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07夏 獄中より アーカイブ

2007年06月22日

ついに届いた獄中からのメッセージ第1弾!

 20キロ超過のおれを40キロ超過で護送するかキミらは!

 実に3年ぶりに新作を詠みました。

※獄中よりメッセージが届きましたので、代理更新します。5日間連続更新予定です。(ドメイン管理者)

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2007年06月23日

私が手を染めた恐るべき犯罪の全容

 私は告白しなければならない。私の犯した罪の大きさを。自ら真摯に切開する勇気を、神よ私にお与えください。
 私は何と恐ろしいことをしてしまったのでしょう。夜間のみ一方通行とすることを、恐れ多くも鹿児島県警公安委員会というシカルベキスジが一方通行的に決定した二車線道路を、あろうことか逆走したのです。標識を見逃したとはいえ、またそもそも二車線である上にその時たまたまなのか通行量も少なく片側車線はガラ空きだったとはいえ、一方通行であるはずの道路を突如逆走してくる、50ccもの排気量を持つ鉄とプラスチックのカタマリを目にしたドライバーや歩行者の抱いた恐怖はいかばかりであったか察するに余りあります。
 私の犯した罪はそれだけではないのです、時速30km以上で走行することが、自他に対して生命の危機をも及ぼしかねない極めて悪質な行為であると、恐れ多くも国権の最高機関たる立法府の手で道路交通法なるレッキとした法律の文言としてオゴソカに禁じられていることを知りながら、50ccもの排気量を誇り走る凶器そのものである原動機付自転車をなんと時速50kmもの危険極まりない猛スピードで運転したのです。片側二車線の広い道路の端を暴走する私の原付の横を、法を遵守して時速60kmという極めて安全な速度を守った上でのことでありましょうがビュンビュン追い抜いていく乗用車や大型トラックのドライバーたちに実は与えてしまっていた恐怖心もまた察するに余りあります。ましてや歩行者の……いや歩行者などめったに見られないとんでもない田舎地点ではありましたが、そんな事は云い訳にはなりません。ごくごく稀には歩行者もあるだろうに、時速50kmもの非常識な猛スピードで暴走するなど人命軽視もハナハダしい。
 このように凶悪な私を、原付魔ゆるすまじの強い信念を持って追求し、苦心の捜査を実らせついに捕縛した鹿児島中央警察署交通課の鬼刑事たちが、往来の平和を久方ぶりに取り戻したという達成感と、この凶悪犯罪者を一刻も早くそれにふさわしい場所すなわち監獄へ叩き込まねばという責任感から、制限速度80kmである八代-鹿児島間の九州自動車道を、ついつい時速120kmで走行し護送してしまったことは、これは国家権力のやることですからまことに結構なことで、誰からも責められるスジアイではありませんし、何か文句があるなら署でじっくり聞いてあげますから任意出頭してください。

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2007年06月24日

私は相変わらず政治犯である

 そうでないと云う者が万が一あるならそいつは文盲だろう。
 私がこんなショボい容疑で長期の拘束を受けている理由は、あくまでケーサツ側の言い分としてさえ「任意出頭しなかったから」である。こんなメチャクチャな話があるか。出頭しない自由があるから「任意」なのだ。「任意出頭しなければ逮捕する」というのは前衛芸術家以外が使用してはならない没論理だ。
 ところが日本のケーサツ様はこの没論理を年がら年じゅう口にしているし、困ったことに日本の国全体が没論理で成り立っているようなところがあるから、もうなんかこの国の司法システムそのものが前衛芸術みたいになってる。「任意出頭しないから逮捕させてくれ」という前衛警察の前衛的な要請に、「うん、いいよ」と許可を与えてしまう前衛裁判所。
 私が逮捕・勾留されているのは、この日本的な、”前衛的コミュニケーション”を拒否したからだ。
 うんと分かりやすく云えば、「任意出頭をしてください」とケーサツ様に云われたら、必ず出頭しなければならないことになっていて、「任意だったら行かなくていいじゃん」と正しく論理的に考えることができる人の方がむしろ稀で、そういう正しい論理を口に出したりまして行動の基盤としたりすることは、この国ではかなり危険なことだ。
 「任意出頭してくれなかったから逮捕した」
 これは実際、今回ケーサツが何度も私の目の前で繰り返し口にしている言葉だ。
 ケーサツのこのセリフを大問題だと思える人は私が政治犯であることに異論なかろうし、このセリフに何の疑問も感じられない人はこれはもう文盲なのでまず小学校へ行け、小学校へ。

