劇団あたまごなし総括

2006年4月末ごろ執筆

 正直に云って、悲惨な公演であった。
 3日間の公演だったが、その出来具合は初日はボロボロ、2日目は特に難しい終盤がボロボロ、最終日にやっとカネをとって人に見せられる水準に達したと感じた。
 その一番マシであった最終日にしても、あくまで「一番マシ」「なんとか(2500円をとって)人に見せられるレベル」ということで、本来私が求めていた水準には遠く及ばない。
 こういう悲惨な結果を招いた最大の原因は稽古不足である。
 出演者全員が集まっての稽古は結局2、3回しかおこなわれず、実はリハーサルはおろか通し稽古すら1度もできなかったのだ。つまり、初日の舞台は字義どおりの「ぶっつけ本番」だったのである。
 いくら長ゼリフの多い脚本だったとはいえ、こんな稽古実態では自分のセリフやそれを云うタイミングをすべて完璧に頭に入れている役者が結局一人としていない(もちろんワンシーンのみの短い出演でありしかも脚本を書いた当人である私を除く)という論外な状況となったのも当たり前である。
 「初日はボロボロ」というのはつまり、最初から最後まで、ひっきりなしに役者がセリフを忘れて(というより、そもそもちゃんと覚えていないのだから「思い出せず」)、何度となく舞台を長い沈黙が覆ったということである。2日目は初日の悲惨すぎる結果をそれなりに反省した役者陣の、本番直前までのセリフ丸暗記努力により半ばすぎまでなんとか持ちこたえたが、最後の最後になって初日同様の悲惨を再現してしまったということである。
 稽古期間がとくに短かったわけではない。
 1月上旬には脚本は上がっていたのだから、3ケ月以上の時間があったのである。不慮の交通事故によって本番2週間前に急遽代役として出ることが決まった一人を除いて、少なくとも鹿児島在住の他の役者は一番遅くメンバーとなった者でも最低2ケ月は稽古する時間があった。
 県外から参加した2人の役者は、約1ケ月前に鹿児島入りしたが、稽古場は常時使える状態だというのに、毎日稽古に参加するのはほとんどその県外組2人だけだった。
 全員そろっての稽古がほとんど実現しなかったのは、つまり大半の役者がバイトや学校など他の都合を常に優先していたからである。
 そんな状態で「面白いもの」など作り出せるわけがないのだ。

 悲惨を招いたもう一つの原因は、演出家のワンマン体質、というよりもそれを当然のこととして受け入れるやはり大半の役者の姿勢であった。
 演出家が一人だけ極端に年の離れた人間であったためでもあるだろうが、演出家と他の劇団員との関係はほとんど「先生と生徒」のそれであった。演出家のいない稽古場は、それこそ先生のいない教室のようにタルみきっていた。
 もちろん私はそもそもかつて反学校運動の闘士であり、しかも今回は脚本家という、演出家に次いで全体の出来に責任を負う立場での参加であったから、納得のいかない演出に対してはかなり後の時点まで果敢に抗議していたが、そういうことをすればするほど劇団の中で私は孤立していき、まるでまさにかつての生徒時代をこの年になってまた体験させられているような感覚に陥って、末期にはギリギリの線のみを守りきることを目標に、10ある不満のうち1しか云わず、しかもそのうち半分以上は譲らざるを得ない結果となった。
 私は、演劇というものは集団でものを作っていく行為だととらえ、これまで個人表現ばかりやってきた私としては、一度は集団の表現を体験することを今回の目的の一つとしていたのだが、この目的は果たされなかった。私は、演出家の個人作品に数ケ月の時間を犠牲にして付き合ったという感覚を否定できずにいる。

 いずれの問題も要するに、とくに鹿児島在住の役者の大半の主体性のなさ、要するに共に面白いものを作ろうというモチベーションの低さから生じている。
 しかし、実は私はこのことにとくに幻滅しているわけでもない。
 そんなことは今回実際に劇団の立ち上げをおこなう以前から、私には分かりすぎるくらい分かっていたからだ。
 何のために芝居なんかやるのか、その目的の自覚のないところに強力なモチベーションなど生まれるわけがないのだし、芝居にかぎらずあらゆる芸術表現が目的を喪失してすでに20年以上が経過しているのだから。実際、それが今回の私の脚本のテーマだったことはそれこそ脚本を読めば分かる。脚本に登場する「テロリスト」や、結末部における「役者」が喋る芸術否定、演劇否定のセリフはすべて現在の私のナマの主張である。

