放同盟」とともに、我がファシズム運動の初期の実践としてすでに獄中で着想していたもので、出所以来たびたび呼びかけているのだが、いずれもどうもうまく立ち上がらない。とりあえずデッチ上げ的に8月半ば、複数の偽名を使ってほとんど全部私が書いた文芸同人誌『熱病』を作製してみたが、やはり活動は軌道に乗らず。このへんは来年に持ち越し。

 久々の長距離ヒッチハイク
 「どくんご」は6月の九州4ケ所公演の後、北陸や東北・北海道を回って、9月あたまに東京で千秋楽を迎えた。
 去年の出所直後にたまたま知り合って以来頻繁に交流し、「どくんご」の鹿児島公演も観た鹿児島大学の社会派青年H君と共に、その千秋楽を観に5月に引き続いて上京。
 もともと青春18切符を使う予定だったのだが、H君のバイトの都合で、移動時間を短縮するため急遽ヒッチハイクでの往復に変更。
 実は出所以来、熊本・福岡間、熊本・鹿児島間、鹿児島・福岡間(さらには、何回か原付が故障して隼人町・鹿児島市間なども)といった九州内での短距離ヒッチはちょくちょくやっていたのだが、鹿児島・東京間(約1600キロ)などという長距離ヒッチは入獄以前も長らくやっておらず、たぶん10年ぶりくらい。しかし「ヒッチ8段」の腕前はいささかも衰えてはおらず、1人より当然やりにくい2人組ヒッチながら往路復路とも約20時間で走破。
 むろん東京には10日間ほど滞在し、「だめ連」や「貧乏」界隈を中心にまた交流三昧。鹿児島市すら大都会の範疇である地の果て枕崎市出身のH君の目に東京はどう映ったか。

 オリジナルTシャツを路上販売
 実家に同居している限りなくニートに近いフリーターでデザイナー志望の弟を「更生」させる目的も兼ねて(?)、共同でTシャツ作製用の機械を購入し、それぞれのオリジナル作品を鹿児島市の繁華街で3回ほど路上販売。本職のはずの弟のものは1枚も売れず、私のものが計10枚ほど売れてしまい、却って弟の士気を下げる結果になってしまったのは悲劇だが、「これはやりようによっては新たな活動資金源にできるぞ」と思った。来年以降も何らかの形で引き続き展開することになるだろう。

 角川短歌賞でなかなか健闘
 獄中で詠んだ連作短歌「百回休み」全108首のうち50首を精選して角川短歌賞に応募した。
 10月末に発売された角川書店の『短歌』11月号で選考結果が発表され、それによると応募作624篇のうち編集部による予備選考を通過した33篇には含まれていた。ただし、プロの歌人4名による最終選考の座談会では一言も言及されず。

 霧島市議選に立候補
 「政府転覆の是非」を争点に霧島市議選隼人選挙区から立候補。基礎票は3票(私と弟と父)で、地元には知り合いも一人もいないという状況で、わずか1週間の選挙運動だけで122票を獲得。投票者の150人に一人が「政府転覆」を支持するという考えようによってはとんでもない結果に、政府関係者は現在夜も眠れない(はずである)。
 これもいずれちゃんと詳細をレポートしなければと思いつつ、ついグータラして遅れている。
 以前書いたとおり、ちょっと「味をしめて」しまったので、今後もしばらく選挙に出続けることになると思う。

 ストリート・ミュージシャン容認要求闘争
 鹿児島ではなぜかストリート・ミュージシャンに対する警察の取り締まりが近年強化されていて、11月上旬には一度、交番に連行されてしまう事態にまで発展したので、やむなく闘争開始。
 福岡時代、ギターケースの、「生活費」と大書した貼り紙が私のトレードマークだったが、鹿児島の田舎センスにはこれは受け入れられないと判断し「500円ぐらいくれ」なるプレートを作って使用していた(これでも反感を露わにする田舎者は後を絶たないのだが)。しかし現在では、「道交法違反で逮捕!? 警察のストリート・ミュージシャン弾圧をやめさせる運動資金」と大書したA3の紙を貼っている。活動容認を求める警察宛ての署名用紙と、主張をまとめたビラも置いている。なにぶん「仕事」メインなのでそれらの活動アピールに重点を置けないのがもどかしいが、それでも毎晩数人が自主的に署名していってくれる。また、相変わらず警官は通りかかるたびに演奏中止を強要してくるのだが、それに果敢に抗議する頼もしい市民の皆さんもよく登場する。そういう時にはわざとダラダラ片付けて、警官が市民に抗議される大切な時間を長引かせるように気を遣っている。こうした活動が功を奏しているのか、最近は、とりあえずいったん片付けさえすれば「交番に来い」などの無茶は云われず、警官が去った後また機材を広げて演奏再開できるようになってきた。
 もちろん運動はまだしばらく続ける。

 鹿児島市内にアパート
 実家の隼人町から、「職場」の鹿児島市天文館までは原付で片道1時間かかり、毎日通うのはそれはもう大変で、ついついサボったり、あるいはいちいち帰宅せずネットカフェに連泊したりして余計な出費がかさむので、12月22日、ついに鹿児島市内にアパートを借りた。
 例によって風呂ナシだが、鉄筋の9畳で2万3千円。「9畳」というのは広さもヘンだが、形もヘンで3角形の和室。鹿児島大学の近くで、天文館まで10分で「出勤」できる。
 まもなく劇団の稽古も本格的に始まるし、しばらくはここが行動拠点となる。
 肝心のファシスト党建設にもいよいよ本腰を入れなければ。

 というわけで、06年につづく。

2006年01月10日

2005年に考えたこと

 2005年はあまりまとまった文章を書いていない。
 いろいろ考えたことはあって、それら思いつくたびにメモはとっているので、今回はそれらを抜き書きしよう。なお、たぶん2004年のメモもかなり混じっている。

          ※          ※          ※

 連帯を求めて連帯を恐れず
 (かつて全共闘のスローガンに「連帯を求めて孤立を恐れず」というのがあった。これを文字って「孤立を求めて連帯を恐れず」というスローガンを掲げる例を私は数多く目にし、その挫折っぽいところや、ニヒリズムっぽいところがイヤだなあと常々感じていた。「孤立」は求めるものではない。私が孤立しているのは孤立を求めた結果ではないように。そんなわけで私は、「連帯を求めて連帯を恐れず」という新たな文字りを提起したい。連帯は求めなければならない。しかし私は、全共闘的な「連帯」の悲惨な末路をも知っている。そんなニュアンスが込められている。などとわざわざ説明しなければいけないのか)


 スクラップ・アンド・スクラップ!


