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2007年07月 アーカイブ

2007年07月01日

釈明2点

 獄内外のコミュニケーションというのは本当に不自由でもどかしく、当然いろんな手違いも起きる。
トップページの記載内容について、閲覧者に誤解や不審の念を抱かせかねない動きをしたので、一応言及しておく。
 「我々団 声明文」なるものがいったん掲載され、削除されたはずだ。獄外スタッフが善意で掲載したものだが、いくらなんでも我々団は厳密なメンバー制をとる党組織であり、また当該声明文の執筆者は、外山個人のスタッフとしては中心人物ではあるものの、我々団においては準団員ですらなく、さらにその声明の内容も我々団の掲げる思想、方針に反するものだったため、私が削除を指示した。
 なお我々団に関しては、きちんと立ち上げる間もなく逮捕されてしまったので、団員・準団員は若干名いるものの、まだ組織として機能するには至っていない。団員・準団員は、指定の独習文献を消化しつつ、今はただ私の釈放を待て。
 また、これも一時掲載され、現在すでに削除されている、鈴木邦男氏に関する言及について。あれもかなり誤解を与える表現であった。実相は以下の通り。 ある人から、夏の参院選への出馬を強く勧められた。断ると、では、熊本なりどこか九州で鈴木邦男氏を擁立するなら支援の意志ありやなしやと訊かれたので、そういうことなら当然、全力で支援すると答えた。今回の逮捕と関係あるかどうかは知らない。あるかもしれない(笑)。
 今後ともこうした、結局は非合理的なまでに獄内外のコミュニケーションを制限する日本の後進的な監獄システムに起因するゴタゴタは生じるだろうが、ちょっとヘンだなと思われてもそれはつまり政府が悪いということでご理解いただきたい。
 なお上記の「声明文」は、我々団のではなくそれを書いたスタッフ個人の声明として再掲載するかもしれない。
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前回更新分(2007/06/22~27)の後に、さらに獄中から更新用コンテンツが届いたので代理更新します。
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2007年07月02日

世界国家などというものには

 逮捕された日の午前中、我々団への入団者のために”入団時必読文献”を数セット買い揃えようと私は熊本市内の本屋を回っていた。それで、逮捕された時、私のバッグの中には『愛と幻想のファシズム』が3セットも入っていた。
 獄中、特に留置場というのはヒマなので、久しぶりに『愛と幻想のファシズム』を読み返している。
 1,2年前にパラパラと読み返した時にも、例えば作中のファシスト党<狩猟社>の武装親衛隊<クロマニヨン>が街宣車で大音量のピストルズを…というくだりでひっくり返ったが、じっくり読み返している今回はもっと驚く事がある。
 以下引用。

*       *       *

「僕の考えでは、人類はその最終的な形態をとろうとしておるね」
「この大不況のことですか?」
「洞木君、不況はいずれ収まるよ、たぶん戦争も内乱も起きないでしょう、
すべては、経済が要求するのです、芸術も戦争も革命も、経済が要求するのです」
「経済が今何を要求しているのですか?」
「人類の最終的な社会形態を要求しているのです、それが成立するまでは、戦争はおきませんね」
「最終形態って?」
「世界国家ですよ、約三百五十万年前に始まった人類の歩みがいよいよ最終段階に入るわけです。あなた方はそれに反逆しておる、そうだ、反逆しなくてはいかん、僕は手を貸しますよ、
人を殺してもかまわない、今夜のように人を廃人にしてもよろしい、世界国家などというものには反逆せねばならん、ヒトラーもムソリーニもある意味では反逆した、だが負けてしまいましたね、
あなた方はどうだろう、どうであれ、僕はトウジさんを応援します」

*       *       *

 私のファシズム論にきちんと目を通している物はやはり私と同じように驚くだろう。
 無意識のうちにここまで影響されていたかと一瞬焦った。が、考えてみれば当然のことだ。マルクス主義とファシズムの双方をよく理解していれば誰にでも到達できる認識だ。ただそういう人間はほとんど稀だし、私も村上龍氏もそんな希少な存在であるというだけだ。

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2007年07月03日

知識人が雲上から降りてきた(笑)

 『中央公論』7月号に浅羽通明氏が「右翼と左翼を問い直す30冊」というまあ要するに例によって啓蒙的な文章を寄せていて、実はこの中で私に対するかなり長い言及がある。「コミュニタリアン外山恒一の到達点---ポストモダンがねじれる時」と小見出しにまでなっている。
 浅羽氏はかつて今は亡き『宝島30』誌で私をこっぴどく批判したことがあり(もっとも短い書評で先にかみついたのは私の方だったが)、これを反批判した私(と当時の同志・鹿島拾市)の文章は今でもwww.warewaredanで読める。
 さらに2000年ごろだったか、『野望としての教養』という本では、だめ連を中心とする90年代後半の若い左翼シーンにざっと触れている箇所があって、結論として、将来的にそのシーンの指導者として頭角をあらわしてくるのは外山であろう、みたいに結ばれており、私はそれを読んで、何を云っとるんだこのオッサンはと呆れた覚えがある。なにせ当時の私は例の”マイ・マジェスティ闘争”の真っ最中で、だめ連周辺も含め左翼はすべて私に対して敵対的であったし、そもそもそれ以前に私がだめ連福岡を主導していた時点においても、私のそれは首都圏の”本家”の人々はもちろん全国各地の”支部”の人々から総じて異端視されていたのだから。客観的には、2000年当時の私は、若い左翼シーンにおいて最終的に失脚しつつあると見るのが常識的な判断といえた。
 が、どうも浅羽氏の”予言”はここに来て的中してなくもないような……。なかなかあなどれない人だ。
さて今回は、「『政府転覆』『まだ反抗期』を惹句として、外山恒一が都知事選で得た一万五〇〇〇票は、路上ミュージシャンならではのパフォーマンスを見せた政見放送の映像が、ネットを騒がせたゆえと見られている。そうかもしれない。だが、忘れてはならないのは、外山がポスターなどで発表した政治思想ではないか」と、嬉しいことに活字メディアでは多分初めて、私の思想の中身について以下論じている。
 全体的にはなんか相変わらず小バカにされてるような気がしないでもないが、この目くばりというかバランス感覚は、さすが大人だなあ。