 では私はなぜ、今回、芝居の脚本など書いたのか。
 理由は単純である。後述するような理由で、私はともかく芝居という表現ジャンルを、それを「作る側」の一員として経験してみたかった。今回たまたまその機会に恵まれた。本当は純粋に役者として参加したかったのだが、他に脚本担当者のアテがないようだから、仕方なく私が書いた。「役者として参加したい」という願望の前提には、自分の脚本でなければという条件があったので、役者ではなく単に脚本家として参加する結果となった(今回の私の出演は、予定の役者が本番2週間前に急に出演をキャンセルしてきたための緊急代役である)。本当にそれだけの話なのである。
 今回の私の脚本は、脚本としては本当にヒドい代物である。
 断っておくが「内容」の水準の高さには絶対の自信を持っている。つまり「読み物」としては絶対に面白いということで、これを面白くないという人がいればその人のアタマかセンスのどちらかが悪いのである。しかし、生身の人間が観客の目の前の舞台で再現することを前提とした「脚本」(という脚本観・演技観がすでに否定されていることはもちろん知っているが)としては、実際ろくでもないと私も思っている。
 というのも、今回の脚本は、私が芝居あるいは芸術全般に関して考えていることを、ほとんど加工らしい加工もせず(せいぜい語尾などを話し言葉ふうにした程度)、ナマのまま書きつらねただけのものだからである。メインのシーンはほとんどただの演説か、対話を装った実のところやはり演説の分担(柄谷行人がよく批判するプラトン的モノローグ)、「それだけじゃ客が退屈するだろうって、ムリしてコントみたいなシーンをちょこちょこ作って」、「だけど演説のシーンとコントのシーン、まるで脈絡ない」、「ほとんどチクハグになってる」と自分でセリフ化しているとおりの出来ばえである。
 そもそも私には「脚本」なんてものをわざわざ苦労して書かなければならない必然性なり切実な動機なりがまったく存在しないのである。これもセリフ化したとおり、私は芝居を含めた芸術全般を、そもそもハナからバカにしているのだから当たり前だ。私が切実な動機をもって書くのは、しょせん目的のない遊びや道楽の類に堕した今日の芸術諸ジャンルとは比較にもならないほど重要な、政治運動というはっきりと目的を持った行為に奉仕する、論文やエッセイ、活動レポート、そしてアジビラの文面といった種類の文章だけである。小説(はまだ書いたことがないが)をはじめ、今回書いてみた脚本その他のまあつまりフィクショナルな性質の文章は、私にとってはせいぜい気晴らし、気分転換ていどの価値しかない。
 もちろんそれでも今回のものは私の「記念すべき」最初の脚本作品なのだから、ある意味では全力を注いで書きもした。つまりここまで書いてきたような私の演劇否定、芸術否定の考えを、そういうくだらないものにうつつを抜かしている連中に直截にぶつけてやることに最大限の力を入れて書いた。初めての脚本だからそれをやったのであって、もしまた脚本を書く機会があるとすれば、もっとどうでもいい、要するに私にとって何の価値もない、ただ面白いだけの娯楽作品とか、あるいは単に私のお気に入りの小説やノンフィクションを機械的に脚本化しただけのものを書くだろう(実はすでに腹案があったりもする)。

 話が大いにそれているから本題に戻す。
 つまり私としては、今回何か面白いものが作れるという期待がもともと薄く、実際つまらない舞台になってしまったことは云わば想定の範囲内であった。
 今回の私のメインの目的は、そもそも別のところにあったのである。
 第一はすでに少し触れたように、これまでずっと個人表現しかやってこなかった自分に、それに起因するある種の限界を感じ、芝居という集団での表現をともかく一度体験してみようという目的。これは先述のとおり、ほとんど果たされなかった。ただし、最初に私が書いて提出した脚本のつまり「第一稿」と、現在このサイトにアップされている「最終稿」とではかなり変わっている。それは、稽古の過程で演出家や役者によっておこなわれた要求や提起のうち、私が面白いと思ったもの、納得したものを、実際の舞台にまでは持ち込まれなかったものも含めてすべて取り入れた結果である。その意味では、現在の「最終稿」は私個人の作品ではない。しかし既述の事情から、まったく「私たち」の作品であるという実感も持てない。「私の作品」であることを脱したが、「私たちの作品」にまでは昇華されなかった、中間的な性質のものである。
 第二の目的は、これまで書き言葉の世界にのみ生きてきたというこれまた私のある種の限界の意識から、それとは違う話し言葉の世界を体験したいというものであった。この目的は一定、果たされた。私の書いた、読みものとしては面白いが、はたして生身の人間が実際にセリフとして口に出してみたらいかがなものか、というセリフの数々が、もちろんすべてではないが、時に意外に面白いのだ。それはたいてい役者が、私がまったく想定していなかった口調や声質、間合いやテンション、さらには身振りや姿勢でそれらのセリフを口にするためだ。これは私にとって新鮮な驚きであり、発見であった。
 もちろんこの目的があったから、私は本来むしろ脚本家ではなく役者として芝居に参加したいと願っていたのだ。面白いなと私が思えるセリフを面白く云うことができるだろうが、他人の書いた脚本ならば当然そうでないセリフもあるはずだ。それを私は面白く云うことができるのか、あるいは、私がどうしても面白く云えずにいる時に、演出家はどう対処するのか、私は実はそういうことを体験したかった。もちろん私には、現時点では苦手としている話し言葉の訓練を積むことを、本来のフィールドたる政治運動において必ず有効活用しうるという打算がある。
 ただ今回の、緊急代役による短い出演でも、いくらかの収穫はあった。たまたま脚本中もっともキャラ作りのしやすい、ストーリーと無関係な完全な道化役で、しかもセリフ自体が少なかったために、短期間ながら一つ一つのセリフをさまざまに試行錯誤する余裕を持てたのである。すると、そもそもたいして意味のない場つなぎ的なセリフとして書いたものも、云い方や身振りひとつでものすごく面白くできることを次々に発見して、これには我ながら驚いた。ああ、役者ってこういう作業をやるものなんだな、ということも何となく分かった。
 第三の目的は、これはここまで書いてきたことと矛盾するようだが、私は将来的にファシスト党員のみをメンバーとする独自劇団結成の構想をもっており、それに先立って、実際の現場を体験しながら、劇団を運営したり、ひとつの脚本あるいはアイデアを舞台作品として完成させたりするために、どういうことが必要になるのか、あるいはどういうことをやってはマズいのか、といったことを自分なりに学びとり、また、ひとつの公演をやるために必要とされる裏方仕事の種類や量なども把握しておきたい、というものである。
 この目的は、かなりの程度に達成できたと思っているが、その具体的内容はここで書いても仕方がないので、以下、「ファシズム芸術論」を少し展開して締める。