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2007年06月25日

私はもしかしたらすごく政治犯である

 ネット上でもさまざまの憶測が飛び交っていると聞くが、もちろん警察の云う「任意出頭しないから逮捕した」というのは論理としてあり得ないわけで、そこを先日私は、こういう没理論がまかり通ってしまう日本の司法システムの後進性(もしくは前衛性)として非難したのだが、もしかすると私は罠にハマっているのかもしれない。
 そうだ。「任意出頭しないから逮捕する」なんてアホみたいなタワゴトをマジで口にする大人がいるはずない。私を逮捕したのにはもっと論理的にまっとうな、しかしあまり大きな声では云えない重大な理由があって、仕方がないから理屈にもならない理屈でテキトーにゴマカそうとしているに違いない。ふー、そうだったのか。あやうくダマされるところだった。私は謙虚で、つい自分を過小評価してしまうところがあるからな。気をつけなければ。
 しかしこんなショボい容疑では、そう長いこと拘束しつづけることはできまい。今回はこの一、二ヶ月がせいぜいだろう。
 つまり「奴ら」は、この夏、私にシャバにいてほしくないということだ。
 となると一番有力なのはやはり7月の参院選だ。私自身が出馬する予定はないが、実は多少の応援的なことを私に求めてきたスジがないでもない。もちろん、私に接触してくるくらいだから反体制的なスジだ。その反体制的なスジの選挙戦を妨害する目的で、ほんのわずかとはいえそのスジを応援しそうな気配のあった私を拘束した?
 いやそれよりもむしろ、奴らは私の不出馬方針を疑っていたのかもしれない。私の得意戦術である(?)政見放送が使えるのは知事選と国政選しかないのだから、私がこの機会をのがすはずがない。奴らはそう考えた?
 いずれにせよ選挙妨害を目的とした逮捕である可能性は非常に高い。なんだ私はフツーに政治犯だったのだ。それにしても例の志布志事件に引き続いてまたも選挙妨害とは鹿児島県警も懲りないというか、ずいぶん思い切ったケーサツだ。あるイミ立派。
 まさか本当に「任意出頭しないから逮捕した」なんてことはないよね。まさかね。

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2007年06月26日

結論

・鹿児島県警は優秀で、選挙妨害のために私を拘束し、当然それを悟られないよう振舞っている。
・鹿児島県警はバカなので、「任意出頭」という日本語を正しく理解しておらず、「任意出頭命令(?)に応じない」私を、ついカッとなって逮捕してしまい、いまさら後に引けずに困っている。

 いずれか2つに1つだな。私は前者であると信じたい。常識ある大人として。

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2007年07月01日

釈明2点

 獄内外のコミュニケーションというのは本当に不自由でもどかしく、当然いろんな手違いも起きる。
トップページの記載内容について、閲覧者に誤解や不審の念を抱かせかねない動きをしたので、一応言及しておく。
 「我々団 声明文」なるものがいったん掲載され、削除されたはずだ。獄外スタッフが善意で掲載したものだが、いくらなんでも我々団は厳密なメンバー制をとる党組織であり、また当該声明文の執筆者は、外山個人のスタッフとしては中心人物ではあるものの、我々団においては準団員ですらなく、さらにその声明の内容も我々団の掲げる思想、方針に反するものだったため、私が削除を指示した。
 なお我々団に関しては、きちんと立ち上げる間もなく逮捕されてしまったので、団員・準団員は若干名いるものの、まだ組織として機能するには至っていない。団員・準団員は、指定の独習文献を消化しつつ、今はただ私の釈放を待て。
 また、これも一時掲載され、現在すでに削除されている、鈴木邦男氏に関する言及について。あれもかなり誤解を与える表現であった。実相は以下の通り。 ある人から、夏の参院選への出馬を強く勧められた。断ると、では、熊本なりどこか九州で鈴木邦男氏を擁立するなら支援の意志ありやなしやと訊かれたので、そういうことなら当然、全力で支援すると答えた。今回の逮捕と関係あるかどうかは知らない。あるかもしれない(笑)。
 今後ともこうした、結局は非合理的なまでに獄内外のコミュニケーションを制限する日本の後進的な監獄システムに起因するゴタゴタは生じるだろうが、ちょっとヘンだなと思われてもそれはつまり政府が悪いということでご理解いただきたい。
 なお上記の「声明文」は、我々団のではなくそれを書いたスタッフ個人の声明として再掲載するかもしれない。
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前回更新分(2007/06/22~27)の後に、さらに獄中から更新用コンテンツが届いたので代理更新します。
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2007年07月02日