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2007年07月04日

監獄は革命家の唯一の学校である(確かレーニン)

 想像力の欠如した人々というのは唖然とするほど多く、私なんかもうすっかり大衆蔑視のファシストになってしまっているのだが、これを読んでいる中にも少なからず、私が”好きで”入獄しているんだと勘違いしている者があろう。
 そんなわけないじゃないか。
 今回の投獄について、当然のことながら私は腹わた煮えくりかえっている。
 といってこのかん示してきた一種余裕シャクシャクの私の振るまいが、強がり、ポーズというわけでもない。
 前回の投獄は、真に地獄であった。わが国の革命運動史上、私ほど過酷な監獄体験を持った者はいない。
 常人なら自殺か発狂の確実なあの二年間に、連作短歌「百回休み」なんてシロモノを生み出す私は冥土のニーチェも泣いて喜ぶ超人なのだ。
 超人だし性分なのでついふざけたり茶化したりしてしまうが、獄中生活というのは本当にツラい。
 しかし今回に関してはそれも計算のうちと云えなくもない。
 都知事選の成功に浮かれ、これじゃ如何よなあと自分でもうすうす感じていたのだ。またいきなり一、二ヶ月位不当に拘束されたりすれば、つい浮かれちゃってまぎらしてしまいがちだった「国家権力への激しい怒り」をはっきりと思い出して、気合いを入れ直せるんだけどなあ、などと都合のいいことを妄想してたら、鹿児島のバカ警察め、まんまと逮捕しやがった。
 おかげで早くもすっかり革命精神の再注入に成功し、日本政府の寿命はさらに縮まったというわけだ。ざまあみろ。

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2007年07月05日

救援連絡センターの指定する弁護士を選任する

 っていう旧世代政治犯の決まり文句があるじゃないか。
 前の投獄体験もふまえてだが、私はもはやあの組織を信用していない。右や左の政治犯は救援するが、ファシストを救援するまでの見識はどうもないように思う。しょせん冷戦体制下、55年体制下の人権擁護運動にすぎなかったのだろう。そういえば彼らはオウムを救援しなかった。我々は我々の弁護士を自前で養成しなければならない。オウムのように。
 現時点では、「週刊プレイボーイ編集部の指定する弁護士を…」とでも云っておく方がまだしも我々「まったく新しい政治犯」の気分には合う。

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2007年07月06日

ファシズム禅問答

 今回獄中から書き送る一連の文章の中で、今から書く一文がもっとも重要なものとなるだろう。心して読むべし。

 今回の出来事に関して、獄中にいる私のところまで聞こえてくる反応というのはもちろんそんなに多くはないのだが、スタッフや友人・知人のそれを含めて、私の真意を理解している者はおそらくほとんど居ないように感じている。なにも身内を非難しているわけではなく、これはもう仕方ないのである。なにしろ「ファシズム」は難解なのだから。天才思想家たる私が20年近い歳月をひたすら革命家として精進して、ようやくたどり着いた境地に、たかだか数ヶ月であっさり立ち至られては私の立場がない。ファシズムをちゃんと理解するには、少なくとも私の塾で半年間みっちり鍛えられなければならない。

 だがファシズムは決して難解な思想ではない。

 一体どっちなんだ! もちろんどっちでもある。要するに禅みたいなもので、簡単といえば簡単だし、恐ろしく難解だともいえる。分かる人はパッとコツをつかむみたいに分かるし、えんえん苦労する人もいる。まさにファシズムは不立文字、その言葉ではうまく云い表せないファシズムの奥義を、今回は臨時総統みずから開示し、伝授してやろうというまことにありがたい話だ。

 まあとにかくあの最重要論文、「戦争は遠いアフガンやイラクでなく、他ならぬこの日本国内で起きている」と、「まったく新しい左右対立--イデオロギーX--」を何度も何度も熟読すべし。

 その上で、次の「公案」だ。

 「自衛隊員の官舎の集合ポストに反戦ビラを投函して捕まった者がある」
 「とんでもないハレンチ犯だ。死刑にしてしまえ」

 「つきあってた女を殴って捕まった者がある」
 「政治弾圧を許してはならない。全力で救援せよ」

 「公園のトイレに反戦とかスペクタクル社会とか落書きして捕まった者がある」
 「とんでもないハレンチ犯だ。死刑にしてしまえ」

 「飲酒運転で捕まったものがある」
 「政治弾圧を許してはならない。全力で救援せよ」

 脳捻転をひきおこす位頭を悩ませてほしい。しかし本当はそんなに難しくはないのだ。
 ああでもないこうでもないといろいろ考えあぐねているうちに、パッと閃いて、「まったくそのとおりだよなあ」と深く合点すれば君はもうファシズム有段者だ。

 ヒントを補足しておくと、とある大学で学生運動弾圧がおこなわれているとしよう。ある学生は、過激な党派に属しているというそれだけの理由で、やってもいない罪をデッチ上げられて逮捕された。別の学生は、現場で大学職員と口論しているうつに、「ついカッとなって」相手をブン殴ってしまい、当然のごとく逮捕された。「まったく新しい戦時体制下」たる現在においては、後者をこそ不当な政治弾圧として全力で問題化しなければならないということだ。

 このヒント、やばいな。

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2007年07月08日

なにも好きこのんで捕まっているわけではない

 基本的なところでものすごく大きな誤解をされている可能性に思い当たった。
まあフツーの人は裁判手続きのことにそう詳しいわけではないから仕方ないんだが。

 つまり、私が今なお拘束され続けているのは、強情をはて国家権力への対決姿勢を貫いて居るためであるという誤解をしているひとはいないだろうか? そういうオトナゲナイ態度をやめて、不本意かもしれないが、すいませんと頭を下げれば今日明日にも釈放されるという誤解を。