 私の考えるファシズムの芸術論は単純明快なものだ。
 それは、ファシストがやる芸術は原則として素晴らしく、そうでない芸術は原則としてくだらない、というものだ。
 これを、「ファシズムに基づく芸術は素晴らしく、そうでない芸術は……」などと誤読しないこと。
 内容はどうでもいいのだ。それがファシスト党のメンバーによっておこなわれるものなのか否かだけが問題なのだ。
 もちろんファシズム芸術は、ファシズムの政治運動に完全に従属する存在である。別の云い方をすれば、ファシズムの党の組織的拡大に貢献することをその唯一最大の目的とするのがファシズム芸術だ。
 ではどのような芸術表現が、ファシスト党の組織的拡大に貢献するのか。
 これも単純な話で、つまり面白ければそれでいい。「面白い」にもいろいろあるが、とにかく何らかの意味で面白く、党外の人間を惹きつける魅力を持った表現であればいいのだ。
 面白い作品がある、そしてそれを作ったのはファシスト党員である、たったこれだけのことが党外の人間に伝われば、それだけでもファシスト党の組織的拡大にとって有益である。
 だから例えばファシスト党の下部組織の一つとなるファシスト党員による劇団は、ただひたすら何らかの意味で「面白い芝居」をつくることに全力を注げばよい。もちろんそのことで自分たちは党に貢献するのだという自覚を失わないかぎりにおいて。
 また、テント芝居であれば公演終了ごとにその場で打ち上げがおこなわれ、それは党のオルグ活動に利用される。ホール芝居や、あるいはバンドであっても、観客を何らかの手段で組織し、その成果がオルグに利用される。もちろんいずれも観客らの拒絶反応を引き起こさない程度のソフトなやり方によってだ。
 (例えばテント劇団を結成「させる」とすれば、そのメンバーの最低限の生活と資材や稽古場の確保を党が保証し、1年の半分は稽古に専念でき、半分は九州各地をひたすら細かく旅公演できる体制を構築する)
 つまり良質な観客あるいはファンをより多く集め、組織できる表現が、ファシズム芸術における「すぐれた表現」だということになる。
 繰り返すが、内容はどうでもいい。さすがに「全面的に」は困るが、多少ならばそれがファシズムの価値観や感性、あるいはファシスト党の行動方針に反するような要素を含んでいたとしても、かまわないのだ。そんな「些細なこと」よりも、少しでも「面白いもの」を作り、良質な観客やファンを獲得することの方が優先される。
 今回もはっきりしたし、そもそもそんなことは私には最初から分かっていたのだが、今時ただ「何か面白いことをやろう」というだけでは、本当に「面白いこと」を実現できるだけのモチベーションを持ったメンバーを揃えること自体が不可能なのだ(比較的たやすく「変人」を集めることができる首都圏や京都以外の地域では)。
 スタッフを含め通常10人20人のメンバーを必要とする劇団どころか、3ピース・バンドのメンバーすら集められやしないと私は断言する。
 「面白いことをやる」などというのはもはや強力なモチベーションを形成する「目的」にはなり得ない。つまり「何のために面白いことをやるのか」というメタレベルの「目的」こそが今や必要とされているのだ。
 かつて左翼運動に従属する存在であり、現在その呪縛から逃れて長期を経過した芸術の内部に、もはや「目的」の源泉はない。芸術の目的は、その外部からふたたび注入されなければならない。
 ファシズムの運動は、その傘下の芸術に目的を与える。ファシズムはその、掲げる思想の内容的実質ではなく、それをとりあえずのとっかかりとして形成される党的共同性において、「我々は戦友である、なぜなら現に我々は戦友だからである」というトートロジーを核心とするという、他の政治思想にはない著しい特殊性によって、その傘下における芸術行為に最大限の自由をも保障する。
 以上が私の「ファシズム芸術論」のエッセンスである。