世界国家などというものには

 逮捕された日の午前中、我々団への入団者のために”入団時必読文献”を数セット買い揃えようと私は熊本市内の本屋を回っていた。それで、逮捕された時、私のバッグの中には『愛と幻想のファシズム』が3セットも入っていた。
 獄中、特に留置場というのはヒマなので、久しぶりに『愛と幻想のファシズム』を読み返している。
 1,2年前にパラパラと読み返した時にも、例えば作中のファシスト党<狩猟社>の武装親衛隊<クロマニヨン>が街宣車で大音量のピストルズを…というくだりでひっくり返ったが、じっくり読み返している今回はもっと驚く事がある。
 以下引用。

*       *       *

「僕の考えでは、人類はその最終的な形態をとろうとしておるね」
「この大不況のことですか?」
「洞木君、不況はいずれ収まるよ、たぶん戦争も内乱も起きないでしょう、
すべては、経済が要求するのです、芸術も戦争も革命も、経済が要求するのです」
「経済が今何を要求しているのですか?」
「人類の最終的な社会形態を要求しているのです、それが成立するまでは、戦争はおきませんね」
「最終形態って?」
「世界国家ですよ、約三百五十万年前に始まった人類の歩みがいよいよ最終段階に入るわけです。あなた方はそれに反逆しておる、そうだ、反逆しなくてはいかん、僕は手を貸しますよ、
人を殺してもかまわない、今夜のように人を廃人にしてもよろしい、世界国家などというものには反逆せねばならん、ヒトラーもムソリーニもある意味では反逆した、だが負けてしまいましたね、
あなた方はどうだろう、どうであれ、僕はトウジさんを応援します」

*       *       *

 私のファシズム論にきちんと目を通している物はやはり私と同じように驚くだろう。
 無意識のうちにここまで影響されていたかと一瞬焦った。が、考えてみれば当然のことだ。マルクス主義とファシズムの双方をよく理解していれば誰にでも到達できる認識だ。ただそういう人間はほとんど稀だし、私も村上龍氏もそんな希少な存在であるというだけだ。

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2007年07月03日

知識人が雲上から降りてきた(笑)

 『中央公論』7月号に浅羽通明氏が「右翼と左翼を問い直す30冊」というまあ要するに例によって啓蒙的な文章を寄せていて、実はこの中で私に対するかなり長い言及がある。「コミュニタリアン外山恒一の到達点---ポストモダンがねじれる時」と小見出しにまでなっている。
 浅羽氏はかつて今は亡き『宝島30』誌で私をこっぴどく批判したことがあり(もっとも短い書評で先にかみついたのは私の方だったが)、これを反批判した私(と当時の同志・鹿島拾市)の文章は今でもwww.warewaredanで読める。
 さらに2000年ごろだったか、『野望としての教養』という本では、だめ連を中心とする90年代後半の若い左翼シーンにざっと触れている箇所があって、結論として、将来的にそのシーンの指導者として頭角をあらわしてくるのは外山であろう、みたいに結ばれており、私はそれを読んで、何を云っとるんだこのオッサンはと呆れた覚えがある。なにせ当時の私は例の”マイ・マジェスティ闘争”の真っ最中で、だめ連周辺も含め左翼はすべて私に対して敵対的であったし、そもそもそれ以前に私がだめ連福岡を主導していた時点においても、私のそれは首都圏の”本家”の人々はもちろん全国各地の”支部”の人々から総じて異端視されていたのだから。客観的には、2000年当時の私は、若い左翼シーンにおいて最終的に失脚しつつあると見るのが常識的な判断といえた。
 が、どうも浅羽氏の”予言”はここに来て的中してなくもないような……。なかなかあなどれない人だ。
さて今回は、「『政府転覆』『まだ反抗期』を惹句として、外山恒一が都知事選で得た一万五〇〇〇票は、路上ミュージシャンならではのパフォーマンスを見せた政見放送の映像が、ネットを騒がせたゆえと見られている。そうかもしれない。だが、忘れてはならないのは、外山がポスターなどで発表した政治思想ではないか」と、嬉しいことに活字メディアでは多分初めて、私の思想の中身について以下論じている。
 全体的にはなんか相変わらず小バカにされてるような気がしないでもないが、この目くばりというかバランス感覚は、さすが大人だなあ。

