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2007年10月 アーカイブ

2007年10月02日

不定愁訴!

 いや違った不当判決!!
 すでにご存じの諸君もあるかと思うが、素晴らしすぎる判決が出た。
 詳細は、今その渦中である観劇ツアー期間終了後に改めてアップすることにして、今日のところは結論だけ報告しておく。

 判決は、「罰金12万円」であった。
 求刑が同1万5千円だったから、なんと8倍である。
 検察官の求刑を上回る判決自体がごく稀であるのに、「8倍」というのはあるいは前代未聞なのでは?
 判決にはいくつか但し書きがあり、まず「未決算入を1日5千円換算で10日分」。これは判決が出るまでの間に拘束された期間のうち、裁判官の裁量で「すでに刑罰を受けたも同然」ということでいくらか差っ引くもの。私は今回、30日間にわたり獄中にあったわけだが、このうち10日分を1日5千円換算で、つまり計5万円分の刑罰をすでに受けたに等しいと考え、罰金は実質残り7万円となる。
 で、その残り7万円を、何らかの理由で払えない・払わない時には、やはり1日5千円換算で、刑務所に入れる、と。これを「労役」という。つまりおとなしく7万円を国に納めるか、刑務所に2週間行けということ。もちろん、私は当初から宣言しているとおり、後者を選ぶ。ただしもちろんこれは判決確定後の話で、高裁・最高裁に控訴・上告しているうちは猶予期間となる。
 最後にもうひとつ。「この裁判にかかった費用は被告人の負担とする」。これはおそらく計10万円以下である。国選弁護人の報酬(高くても8万円くらいだという)と、今回は警察官の証人出廷があったので、その証人の日当と交通費がまあ1万円前後だろう。有罪判決を受けるとたいていこの但し書きがつくし、また実際には「貧困のため」とか理由を書いて免除申請をすれば(普通は)通るので、この部分はべつに特殊なことではない。

 とにかく、そういう判決であった。
 もちろん控訴する。
 ちゃんとしたものは二審の国選弁護人が書くだろうし、被告人独自の「控訴趣意書」には一言、「まじめにやってください」でいいような気がする。

2007年10月04日

11/2日のイベントにさらにもう1人のゲスト

 ネイキッドロフトでの次回イベントに、元(?)だめ連のぺぺ長谷川氏の出演が決定。
 つまり、

 山本夜羽音
 ペペ長谷川
 中川文人
 外山恒一(司会)

 と。
 これで「80年代、90年代の運動史を語り合う」というテーマにますますふさわしい顔ぶれとなった。

 今回は金曜日だし、これまで以上に多くの諸君の来場を期待する。

2007年10月05日

オリジナルTシャツ

 「我々少数派」ブログや、ミクシィでスタッフがやってるブログではすでに報告しているとおり、昨日、鹿児島でちょっと事故った。
 運転していたのは私ではなく同行スタッフだったのだが、間の悪いことに例の「全部私がやりました」Tシャツを着ており、警官にも軽く突っ込まれてしまった。
 その写真を上記ブログに掲載したところ、「このシャツ欲しい」の声が殺到しているとのことで、スタッフが急遽、その販売を決めた。
 1枚2千円という値段設定に反発する向きもあるかもしれないが、これはもともと近く始める予定だったオリジナルTシャツ販売の方針として決めていたことだ。当初はまず5種類の販売を開始する予定だったが、それが6種類に急遽変更になったという話。
 今その渦中であるテント芝居の観劇ツアーが終了しだい着手するので、もうしばし待て。

例の件の報道

 衝撃の8倍判決、さすがにポツポツ報道され始めたようだ。
 「職業」に注目しよう。
 「不詳」ってのが多いが、これは今回、検察官が起訴状等で一貫してそう表現してきたからだろう。職業どころか、住所や学歴まで「不詳」と云ってたからなあ。それでも捜査機関かよ、と。
 鹿児島の自称新聞社である南日本新聞は「自称革命家」とやってくれていた(3日朝刊)。今回、逮捕された際の警察発表では「自称文筆業」とされ(そもそも完全黙秘で応じてたから「自称」なんかしてないんだが)、マスコミもいつものようにその警察発表を垂れ流していたが、「自称革命家」ってのはどこから出てきたんだろう。すでに報告のとおり法廷でも職業については黙秘してきたから、公的には今回、「革命家」を自称した場面はなかった。
 南日本新聞の社内資料にでもあるのかな?