 ファシストは心理学や社会学を必要としない。
 ファシストが必要とするのは文学と歴史学である。


 自由の敵に自由を許すな、と叫んだ時、人はファシズムのとば口に立っているのだとの意見に私はかつて賛同した。ファシストとなった今、確信をもって私は云う。自由の敵に自由を許すな!


 私は今も故郷に住みつづけている。
 いつか故郷を地獄に変えてやるために。


 たとえ全人類がぼくを頑固だと云おうとも断じてぼくは頑固ではない!


 日本は神の国である。
 もっともたいていの国は自国をそうみなしている。


 今回の戦争は、最終的な決着がつくまで永遠に続く。
 最終的な決着とは、全世界がスターリニズムで覆いつくされるか、逆にファシズムで覆いつくされることである。
 もちろん、膠着状態におちいって、両者の冷戦構造が常態化することはあり得る。ただしその冷戦構造下では、前の冷戦下のように、どちらにもくみしない「第三の道」はありえない。
 全世界全人民が、スターリニズムとファシズムの陣営にまっぷたつに分けられ、相争うことになる。
 反戦運動はありえない。
 すべての者は、スターリニズムにつくのか、ファシズムにつくのかという最終的な選択を迫られる。


 スターリニズムはグローバリズムであり、世界の一極化である。
 ファシズムは世界の多極化である。


 ファシズムの社会システムは単純明快である。
 政治は、一部の特権者のみが担う。特権者は、大多数の一般国民の生活の安定(パンと見世物の安定供給)のために政治をおこなう。同時に、このシステムそのものの破壊をもくろむ者を一般国民ではなく国内の敵とみなし、徹底的に弾圧する。


 対戦国の指導者が犯罪者扱いされるのは、その戦争が本質的に革命戦争であるためだ。現在おこなわれているのは共産主義革命戦争であり、左翼反戦派はここがまったく分かっていない。左翼こそブッシュを支持すべきで、じっさい、結果的には支持している。


 ファシスト政権が腐敗しないのは、それが常に戦時体制だからである。腐敗したとたん、戦争に負けてしまい、つまりファシスト政権は消滅してしまう。


 ファシストは、認識において共産主義者であり、実践において反共主義者である。


 マルクス主義に関してはそれが現実にいかに無惨をさらけだしても、くりかえしその救出のための批判的再検討が試みられてきたが、ファシズムに関してはたった一度の(しかも外在的な)失敗だけで全否定されている。


 ユーモアのある全体主義がファシズム。
 ユーモアのない全体主義がスターリニズム。


 イラク反戦は、表層的に盛り上がり、次々と逮捕者を出すラジカルな闘争に見えようとも、しょせんは80年代の反核運動と同質の、後退期の無意味な運動。


 全共闘の限界は、実存的ロマン主義を左翼の枠内で模索せざるをえなかった時代的制約にある。
 もうファシズムが「解禁」されてもよいはずだ。


 アメリカが例外的にファシズム的(自由主義的)であったのは、それがそもそも故郷喪失者によって建てられた国だから。


 政治運動の存在しないところで小説や詩や音楽や芝居をやっても無意味じゃないか。


 「80年代フェミニズム」という云い方もやはりおかしい。
 少なくとも80年代後半はウーマンリブ的なものが主流だった。
 ただしそれは70年代ウーマンリブの美点をすべて喪失した、学級委員的、PTA的、矯風会的、風紀委員的ウーマンリブ。
 アグネス論争を典型に、フェミニズムがこうした悪質なウーマンリブと親和的であることもはっきりと露呈した。
 フェミニズムは、ウーマンリブから良いところをすべて抜いて、学問的装飾をほどこしたものにすぎない。


 ファシズムの肝は「我々は我々(仲間)である」ということの強い自覚であり、その根拠は(徹底的には)問わない。


 私が反グローバリズムに転じることができたのはファシズムを発見した時である。
 ファシズムという「もうひとつの可能性」が見失われている時、ナショナリズムに同意できないのであれば、グローバリズムを追求するしかないではないか。
 そもそも左翼思想はグローバリズムである。私は90年代の左翼が、何の理論的弥縫策も講ずることなく反グローバリズムの大合唱をおこなうその単なる御都合主義に猛烈な嫌悪感を抱くとともに、現実のグローバリズムの明白な否定面に脅かされていた。
 そもそも何かにつけては西欧を引き合いに出し、日本の「後進性」や「民度の低さ」を嘆き、「グローバル・スタンダード」を痛切に希求していたのは私たち左翼だったはず。


 私には問題提起の才能はあるが、交渉の才能がない。
 「90年」の過程を、それを経験せず通過してしまったことも大きい。


 ファシストは、なぜ自らをファシストでないと主張してはならないか。
 歴史に関してウソを云い始めたら、ファシストの革命性は失われる。
 因果関係を歪曲、結果として歴史を消滅させてはならない。


 別個に進んで別個に撃て。
 ファシストのインターナショナリズム。あるいは、「ファシスト・インターナショナル」のスローガン。


 女性が差別されているという把握はウソ。
 性差別は存在し、分野によって男女いずれが差別されているかは違う。
 離婚訴訟や異性への単純暴力の処罰などについては、明白に伝統的に男が差別されている。失敗しても女なら許されるのもその類例。


 小林よしのりは「俗情との結託」ではなく俗情そのもの。
 私とスガ氏の当初の小林批判のポイントの差異。


 笠井潔の認識・原理的思考と、スガ秀実の実践・現状分析。
 それぞれ半面ずつ正しく、互いに補うべき。


 1942年もしくは1938年に、江戸幕府がいかに横暴だったかを紋切り型に作品化する社会派劇団の話。進行中の戦争にはまったく切り結べず、トンチンカンな反応をする。当人たちは、時代状況に敏感なつもりでいる。同時代のさまざまな出来事に、「またかつての幕藩体制(あるいは軟弱外交)が復活しようとしている」と危機感を抱いている。「維新を知らない世代」であることの強調がひとつの紋切り型となっている。
 (いまどき「反戦」をテーマにする劇団を嘲笑するモチーフで思いついた設定)


 ファシズムは俗流ニーチェ主義との批判への反批判。
 ①俗流で何が悪い、権威主義者め。
 ②ハイデガーを見よ、彼にもニーチェが分かっていなかったというのか?