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2007年07月04日

監獄は革命家の唯一の学校である(確かレーニン)

 想像力の欠如した人々というのは唖然とするほど多く、私なんかもうすっかり大衆蔑視のファシストになってしまっているのだが、これを読んでいる中にも少なからず、私が”好きで”入獄しているんだと勘違いしている者があろう。
 そんなわけないじゃないか。
 今回の投獄について、当然のことながら私は腹わた煮えくりかえっている。
 といってこのかん示してきた一種余裕シャクシャクの私の振るまいが、強がり、ポーズというわけでもない。
 前回の投獄は、真に地獄であった。わが国の革命運動史上、私ほど過酷な監獄体験を持った者はいない。
 常人なら自殺か発狂の確実なあの二年間に、連作短歌「百回休み」なんてシロモノを生み出す私は冥土のニーチェも泣いて喜ぶ超人なのだ。
 超人だし性分なのでついふざけたり茶化したりしてしまうが、獄中生活というのは本当にツラい。
 しかし今回に関してはそれも計算のうちと云えなくもない。
 都知事選の成功に浮かれ、これじゃ如何よなあと自分でもうすうす感じていたのだ。またいきなり一、二ヶ月位不当に拘束されたりすれば、つい浮かれちゃってまぎらしてしまいがちだった「国家権力への激しい怒り」をはっきりと思い出して、気合いを入れ直せるんだけどなあ、などと都合のいいことを妄想してたら、鹿児島のバカ警察め、まんまと逮捕しやがった。
 おかげで早くもすっかり革命精神の再注入に成功し、日本政府の寿命はさらに縮まったというわけだ。ざまあみろ。

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2007年07月05日

救援連絡センターの指定する弁護士を選任する

 っていう旧世代政治犯の決まり文句があるじゃないか。
 前の投獄体験もふまえてだが、私はもはやあの組織を信用していない。右や左の政治犯は救援するが、ファシストを救援するまでの見識はどうもないように思う。しょせん冷戦体制下、55年体制下の人権擁護運動にすぎなかったのだろう。そういえば彼らはオウムを救援しなかった。我々は我々の弁護士を自前で養成しなければならない。オウムのように。
 現時点では、「週刊プレイボーイ編集部の指定する弁護士を…」とでも云っておく方がまだしも我々「まったく新しい政治犯」の気分には合う。

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2007年07月06日

ファシズム禅問答

 今回獄中から書き送る一連の文章の中で、今から書く一文がもっとも重要なものとなるだろう。心して読むべし。

 今回の出来事に関して、獄中にいる私のところまで聞こえてくる反応というのはもちろんそんなに多くはないのだが、スタッフや友人・知人のそれを含めて、私の真意を理解している者はおそらくほとんど居ないように感じている。なにも身内を非難しているわけではなく、これはもう仕方ないのである。なにしろ「ファシズム」は難解なのだから。天才思想家たる私が20年近い歳月をひたすら革命家として精進して、ようやくたどり着いた境地に、たかだか数ヶ月であっさり立ち至られては私の立場がない。ファシズムをちゃんと理解するには、少なくとも私の塾で半年間みっちり鍛えられなければならない。

 だがファシズムは決して難解な思想ではない。

 一体どっちなんだ! もちろんどっちでもある。要するに禅みたいなもので、簡単といえば簡単だし、恐ろしく難解だともいえる。分かる人はパッとコツをつかむみたいに分かるし、えんえん苦労する人もいる。まさにファシズムは不立文字、その言葉ではうまく云い表せないファシズムの奥義を、今回は臨時総統みずから開示し、伝授してやろうというまことにありがたい話だ。

