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2006年07月 アーカイブ

2006年07月31日

今さらながら昨年の選挙の時の文章

 昨年11月に霧島市議選に立候補し、インパクト重視のポスターと、主張を詳しく述べた文字だらけのポスターの2種類を掲示した。
 以下は、後者の本文部分である。内容は、現在の立場とも相違なく、おそらく現在の私の考えを、もっとも一般向けに分かりやすく述べたものになっている。
 というわけでぜひご一読を。

          ※          ※          ※

 現在わが国は戦時下にある、というのが私の基本的認識です。
 これは、何かレトリック(言葉のあや)として云うのではありません。
 また、「二〇〇一年の同時多発テロ以来の、アメリカのいわゆる『対テロ戦争』に、我が国は巻き込まれ、事実上参加しているに等しい」などと云っているのでもありません。私の認識は、そんな寝ぼけた左翼のようなものとは違います。
 いま起きている戦争は、アメリカ対イラク(やアフガン)の戦争ではないことはもちろん、アメリカ対テロリストの戦争でもないのです。
 では、いったい何が起きているのか?
 本当は内戦が起きているのです。
 これは、私の独自の見解ではなく、欧米の一部の哲学者たちの見解に私も賛同しているだけですが、彼らの文章はコムズカシくて一般の人にはとても読めたものではありませんから、私なりにかみくだいて説明すると、現在おこなわれている戦争は、かつてのような国家対国家の戦争ではなく、国家の内側での多数派対少数派の内戦であるということです。
 今回の戦争(内戦)は、最初は「テロ防止」を口実として始められますが、取締る相手は当初の「テロリスト」からどんどん拡大し、最終的には多数派に不安を抱かせるような言動をするすべての人間が監視・摘発の対象になります。
 これは現在、世界のあらゆる国で程度の差はあれ進んでいる傾向で、実はアメリカの「対テロ戦争」の本質もここにあります(その証拠に、内戦の場合には通常、軍隊ではなく警察がその前線で主役となりますが、米軍は「世界の警察」としてふるまっています)。
 我が国が突入しているのも、実はこうした内戦です。
 我が国の内戦では、それは最初、九五年にオウム信者の監視・摘発として始まりましたが、やはりその後、なし崩し的にその対象を拡大し、今や、かつては「迷惑」ではあっても「犯罪」ではなかった行為さえもが新規立法によって次々と取り締まられています。痴情のもつれ(現在では「DV」とか「ストーカー」とか呼ばれます)や、路上での喫煙などはその典型ですし、また、私たち大人が作っている社会のひずみが原因であるに決まっている少年犯罪の増加に対し、その原因を反省し改善する努力をまったく放棄して、ただ厳罰化で対応しようという方針もその一環です。
 社会のこうした風潮を、「いかがなものか」と憂えているのは私一人ではないはずです。もしかすると、これを読んでいるあなたも同じ気持ちでいるかもしれません。しかし、残念ながらあなたは、つまり私たちは現在、圧倒的な少数派であります。しかも、その問題意識をいいかげんなところでアイマイにせず、よーく突き詰めてみればやがて気づくと思いますが、もはやこの社会の多数派にとっては、そんな問題意識を持ってしまう私たちのような存在自体が、何やら不気味で恐ろしい「敵」なのです。奴ら(多数派)は、私たち(少数派)に対して戦争を仕掛けてきているのです。
 我が国における(他の国でも同じですが)多数派と少数派の対立は、すでに戦争(内戦)の域にまで達しているのです。