 私はだれからも愛されていないことに気づいた。
 そして私はだれも愛していないことに気づいた。


 芸術とは何か。芸術の目的とは何か。
 新しいノリとコトバを具現化(「もはや新しさの追求は古い」的ヒネリも含めて)。
 綱領的なコトバ(制度)が切り捨ててゆくものを形あらしめ、擁護する。
 ユートピアを想像的に獲得する。
 先進的な層が漠然と、無意識に感受していることを形あらしめる。それによって見えなかったものを形あらしめる。
 違和感を可視化する。
 私には世界がこう見えるという表明。「私には」が重要。
 政治的・綱領的あるいは論理的なコトバは、認識の共有という目的にかなうことが絶対条件。芸術のコトバ・表現は、認識の共有を目的とするが、それが果たされるかどうかは二の次。この私の認識が過不足なく表現されていることが第一。政治的なコトバは、共有されることが第一。逆に、認識の共有を目的としていない芸術表現は論外。


 マイケル・ムーアを持ち上げる左翼。
 小林よしのりの経験から何も学ばず。


 思想的には連合赤軍よりも<狼>の方がより重要。
 ポスコロ、カルスタの連中は<狼>をどう考えているのか。


 カルスタ。軽いスターリニズムの略。

2007年03月21日

とりあえず「最後」の更新

 ついに明日から「本番」、期間中は原則として更新できないので、これが「最後」の更新となる。
 今日、NHKとテレビ朝日、TBSラジオで政見放送の収録も済ませた(ドクターとすれ違ったりした)。
 そのとんでもない内容については見てのお楽しみだが、いつ放送なのかは明日以降クジ引きで放送の順番を決めるので、分からない。まあ、都内の人は注意してテレビ欄をチェックしておいてくれ。放送史に残るとんでもなさであることは保証しよう。
 他にもこのかんいろいろあったが、面倒なので省略。後日、本格的なレポートを発表できるだろう。
 とにかく、面白くしてやるから期待せよ。
 あと、来れる人は、4月8日まで毎晩夜8時、高円寺駅前集合なのでよろしく。ポスター貼りの人員も圧倒的に不足している。これまた毎晩8時に高円寺駅前に来てくれれば貼り方を説明する。

 一応、蛇足を。
 ウィキペディアに、「外山恒一、出馬断念」という内容の書き込みがあったらしい。友人が削除した上で知らせてくれた。以前にも、「外山恒一、無銭飲食で逮捕」なんてバカなデマ情報が記載されていたこともあるようだ。
 まったくネット社会はろくでもない。
 さらに云うと、「外山はウィキペディアの現在の自分の項目内容について否定的である」との記載もある。たしかに私は以前、ここにそういう内容のコメントをした。が、それはそのコメントを書いた時点での記載内容であって、その後、全面的に書き改められた記事についてはとくに不満はない(ふたたびミタビ、ろくでもない内容に書き換えられるかもしれない。私が「不満はない」というのは、今後も「履歴」で読むことのできる、2007年3月上旬頃のバージョンのことである。念のため)。

 まあいろいろあるが、煩雑な手続きとか、供託金がなかなか用意できないヤキモキとか、全部終わって、とりあえず素晴らしい。
 当落を度外視すれば、どんなすごいことが可能なのか、都民ひいては全国民にぶったまげていただこう。

2007年04月10日

しばし待て

 都知事選は終わったのにちっともヒマにならない。
 すぐ熊本市議選が始まるのだから仕方がないのだが、スケジュール管理等、もはや一人の人間が処理できる能力を超える量の情報がもう大変なことになっていてこのように文法も何もめちゃくちゃな文面になってしまうほど秘書とかマネージャーとかをとりあえずボランティアで募集中。
 最低限必要な水準でもメール等への返信ができないし、たぶんすっかり忘れてすっぽかした約束もあるだろうなあという気がするし、ましてブログの更新などとんでもない。
 都知事選の結果について整理して考えるヒマもないし、だからまだ何も書きようがない。
 ほんとは昨日の夜のフェリーで九州へ発つ予定が、今夜発つことになった上に、それも不可能になってもう予定はない! ということにしておくしかない状態。
 交通手段も最終的にどういう形になるかわからないが、とにかく早くすべての用件を終わらせて九州へ発とうとしているところ。
 そんなわけだから都知事選総括やいただいたメールへの返信やその他もろもろについては、もうしばらく待て。
 ほんとはちゃんと告知しなければならないところだが、最低限言及しておくと、外山恒一の着ボイスがドワンゴというなんかそういう方面の会社で配信されていたり、例のゴルゴの歌がテレ朝サウンドというなんかそういう方面のどこかからダウンロードできるようになっている。
 ともかくもう忙しくてしょうがなくて、まとまりもなんにもないが許せ。
 自分で選択した方針なんだがまったくもう、統一地方選、前半戦も後半戦も戦ってる候補者なんか間違いなく私一人だよ。
 なんというか、とりあえず秘書!

2007年04月14日

政府転覆計画in熊本

 本日中に、トップページ、
 http://www.warewaredan.com/
 も含め、私のサイトは全面的にリニューアルされる。
 もちろん、今日深夜零時から熊本市議選投開票日である22日までは、このブログも含めて私のサイトの更新はふたたびすべて止まる(公職選挙法の規定による)。コメント欄の更新もしないので、ご了承を。

 サイトの更新は、先日の都知事選で新たに獲得した同志がすべてやってくれた。
 また、やはり別の新たな同志が私の熊本入り(11日夜)に最初から同行してくれ、別に私じゃなくてもやれる立候補手続きの書類作成などの事務作業や、いまだ頻繁にかかってくる公開携帯番号への対応を大半やってくれたおかげで、私は私にしかやれない作業に集中でき、もともと想定していたよりもはるかに本格的な選挙戦が展開できそうな気配となってきた。
 昨夜さらに東京と長崎からやはり今回獲得した新同志2名と、選挙カー運転手として私の弟が熊本入り、さきほどさらに東京から1名が到着、鹿児島からも今夜じゅうに1名行くとの連絡が入った。もちろんすでに判明しているだけでも、さらなる合流が何件か予定されている。
 都知事選をやって本当によかったと思う。

 私の現在の当面の目標は、現代版の松下村塾「黒色クートベ」を熊本に開設することである。
 地元・熊本市議選の最大の目的は、その第一期生10名を獲得することであり、しかしそれだけでは二期生以後の継続的獲得は困難であり、東京都知事選の目的は、二期生以降の塾生の確保を可能にするための知名度のアップだった。都知事選では目的をほぼ達成できたと思う。熊本市議選でもそうありたい。