 まあとにかくあの最重要論文、「戦争は遠いアフガンやイラクでなく、他ならぬこの日本国内で起きている」と、「まったく新しい左右対立--イデオロギーX--」を何度も何度も熟読すべし。

 その上で、次の「公案」だ。

 「自衛隊員の官舎の集合ポストに反戦ビラを投函して捕まった者がある」
 「とんでもないハレンチ犯だ。死刑にしてしまえ」

 「つきあってた女を殴って捕まった者がある」
 「政治弾圧を許してはならない。全力で救援せよ」

 「公園のトイレに反戦とかスペクタクル社会とか落書きして捕まった者がある」
 「とんでもないハレンチ犯だ。死刑にしてしまえ」

 「飲酒運転で捕まったものがある」
 「政治弾圧を許してはならない。全力で救援せよ」

 脳捻転をひきおこす位頭を悩ませてほしい。しかし本当はそんなに難しくはないのだ。
 ああでもないこうでもないといろいろ考えあぐねているうちに、パッと閃いて、「まったくそのとおりだよなあ」と深く合点すれば君はもうファシズム有段者だ。

 ヒントを補足しておくと、とある大学で学生運動弾圧がおこなわれているとしよう。ある学生は、過激な党派に属しているというそれだけの理由で、やってもいない罪をデッチ上げられて逮捕された。別の学生は、現場で大学職員と口論しているうつに、「ついカッとなって」相手をブン殴ってしまい、当然のごとく逮捕された。「まったく新しい戦時体制下」たる現在においては、後者をこそ不当な政治弾圧として全力で問題化しなければならないということだ。

 このヒント、やばいな。

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2007年07月08日

なにも好きこのんで捕まっているわけではない

 基本的なところでものすごく大きな誤解をされている可能性に思い当たった。
まあフツーの人は裁判手続きのことにそう詳しいわけではないから仕方ないんだが。

 つまり、私が今なお拘束され続けているのは、強情をはて国家権力への対決姿勢を貫いて居るためであるという誤解をしているひとはいないだろうか? そういうオトナゲナイ態度をやめて、不本意かもしれないが、すいませんと頭を下げれば今日明日にも釈放されるという誤解を。

 もちろん少なくとも現段階ではそんなことはないのである。
 私はすでに6月20日に起訴されている。つまり「取調べ」の段階はとっくに終わっていて、今は単に裁判に向けて待機しているだけである。当然、警察や検察といった捜査機関側の人間と顔を合わせることもなく、だから万が一、私が今いきなり方針を変えて、反省を表明しようと思ってもそれはもうこの先の裁判で云うしかないのである。

 で、実を云うとちょっと後悔もしているのである。
 私の思い違いかもしれないが、たしか略式裁判というのは、判決後、「やっぱ納得できん」と云って改めて正式裁判を求める事ができたんだったような気がする。
 略式裁判というのはその名の通り、パッパと簡略に終わらせてしまう裁判で、争点がなく、かつ軽微な犯罪について被告人が望めばおこなわれ、1日で終わってしまう。今回はもともと1万5000円の反則金を要求されていたわけで、略式裁判になってもおそらく「罰金1万5千円」の判決が出る。ただし「反則金」と違って「罰金」はあくまで正式な刑罰なので、前科になる。

 私の場合も、6月12日の逮捕から、6月20日の起訴までの間の「取調べ」の期間中に、「反省」を表明して、「何も争いませんから略式裁判にしてください」と云えばほんとにすぐ釈放されたのである。で、今はもう遅い、と。
 あくまで上記の私のおぼろげな記憶が正しければ、だが、今思えばいったん略式裁判を望み、釈放されるや否や態度をヒョーヘンさせて「あくまで正式裁判を要求する!」とやればよかったのだ。
 敵に対して誠実である必要はない、ということを私はすでに前回の投獄で学んでいる。
 もちろんいったん罪を認めるとその供述を覆すのは難しく、正式裁判でも不利にはなるのだが、どうせ公正な裁判を受けられるなんてハナから思ってないわけだし。こんなアホみたいな司法システムに、一秒たりとも律儀につきあいたくはないのだ本当は。ではなぜそうしなかったのかというと、単にウッカリしていたのだ!