2007年10月08日

「8倍判決」を受けて

 判決公判についてのレポート、昨夜書き上げて更新担当スタッフに送ったので、今日あたりトップページにアップされるだろう。
 また、ついでに今回の判決の報道について、一文をまとめてそれもさっき同スタッフに送ったので、これも今日明日じゅうくらいにアップされるだろう。
 観劇ツアーの真っ最中の出来事だったので対応が遅れたが、まあ読むべし。

ネット社会って恐ろしいねえ

 ふと思いついて検索してみたらこんなの出てきた。


裁判員制度全国フォーラム in 鹿児島

日 時 平成18年1月22日(日)
13:30~16:00(開場13:00)
会 場 かごしま県民交流センター 県民ホール
(鹿児島市山下町14-50)
ビデオ上映 「刑事裁判 ~ある放火事件の審理~」
裁判員制度
ポイント解説 渡部 市郎(鹿児島地方裁判所裁判官)
パネル
ディスカッション 「語いもんそ 裁判員制度」
【パネリスト】
小栗 実(鹿児島大学法科大学院教授)
辛島 美登里(歌手)
宮之原 綾子(鹿児島青年会議所会員)
【アドバイザー】
渡部 市郎(鹿児島地方裁判所裁判官)
樋口 正行(鹿児島地方検察庁検察官)
上山 幸正(鹿児島県弁護士会副会長)
【コーディネーター】
日高 和広(南日本新聞社論説副委員長)
(敬称略・順不同)
主 催 最高裁判所、福岡高等裁判所、鹿児島地方裁判所、南日本新聞社、全国地方新聞社連合会
後 援 法務省、鹿児島地方検察庁、日本弁護士連合会、鹿児島県弁護士会、鹿児島県、
鹿児島市、鹿児島県市長会、鹿児島県町村会、鹿児島県商工会議所連合会、
鹿児島県商工会連合会、鹿児島商工会議所、鹿児島青年会議所、NHK鹿児島放送局、
MBC南日本放送、KTS鹿児島テレビ、KKB鹿児島放送、KYT鹿児島読売テレビ、共同通信社


 んー、何「アドバイス」すんのかなあ。
 判決なんて気分で出していいんですよ、難しく考えることないですよ、とか云うのかなあ。
 ポイント解説って(笑)。

 ちなみにコヤツは例の志布志事件の無罪判決にも絡んでいるようだ(いわゆる「合議」で、3人の裁判官のうちの1人)。もっとも鹿児島地裁の刑事裁判はどうも全部その3人でやってるみたいなんだが(http://www.courts.go.jp/kagoshima/saiban/tanto/tisai_tanto.html参照)。

 裁判報道では、「何月何日、鹿児島地裁(渡部市郎裁判官)は……」と書くのが普通だから、裁判官の名前で検索すれば、とくに最近の事案についてはよく出てくる。
 コヤツの過去の判決をざーっと並べて、どういう犯罪についてどういう判決を出し、それは求刑に比べて何割増or減だったか、とか表にすると面白いかも。今回いかに恣意的な判決を書いたか、バレバレになるだろう。
 誰かヒマな人、やってみない?