 もちろん少なくとも現段階ではそんなことはないのである。
 私はすでに6月20日に起訴されている。つまり「取調べ」の段階はとっくに終わっていて、今は単に裁判に向けて待機しているだけである。当然、警察や検察といった捜査機関側の人間と顔を合わせることもなく、だから万が一、私が今いきなり方針を変えて、反省を表明しようと思ってもそれはもうこの先の裁判で云うしかないのである。

 で、実を云うとちょっと後悔もしているのである。
 私の思い違いかもしれないが、たしか略式裁判というのは、判決後、「やっぱ納得できん」と云って改めて正式裁判を求める事ができたんだったような気がする。
 略式裁判というのはその名の通り、パッパと簡略に終わらせてしまう裁判で、争点がなく、かつ軽微な犯罪について被告人が望めばおこなわれ、1日で終わってしまう。今回はもともと1万5000円の反則金を要求されていたわけで、略式裁判になってもおそらく「罰金1万5千円」の判決が出る。ただし「反則金」と違って「罰金」はあくまで正式な刑罰なので、前科になる。

 私の場合も、6月12日の逮捕から、6月20日の起訴までの間の「取調べ」の期間中に、「反省」を表明して、「何も争いませんから略式裁判にしてください」と云えばほんとにすぐ釈放されたのである。で、今はもう遅い、と。
 あくまで上記の私のおぼろげな記憶が正しければ、だが、今思えばいったん略式裁判を望み、釈放されるや否や態度をヒョーヘンさせて「あくまで正式裁判を要求する!」とやればよかったのだ。
 敵に対して誠実である必要はない、ということを私はすでに前回の投獄で学んでいる。
 もちろんいったん罪を認めるとその供述を覆すのは難しく、正式裁判でも不利にはなるのだが、どうせ公正な裁判を受けられるなんてハナから思ってないわけだし。こんなアホみたいな司法システムに、一秒たりとも律儀につきあいたくはないのだ本当は。ではなぜそうしなかったのかというと、単にウッカリしていたのだ!

 どうせ選挙でも裁判でも世の中は変えられない。政府転覆つまり革命だけが唯一の現実的な展望なのだ。

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ざっと近況報告

 わかってると思うが、このブログには時差がある。
 これがアップされるのかいつになるのか知らないが、鹿児島拘置支所の独房でこれを書いている今現在は7月2日の夜8時頃である。
 警察署の留置場では便箋5枚、この拘置所では同7枚まで一気に発信することができるので、つらつら書いていって、規定枚数分書き貯めたところで獄外のスタッフに送っている。
 そういえば前回の原稿を書き送ったのはまだ鹿児島中央署にいる時だったと思う。
 すでに伝わっているだろうが、6月26日に、ここ鹿児島拘置支所に移送された。
 1.5m×3mくらいの(一番奥のトイレ・スペースを含む)独房に閉じこめられ、留置課の警官と違ってやたらと横柄な刑務官を間近にすると、「そうそう、これこれ!」とテンションが上がる。そうだおれは2年近くこんな所で過酷な運命と闘いながらファシズムというまったく新しい展望を組み立てたのだったと感慨にふける。

 もちろんめちゃくちゃ退屈である。監獄というのは、人の人生をひたすら浪費させるための施設なのだから当然だ。
 本を読めばいいのだが、拘置所に移された当初というのは、ほとんど何も読めない。警察署段階で差し入れられた本をもちろん全部持ってくるのだが、なぜかいったん施設に全部預け、カラダひとつで独房に入り、その上で翌朝、預けた私物の中から何と何の本を部屋へ入れてくださいと「願箋(がんせん)」に書いて提出しなければならない。 で、しかも知れ葉実際に手元に届けられるのはさらにその翌日だ。私がここへ来たのが火曜日だったから水曜朝に願箋を出して木曜午前中に本が手元に来たが、これが木曜とか金曜だと最悪だ。土・日を挟むとつまりさらに二日ムダに過ごさせられる。
 なんで留置場に問題なく差し入れられた本を、そのまま拘置所の独房へ持ち込めないのか?理由なんかあるわけない。単にお役所仕事がおこなわれているだけだ。熊本市議選での刑務所前演説をもう一度、聞き返していただきたい。

 ほんとにイヤな国だとここにくれば心の底からかみしめることができる。来てよかった。

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2007年07月09日

タイムラグ、大幅短縮!

 救援体制がようやく整ってきたので、ブログの更新方法も改良する。
 これまでは5回分くらいの原稿をまとめて獄外へ発送し、場合によっては10日間遅れくらいでアップされるようなこともあったわけだが、今後タイムラグは大幅に短縮されるだろう。
 今いる鹿児島の拘置所では、朝一番に看守に手紙を渡すと、その日のうちに検閲し投函するらしい。朝イチで看守に手紙を渡すためには前日の夜までにそれを書き上げておかなければならないから(夜9時以降は朝まで読書も書きものも禁止!)つまり今日書いたものが明日投函され、明後日獄外スタッフの手にわたり、その日のうちにテキスト入力してアップされることになる。だから諸君が読むのは通常、一昨日書かれたものである。
 看守どもは土日は動かない。説明はハショるがそれで更新を滞らせないためには木曜に日月火更新用の3回分を書く計算になる。

奴らは本当に無自覚なんだろうか?