 どうせ選挙でも裁判でも世の中は変えられない。政府転覆つまり革命だけが唯一の現実的な展望なのだ。

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ざっと近況報告

 わかってると思うが、このブログには時差がある。
 これがアップされるのかいつになるのか知らないが、鹿児島拘置支所の独房でこれを書いている今現在は7月2日の夜8時頃である。
 警察署の留置場では便箋5枚、この拘置所では同7枚まで一気に発信することができるので、つらつら書いていって、規定枚数分書き貯めたところで獄外のスタッフに送っている。
 そういえば前回の原稿を書き送ったのはまだ鹿児島中央署にいる時だったと思う。
 すでに伝わっているだろうが、6月26日に、ここ鹿児島拘置支所に移送された。
 1.5m×3mくらいの(一番奥のトイレ・スペースを含む)独房に閉じこめられ、留置課の警官と違ってやたらと横柄な刑務官を間近にすると、「そうそう、これこれ!」とテンションが上がる。そうだおれは2年近くこんな所で過酷な運命と闘いながらファシズムというまったく新しい展望を組み立てたのだったと感慨にふける。

 もちろんめちゃくちゃ退屈である。監獄というのは、人の人生をひたすら浪費させるための施設なのだから当然だ。
 本を読めばいいのだが、拘置所に移された当初というのは、ほとんど何も読めない。警察署段階で差し入れられた本をもちろん全部持ってくるのだが、なぜかいったん施設に全部預け、カラダひとつで独房に入り、その上で翌朝、預けた私物の中から何と何の本を部屋へ入れてくださいと「願箋(がんせん)」に書いて提出しなければならない。 で、しかも知れ葉実際に手元に届けられるのはさらにその翌日だ。私がここへ来たのが火曜日だったから水曜朝に願箋を出して木曜午前中に本が手元に来たが、これが木曜とか金曜だと最悪だ。土・日を挟むとつまりさらに二日ムダに過ごさせられる。
 なんで留置場に問題なく差し入れられた本を、そのまま拘置所の独房へ持ち込めないのか?理由なんかあるわけない。単にお役所仕事がおこなわれているだけだ。熊本市議選での刑務所前演説をもう一度、聞き返していただきたい。

 ほんとにイヤな国だとここにくれば心の底からかみしめることができる。来てよかった。

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2007年07月09日

タイムラグ、大幅短縮!

 救援体制がようやく整ってきたので、ブログの更新方法も改良する。
 これまでは5回分くらいの原稿をまとめて獄外へ発送し、場合によっては10日間遅れくらいでアップされるようなこともあったわけだが、今後タイムラグは大幅に短縮されるだろう。
 今いる鹿児島の拘置所では、朝一番に看守に手紙を渡すと、その日のうちに検閲し投函するらしい。朝イチで看守に手紙を渡すためには前日の夜までにそれを書き上げておかなければならないから(夜9時以降は朝まで読書も書きものも禁止!)つまり今日書いたものが明日投函され、明後日獄外スタッフの手にわたり、その日のうちにテキスト入力してアップされることになる。だから諸君が読むのは通常、一昨日書かれたものである。
 看守どもは土日は動かない。説明はハショるがそれで更新を滞らせないためには木曜に日月火更新用の3回分を書く計算になる。

奴らは本当に無自覚なんだろうか?

 どう転んでも管理社会化、警察国家化、つまり全体主義化の急速な進行は避けられない。
 なぜならハイテクの進歩と低コスト化によってそれを活用した監視システムの構築が容易になっているからで、使おうと思えば簡単に使える監視システムが存在するのに、それをあえて使わずにいられる国家権力などありえないからである。そんなもん、私が権力者でも迷わず使う。
 だから全体主義化に反対するのはもはや「無駄な抵抗」以外の何物でもない。
 ただし私がここ数年、何度もくりかえしケーモーしているように、一口に全体主義と云ってもいろいろある。そのうちとくに近代的つまり合理的で現実的な全体主義は2つあって、それがつまりスターリニズムとファシズムである。
 そして現在進行中の全体主義は、その2つのうちのスターリニズムの方である。
 現在この全体主義化を「ファシズムへの道だ」と大間違いな分析をして声高に批判している者の大部分が実は客観的にはスターリニストであること、私の読者には今さら改めて説明するまでもないだろう。それは革命運動を誤った方向へ誘導する結果を招いているわけだが、私はそろそろ、奴らはそれをわざとやっているのだと断定してしまってもいい時期ではないかと思い始めている。