 今回は、行動日程なども事前に公開しておく。
 また、都知事選でもおこなった「毎晩夜8時集合」の路上宴会は熊本でもやる。ただし、集合は「毎晩夜7時、新市街アーケード」であり、8時まではマイクを使っての本人演説、応援演説が予定されている(この方針が固まる前に印刷を発注したポスターでは単に「毎晩夜8時集合」となっている)。公選法上マイクの使えない夜8時以降は東京と同じく路上宴会に突入する。
 ただしこの路上宴会(および7時からのプチ演説)、19日(木)のみナシなので注意。

 ドワンゴの着ボイスについてはすでに情報が広まっているようなので、着うたの方を改めて告知しておく。
 http://uti.tvasahi.jp/
 例の、“勝手に作ったゴルゴ13主題歌”である。都知事選の期間中に高円寺のいつもの場所で、時間がないなか急いで収録したもので、そもそも声も枯れているしテンポも速くなったり遅くなったりメチャクチャなんだが、歌がうまいとか下手だとか、演奏技術がどうだとか、もともとそんなところで勝負してないからな。
 ま、よろしく。

 ともかく本来の目的である塾生獲得に直接つながる大事な戦いである。
 相変わらず当落度外視だが、もう供託金没収はコリゴリである。
 22日の投開票を、固唾をのんで待て。

2007年05月17日

なぜか一瞬、九州にいる

 本来ならば今夜まで東京にいて、明日のフェリーで北海道へ向かうはずだったのだが、なぜか今日の最終の新幹線で九州入りしている。
 もちろんこれには深いワケがある。
 いまどきフツーの刑事犯として(いまや政治犯の方がトレンドなのだよ)私よりも少しだけ長いあいだ刑務所に収監されていた友人が、明日(正確にはもう今日か)の朝、出所するとの連絡が入ったのだ。
 実は彼は、私が出所した時に出迎えてくれた、たった3人の中の1人なのである。その彼を、無理すればなんとかならないでもない状況で、出迎えてやらないというのでは、これはもう私は腹を切って死ぬべきであろう。
 というわけで私はまた少し借金をして、大急ぎで九州入りした次第である。
 明日の朝、彼を出迎えて、短くなるが出所祝いをして、すぐ東京へトンボ帰り、しかも夜には北海道行きのフェリーに乗ってるという、相変わらずとんでもない慌ただしさだが、まあ仕方がない。
 札幌で私を待っていてくれているなかなかミドコロのある諸君は、そういうわけだからご心配なく。

東京外山界隈、迷走中

 なんかいろいろ予定が狂ってきている。すまぬ。

 先日のネイキッドロフトのイベントは有料入場者数が119名と、ネイキッド開店以来ブッチギリの新記録だとのこと。まあ、そもそもキャパが50~60名の会場なんだが。
 あれだけ多いと、共演者の松本氏も云っていたが、平均的に満足してもらえたのかどうか、壇上からはよく分からないというのが正直なところ。
 次回は3ヶ月後くらいに、またネイキッドでの予定(それだけ入るんならもうプラスワンに移せば、との意見もあるが、今回のは都知事選終了後の最初のイベントだから。3ヶ月後にも熱が持続してるかどうか分からないではないか)。

 で、本題の予定が狂ってきている件。
 まず、“外山系居酒屋”として6月中に中野にオープンすると予告した「玄人の乱1号店」、いろいろあって私が計画にストップをかけた。
 1、2ヶ月先延ばしにして、やはり高円寺にオープンする方向で、計画を練り直している。

 それから、ファンクラブ的な、敷居の低い団体の結成について、中止と発表したが、こっちは逆にまた話が復活している。
 いったん計画を中止したのは、上記居酒屋計画その他いろいろやらなければならないことが多いわりにスタッフが足りないからなのだが、解決策が見つかったのだ。
 ちょっと大がかりな展開で、まだ詳細は書けない。
 これには、例のオリジナルTシャツの販売や、さらにはネットラジオ的なものへのレギュラー出演といった他の行動計画も絡んでくるので、乞うご期待。

 先日発表した我々団の団員・準団員の募集要項については、団費が高すぎるなどの不満の声も聞かれるが、変更するつもりはない。
 我々団は、ファンクラブと違って敷居が高いのである。
 それなりの意志と決意のない者を同志として迎えるわけにはいかない。
 そもそもあの「要項」、実は刑務所を出てすぐ書いたものを一部修正しただけ、つまりもうかなり以前から私の頭の中にはあったもので、それを現在に至るもほとんど変更する必要を感じないくらい、獄中ってのは徹底的にモノを考え抜ける場所なのだなと思う昨今。
 http://www.warewaredan.com/
 にある「外山恒一の党 我々団 ついに団員・準団員募集開始」のところも参考にすること。
 ああ、それからちなみに、私塾の塾生に関してはその在籍期間にかぎり団費納入の義務はない。これは私の説明不足であった。

 都知事選で抱えることになった借金を一日も早く返さなければならないということでゴリカイとゴキョーリョクを求めた、ポスターの通信販売や選挙関連グッズのオークションについては、近日開始することになる。

 その他、本来の私の得意分野である文筆活動についても、某社が近く創刊する若者向け論壇誌への連載が決まりつつあり、また新著の刊行についても引き続き交渉中で、実際、私が都知事選に出たのはこっち方面に華麗な復活を遂げるためであったから、まあいい感じである。

 いつまでも政見放送ネタで引っ張るわけにもいかないし、かといってああいう大ネタをそうそう思いつくもんでもないし、どうしたもんかと悩みつつ、場つなぎに某ネットTVなどにモノマネ芸など供給していたわけだが、いや私は天才だね、またとんでもないことを思いついてしまった。
 これについてはまだ、云えないな。

2007年05月19日

札幌到着

 いやはや大変な旅程であった。
 17日、朝8時半、北九州市で友人の出所を出迎え、昼前には新幹線に乗り込み東京へトンボ帰りした。夕方6時頃から約1時間、高円寺の「素人カフェ」にて東京スタッフと会議。それからさらに1時間ほどかけて札幌行きの準備をして、夜8時、原付で高円寺を出発。
 ストリート・ミュージシャンの道具持参なので、原付でなければこれを運べない。新幹線や飛行機では原付ごと移動できない。つまり選択肢はフェリー以外にないのである。
 さて北海道行きのフェリーは、東京から一番近場でどこから出ているのか?
 これがなんと茨城県は大洗町なのだ。
 だらだら移動したのもあるし、途中迷ってしまったこともあって、大洗港に到着したのは夜中の1時半。危ない危ない。フェリーの出港は夜中2時なのだ。
 そして昨夜8時、つまり約18時間かけて、私を乗せたフェリーは北海道の苫小牧港に入った。
 札幌まで60余キロ。
 しかもなんと雨がかなり本格的に降っている。
 雨の中、原付で60キロはかなりツラい。
 が、まあ、できないことではない。
 大荷物なので、転倒しないよう気をつけて、思いっきり安全運転だったので、札幌の同志宅に到着したのは夜11時、その頃には当然、私は寒さでガクガク震えていた。