 どう転んでも管理社会化、警察国家化、つまり全体主義化の急速な進行は避けられない。
 なぜならハイテクの進歩と低コスト化によってそれを活用した監視システムの構築が容易になっているからで、使おうと思えば簡単に使える監視システムが存在するのに、それをあえて使わずにいられる国家権力などありえないからである。そんなもん、私が権力者でも迷わず使う。
 だから全体主義化に反対するのはもはや「無駄な抵抗」以外の何物でもない。
 ただし私がここ数年、何度もくりかえしケーモーしているように、一口に全体主義と云ってもいろいろある。そのうちとくに近代的つまり合理的で現実的な全体主義は2つあって、それがつまりスターリニズムとファシズムである。
 そして現在進行中の全体主義は、その2つのうちのスターリニズムの方である。
 現在この全体主義化を「ファシズムへの道だ」と大間違いな分析をして声高に批判している者の大部分が実は客観的にはスターリニストであること、私の読者には今さら改めて説明するまでもないだろう。それは革命運動を誤った方向へ誘導する結果を招いているわけだが、私はそろそろ、奴らはそれをわざとやっているのだと断定してしまってもいい時期ではないかと思い始めている。

2007年07月10日

復讐万歳

 安政の大獄というのがある。ペリー来航以来の混乱を収めるため、いわゆる尊王攘夷派の志士たちが一斉弾圧された事件だ。橋本左内や吉田松陰といった人たちが処刑され、西郷隆盛も逃亡生活を余儀なくされた。
 しかしこの強権発動による秩序回復もごく一時のことだった。この弾圧を指導した大老、今でいう首相の井伊直弼がその地位にあった期間は2年にも満たなかった。尊攘派が決死隊を組んで襲撃をかけ、「首相暗殺」に成功したからである。桜田門外の変である。
 ここから先はもう、7年後には江戸幕府が消滅するまでひたすら大混乱の時代になる。
 素晴らしいのは、まず殺された井伊直弼のみならず、安政の大弾圧に加担した連中がこの間にことごとく報復を受けていることだ。
 井伊の直属の部下の長野義言は失脚して斬罪となったし、長野と組んで動いた島田左近も"天誅”で殺されている。これらの人はまあ警察幹部みたいなものだろう。現場の公安刑事である“目明しの文吉”なんて奴にまで正しくも“天誅”が下された。殺されはしなかったが長野義言の妾まで拉致され橋柱に縛られ“生き晒し”にされている。
 こうでなくっちゃと思う。
 当時の“天誅”には行き過ぎも多くろくでもないとしたり顔で云う奴もいる。だが「やり過ぎるのは良いことだ」という毛沢東の言葉を私は革命家として正しいと思う。

2007年07月11日

脱獄成功!?

 久々に自分で更新する。
 つまり今現在、私はシャバにいる。

 ついさきほど、脱獄に成功した。
 その瞬間の写真などは「我々少数派」の方へのちほどアップ予定(http://bewe.sc/wareware/)。

 ちゃんと説明すると、国選弁護人による勾留取り消し請求があっさり通ったということ。
 獄中で昼食をすませ、また獄外に手紙を書かなきゃなあと思っていたところで突然看守から釈放を告げられた。
 実際に出たのは、午後1時半ごろ。
 罪の上に罪を重ねたわけではないのでご心配なく。

 まさか請求が通るとは思っていなかったので、ほぼ丸一ヶ月ぶりに自由の身になったことはむろん嬉しいのだが、かなりとまどってもいる。
 えっと、そんでこれからどうすればいいんだっけ?、という感じ。
 せっかく陰謀論が完成しつつあったのに。
 しかしまあ、参院選告示の前日に釈放というのは、やはり「革命的想像力」発揮の余地は充分にある。つまり今からいろいろやろうと思ってももう不可能ってタイミングだということ!

 えーとにかく、予想外の展開なので、今回はとりあえず報告のみ。
 落ち着いたらまた更新する。

 いろいろ(政府が)ご心配おかけしました。

2007年07月12日

熊本帰還

 昨日午後いきなり釈放され、すぐに鹿児島滞在中のスタッフに連絡をとり、拘置所前まで迎えにきてもらった。とりあえず記念写真(?)を撮っておくためである。
 夕方から鹿児島市内の友人知人と合流し、釈放を祝ってもらった。
 そうそう夕方5時半以降、充電の切れかかっていた携帯を最寄りのソフトバンクの店に預け、そのままうっかり閉店前に取りにいくのを忘れてしまったため、昨夜私に電話をかけた人もいくらかいただろうが、そんなわけで出られず申し訳ない。
 携帯を置いたまま熊本に戻るわけにもいかないので、この日はスタッフともども隼人町の実家に泊まることにした。
 ついでにせっかくだから一昨年の霧島市議選以来、私を面白がってくれているオジサンが国分市の中心街でやってる飲み屋に、久々に顔を出すことにした。都知事選の2、3ヶ月前に寄って以来だから、報告もかねて。
 朝4時近くまで痛飲。
 獄中では当然酒など飲めないから(実は絶対に飲めないということもなく、松本哉君なんかは獄中で酒を“密造”して飲んだらしいが、そういうところが松本君は本当に偉いと思う。マジメな私にはとてもマネできない)、実に1ヶ月ぶりにしかも大量に飲んだのに、とくに泥酔することもなく、意外とおれ酒強いなと思う。もちろん、釈放されるなりコンビニでタバコを購入し、この日のうちに2箱吸ってもしまった。
 隼人町の実家に戻ると弟がまだ起きていたので、しばし歓談。

 昼前に起きて、久々に頭を剃る。
 携帯を取りに鹿児島市経由で、スタッフとともに夕方4時半、熊本に到着。
 熊本の関係者はここのところ別の件で忙しく、大半は熊本市内に不在とのことで、出所祝いは明日か明後日にでも改めてということに。
 今夜はさっそく「仕事」のつもりだったが雨が降ってるのであきらめる。
 ストリート・ミュージシャン的にはいい時期の投獄ではあった。逮捕されたのはちょうど梅雨入りの直前だったし、釈放されてみるとおそらくあと数日で梅雨明けというタイミング。
 それからおそらく今夜のうちに、熊本市議選を熱心に報道してくれたネットラジオFMCの取材を受けることになる。たぶん生出演ではなく、近日中に編集してアップということになるだろうから、そちらも期待して待て。

 しかし国家権力もひどいことをする。
 自分たちの勝手な都合で人を熊本から鹿児島までいきなり拉致しておいて、「もういいよ」となったら自分で熊本まで帰れと云う。
 大量の荷物(差し入れてもらった本など)も自力で持ってけと云う。いかに持ち運びに苦労する量の荷物だったか、「我々少数派」のブログに掲載した写真を見てほしい。
 納得いかない。