 私は、この期に及んで「反戦」を訴えるような非現実的な夢想家ではありません。奴ら多数派は、不安が高じてヒステリー状態になっていて、もはや説得に耳を貸さないことが明らかであるからです。この内戦は、私たち少数派が一人残らず消えていなくなる(何か口実をもうけて「犯罪者」とされて投獄されるか、それを恐れて完全に沈黙するか)まで終わりません(ブッシュも、「永久戦争」だと云っています)。
 また、私はもともと改憲論者であり、軍備拡大には反対しない立場です。例えば北朝鮮などとはむしろ戦争すべきだと思っています。私たち少数派にとって、現在もっとも憂えるべきは軍隊の拡大ではなく警察の拡大です。従来の寝ぼけた左翼の「反戦派」は、ここのところがまったく分かっておりません。むしろ寝ぼけた左翼は、そのお家芸である「単純で分かりやすい正義」を掲げ、警察力の拡大を率先して推し進めているようなありさまです(「DV」や「ストーカー」の取締りを要求するフェミニストや、路上喫煙の取締りを要求する嫌煙権論者などがその代表です)。
 私は、現在のさまざまの不気味な犯罪増加の背景には、伝統的な家族共同体や地域共同体の崩壊があると考えています。「治安回復」のためには、奴ら多数派が推進する厳罰化のような対症療法ではダメで(そのような監視社会化は、ますます人々の心にストレスを生み、結局はさらなる犯罪の増加を招きます)、伝統的共同体を再建する粘り強い努力が必要です(「市町村合併」などはこれに反する、共同体の破壊行為です)。このあたり、私の見解はむしろ右翼に近いのですが、残念ながらほとんどの右翼は、考えが浅いのか、「治安回復」には厳罰化を、という奴ら多数派のヒステリーに同調しています。

 私は、奴ら多数派から「犯罪者予備軍」のように見なされている少数派のみなさんに、団結を呼びかけます。
 奴ら多数派の勢いは、とどまるところを知りません。先述のとおり、もはや「話し合い」は不可能です。
 何度も云うように、私は「反戦派」ではありません。私たち少数派に残されたただ一つの選択は、団結して「応戦」することです。
 現段階では、まず団結し、私たち少数派の側の隊列をととのえることです。

 今回の私の立候補は、何よりも少数派のみなさんに、このような形で大々的に団結を呼びかけるための手段です。
 私の見解に「なるほどそのとおりかもしれん」と思う方、まずはじっくり話をしましょう。選挙期間中(20日~26日)毎日夜8時、隼人駅前集合です。奴ら多数派に反撃していくための、「作戦会議」を始めようではありませんか。もちろん中高生など未成年者や、隼人町外からの参加も大歓迎です。
 何しろ奴らは圧倒的多数派であり、私たちは圧倒的少数派ですから、今回の選挙で、私が当選する可能性は、もとよりほぼないに等しいと自信(?)を持っています。
 むしろ何かの間違いで当選しちゃうと私自身がビビってしまいますが、まあそのようなリスク(?)は覚悟の上での立候補です。
 しかし少数派のみなさん。
 私が獲得する票が多ければ多いほど、私ですらビビってしまうのですから、奴ら多数派はなおのこと恐怖のズンドコに突き落とされるのは間違いありません。当選するかしないかは二の次です。たとえ当選しなくても、一票でも私の得票が多ければ、奴ら多数派はそのぶんだけ慌てふためくのです。私たち少数派の存在を、目に見える形で奴ら多数派の前に突きつけてやることには、これから反撃を開始するにあたって、大きな意味があります。
 そもそも奴ら多数派のために存在する、私たち少数派にとってはバカバカしいかぎりの選挙という制度において、「一票の重み」など嘘八百もいいとこです。誰が当選しようが落選しようが、奴ら多数派の支配はこれっぽっちも揺るがないからです。しかし、今回の私のような立候補のしかたとなると話は変わってきます。当選しようがしまいが、その一票は奴ら多数派を心の底から動揺させる「重み」を持ってしまうのです。ざまあみろであります。
 どうせ選挙では何も変わらないのです。
 選挙ではとりあえず奴ら多数派に一泡ふかせておいて、私たち少数派は、議会などというクソみたいなもんの外で団結を開始し、奴ら多数派を本格的にギャフンと云わせる、政府転覆の恐ろしい陰謀を、着々と進めていこうではありませんか。

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