2007年10月10日

檜垣立哉『生と権力の哲学』(いいこと云わない人たち①)

 過去の文章など整理してたら、こんなのが出てきた。
 去年の夏ごろ気まぐれに書いたんだと思う。
 ちょっと品がないかなとも思うし、スタッフには「ケンカ売りすぎでは?」と云われたが、それなりに大事なことを書いているので、公開しておこう。

          ※          ※          ※

 ちくま新書から最近(06年5月)出た、檜垣立哉という人の『生と権力の哲学』という本を斜め読みした。
 表紙に「『正義』と『慈愛』に溢れた社会であればあるほど、そこでの善意の構成員は、異常者を認知し、変質者を特定し、清潔にして正常な社会を維持し防衛することで、ますます<生権力>の働きを担う者となる。……ではそこで、権力に『抵抗』することは不可能なのだろうか」とある。これはおそらく本文からの引用であろう。
 表紙をめくると、ソデにはこうある。「権力とはわれわれの外にあって、人々を押さえつけるようにだけ働くものではない。それは、『見えない』かたちで動き、われわれを『殺す』よりも『生かす』ものとして働く不気味なシステムなのだ。厳密な実証的研究を踏まえながら、権力論に新たな位相をひらいた知の巨人、フーコーの思想を中心に、その課題を現代的な場面で捉えなおすべく苦闘するドゥルーズ、アガンベン、ネグリらの問題意識とその論理を丁寧に読み解くことによって、グローバル化し、収容所化する現代世界の中で、『ポジティヴ』に戦い続ける希望を提示する」とある。こっちは編集者が書いた宣伝だろう。
 要するにまあ、昨今のインテリ左翼があちこちで云い散らかし、書き散らかしているような話を、コンパクトにまとめただけの本であることは、そもそもタイトルを目にしただけの段階で容易に想像できることだ。もちろん、入門書なのだから独創性などなくていい。
 で、こんなことが書いてあったりする。

          ※          ※          ※

 ……もともと明確であった公的なもの(ビオス)と私的なもの(ゾーエ)との区分が崩れ、公的であるのか私的であるのかをはっきりとは分類できない、きわめて不分明な地帯(最近の言葉でいえば「親密圏」と重なるもの)が、新たな政治の争点になっていくのである。
 ……暴力の問題が、セクシャル・ハラスメントやドメスティック・ヴァイオレンスという、公と私が入り交じった領域で典型的に見いだされること、あるいはネグリがいうように、戦争が国家間での、いわば公と公の交戦であるというよりも、むしろ内戦やテロという内密な暴力にとって代わられているということ、これらもこうした事態と関わりのあるものだろう。……