『スタジオボイス』と『SHOW-OFF』

 告知を二つ。
 現在書店に並んでいる『スタジオボイス』の政治特集に私へのインタビュー記事が掲載されている(しかし1年ほど前の『クイック・ジャパン』といい今春の『論座』といい、ほんとに「政治の季節」だね。まあ『QJ』『論座』には私は登場してないけど)。
 それから高円寺界隈で無料配布されているらしい『SHOW-OFF』という小冊子のたぶん今出ている号にも、やはり私へのインタビュー記事が載っている。こちらはなんか、話が脱線して私が仏教について熱く語ってしまったくだりに相当の字数が割かれており、ちょっとヘンかもしれないが、まあ。

2007年07月14日

天気悪くて仕事できない

 街頭ライブをやる気は満々なのに、天候がすぐれずまだ一日も出られない。

 昨日13日は昼間、熊本市議選の時も熱心に報道してくれ、また今回の逮捕についても素早く特集を組んでくれたらしい地元のネットラジオ・FMCの取材を受けた。「釈放記念ロング・インタビュー」である。
 昨夜のうちにアップされていたようである。
 http://www.fmc.or.jp/mns20070713.html

 昨夜は熊本の支援者らによる釈放祝い。
 市内の居酒屋で2時間ほど飲んだ。

 今日は午後、月末に創刊される某誌用の原稿を書いていた。
 版元のサイトを見てもその新雑誌に関する告知がないので、もしかしたらまだ秘密なのかもしれないから版元および雑誌名は念のため伏せておこう。
 この雑誌に連載を持つことになり、今回の入獄前にすでに先方に渡してあったその第一回目の原稿の字数調整と、それから今回急遽その連載ページとは別に掲載されることになった「獄中手記」ってのがあって、6月末に獄中からその原稿もすでに書き送っておいたのだが、ご存知のとおり状況が変わったじゃないか。創刊号が店頭に並ぶ月末にはまだ獄中にいる前提で書いた手記だったから、大幅な手直しが必要になった。つまり政府が悪い。
 とりあえず書き上げてはみたのだが、めまぐるしく変わっていった状況を順を追って解説していくだけで膨大な分量になってしまい、3分の2ぐらいに圧縮しないといけない。締め切りは明後日なので、圧縮作業はまた改めてやることにする。まったくもう政府ときたら。

 夜は支持者に誘われて、熊本市の某クラブへ。
 クラブ・カルチャーには「造詣が浅い」私だが、まあ地元若者文化の視察ってことで。

 明日こそはやっと街頭の仕事できるかなあ。

2007年07月16日

ファンクラブ的なもの、それから玄人の乱

 トップページではすでに告知してあるし、ここでも以前チラッと触れたけれども、改めて。
 前々から予告していた「外山恒一ファンクラブ的なもの」が7月4日以来、立ち上がっている。BEWEというサイトの中にある、「外山恒一サポーターズ・クラブ『我々少数派』」というのがそれだ。
 http://bewe.sc/wareware/
 メールアドレス等を入力する必要はあるが、入会は無料だ。
 入会すると、こことはまた別の私のブログを読むことができる。
 さっき見たところ会員数は132名となっていたが、ある程度の人数になった段階で、単にブログだけでなく、さまざまの企画を展開していくことになっているので、ぜひ多くの諸君の参加を期待したい。また、周囲に私の活動や主張に興味を持ちそうな人がいたらぜひこの「我々少数派」をオススメしてほしい。

 それからもう一つかねてから予告していた“外山系居酒屋”、「玄人の乱1号店」について。
 これははっきり云ってポシャった。
 場所まで決まっていたのだが(高円寺駅南口出てスグ。ロータリーに面した、つまり徒歩1分もかからないビルの〇階)、まあ今回の逮捕事件のトバッチリでと云ってもいいのかな、そこを斡旋してくれることになっていた協力者から、やはりこの一件はなかったことに……と。
 7月1日オープンってことで話は進んでいたのだが。
 まあ、結果としてはよかったのかもしれないと今では思っている。
 というのも、都知事選以来、なんか状況に流されるようにバタバタと動いてしまって、やはり一度立ち止まってゆっくり考える時間が必要だったのだ。その意味では今回の丸1ヶ月の獄中生活というのはいいタイミングだったと思う。
 で、居酒屋の運営は、ネイキッド・ロフトとかでの数ヶ月に1度のイベントとは違う、日常的な活動になってしまうわけで、それを九州でやるんならともかく、東京でというのはやっぱちょっと私のそもそもの方針からズレてしまうような……と獄中で不安になり始めていたのだ。

 九州以外でのレギュラーな活動は、結局ネット上の、「ファンクラブ的なもの」だけでいいような気がする。
 やっぱり九州で本腰いれてやっていきますよ私は。
 獄中でじっくり考えて、とにかく念願の私塾開設をメインに今後の活動を組み立て直すことにした。

8月20日、ネイキッドロフトでイベント

 かなり前から決まっていたのだが、告知するのをすっかり忘れていた。
 8月20日(月)、またまたネイキッド・ロフトでイベントをやる。
 以下、告知文。

 「第三回政府転覆共同謀議~外山恒一(また)不当逮捕!~」
過激な政権放送で春の東京都知事選を大混乱に陥れたアノ男が、突如逮捕された。内乱罪? 破防法? いやいや容疑は原チャリによる2件の軽微な交通違反。えーっ、そんなことで逮捕までするかぁ!? と思ってよくよく調べてみると、外山が逮捕された6月半ばといえば参院選に向けた動きがいよいよ加速しはじめていた頃、そして釈放は早くてギリギリ参院選終了直後だという。なんだその革命的想像力全開の余地ありまくりのタイミングは! 当日までに外山が釈放されているかどうかビミョーなので詳しい内容は未定、ぶっつけ本番の一夜だが、いずれにせよ出演者一同は、政府による卑劣な選挙妨害の策謀か、近年のろくでもない交通取締りの実態か、どちらかを厳しく糾弾するつもりだ。と思っていたら7月半ば、参院選告示の前日に今度は突如釈放。きっと陰謀がバレたのがバレたのだ。というわけで危ぶまれていた外山の出演は可能となった。詳しい話は当日、本人に訊け!