 というわけで、ともかく昨夜、予定どおり札幌入りした。
 たぶん22日まで滞在する。
 以前にも書いたように、北海道の諸君の中に、私と会って話してみたいという者があれば、早めにメールを寄越すように。

 21日夜8時から、札幌市内某所にて講演会をおこなう。
 明日じゅうに改めて告知するから、足を運ばんとする者は予定を空けておくように。

2007年05月23日

北海道を発つ

 今日、北海道を発つ。
 明日、東京入りし、その翌日には九州へ発つ。
 行程は全部、フェリーと原付だ。

 事前に札幌滞在を告知していたために、この間、現地の諸君によって2つの交流イベントが組まれた。
 まず19日には、北海道大学合唱部の諸君が、約20名を結集して歓迎の飲み会を企画してくれた。
 そして21日には、やはり北海道大学の、いまどきノンセクトの学生運動をやっている諸君が、構内のケイテキ寮にて、講演会を企画してくれた。このブログで告知した待ち合わせ場所に来てくれた10名を含め、こっちは百名近く集まってくれた。
 どちらも非常に有意義な交流だったが、なにせ私は札幌において単なる旅行者である。これを今後の展開につなげるためには、ぜひとも双方の諸君が互いの交流を持続し、おそるべき陰謀を札幌の地でも進行させていく必要がある。今回、諸君に紹介した、札幌在住の私の古くからの同志・宮沢直人も力になってくれるはずだ。

 さて今後の予定であるが、久々に本拠・九州へ戻り、しばらくは執筆に専念するつもりだ。都知事選と熊本市議選のレポートをまとめなければならない。
 これを書き終えたら、たぶん6月中旬あたりになろうが、九州をぐるぐる回ろうかと思っている。
 つまり、何月何日、どこそこに集合との呼びかけを、九州各県の県庁所在地および北九州市でおこなう。何人集まってくれるか分からないが、いよいよ九州で、政府転覆の恐ろしい陰謀を立ち上げるのだ。九州各地のアブない諸君は、心待ちにされたい。

2007年05月28日

熊本に到着

 昨夜、熊本入りした。

 23日(水)14時頃、札幌の宮沢邸を原付で出発、観光をかねて、支笏湖経由で苫小牧港へ。
 19時発のフェリーに乗り、翌24日(木)14時、茨城県の大洗港に着いた。
 で、やはり行きとは別ルートでと考えて、鹿嶋、成田経由で原付を走らせたのだが、思ったより時間がかかってしまい、東京・高円寺に到着したのは夜9時近かった。で、翌25日(金)にかけて、東京スタッフとミーティング。
 25日19時発のフェリーで、九州へ。
 30時間ほどかかって、27日(日)の朝5時半ころ、北九州の新門司港に到着。そこからもちろんさらに原付で、朝9時ころに福岡入りした。福岡の友人2名と、昼2時くらいまで、中心街の公園でダベる。
 途中、ついふらふらとブックオフに誘い込まれたりして、熊本に着いたのは夕方6時半ころ。
 で、そもそもこのためにこの日に帰ってきた、森達也氏の講演会に行った。講演会の後は懇親会というか、飲み会で、夜中1時か2時くらいまで痛飲。

 なんというか、近年の急速な管理社会化、監視社会化について、「2001年の9・11からではなく、95年のオウムからだろっ」という、当たり前すぎることを云ってるのは、私の他にはなぜか森氏ただ一人のよーな気がするんだが、他にいたらぜひ教えてほしい。

 今後しばらくの予定について少し。

 しばらくは九州滞在。
 とにかく書かなきゃならない原稿がいっぱいあるので、それ優先。
 原稿をおおむね片付けたら、以前告知したとおり、九州をぐるぐる周ってみる。
 また、九州各地で何かイベント等、企画してくれる人がいたらぜひよろしく。
 私を何かのイベントその他に呼ぶには「交通費+2万円」としているが、九州内(沖縄を除く)にかぎっては、交通費のみでいい(つまりもちろん、熊本でやるぶんにはまったく無料ということ)。ただし、20人くらいは参加者をかき集めてもらいたい。
 すでに6/17に、福岡でイベントが予定されている。詳細はおって告知。

 6/3深夜、東京でラジオ出演予定。これも詳細は後日また改めて。
 先の話だが、8/20、東京・新宿のネイキッド・ロフトにてイベント。これもまた後日告知。

熊本に到着

 昨夜、熊本入りした。

 23日(水)14時頃、札幌の宮沢邸を原付で出発、観光をかねて、支笏湖経由で苫小牧港へ。
 19時発のフェリーに乗り、翌24日(木)14時、茨城県の大洗港に着いた。
 で、やはり行きとは別ルートでと考えて、鹿嶋、成田経由で原付を走らせたのだが、思ったより時間がかかってしまい、東京・高円寺に到着したのは夜9時近かった。で、翌25日(金)にかけて、東京スタッフとミーティング。
 25日19時発のフェリーで、九州へ。
 30時間ほどかかって、27日(日)の朝5時半ころ、北九州の新門司港に到着。そこからもちろんさらに原付で、朝9時ころに福岡入りした。福岡の友人2名と、昼2時くらいまで、中心街の公園でダベる。
 途中、ついふらふらとブックオフに誘い込まれたりして、熊本に着いたのは夕方6時半ころ。
 で、そもそもこのためにこの日に帰ってきた、森達也氏の講演会に行った。講演会の後は懇親会というか、飲み会で、夜中1時か2時くらいまで痛飲。

 なんというか、近年の急速な管理社会化、監視社会化について、「2001年の9・11からではなく、95年のオウムからだろっ」という、当たり前すぎることを云ってるのは、私の他にはなぜか森氏ただ一人のよーな気がするんだが、他にいたらぜひ教えてほしい。