          ※          ※          ※

 昨今のインテリ左翼どもが、いかに混乱した認識をもって、わざとなのか単にアタマが悪いからなのか、その混乱を詐術的な論法で糊塗していくかが、はっきりと露呈している箇所である。もしこれを読んで、「なんかおかしい」と感じることすらできないないようでは、あなたもこの著者の同類、つまり昨今のダメなインテリ左翼の一人だということだ。もちろんそんな連中に、「権力に『抵抗』することは不可能」だし、「グローバル化し、収容所化する現代世界の中で、『ポジティヴ』に戦い続ける希望を提示する」ことなどできるわけがない。
 公的な領域と私的な領域が曖昧にされ(「なり」? いや「され」だ)、そこに発現する「暴力」が現在、「権力」とかそれに対する「抵抗」とかを考える時に最重要なテーマとなっていることはまったく事実である。セクハラやDV(やここには挙げられていないがストーカー)の問題がその典型的な事例であることも、まったくそのとおりである。
 だが、問題設定というか、位置づけ方がまったく間違っている。
 ここではまるで、私的な領域である民間の男女関係の中で男個人が女個人に対して行使する「暴力」が、アメリカの「反テロ戦争」に典型的な、国家間の衝突ではない形で展開している現代の戦争において行使される「暴力」と同質の問題であるかに語られている。
 違うだろう。
 いや、たしかに両者は同質の問題である。
 しかしその意味は、「反テロ戦争」的な国家権力の発動形態と、単なる民間の個人的な男女間のイザコザに警察や裁判所を介入させたり、そのための新規立法をおこなったりするという国家権力の発動形態とはまったく同じである、ということだ。
 アメリカが「テロリストの国際ネットワーク」に対して行使している「暴力」を、民間の男個人が民間の女個人に対して個人的に行使する「暴力」ではなく、国家権力が民間のセクハラ男個人やDV男個人(やストーカー男個人)に対して行使する「暴力」とこそ等置しなければ、問題の本質(「両者は同質の問題である」ということ)は見えてこない。
 そして、まるで国家権力が民間の反体制組織に対して行使する「暴力」と、民間の男個人が民間の女個人に対して個人的に行使する「暴力」とが同質であるかのような詐術的論法を用いて、あろうことか後者に対する国家権力の介入を容認(というよりもむしろ積極的に要求)するフェミニストどもは、それこそ「戦争が国家間での、いわば公と公の交戦であるというよりも、むしろ内戦やテロという内密な暴力にとって代わられている」という今日的事態を推進する勢力であり、このような悪質なフェミニズム的問題設定を空気のような自明の前提であるかにしか思考できない檜垣のような今日的インテリ左翼どもも、やはり同様に今日の「内戦」的事態の推進勢力の一部を成している(少なくとも、「反権力」の思想や運動に誤った問題意識を持ち込み、悪い影響をもたらしている)。奴らがいくら主観的には「反権力」の立場に身を置いているつもりであっても、客観的には今日的な権力に奉仕しているのである。
 何度だって繰り返してやるが、そんなふうに権力側に事実として身を置いている連中が、「権力に『抵抗』することは不可能」だし、「グローバル化し、収容所化する現代世界の中で、『ポジティヴ』に戦い続ける希望を提示する」ことなどできるわけがない。
 あるいはソデにあった「権力とはわれわれの外にあって、人々を押さえつけるようにだけ働くものではない」というのは檜垣のような今日的インテリ左翼の、無意識的自己批判(無意識だから結局は自己正当化)なのかもしれない。少なくとも私にとっては、「権力とはわれわれの外に」厳然と存在するものとして、ますますくっきりとした輪郭をもって感じられている。檜垣のような今日的インテリ左翼が「われわれ」の一員でないだけの話だ。(もちろん私はファシストであるから、現在は「われわれの外に」ある権力を、いずれ「われわれ」の側に奪取する以外に問題解決の方法はないと考えているのである)
 まさに表紙にあったとおり、「『正義』と『慈愛』に溢れた社会」で、檜垣のような「そこでの善意の構成員は」、セクハラする奴とか、奥さんを殴る奴とか、あるいはストーカーする奴などの「異常者を認知し、変質者を特定し」、セクハラやDVやストーカーのない「清潔にして正常な社会を維持し防衛することで、ますます<生権力>の働きを担う者となる」のである。
 だまされてはいけない。

2007年10月12日

本日(ほぼ)控訴

 本日、「控訴申立書」を作成し、裁判所宛に発送した。
 明日13日には着くはずたから、判決から14日以内ということで、無事受理されるはずである。

2007年10月18日

やっと届いた判決文

 昨日、判決文のコピーが郵送されてきた。
 10月2日の判決直後、問い合わせてみるとまだ完成していないと云われた。渡部クンが法廷で読み上げてたアレは何? とも思ったが、以前の初めての裁判でも同じ体験をしたので、こういうものなんだろうと思ってはいる。
 しかし、根本的におかしなことではある。
 判決直後に判決文を見ることができないのはやはり困る。
 こういう判決を受けたんだ、ということを詳しくレポートしようがないし、このようにそれを入手できた段階では世間の興味はもう持続していなかったりする。
 もっと重要なのは、じゃあどうやって控訴するか否かを検討しろっていうんだ、ということがある。今回の私のように、どんな判決だろうと最高裁まで争う気でいる場合ならともかく、判決のメイン(刑の内容)だけでは決めかねる場合もあるだろう。判決理由の部分をよく読んで、争う余地があるかどうかをじっくり検討した上で控訴するか否かをじっくり判断したい場合だってあるはずだ。なのに、判決文はたいてい判決から何週間も経ってようやく「完成」するのだ。控訴を検討するために与えられている期間はわずか2週間だというのに、その間に判決文が出ないことも多い。今回だって、裁判所の担当書記官から、判決文ができたとの連絡があったのは3日前で、つまり控訴申立書提出期限の前日だ。