 司会は例によって法政大学統一OB会の中川文人氏。
 そして気になる今回のゲストは、
 今井亮一氏(交通ジャーナリスト)
 鈴木邦男氏(一水会顧問)
 の二人。

 例によって午後6時半開場、同7時半開演。
 料金も、前売1500円、当日2000円だ。

 こぞって駆けつけるべし。
 会場までの地図などは、
 http://www.loft-prj.co.jp/naked/

2007年07月18日

『嫌韓流』!?

 別に秘密というわけではないという話なので、例の連載の件、具体的には以下のとおりだ。
 私が久々に連載枠を持つことになったという新雑誌は、

  大衆啓蒙MAGAZINE スレッド

 である。
 創刊号は7月30日発売。
 月刊とは銘打ってないが、月刊だそうである。
 版元は晋遊舎。
 そう、かの『嫌韓流』の出版社なのである。
 私の選択、間違ってないよね。

 私の連載タイトルは「ネット右翼矯正収容所」となる予定。
 創刊号にはこの連載と別に、先日の逮捕・勾留に関する「独占手記」も掲載される。
 カツモクして発売日を待て。

熊本で学習会でも……

 定期的にやりたいと思っているんだが、やれば参加するって人、いる?
 哲学・思想系の学習会になるが、予備知識は不要。
 「だめ連・福岡」時代に私が開発した学習会の形式は、やたらと時間がかかる代わりに、やたらと分かりやすく、ためになる。
 参加費はテキストのコピー代のみ。具体的には1回100円か200円か、そのくらい。
 日曜の夜とかで週1回ペースにしたい。

 やるなら参加するって人、まずは、
 warewaredan@mail.goo.ne.jp
 までメールを。
 あるていど(といっても数人でいいんだが)希望者がいれば、やろうと思う。

2007年07月19日

「我々少数派」にて「百回休み」自註の公開開始

 http://bewe.sc/wareware/
 の方のブログ、基本的には日々のヨシナシゴトを書いているんだが、もうちょっと内容があって、そこでしか読めず、しかもあえて広く一般に伝えなければならないほどの急迫性はない、という都合のよい題材はないものかと考えて、単行本用に執筆している文章の一部を掲載していくことにした。
 まだ版元は決まっていないのだが、前回の投獄中に作った連作短歌「百回休み」。
 単行本化に際しては、全108首のひとつひとつに自註をつけていこうと思っている。
 全部公開しちゃうと単行本を買ってもらえなくなるかもしれないので、10分の1、冒頭の11首ぶんを公開する。
 読みたい人は会員登録を。

2007年07月23日

第一回学習会

 昨夜、久々に学習会をおこなった。
 参加者は私を含めて6人。
 テキストには、柄谷行人の『<戦前>の思考』所収の「自由・平等・友愛」を使った。
 タイトルに「戦前」とあることから察せられるように、「湾岸戦争以後、オウム事件以前」におこなわれた講演集だし、かつてだめ連・福岡での学習会にも使っていたくらいの古い本ではある。初回なんで自分が使い慣れたものを選んだところもある。
 予備知識(とくに歴史についての)さえあればそれほど難しい内容ではないのだが、普通はその予備知識を参加者に期待できない。
 「自由・平等・友愛」は5節から成り、私の学習会ではまず各自でその第1節を黙読、全員が読み終えたところでそれぞれが理解できなかった箇所を挙げてもらい、その箇所を理解できた人が解説を加える。ひととおり全員が理解すれば、今度は第2節について同じようにおこなう。
 30ページほどを消化するのに4時間くらいかかってしまうが、最終的には参加者全員がテキストの内容を理解する。
 今回は、この種の文章を読むことに慣れているのが私だけで、他の5人の参加者に対して私が一方的に解説する形になってしまった。もう1人か2人、注釈不要でテキストを読める参加者がいれば、私の解説に異論を唱えてもらったり、あるいは柄谷の論旨そのものに異論を唱えてもらったりして、単にテキストを理解するにとどまらない発展的な学習会にできるのだが。まあそれでもとりあえず各参加者にとって勉強にはなるだろうから、やる意味はあるだろう。
 私自身にとっては、久々にこのテキストを読み返してみて、それなりに面白い発見があった。やっぱりかつて熟読した本だから、無自覚なレベルでも強い影響を受けていたんだなあと。
 「自由・平等・友愛」ではまず、自由の理念と平等の理念とは、この近代資本主義社会においては両立しえないことが語られる。しかし友愛の理念をナショナリズムとして制度化することで、この自由と平等との両立が実現されているかに思い込ませることができる。それがファシズムである。
 私なんかもファシストとして、まさにそれに近いことを考えているわけだが、もちろん柄谷はそういった「思い込みによる解決」を批判しているのである。私は、「思い込み」だろうがなんだろうが、解決できるんならそれでいいじゃんと思っている。
 最終の第5節は「自由と平等の矛盾を乗り超えるもの」と題されている。あ、なんか別の解決が提示されるのかなと期待して読むと、肩透かしをくらう。何も提示されない。「自由と平等の矛盾」は今後いよいよ露呈していくだろう、そしてそれを「乗り超えるもの」と称してファシズムが再び登場する可能性が高いから気をつけましょう、みたいな話である。
 「このように、自由・平等・友愛という要素は、資本主義の現実的な局面において、さまざまなかたちであらわれます。むろん今後においても、それはあらわれます。なぜなら、それらの矛盾はけっして解消されないからです。私の予感では、『共産主義』への幻滅が甚だしい以上、今後の危機において出てくるのはファシズム以外にありません」
 そうそう、そのとおり(笑)。
 テキストは、次のように結ばれる。
 「もし今後にファシズムがあるとすれば、けっしてかつてのようなファシズムとして出てこないでしょう。それは『民主主義』として出てきます。さらに、そのときに抵抗しうるのは、社会民主主義者ではなくて、頑固な自由主義者だけであろうということをつけ加えておきます」
 私は現在、実践においてこの柄谷の予測を裏切ろうとしている。この最後の一文の「ファシズム」を「全体主義」に変換する。新しい全体主義は、「『民主主義』として」登場する。「スターリニズム」である。「『共産主義』への幻滅が甚だしい以上」、共産主義は、それが共産主義であるという自覚を欠いて(当然、それがスターリニズムであるという自覚をも欠いて)再登場する。もちろん「社会民主主義者」たちはこれに抵抗しえないし、それどころかむしろその主要な担い手となる。抵抗しうるのは「頑固な自由主義者だけ」、つまり我々ファシストだけなのである。