 今後しばらくの予定について少し。

 しばらくは九州滞在。
 とにかく書かなきゃならない原稿がいっぱいあるので、それ優先。
 原稿をおおむね片付けたら、以前告知したとおり、九州をぐるぐる周ってみる。
 また、九州各地で何かイベント等、企画してくれる人がいたらぜひよろしく。
 私を何かのイベントその他に呼ぶには「交通費+2万円」としているが、九州内(沖縄を除く)にかぎっては、交通費のみでいい(つまりもちろん、熊本でやるぶんにはまったく無料ということ)。ただし、20人くらいは参加者をかき集めてもらいたい。
 すでに6/17に、福岡でイベントが予定されている。詳細はおって告知。

 6/3深夜、東京でラジオ出演予定。これも詳細は後日また改めて。
 先の話だが、8/20、東京・新宿のネイキッド・ロフトにてイベント。これもまた後日告知。

2007年05月29日

熊本での街頭ライブ

 昨夜から、街頭ライブを再開している。
 ここんとこ忙しくて、今月は昨夜がたった4回目である。
 しかし例の三百万の借金の返済もそろそろ始めなきゃならんし、家賃も滞納しそうだし、今後の活動資金はおろか日々の生活費すらヤバいので、少なくとも熊本にいる間は、日曜と雨の日と、その他とくに何か用事がある日を除いて、毎日出没するつもりでいる。
 で、本当はとくに日時を指定して、「私の活動に興味のある熊本在住者はどこそこに集合」と呼びかけるつもりだったんだが、どうせこうしてほとんど毎晩街頭に出ているのだから、まあ個別に会いに来てくれということにした。
 ただし、街頭ライブは私の仕事である。仕事中に話しかけられるのは迷惑なので、以下の要領で。
 私はだいたい夜9時か10時あたりから3時間ほど仕事をする。つまり終わるのは夜中12時から1時あたりである。だからその時間帯を目安にやって来て、私が仕事を終えるのを待って声をかけてほしい。
 もちろん早い時間から来て私の仕事ぶりを見物してくれるのは結構だが、年輩の酔っ払いをターゲットに、30年くらい前のダサダサのヒット曲をひたすらルーティンに弾き語っているだけだから、あんまり見て面白いもんではないことは覚悟するように。
 それと、あんまり長時間、同じ人が近くにいると本来の客が寄りつかなくなるので、無関係を装って遠くから温かく見守るように。
 仕事が終わってから、夜中に交流しよう。

 街頭ライブの場所は、状況によって変わることもあるが、銀座通りっていうんだっけ、紀伊国屋からガスト方面にいく途中、フェスタの向かいあたりでやっていること多し。

2007年06月11日

今日、熊本帰還

 TBSラジオ出演以来、そのまま東京に滞在していた。
 居酒屋オープンと、ファンクラブ設立について主に東京のスタッフとミーティングを重ねる日々だった。
 まあ、いずれも順調。

 昨日単にその前日の酒の二日酔いで動くのがきつく、予定を変更して今日早朝の新幹線で九州へ向かうことにした。
 今日の晩から(雨が降らなければ)また熊本市街で街頭ライブなんで、私と直接話をしてみたいという熊本在住者はよろしく。

2007年07月11日

脱獄成功!?

 久々に自分で更新する。
 つまり今現在、私はシャバにいる。

 ついさきほど、脱獄に成功した。
 その瞬間の写真などは「我々少数派」の方へのちほどアップ予定(http://bewe.sc/wareware/)。

 ちゃんと説明すると、国選弁護人による勾留取り消し請求があっさり通ったということ。
 獄中で昼食をすませ、また獄外に手紙を書かなきゃなあと思っていたところで突然看守から釈放を告げられた。
 実際に出たのは、午後1時半ごろ。
 罪の上に罪を重ねたわけではないのでご心配なく。

 まさか請求が通るとは思っていなかったので、ほぼ丸一ヶ月ぶりに自由の身になったことはむろん嬉しいのだが、かなりとまどってもいる。
 えっと、そんでこれからどうすればいいんだっけ?、という感じ。
 せっかく陰謀論が完成しつつあったのに。
 しかしまあ、参院選告示の前日に釈放というのは、やはり「革命的想像力」発揮の余地は充分にある。つまり今からいろいろやろうと思ってももう不可能ってタイミングだということ!

 えーとにかく、予想外の展開なので、今回はとりあえず報告のみ。
 落ち着いたらまた更新する。

 いろいろ(政府が)ご心配おかけしました。

2007年07月14日

天気悪くて仕事できない

 街頭ライブをやる気は満々なのに、天候がすぐれずまだ一日も出られない。

 昨日13日は昼間、熊本市議選の時も熱心に報道してくれ、また今回の逮捕についても素早く特集を組んでくれたらしい地元のネットラジオ・FMCの取材を受けた。「釈放記念ロング・インタビュー」である。
 昨夜のうちにアップされていたようである。
 http://www.fmc.or.jp/mns20070713.html

 昨夜は熊本の支援者らによる釈放祝い。
 市内の居酒屋で2時間ほど飲んだ。

 今日は午後、月末に創刊される某誌用の原稿を書いていた。
 版元のサイトを見てもその新雑誌に関する告知がないので、もしかしたらまだ秘密なのかもしれないから版元および雑誌名は念のため伏せておこう。
 この雑誌に連載を持つことになり、今回の入獄前にすでに先方に渡してあったその第一回目の原稿の字数調整と、それから今回急遽その連載ページとは別に掲載されることになった「獄中手記」ってのがあって、6月末に獄中からその原稿もすでに書き送っておいたのだが、ご存知のとおり状況が変わったじゃないか。創刊号が店頭に並ぶ月末にはまだ獄中にいる前提で書いた手記だったから、大幅な手直しが必要になった。つまり政府が悪い。
 とりあえず書き上げてはみたのだが、めまぐるしく変わっていった状況を順を追って解説していくだけで膨大な分量になってしまい、3分の2ぐらいに圧縮しないといけない。締め切りは明後日なので、圧縮作業はまた改めてやることにする。まったくもう政府ときたら。