 まあともかく、弁護士経由でその判決文が昨日、届いた。
 夜中のうちに優秀なスタッフ・S嬢が全文をテキストデータ化してくれたので、まもなく公式サイトにアップされるだろう。
 また、判決文批判の一文をさきほど急遽書き上げたので、これまた判決文と同時にアップされるだろう。
 とにかく読んでみるべし。

新連載決定発表

 都知事選であれだけ世間に才能を見せつけてやったにもかかわらず、私に執筆依頼をしてくるメディアはほとんどなく(インタビューは結構あったが、私は「書き言葉」の人間であることはこれまでにも何度も強調してきているとおり)、ほぼ唯一の例外であった嫌韓流の版元の新雑誌『スレッド』もわずか3号で休刊となってしまい、悲しみに打ちひしがれていた矢先、捨てる紙あれば拾う紙あり、別の雑誌から新連載の打診があった。
 で、先日、連載開始が決まった。
 連載タイトルは「革命のエチュード Anarcho-Fascio」となる予定。
 編集部から送られてきた企画書に、「政治的であるかどうかは問わず、日々活動されている中で特筆すべきトピックを取り上げ、それについてのエッセイを毎月ご執筆いただくことを想定しています」とあり、原稿用紙3枚程度の軽いものとなりそうだ。
 その第1回原稿が掲載される号が、早くも11月6日に発売となる。

 掲載誌は、『スタジオボイス』である。

11月2日、ネイキッドロフト

 どうもここではちゃんと告知していなかったような……。

 3ヶ月に1回くらいのペースで東京・ネイキッドロフトで開催しているイベント「政府転覆共同謀議」、その第4回目は11月2日におこなわれる。
 ネイキッドのサイトのスケジュール表から引用すると、

  「第四回政府転覆共同謀議~革命運動史の空白を埋める~」
 全共闘以後も若者は闘い続けていた。にもかかわらず、それらは現在ほとんど「なかったこと」にされている。断片的な史料しか残されていないからだ。とくに、マスメディアの機能が完全に失調して以後、ネットが普及する以前、つまり80年代後半から90年代前半にかけては、もはや入手困難な当時のミニコミやビラでしかうかがい知ることのできない、「謎の10年」とも云うべき革命運動史の空白と化している。
 この空白を埋めるべく、当事者としての体験をもとに現在サイトで「通史」を執筆中の外山恒一が、80年代を法政大学ノンセクトのリーダーとして駆け抜けた中川文人、そして反管理教育運動や反原発運動に身を投じ、さらには反天皇制全国個人共闘「秋の嵐」のメンバーでもあった山本夜羽音ら、“80年代異端派左翼シーンの生き証人”たちと語り合う一夜。
【出演】
外山恒一(革命家・歴史学者)
中川文人(法政大学統一OB会)
山本夜羽音(社会派エロマンガ家)
他、交渉中
OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,500(+1drinkから)
当日¥2,000(+1drinkから)
前売チケットはNaked Loft店頭にて販売中!
電話予約も受付中!
【問】Naked Loft 03-3205-1556(16:30~24:00)

 となる。
 その後、元(?)だめ連のぺぺ長谷川氏の出演が決まったことだけは、なぜかすでに告知しているとおり。


 会場への地図ほか詳しくは「http://www.loft-prj.co.jp/naked/」を。
 今回は初めての金曜開催だし、とくに首都圏の諸君はこぞって足を運ぶべし。

きゃらちゃっと

 告知するのをすっかり忘れていたが、「きゃらちゃっと」というところで私ふうのキャラを持った人工知能とバーチャルな会話ができるサービスがおこなわれている。
 もちろん私自身が内容に関与しているわけではないが、キャラとして使用したい旨、打診があったので了承しておいたら、いつのまにやら始まっていた。
 詳しくは、
 http://www.robochat.net/index.php?k=10

オリジナルTシャツ

 前々からの懸案のひとつであったオリジナルTシャツの製作と販売、ついに実現にこぎつけつつある。
 まずは相○みつ○の字をコピーして切り貼りして……という例の私の過去の前衛芸術作品から、「みんな死ねばいいのに ○つを」と、「生きていてもしかたがない ○つを」の2種類、そして先日の法廷で私が着用した「全部私がやりました。」Tシャツの計3種類を量産し、売り出す。
 すべて1枚2000円均一。