2007年07月10日

復讐万歳

 安政の大獄というのがある。ペリー来航以来の混乱を収めるため、いわゆる尊王攘夷派の志士たちが一斉弾圧された事件だ。橋本左内や吉田松陰といった人たちが処刑され、西郷隆盛も逃亡生活を余儀なくされた。
 しかしこの強権発動による秩序回復もごく一時のことだった。この弾圧を指導した大老、今でいう首相の井伊直弼がその地位にあった期間は2年にも満たなかった。尊攘派が決死隊を組んで襲撃をかけ、「首相暗殺」に成功したからである。桜田門外の変である。
 ここから先はもう、7年後には江戸幕府が消滅するまでひたすら大混乱の時代になる。
 素晴らしいのは、まず殺された井伊直弼のみならず、安政の大弾圧に加担した連中がこの間にことごとく報復を受けていることだ。
 井伊の直属の部下の長野義言は失脚して斬罪となったし、長野と組んで動いた島田左近も"天誅”で殺されている。これらの人はまあ警察幹部みたいなものだろう。現場の公安刑事である“目明しの文吉”なんて奴にまで正しくも“天誅”が下された。殺されはしなかったが長野義言の妾まで拉致され橋柱に縛られ“生き晒し”にされている。
 こうでなくっちゃと思う。
 当時の“天誅”には行き過ぎも多くろくでもないとしたり顔で云う奴もいる。だが「やり過ぎるのは良いことだ」という毛沢東の言葉を私は革命家として正しいと思う。

2007年10月12日

本日(ほぼ)控訴

 本日、「控訴申立書」を作成し、裁判所宛に発送した。
 明日13日には着くはずたから、判決から14日以内ということで、無事受理されるはずである。

2007年10月18日

やっと届いた判決文

 昨日、判決文のコピーが郵送されてきた。
 10月2日の判決直後、問い合わせてみるとまだ完成していないと云われた。渡部クンが法廷で読み上げてたアレは何? とも思ったが、以前の初めての裁判でも同じ体験をしたので、こういうものなんだろうと思ってはいる。
 しかし、根本的におかしなことではある。
 判決直後に判決文を見ることができないのはやはり困る。
 こういう判決を受けたんだ、ということを詳しくレポートしようがないし、このようにそれを入手できた段階では世間の興味はもう持続していなかったりする。
 もっと重要なのは、じゃあどうやって控訴するか否かを検討しろっていうんだ、ということがある。今回の私のように、どんな判決だろうと最高裁まで争う気でいる場合ならともかく、判決のメイン(刑の内容)だけでは決めかねる場合もあるだろう。判決理由の部分をよく読んで、争う余地があるかどうかをじっくり検討した上で控訴するか否かをじっくり判断したい場合だってあるはずだ。なのに、判決文はたいてい判決から何週間も経ってようやく「完成」するのだ。控訴を検討するために与えられている期間はわずか2週間だというのに、その間に判決文が出ないことも多い。今回だって、裁判所の担当書記官から、判決文ができたとの連絡があったのは3日前で、つまり控訴申立書提出期限の前日だ。

 まあともかく、弁護士経由でその判決文が昨日、届いた。
 夜中のうちに優秀なスタッフ・S嬢が全文をテキストデータ化してくれたので、まもなく公式サイトにアップされるだろう。
 また、判決文批判の一文をさきほど急遽書き上げたので、これまた判決文と同時にアップされるだろう。
 とにかく読んでみるべし。

2007年10月25日

真摯な反省

 やがて始まる控訴審に向けて、私が自らの罪をいかに深く悔いているか、裁判官様にご理解いただかねばとの思いから、裁判官様の皆々様が大好きだというさだまさし様の「償い」様を熱唱してみた。

 まあ、なんというか、もうちょっとうまく作れると思ったんだけどなあ。
 演技もかなり照れが入ってるし。
 投票率ダウンキャンペーンの続きはしっかり作るから、これはしょせん余技ということで完成度の低さは許せ。

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