 夜は支持者に誘われて、熊本市の某クラブへ。
 クラブ・カルチャーには「造詣が浅い」私だが、まあ地元若者文化の視察ってことで。

 明日こそはやっと街頭の仕事できるかなあ。

2007年07月23日

第一回学習会

 昨夜、久々に学習会をおこなった。
 参加者は私を含めて6人。
 テキストには、柄谷行人の『<戦前>の思考』所収の「自由・平等・友愛」を使った。
 タイトルに「戦前」とあることから察せられるように、「湾岸戦争以後、オウム事件以前」におこなわれた講演集だし、かつてだめ連・福岡での学習会にも使っていたくらいの古い本ではある。初回なんで自分が使い慣れたものを選んだところもある。
 予備知識(とくに歴史についての)さえあればそれほど難しい内容ではないのだが、普通はその予備知識を参加者に期待できない。
 「自由・平等・友愛」は5節から成り、私の学習会ではまず各自でその第1節を黙読、全員が読み終えたところでそれぞれが理解できなかった箇所を挙げてもらい、その箇所を理解できた人が解説を加える。ひととおり全員が理解すれば、今度は第2節について同じようにおこなう。
 30ページほどを消化するのに4時間くらいかかってしまうが、最終的には参加者全員がテキストの内容を理解する。
 今回は、この種の文章を読むことに慣れているのが私だけで、他の5人の参加者に対して私が一方的に解説する形になってしまった。もう1人か2人、注釈不要でテキストを読める参加者がいれば、私の解説に異論を唱えてもらったり、あるいは柄谷の論旨そのものに異論を唱えてもらったりして、単にテキストを理解するにとどまらない発展的な学習会にできるのだが。まあそれでもとりあえず各参加者にとって勉強にはなるだろうから、やる意味はあるだろう。
 私自身にとっては、久々にこのテキストを読み返してみて、それなりに面白い発見があった。やっぱりかつて熟読した本だから、無自覚なレベルでも強い影響を受けていたんだなあと。
 「自由・平等・友愛」ではまず、自由の理念と平等の理念とは、この近代資本主義社会においては両立しえないことが語られる。しかし友愛の理念をナショナリズムとして制度化することで、この自由と平等との両立が実現されているかに思い込ませることができる。それがファシズムである。
 私なんかもファシストとして、まさにそれに近いことを考えているわけだが、もちろん柄谷はそういった「思い込みによる解決」を批判しているのである。私は、「思い込み」だろうがなんだろうが、解決できるんならそれでいいじゃんと思っている。
 最終の第5節は「自由と平等の矛盾を乗り超えるもの」と題されている。あ、なんか別の解決が提示されるのかなと期待して読むと、肩透かしをくらう。何も提示されない。「自由と平等の矛盾」は今後いよいよ露呈していくだろう、そしてそれを「乗り超えるもの」と称してファシズムが再び登場する可能性が高いから気をつけましょう、みたいな話である。
 「このように、自由・平等・友愛という要素は、資本主義の現実的な局面において、さまざまなかたちであらわれます。むろん今後においても、それはあらわれます。なぜなら、それらの矛盾はけっして解消されないからです。私の予感では、『共産主義』への幻滅が甚だしい以上、今後の危機において出てくるのはファシズム以外にありません」
 そうそう、そのとおり(笑)。
 テキストは、次のように結ばれる。
 「もし今後にファシズムがあるとすれば、けっしてかつてのようなファシズムとして出てこないでしょう。それは『民主主義』として出てきます。さらに、そのときに抵抗しうるのは、社会民主主義者ではなくて、頑固な自由主義者だけであろうということをつけ加えておきます」
 私は現在、実践においてこの柄谷の予測を裏切ろうとしている。この最後の一文の「ファシズム」を「全体主義」に変換する。新しい全体主義は、「『民主主義』として」登場する。「スターリニズム」である。「『共産主義』への幻滅が甚だしい以上」、共産主義は、それが共産主義であるという自覚を欠いて(当然、それがスターリニズムであるという自覚をも欠いて)再登場する。もちろん「社会民主主義者」たちはこれに抵抗しえないし、それどころかむしろその主要な担い手となる。抵抗しうるのは「頑固な自由主義者だけ」、つまり我々ファシストだけなのである。

 第二回の参加者を募集
 たぶん29日、熊本でおこなう。
 希望者はwarewaredan@mail.goo.ne.jpまで。

2007年07月24日

選挙協力

 云うまでもなく、私は選挙に興味がない。
 だから自分が出ている、あるいは今後、我々団公認の候補を擁立した場合を除いて、私は投票には行かない。
 が、「左翼を敵とし、右翼を友とする」ファシズムの原則にしたがい、右翼方面からの依頼であれば、私のどーでもいい一票で力添えすることにやぶさかでないし、またポスター貼り程度の作業になら労力を提供することもまた全然かまわない。
 というわけで、本日夕刻、某右翼政党の熊本の党員たちによるポスター貼りに同行、微力ながら協力してきたのだが、その過程で、新党日本から出馬している有田芳生の街宣に遭遇した。もともと左翼のくせに、オウム事件を機に警察の手先として名を売った奴だから、オウムの本拠地のひとつであった熊本で街宣すれば票をとれるとふんだのだろう。実際、「オウムと戦った有田です」なんぞと云っていた。
 おのれ警察の手先め、そうはさせるかと真っ向から勝負を挑んでいる(つもりの)写真を「我々少数派」のブログに掲載しているので、会員登録して見るべし。

 きっとこういうことをさせまいと政府は私を予防拘禁したのだろう。ざまあみろ。

2007年07月27日

司法の独立!?

 昨日は旧誕生日。
 前世から数えると、昨日で37歳になった。
 もちろん、02年から04年にかけての獄中生活を経て生まれ変わったわけだから、私の現在の誕生日は04年5月5日、つまり正式には今は3歳である。
 とはいえ旧誕生日も私にとってはそれなりに祝福すべき記念日である。
 そんなめでたい日に、運転免許センターから電話がかかってきた。
 免停だという。
 おいおいちょっと待て。
 私は現在、2件の交通違反について裁判中だ。初公判は明々後日だが、いずれも無罪を主張するつもりだ。
 万が一、いやいや当然の結果として無罪判決が出た場合、どうなるのだ。一方通行違反の2点と、20キロの速度違反の2点、計4点がなければ、むろん免停にはならない。
 実際、少なくとも一方通行違反については、無罪判決を勝ちとる自信がある。
 いやそもそも、まだ係争中の案件も含めて免停のための計算をすること自体がおかしい。理にかなってない。
 というわけで今朝、免許センターに行き、担当者と交渉してきた。
 結果としては、処分は延期となった。
 が、担当者が云うには、免停は「行政処分」であって、「刑事処分」を判断する裁判とは別の領域であり、よって裁判の結果とは無関係に免停の処分はいずれおこなわれる。
 おいおいおいおい!
 都合のいい時だけ「司法の独立」を実現させるな!
 まったく次から次へとメンドくさいこと山のごとしだが、この件、続報を待て。