 11月2日のイベント会場で2種類の「○つを」Tシャツを直接売るのを皮切りに、その数日後には「全部見私が…」Tシャツも出来上がるので、おそらく11月前半中には公式サイトに通販で入手する方法が告知されるだろう。
 欲しい人は要チェックということで。

 もちろん、それらの売り上げをもとに、さらに別のデザインのものも続々発表される。

投票率ダウン・キャンペーン動画

 これまた前々からの懸案である8年前の革命的行動の動画記録の編集作業がここ数日で飛躍的に進んでいる。
 「iMovie」を使って私が自分で編集作業を進めているのだが、このソフトを使うこと自体が初めてであるまったくの素人にしてはそれなりのレベルに仕上がりつつある。
 3部構成で、それぞれ4、5分の計12、3分の作品となりそうで、すでに数日前に第1部を完成させ、第3部も昨日ほぼ完成させた。
 うち第1部を20人くらいのスタッフや友人知人に直接見せたり、やたら重い添付ファイルにして送ったりしてみたが、なかなか評判はいい。
 そんなわけでもうしばらく待つべし。

2007年10月19日

新作動画公開

 ほんとは3部構成の計12、3分をすべて完成させてから公開しようと考えていたのだが、第2部、第3部を完成させるにはもう数週間かかってしまいそうなので、すでに完成した第1部のみ先行公開することにした。
 第1部には1999年の、つまりファシストに転向してスキンヘッドになる前の私の姿は出てこない。それは第2部、第3部をお楽しみに。
 ともかくまあ、見てくれたまえ。

http://jp.youtube.com/watch?v=sATSo7dvHXQ

2007年10月25日

真摯な反省

 やがて始まる控訴審に向けて、私が自らの罪をいかに深く悔いているか、裁判官様にご理解いただかねばとの思いから、裁判官様の皆々様が大好きだというさだまさし様の「償い」様を熱唱してみた。

 まあ、なんというか、もうちょっとうまく作れると思ったんだけどなあ。
 演技もかなり照れが入ってるし。
 投票率ダウンキャンペーンの続きはしっかり作るから、これはしょせん余技ということで完成度の低さは許せ。

2007年10月26日

幻のテレビCМ

 実はこのかん、妙な計画がゴクヒリに進行していた。
 熊本の某イベント企業が、熊本県内もしくは九州内で深夜に流すテレビCМに、なんとこの私を起用しようとしていたのだ。
 結局、テレビ局側が放送を拒否してオクラ入りすることとなった。
 トンデモ企業側のトンデモ関係者が、「こうなったらYouTubeで流してやる。もうゴクヒリでもなんでもない」と云いだしほんとにそうしたようなので、ここでも紹介しておこう。
 ただしこれはテレビ局の事前審査を受けるための試作版で、私もまだ気合いを入れて演じてない(服もたまたまその時に着てたやつだし)という点は割り引いて鑑賞のこと。
 それから熊本ひいては九州の土曜の夜にヒマな諸君はこの「クラブ・ピラミッド」に足を運ぶように。私もたまにいたりする。

 しかし計画どおり何の予告もなくいきなりコレが深夜テレビで流れたら衝撃的だったろうになあ。

2007年10月29日

大阪で観劇

 11月2日のネイキッドのイベントのために初心者マークをつけて車で東京まで行く途中、大阪に寄り、同行スタッフS嬢の友人が主宰しているという劇団の公演を観た。
 ダダイズムの祖・ツァラの戯曲を翻案したもの、という事前情報しか得ておらず、それはS嬢も同様。
 ところがなんとクライマックスで私の例の政見放送のパロディがおこなわれ、私も、S嬢も、それからこの観劇に同行した大阪で2泊させてくれた10年来のストリートミュージシャン仲間も驚いた。
 もっとも、そういう芝居をやろうとしていたら初日に本人が客席にいるのだから、向こうはもっと驚いただろう。あと、客も(知らない人もいただろうが)。