 第二回の参加者を募集
 たぶん29日、熊本でおこなう。
 希望者はwarewaredan@mail.goo.ne.jpまで。

2007年07月24日

選挙協力

 云うまでもなく、私は選挙に興味がない。
 だから自分が出ている、あるいは今後、我々団公認の候補を擁立した場合を除いて、私は投票には行かない。
 が、「左翼を敵とし、右翼を友とする」ファシズムの原則にしたがい、右翼方面からの依頼であれば、私のどーでもいい一票で力添えすることにやぶさかでないし、またポスター貼り程度の作業になら労力を提供することもまた全然かまわない。
 というわけで、本日夕刻、某右翼政党の熊本の党員たちによるポスター貼りに同行、微力ながら協力してきたのだが、その過程で、新党日本から出馬している有田芳生の街宣に遭遇した。もともと左翼のくせに、オウム事件を機に警察の手先として名を売った奴だから、オウムの本拠地のひとつであった熊本で街宣すれば票をとれるとふんだのだろう。実際、「オウムと戦った有田です」なんぞと云っていた。
 おのれ警察の手先め、そうはさせるかと真っ向から勝負を挑んでいる(つもりの)写真を「我々少数派」のブログに掲載しているので、会員登録して見るべし。

 きっとこういうことをさせまいと政府は私を予防拘禁したのだろう。ざまあみろ。

2007年07月27日

司法の独立!?

 昨日は旧誕生日。
 前世から数えると、昨日で37歳になった。
 もちろん、02年から04年にかけての獄中生活を経て生まれ変わったわけだから、私の現在の誕生日は04年5月5日、つまり正式には今は3歳である。
 とはいえ旧誕生日も私にとってはそれなりに祝福すべき記念日である。
 そんなめでたい日に、運転免許センターから電話がかかってきた。
 免停だという。
 おいおいちょっと待て。
 私は現在、2件の交通違反について裁判中だ。初公判は明々後日だが、いずれも無罪を主張するつもりだ。
 万が一、いやいや当然の結果として無罪判決が出た場合、どうなるのだ。一方通行違反の2点と、20キロの速度違反の2点、計4点がなければ、むろん免停にはならない。
 実際、少なくとも一方通行違反については、無罪判決を勝ちとる自信がある。
 いやそもそも、まだ係争中の案件も含めて免停のための計算をすること自体がおかしい。理にかなってない。
 というわけで今朝、免許センターに行き、担当者と交渉してきた。
 結果としては、処分は延期となった。
 が、担当者が云うには、免停は「行政処分」であって、「刑事処分」を判断する裁判とは別の領域であり、よって裁判の結果とは無関係に免停の処分はいずれおこなわれる。
 おいおいおいおい!
 都合のいい時だけ「司法の独立」を実現させるな!
 まったく次から次へとメンドくさいこと山のごとしだが、この件、続報を待て。

2007年07月28日

やっぱり!

 午後3時過ぎから、参院選に比例区から出ている某ナショナリスト政党の街頭演説にサクラとして参加。
 午後5時半、別の用事があったためナショナリストの諸君と別れて、バスに乗ろうとしたその時である。
 2人組の怪しげな男たちが、声をかけてきた。
 「すいませんねえ、上から云われてるもんで」みたいなことを云う。
 とっさに何のことか分からなかったが、よく聞いてみると、彼らは警備課の私服刑事だという。たしかに2人とも、怪しいイヤホンをしている。
 つまり上からの指示で、私にぴったり張りついているらしい。あまり利用者のいない路線バスで、これは尾行がバレると思って、バレる前に自分から身分を明かしたようだ。
 結局、私がバスに乗ったのは、今回の参院選とはまったく無関係な用事のためであることを確認して、途中で降りていった。

 諸君。
 やっぱり奴らは私を警戒していたのだ。
 参院選に関与させないためにショボい容疑でムリヤリ投獄したに違いないという我々の当てずっ、いや現象学でいうところの本質直観は図星だったのだ!

 明日は投票日。
 選挙には興味がないので、自分か他の我々団公認候補が立候補しないかぎり投票にはいかないつもりだったのだが、さすがに今回はナショナリスト諸君に協力しないわけにはいかないだろう。まあ実際、どうしても投票に行け、行かなきゃ死刑と云われたら、今回はこのナショナリスト諸君に投じる以外の選択肢はあり得ないからなあ。

2007年07月29日

節を曲げる

 さっき投票に行ってきた。
 本来ならば確信犯的な棄権主義者として、我々団公認候補が立候補していないかぎり断固として投票なんか行かないのだが、今回はまあ、そういうわけにも行かないだろう。うーん……しがらみ選挙?
 もちろん、しがらみのない選挙区は断固として棄権した。
 投票所のスタッフは、「では何も書かずに入れてください」と云ってきたが、白票でも投じてしまえば投票率のアップに貢献してしまうので、そんな恥ずかしいことはできなかった。
 比例区は、「左翼を敵とし右翼を友とする」ファシズムの原則を適用し、愛国者の諸君に不本意ながら(彼らを支持できないのではなく、投票に行くこと自体が本来ポリシーに反するのだ)投じてきた。
 選挙で世の中を変えようという方向性はいかがなものかとは思うが、とりあえず愛国者の諸君の一部がその道を選ぶというなら、私の一票を上乗せするくらい構わないし、とにかく健闘を祈る。