2007年07月29日

節を曲げる

 さっき投票に行ってきた。
 本来ならば確信犯的な棄権主義者として、我々団公認候補が立候補していないかぎり断固として投票なんか行かないのだが、今回はまあ、そういうわけにも行かないだろう。うーん……しがらみ選挙?
 もちろん、しがらみのない選挙区は断固として棄権した。
 投票所のスタッフは、「では何も書かずに入れてください」と云ってきたが、白票でも投じてしまえば投票率のアップに貢献してしまうので、そんな恥ずかしいことはできなかった。
 比例区は、「左翼を敵とし右翼を友とする」ファシズムの原則を適用し、愛国者の諸君に不本意ながら(彼らを支持できないのではなく、投票に行くこと自体が本来ポリシーに反するのだ)投じてきた。
 選挙で世の中を変えようという方向性はいかがなものかとは思うが、とりあえず愛国者の諸君の一部がその道を選ぶというなら、私の一票を上乗せするくらい構わないし、とにかく健闘を祈る。

2007年07月30日

初公判

 いやー参った参った。
 失敗したなあ。
 いきなり云いわけめくが、くしゃみ鼻水が止まらなくて開廷のちょっと前に鼻炎の薬を飲んだら、公判の途中からこれが効いてきてつまり口の中がカラカラ、ロレツが回らなくなって喋りながら自分がイライラするほどだった。
 裁判官は明らかに私に敵意を持っていた。
 冒頭の人定質問で、職業についてかたくなに黙秘をおこなった(前回みたいにまた判決文で「自称革命家」とか書かれるのは不愉快だから)ことで、どうやらショッパナからムッとしたようだ。
 詳細についてはスタッフによる速報(http://www.warewaredan.com/を見よ)を後日私が改めて整理するが、大枠、以下の主張をした。

 まず一方通行違反について。
 アーケード街を原付を押す歩行者として通過し、問題の一方通行道路に出た。そこでエンジンをかけ、まずは正しい方向に少し進み、道を間違えていることに気づきUターンして逆送、出発地点付近にある交番の警官に停止を命じられ、立件された。
 往復したこの20~30メートルの区間には一方通行を示す標識はなく、したがってそのことを確認できないから、「確認を怠った過失責任」も生じえず、無罪である。
 ちなみに、脇道から一方通行道路に出たところに標識がなかったため逆送してしまったケースで無罪判決があった例を聞いたような気がするが、今回のケースもそれに準ずるものだ。

 速度違反について。
 そもそも原付の30キロ規制は時代に合っておらず(法制定時との道路整備状況や原付の性能の格段の違い)、事実、これを守って走行している原付は滅多にない現実がある。この規制は(ほんとは「二段階右折の規定と同様に」と言及したかったのだが今回はそのタイミング見つからず)、交通事故を防止するという本来の法の趣旨を離れ、単に「取締りのための取り締まり」の道具と化している。
 この悪法を何十年も改訂せず放置してきたのは、立法不作為ともいうべき当局の怠慢である。
 現にこの法律が存在している以上、「悪法も法なり」ということで有罪判決とせざるを得ないという判断も理解はするが、本来なら立法の不作為を認めて無罪とすべきだし、また有罪とするにしてもせめて判決文中で立法不作為の疑いを指摘することで法改正を促してほしい。

 と、そんなにメチャクチャなことは云ってないはずだが、大人げなくもすでにヘソを曲げていた裁判官は、ほとんど詰問口調で「納得いかない法律は守るつもりはないということか」、「今後もこの速度規制は守らないということか」などとネチネチ云ってきて、私もついヤケになって(?)、「正直この速度規制を守るのは難しい。法改正を促してください」とつい云ってしまう。

 厳しい判決が予想される。

2007年08月21日

昨夜のイベント

 昨夜ネイキッドロフトでおこなった「第三回政府転覆共同謀議」には、55名の少数派の諸君が結集してくれた。
 もう人気も落ち目だし(?)、20人くらいしか来ないんじゃないかと心配していたので、ちょっとホッとした。
 ゲストの今井亮一さんとの交通取締り問題に関するトークと、鈴木邦男さんとの陰謀論トークというふうに焦点が拡散しちゃったかなあと反省もしているが、どうだったんだろう。

 終電後も残っていた私を含め13人で居酒屋へ移動し、朝まで交流会。
 私自身は今後はよりいっそう九州内での運動にのみ力を注いでいく決意を固めているが、首都圏は首都圏で、都知事選以来の“外山界隈”の諸君がそれぞれ勝手に動き出してもいるようで、それはそれでいい展開だなと思う。それぞれのやり方で、状況を揺さぶるべし。

 ネイキッドでのイベント、次は11月2日(金)と決まった。
 内容は未定。

2007年11月19日

熊本帰還

 思いのほか東京滞在が延び、20時間ほど前にやっと帰ってきた。
 明け方、BEWEの方のブログを更新した後、ついさっきまで寝ていた。

 さて、さすがにやんなきゃいけないことが貯まっている。
 とくに「全部私がやりました」Tシャツ、1週間くらい前に熊本に届いていたようなんだが、私がいないから発送できずにいたし。
 注文してくれた諸君、そんなわけで申し訳ない。
 今日、明日と発送作業をがーっとやる。

2008年11月05日

外山氏が勝利宣言 (我々団広報部)

victory.jpg

 国内外を問わずメディアは真実から目をそらし続けているが、4日投票がおこなわれた2008年のアメリカ大統領選挙は、民主党候補のオバマ上院議員(47)、共和党候補のマケイン上院議員(72)を話にならんぐらいの圧倒的大差で引き離して、日本州在住の革命家・外山恒一氏(38)が勝利し、米国初のアジア系大統領が誕生することになった。
 外山氏は9月上旬、「もはや全世界はアメリカであり、したがって全世界全人民がアメリカ大統領選への選挙権・被選挙権を有している」として“勝手に立候補する”ことを表明。その上で、北米大陸の一部アメリカ人にしか選挙権・被選挙権を認めていない現行法への抗議として、「私を支持する者は選挙をボイコットせよ」と呼びかけていた。
 その結果、全有権者66億数千万人のうち約65億人が投票をボイコット、それぞれわずか6000万票前後しか得票できなかったオバマ、マケイン両候補の100倍以上の支持を得て、当選を確実にした。
 就任式は、来年1月20日におこなわれる予定。

 (写真は5日、日本州内で勝利宣言する外山氏)
 参考:http://jp.youtube.com/watch?v=uGZqOkeYbB0

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