 私は、テント芝居以外は、九州のアマチュア劇団の芝居しかナマで観たことがないから、やっぱり大阪ぐらいの人口規模になると、ヘンで面白く、また脚本も演技・演出もハイレベルな劇団がフツーに存在するんだなあと、全体的にちょっとうらやましくもなる舞台だった。内容は1回観ただけじゃよく分からなかったけれども。まあダダイズムだし。

 で、個人的にちょっとうれしかったのは、その政見放送パロディのレベルもそれなりの水準に達していたこと。ネットで見ることのできるそれらは、たいてい単なる言葉遊びで、オリジナルの水準にはるかに及ばないどころか、あのフォーマットを使って別の何かを主張したいという情熱すら感じられないものがほとんどではないか。
 今回のパロディは、そのセリフを云う、あるいは書いた者が(たぶん同一人物だが)本気で自分のテーマとしている内容を、あの形式にうまく落とし込んでいた。

 なんか、いろいろやってもネットでの反応に目をとおしていると無力感に陥ることが多い。
 先日の「償い」にしても、どうも意図がちゃんと伝わっていないようだとイライラする。冒頭に「詞・曲 さだまさし」とわざわざキャプションを出しているのに、あれを私のオリジナルだと勘違いするのはもう論外としても、歌がうまいとかうまくないとか、そもそもあれはさだまさしのモノマネ芸を披露しているんだってことにさえ気づいてもらえていないのではないかと不安になる。もっと本質的なところでは、私はあの歌をちっともいい歌だとは思っていなくて、むしろ否定してバカにして歌ってるんだということに気づいてもらえないのが一番困る。
 そういえば前にも似たようなことでイラッとした。細かいことだが、ちょうど先日の短い獄中生活の頃、批評家の浅羽通明氏が私の都知事選パフォーマンスについて、『中央公論』誌上でかなりの分量を割いて論じてくれた。で、私はそのことを紹介する日の日記のタイトルを「知識人が雲上から降りてきた(笑)」としたのだが、これもその意図を分かってくれる人がほとんどいないようで、そうするとまるで私が「知識人」あるいは浅羽氏に過剰な幻想を抱いているかに思われる以外の可能性がなくなる。念のために説明しておくと、「知識人が雲上から云々」とは、同じ浅羽氏が論壇で最初に小林よしのり氏を肯定的に評価した時のことを描いた、『ゴーマニズム宣言』の中の有名な一文なのだ(宅八郎氏など反小林派の論者が盛んに引用してバカにしたので)。私はその故事(?)を踏まえていたのだが、ちっとも理解されなくて……。

 が、今回の芝居を観て、ちょっと立ち直った。
 私の活動に注目している人が、必ずしもネット上で私のことに言及するとはかぎらない。つまり、2ちゃんねるに書き込んだり、自分のブログで言及したりしない人たちの中にも、私の活動に注目してくれている人はいくらでもいるのだという当たり前のことを、やはりついつい忘れてしまいがちになる。ネット上の反応を世間の反応だと勘違いして、間違ったフィードバックをしてしまう危険さえ常にある。
 私の活動にインスパイアされた人たちが、私の知らないところで、それを高いレベルに昇華していたりすることもあるのだとマノアタリにして、ちょっと世の中に希望が持てた。

2007年10月31日

動画「償い」について補足

 誰か気づいて指摘してくれるのを待っていてもムダっぽいので、もう自分でネタばらしをしてしまおう。
 今回の選曲には実はそれなりの必然性がある。
 「さだまさし」「償い」「東京地裁」で検索してみるべし。

 ちょうどあの結果的には丸2年におよぶ不当な監禁を受けることになった裁判闘争の最中にこの報道に接し、この程度のセンスの人種に裁かれる不条理になんというか、身もだえしたものだ。
 このニュースを覚えている人は、今でも結構いるはずなんだがなあ。

 それにしても最近、「このギャグはどこがどう面白いのかというと……」みたいな野暮を演じざるを得ない場面が増えている。
 「教養の崩壊」というやつがその背景にはあるのだろう。
 諸君。
 黒色クートベで教養を身につけるべし。

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