明日、裁判

 明日午後1時30分から鹿児島地裁203号法廷にて例の交通違反の裁判である。
 とくに何か面白いことをするわけではないけれども、原則的に淡々と無罪を主張するし、またちょっと偉そうな「被告人最終陳述」も用意したので、かなり大変だとは思うが、傍聴に来られる人は是非。
 すでに島根県から今日午前、傍聴のために九州入りしてくれている人がいる。また今夜、さらに兵庫県から一人、同様に九州入りする予定である。
 もちろんそもそも鹿児島在住の諸君は、万難を排してかけつけるように。

 裁判後、交流会もおこなう。
 さまざまの事情で傍聴には来られない人の参加も歓迎する。そういう人は夜7時、天文館の献血ルーム前に集合ってことでよろしく。

 あと、今夜もやるんだが、毎週日曜夜には熊本で哲学・思想系の学習会をやっているので、参加希望者はメールで連絡するように。

ニュース見てないんで……

 新聞をとってないし(たいていの時期は『朝日新聞』を購読しているのだが単にモノグサでまだ熊本に身を落ち着けてからは手続きをしていないだけ。ちなみに断固として『朝日』を購読するのは本の広告が一番充実しているからで、内容的には『朝日』のみならず全マスコミはもはや「まったく新しい戦争」の推進勢力であり一切読む価値なしと思う)、テレビも見ないので、世の中で何が起きているのかほとんど分からない。せいぜい、毎週買って読んでいる『SPA!』と『プレイボーイ』でしかニュースに接していない。さすがにいかがなものかと自分でも思う。
 ブログ更新のついでに、今回の参院選関連の記事をざっとチェックしていて、ついさっき、宮本顕治が先日亡くなっていたことを知った。
 ちょっと感慨深い。
 というのも、こないだの獄中で宮本顕治のことを考えていたからだ。
 別に彼の戦前の獄中非転向のことではない。
 訃報を伝える記事に、「東大在学中の(19)29年に芥川龍之介を批判した『敗北の文学』で雑誌『改造』の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった」とあるが、このことについて考えていたのだ。
 私は教養のない教養主義者なので、この宮本の有名な論文を読んだことがないのだが、私は天才なので、たいていのものは読まなくても読んだ人よりその内容を理解している。
 東浩紀とかを念頭に云うのだが、近年の若手論客は、どうも頭の良い人ほど袋小路の、どーでもいい議論に熱中していく印象がある。状況の停滞を作り出している責任のかなりの部分は、そういう優等生インテリたちにあると私はかなり以前から確信している。
 で、おそらく昭和のはじめにも似たような状況があって、宮本顕治はそれを突破する「野蛮な情熱」が必要だと件の論文で吠えたのだろうなと、読んでないからそれに関するいろんな人の言及を聞きかじった上でそんな気がしている。読んだ人、たぶんこの理解で正しいでしょ?
 私も昨今の優等生インテリたちの議論を眺めていて、今必要なのは当時の宮本顕治みたいな存在なんだよなあと獄中でむにゃむにゃ考えていたのだ。
 もちろん宮本顕治のいう「野蛮な情熱」はマルクス主義者のそれであるはずで、私はファシストだし、実際「野蛮な情熱」はマルクス主義よりもファシズムに親和的だとも思っているわけだが。
 ともかくこれで日本共産党はますます社民化し、左派の大同団結が急速に現実味を帯びてくるだろう。
 ファシストはナショナリストとの連帯を急ぎ、これに対抗しなければならない。

2007年07月30日

初公判

 いやー参った参った。
 失敗したなあ。
 いきなり云いわけめくが、くしゃみ鼻水が止まらなくて開廷のちょっと前に鼻炎の薬を飲んだら、公判の途中からこれが効いてきてつまり口の中がカラカラ、ロレツが回らなくなって喋りながら自分がイライラするほどだった。
 裁判官は明らかに私に敵意を持っていた。
 冒頭の人定質問で、職業についてかたくなに黙秘をおこなった(前回みたいにまた判決文で「自称革命家」とか書かれるのは不愉快だから)ことで、どうやらショッパナからムッとしたようだ。
 詳細についてはスタッフによる速報(http://www.warewaredan.com/を見よ)を後日私が改めて整理するが、大枠、以下の主張をした。

 まず一方通行違反について。
 アーケード街を原付を押す歩行者として通過し、問題の一方通行道路に出た。そこでエンジンをかけ、まずは正しい方向に少し進み、道を間違えていることに気づきUターンして逆送、出発地点付近にある交番の警官に停止を命じられ、立件された。
 往復したこの20~30メートルの区間には一方通行を示す標識はなく、したがってそのことを確認できないから、「確認を怠った過失責任」も生じえず、無罪である。
 ちなみに、脇道から一方通行道路に出たところに標識がなかったため逆送してしまったケースで無罪判決があった例を聞いたような気がするが、今回のケースもそれに準ずるものだ。

 速度違反について。
 そもそも原付の30キロ規制は時代に合っておらず(法制定時との道路整備状況や原付の性能の格段の違い)、事実、これを守って走行している原付は滅多にない現実がある。この規制は(ほんとは「二段階右折の規定と同様に」と言及したかったのだが今回はそのタイミング見つからず)、交通事故を防止するという本来の法の趣旨を離れ、単に「取締りのための取り締まり」の道具と化している。
 この悪法を何十年も改訂せず放置してきたのは、立法不作為ともいうべき当局の怠慢である。
 現にこの法律が存在している以上、「悪法も法なり」ということで有罪判決とせざるを得ないという判断も理解はするが、本来なら立法の不作為を認めて無罪とすべきだし、また有罪とするにしてもせめて判決文中で立法不作為の疑いを指摘することで法改正を促してほしい。

 と、そんなにメチャクチャなことは云ってないはずだが、大人げなくもすでにヘソを曲げていた裁判官は、ほとんど詰問口調で「納得いかない法律は守るつもりはないということか」、「今後もこの速度規制は守らないということか」などとネチネチ云ってきて、私もついヤケになって(?)、「正直この速度規制を守るのは難しい。法改正を促してください」とつい云ってしまう。

 厳しい判決が予想される。

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